芥川龍之介の小説をいろいろ読んだので感想を書いていく (original) (raw)

↓先日こんなのを書いた。

cut-elimination.hatenablog.com

アニメを論ずるうえでも文化史の教養が必要と痛感し、文学なんかも読んでいこうと思った次第。手始めに、短くて読みやすい芥川龍之介の小説をいくつか読んだ。有名でタイトルは知っているけど読んだことないのがけっこうあったので、それらを読んだ。ちなみに「羅生門」「鼻」「蜘蛛の糸」あたりは前に読んだことがあり、今回はそれ以外の名作。作品の発表順に感想を書いていく。すべて青空文庫で読んだ。

芋粥(1916)

これは物凄くおもしろかった。いきなりだが、今回読んだ芥川作品のなかでも一番だった。

羅生門」「鼻」に続いて書かれた作品で、それらと同じく日本の古典文学に元ネタがある。元ネタの話の背後にある複雑な心理を描くのが芥川流である。

みんなからイジめられている役人は、いつか好物の芋粥を「飽かむ」ほど食べたいと思っていた。しかしいざたらふく食べられるとなると、なんだか食べちゃっていいのかなという精神が発動してしまうというお話。目の前で大きな芋を大きな鍋で調理しているのを見て、これまで食べたくても食べられなかった自分を思い出す、という心理描写がされるシーンは圧巻だった。

役人のうだつの上がらない感じの描写はゴーゴリの「外套」が元ネタという説があるらしい。そんな感じはする。私はロシア文学科出身なので「外套」はちゃんと読んでいるのである。

戯作三昧(1917)

曲亭馬琴を主人公にした作品。馬琴の日記が元ネタらしい。

馬琴に仮託して芥川の芸術観が書かれている。なのだけれどたいしたストーリーもないのでそんなにおもしろくはない。

奉教人の死(1918)

長崎のキリシタンの話。

美少年(実は美少女)の描写が耽美的で、古屋兎丸あたりが好きそうな感じ。芥川はこういうのも書いているのだなあと驚いた。

元ネタとなった資料が作中で書かれているが、これは架空のものらしい。こんな資料が発見されたと言って実話に見せかけて語るというのは昔のヨーロッパの小説ではよくある。文体も芥川でない人が語ったように偽装してある。

地獄変(1919)

これも古典の話に芥川が芸術観を投影しているらしい。

絵の題材を得るためならどんなヤバいこともするという絵師の話。娘の死をも絵のネタにしてしまうという点は北野武アキレスと亀』と似たものがある。たけしは本作を参考にしたのかもしれない。

語り手から見て大殿様が良い人のように述べられているが、娘をレイプしたっぽいことも匂わせていて、そのへんの機微もおもしろい。

杜子春(1920)

めちゃくちゃ有名な作品だが読んだことなかったっぽい。こういう話だったのか。

これは中国の古典に元ネタがあるらしい。

童話なのである程度ハッピーエンドだし教訓が重視されている。なので大人が読んでもやや物足りない。

藪の中(1922)

黒澤明監督『羅生門』の原作である。映画は見たことあるが原作は読んだことなかった。

ある事件について、さまざまな人の証言を順番に並べただけで構成されている。特殊な構成である。証言が重なって徐々に真相が明らかになるかと思いきや、矛盾した部分もありハッキリしない。

映画と違って特権的な証言者は出てこないので、最終的に真実は明らかにならない。その点で映画よりさらに奇妙でおもしろいと思う。しかし映画の真相の情けなさもそれはそれでおもしろい。というわけで原作も映画も甲乙つけがたい。

ロッコ(1922)

これは童話というか子どもの頃の想い出を描いた作品。他人から聴いた話が元ネタらしい。

なんか子どもの頃ってこういうことってあるよなあという感じでおもしろい。前半で出てきて主人公を叱ったおじさんが最後に再登場して助けてくれるのかと思ったらそんなことなかった。

あばばばば(1923)

そんなに有名ではないかもしれないがタイトルが気になったので読んだ。

古典ではなく実体験をもとに三人称で書いた私小説。このあたりから芥川は内省的になっていくらしい。

まだ少女のようだった商店のおカミさんが、子どもを産んで「あばばばば」とあやすようになる、それを見て主人公が感慨に浸る、という話。主人公がキモくておもしろい。

Wikipediaを見ると「昔のほうが美しかった」と思って終わるかのように書いてあるが、そういう終わりかたではなかった。やはりWikipediaを鵜呑みにせず自分でちゃんと読まねば。

河童(1927)

河童の国に行くということで楽しい話かと思ったらかなり病んでいる。事実この年に芥川は自殺している。

精神病院の狂人が、自分は河童の国に行ったのだと言って話した話、というテイの作品。なので話の中身も作中の狂人のただの妄想なのかもしれない。

その河童の国というのも、軽々しく子ども河童の死が語られたり、主人公と友達になった河童が自殺したり、物騒で気味が悪い。描写もところどころグロテスクである。

また河童の国では子どもが生まれる前に子どもに話しかけて生まれてきたいかどうか訊くという制度になっている。生まれてきたくなかったら薬で流産させる。これも病んだ設定であるが、この設定が反出生主義の議論でたまに参照される。これが元ネタか! と思った反出生主義思想家の私。

歯車(1927)

輪をかけて病んだ作品。死ぬ直前に書かれた私小説。様々な幻覚や妄想が行き当たりばったりに書かれている。タイトルの「歯車」というのも、視界に歯車が回っているという幻覚から。

書き散らした感じの作品ではあるが、妙な魅力があるのも確かである。

最後、かなりハッキリと語り手が死にたがっている。めちゃくちゃ怖いラストだった。後半の原稿は死後に見つかったらしい。