アンティッサ(1):名前の由来 (original) (raw)


エーゲ海の北東に位置するレスボス島は、古典期にはギリシア人の中でもアイオリス人が住んでいた島でした。そこには当時5つの町がありました。

大陸にあるアイオリスの都市は右のとおりである。イダ山中に住むものは、離れて独立しているから、この中には入らない。次に島に住むものとしては、レスボス島に五つの町があり――レスボスにはもう一つ、六番目としてアリスバがあったが、これはメテュムナ人が自分たちと血統を同じくするにもかかわらず奴隷化してしまったのである――、テネドス島に一つ、それからいわゆる「百島(ヘカトンネーソイ)」にもう一つ町がある。

ヘロドトス著「歴史」巻1、151 から

歴史 上 (岩波文庫 青 405-1)

この5つの町の名をヘーロドトスは記していませんが、トゥーキュディデースの「戦史」によれば町の名はミュティレーネーメーテュムナ、アンティッサ、エレソス、ピュラであったことが分かります。5つの町の位置を下に示します。

これからお話しするアンティッサについては、名前の由来を示す説話が2つあります。1つは、アンティッサの土地はもともとは小さな島であり(地形的には確かに昔は島だったようにも見えます)、レスボス島は古い名前をティッサと言ったというものです。ティッサに「向かい合っている」町という意味でアンティ(向かい合う)+ティッサで、アンティッサと名付けられた、というものです。この説はストラボーンが紹介しています。

(レスボス島のメーテュムナの町の歴史家)ミュルシロスによれば、アンティッサはかつては島であり、当時イッサと呼ばれていたレスボス島の向かいにあったため、そのように呼ばれた。しかし、現在ではレスボス島の町の一つになっている。

ストラボーン「地理誌」1。3.19 より

しかし、この説はレスボス島の古名がイッサだったという点が怪しいです。


もうひとつの説は、神話に登場するレスボス島の王マカルに、メーテュムナ、ミュティレーネー、アンティッサという娘がおり、彼女たちがそれぞれ町の名の由来になった、というものです。ちなみにエレソスの町はマカルの息子の名前だといいます。5つの町のうち最後のものであるピュラについては、マカルの娘たちの中にピュラという名前の娘はおらず、由来付けが出来ていません。

このマカルという神話上の人物についての情報は少ないです。ホメーロスイーリアスでは、アキレウスの言葉として「マカルの住居というレスボス」というものが登場します。

また御身も、御老人よ、以前は 仕合せだったと洩れ聞いている。
上(かみ)はマカルの住居というレスボスから、陸(みち)の奥(く)はプリュギエー、
涯(はてし)を知らぬヘレースポントスが 仕切る限りの国々では、
裕福さで、また子持(こもち)として、御老人よ、御身に優る者はなかったと。

イーリアス 第24書 540-550行あたり

イーリアス〈下〉 (1958年) (岩波文庫)

この引用の前後関係から、どうも「マカルの住居というレスボスから、陸(みち)の奥(く)はプリュギエー、涯(はてし)を知らぬヘレースポントスが 仕切る限りの国々」というのはトロイアの勢力圏を示しているようです。詳しい話は伝わっていないのですが、イーリアスの詩句のいくつかは、トロイア戦争の折、ギリシア勢がレスボスを攻略したことを述べています。以下はそのひとつで、ギリシア勢の総大将にしてミュケーナイ王のアガメムノーンがアキレウスと仲直りしようとして、謝罪の贈り物を送ることを信頼する将軍たちに話している場面です。アガメムノーンはアキレウスに様々な宝物や優れた馬のほかにレスボスで捕まえた女たちを贈ろうと言います。

さらにはまた七人の、すぐれた手技を心得たる女も附けよう、
レスボス女とて、私が自ら構えもよろしいレスボスを攻め
取ったおり、撰(え)りすぐった、女人の中でも容姿では立ち優ったもの、

イーリアス 第9書 より

イーリアス〈中〉 (1956年) (岩波文庫)

この引用では、アガメムノーンは、自分はレスボスを攻めたと言っています。ということは当時のレスボス島はトロイア方だったようです。おそらくは、当時のレスボス島の住民はギリシア人ではなかったのでしょう。