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式子内親王

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しょくしないしんのう

しきしないしんのう、のりこないしんのうとも読む。1149−1201。平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した皇女、歌人。新三十六歌仙のひとり。

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雲心月性...2ヶ月前

新古今和歌集 恋一 1034 (89)玉の緒よ絶えなば 絶えねながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする (新古今和歌集 恋一 1034)(89) 式子内親王(多紀理、Wikipedia日本語版推敲更正) 式子内親王(しょくし/しきし(のりこ)ないしんのう、久安5年(1149年)- 建仁元年1月25日(1201年3月1日))は、日本の皇族で、賀茂斎院を務められた方です。新三十六歌仙および女房三十六歌仙の一人であり、後白河天皇の第三皇女として知られています。母は藤原季成の娘、藤原成子で、守覚法親王、亮子内親王(殷富門院)、高倉宮以仁王とは同母兄弟にあたります。また、高倉天皇は異母弟にあたります。内親王は萱斎院、大炊御門斎院とも称され、法…

#短歌#和歌#古典#新古今和歌集#百人一首#式子内親王

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14ブックマーク「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば」 式子内親王 斎院による「忍ぶ恋」の歌 - 安心感の研究 by 暖淡堂dantandho.hatenadiary.com

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Le ciel bleu sur Europe ヨーロッパに広がる青い空8ヶ月前

新古今集 後鳥羽院と定家の時代(前半)新古今集 後鳥羽院と定家の時代 表紙 新古今集 後鳥羽院と定家の時代 田淵句美子 著 角川学芸出版 発行 角川選書 481 平成22年12月25日 初版発行 お名前からして「句」に人生を捧げておられるような著者による、後鳥羽院と藤原定家という熱い歌人を中心とした、和歌の黄金期の、映像を描き出しています。 第一章 新古今時代の前夜 一 後鳥羽天皇の誕生 新古今時代を作った帝王 二 和歌の家の親子 藤原俊成と定家 中世前期においては、宮廷の政治と文学・文化とは、人的にも空間的にも、同心円状にある。 勅撰集は、単なる秀歌のアンソロジーではなく、和歌を用いて、宮廷とその文化の過去・現在・未来を示そうと…

#新古今集#後鳥羽院#藤原俊成#藤原定家#式子内親王

安心感の研究 by 暖淡堂8ヶ月前

「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば」 式子内親王 斎院による「忍ぶ恋」の歌百人一首第89番目の歌の作者は式子内親王しょくしないしんのうです。 賀茂斎院かものさいいんとして11歳から21歳まで過ごした人でした。 今回は式子内親王について紹介します。 式子内親王とは 生年が1149年、没年が1201年。 後白河天皇の皇女です。 守覚法親王や以仁王の姉にあたります。 21歳で斎院を退きますが、その後は社会とは交わらず、藤原俊成や藤原定家らの指導を受けて和歌を勉強するような、静かな暮らしをしていたようです。 その式子内親王は、のちに呪詛事件の犯人とされてしまいます。 この事件があってから、式子内親王は出家しますが、亡くなるまでの生涯は、本人が希望したような穏やかなものではな…

#式子内親王#玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば#百人一首#藤原定家#歴史#古典

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸1年前

【源氏物語461 第14帖 澪標35】藤壺の宮は太上天皇に準じて女院と遊ばされ、仏法に関係した善行功徳をお営みになることを精励しておいでになった。入道の宮をまた新たに御母后《ごぼこう》の位にあそばすことは 無理であったから、 太上天皇に準じて女院《にょいん》にあそばされた。 封国が決まり、 院司の任命があって、 これはまた一段立ちまさったごりっぱなお身の上と見えた。 仏法に関係した善行功徳をお営みになることを 天職のように思召《おぼしめ》して、精励しておいでになった。 長い間御所への出入りも御遠慮しておいでになったが、 今はそうでなく自由なお気持ちで宮中へおはいりになり、 お出《で》になりあそばすのであった。 🌃🎼神秘的な和の夜 written by ゆうり🌃 少納言のホームページ 源氏物語&古典 syounagon-web ぜひご覧く…

#式子内親王#玉の緒#太上天皇#女院#善行功徳

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸1年前

【源氏物語455 第14帖 澪標29】美しい源氏と月明かりのさす所に出ていることは恥ずかしかったが初めから花散里はそこにいた、この態度が源氏の気持ちを楽にした。何年かのうちに邸内《やしきうち》はいよいよ荒れて、 すごいような広い住居《すまい》であった。 姉の女御《にょご》の所で話をしてから、 夜がふけたあとで西の妻戸をたたいた。 朧《おぼ》ろな月のさし込む戸口から 艶《えん》な姿で源氏ははいって来た。 美しい源氏と月のさす所に出ていることは恥ずかしかったが、 初めから花散里はそこに出ていたのでそのままいた。 🌿涼風薫る宵(The Evening,wafting cool breeze) by 蒲鉾さちこ🌿 少納言のホームページ 源氏物語&古典 syounagon-web ぜひご覧ください🪷 https://syounagon-web-1.jimdos…

#藤原定家#藻塩#式子内親王#定家葛#花散里

源氏物語&古典文学を聴く🪷〜少納言チャンネル&古文🌿1年前

【権中納言定家 藤原定家】(97番)新勅撰集 巻13・恋3・849 🌊来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや 藻塩(もしほ)の 身もこがれつつ【権中納言定家 藤原定家】(97番)新勅撰集 巻13・恋3・849 🌊来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや 藻塩(もしほ)の 身もこがれつつ 〜待っても来ない人を待つ私 松帆の浦の浜辺で 焼いている藻塩の煙がなびいているが、 この身も恋の思いにこがれていく、 そんな気持ちなのだ。 💠 藤原定家 💠ふじわらのさだいえ(ていか) 💠 権中納言定家 💠 ごんちゅうなごんさだいえ (1162~1241年) 平安末期の大歌人 藤原俊成の子 新古今集、新勅撰集の選者 「小倉百人一首」を選んだ人として知られている。 藤原定家は能の演目にもなっています🌿 北国から京の都に上った旅の僧の一行が、千本(今出川…

#権中納言定家#藤原定家#式子内親王#定家#小倉百人一首

源氏物語&古典文学を聴く🪷〜少納言チャンネル&古文🌿1年前

式子内親王(89番)新古今集 恋一・1034 🌹玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする式子内親王(89番)新古今集 恋一・1034 🌹玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする 〜我が命よ、 絶えてしまうのなら絶えてしまえ。 このまま生き長らえていると、堪え忍ぶ心が弱ってしまうと困るから。 🌸式子内親王🌸 しょくし(または、しきし)ないしんのう (生年未詳~1201年) 後白河院の第三皇女で、「大炊御門斎院(おおいのみかどいつき)」と称される。 賀茂斉宮(かもさいぐう)などを務めました。 実兄の以仁王(もちひとおう)、源頼政(みなもとのよりまさ)が 平氏に対して挙兵し失敗した事件に連座。 1197(建久8)年頃に出家しました。 新古今集時代の代表的な女流…

#式子内親王#定家葛#藤原定家#以仁王#源頼政

源氏物語&古典文学を聴く🪷〜少納言チャンネル&古文🌿1年前

【皇太后宮大夫俊成 藤原俊成】83番 千載集 雑・1148 世の中よ 道こそなけれ 思ひいる 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる🍃【皇太后宮大夫俊成 藤原俊成】83番 千載集 雑・1148 世の中よ 道こそなけれ 思ひいる 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる🍃 〜この世の中には、 悲しみや辛さを逃れる方法などないものだ。 思いつめ 分け入った この山の中にさえ、 哀しげに鳴く鹿の声が聞こえてくる。 💠皇太后宮大夫俊成💠 こうたいごうぐうのだいぶとしなり 💠藤原俊成 ふじわらのとしなり(しゅんぜい) (1114~1204) 藤原俊忠の子 百人一首の撰者、定家の父。 西行法師と並ぶ、平安末期最大の歌人。 正三位・皇太后宮大夫となった。 藤原俊成殿は、藤原定家の父🌟 後鳥羽院、式子内親王、藤原良経、俊成卿女‥素晴らしい歌人達の師匠でした…

#皇太后宮大夫俊成#藤原俊成#幽玄#藤原定家#式子内親王

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸2年前

御息所を訪問したが会ってもらえない源氏【源氏物語137 第九帖 葵10】源氏は紫の姫の髪そぎをする。貴婦人としての資格を十分に備えながら、 情味に欠けた強い性格から、 自身はそれほどに憎んではいなかったであろうが、 そうした一人の男を巡って 愛の生活をしている人たちの間は また一種の愛で 他を見るものであることを知らない女主人の意志に 習って付き添った人間が御息所を侮辱したに違いない、 見識のある上品な貴女である御息所は どんなにいやな気がさせられたであろうと 気の毒に思ってすぐに訪問したが、 斎宮がまだ邸《やしき》においでになるから、 神への遠慮という口実で逢《あ》ってくれなかった。 源氏には自身までもが恨めしくてならない、 現在の御息所の心理はわかっていながらも、 どちらもこんなに自己を…

#葵祭#髪そぎ#陰陽道#六条御息所#式子内親王

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸2年前

式子内親王(89番) 🌹玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする式子内親王(89番)新古今集 恋一・1034 🌹玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする 〜我が命よ、 絶えてしまうのなら絶えてしまえ。 このまま生き長らえていると、堪え忍ぶ心が弱ってしまうと困るから。 🌸式子内親王🌸 しょくし(または、しきし)ないしんのう (生年未詳~1201年) 後白河院の第三皇女で、「大炊御門斎院(おおいのみかどいつき)」と称される。 賀茂斉宮(かもさいぐう)などを務めました。 実兄の以仁王(もちひとおう)が、源頼政(みなもとのよりまさ)が 平氏に対して挙兵し失敗した事件に連座。 1197(建久8)年頃に出家しました。 新古今集時代の代表的な女…

#式子内親王#忍ぶ恋#定家葛#能楽#歌人

周梨槃特のブログ9日前

因島村上文書1解題 中世、中部瀬戸内海で勢威をふるった因島村上家に伝わる文書で、三巻五十一通からなる。一号から三号までは因島に関するものではあるが当家との関係は明らかではない。 その後は足利将軍家・山名・河野・大内・毛利の各氏から村上氏の歴代にあてた書状・感状・宛行状などが主たる内容をなしている。 金蓮寺は因島村上氏の菩提所であり、同氏歴代の墓がある。当寺には、宝徳二年(一四五〇)の在銘瓦三枚(県重文)があり、その銘文は付録(一一八二頁)に収めた。この寺にはこのほか村上氏に関する遺品が数多く伝えられている。 一 因島中庄預所下文 下 備後国因島中御庄政所 可早宛賜給田捌段内四斗代 二段 三斗代 二反 二斗代…

charisの美学日誌22日前

[今日のうた] 10月[今日のうた] 10月 ねえあんた来るの来ないの台風さん (おおまま「東京新聞・俳壇」9.29、小澤實選、「ゆっくりと自転車並のスピードで移動する台風に向かって、呼びかけている。作者は台風並に巨大な存在のよう」と選評) 1 かなしくはしやぎ蜻蛉(とんぼ)となつて友がくる (青柳悠「朝日俳壇」9.29、高山れおな選、「「かなしくはしやぎ」の思い入れが共感を誘う」と選評。やって来た友は、本当は悲しいのに、トンボがブーンと飛ぶような仕草をしたのだろう) 2 コロナ禍が葬儀大きく変えゆけり田舎といえど家族葬のみ (俣野右内「朝日歌壇」9.29、佐佐木幸綱選、「かつて近隣の人々がたくさん集まった冠婚葬祭…

戦国日本の津々浦々 ライト版1ヶ月前

小倉色紙 おぐらしきし平安末期から鎌倉初期の歌人藤原定家が、古来の歌人の歌を一首ずつ色紙形に書いたもの。名称は京都小倉山の山荘の障子に貼ったという伝承にちなむ。戦国期の武野紹鴎が茶の湯に用いて以降、床の掛物として珍重された。 嵯峨中院の障子の色紙形 武野紹鴎と藤原定家 千利休への継承 定家色紙の歌 定家の「悪筆」 参考文献 嵯峨中院の障子の色紙形 藤原定家の日記『明月記』文暦二年(1234)五月二十七日条に、色紙作成の依頼があったことがみえる。 予、本より文字を書く事を知らず、嵯峨中院の障子の色紙形、ことさらに予書くべきの由、彼の入道懇切なり、極めて見苦しき事といへども、なまじひに筆を染めて之を送る、古来の人の歌お…

charisの美学日誌2ヶ月前

[今日のうた] 9月[今日のうた] 9月 夏山にもたれてあるじ何を読む (子規1895、「あるじ」とは、子規の句友の竹村鍛、神戸市の彼の家を子規が見舞った時の句、彼は六甲山を背に「夏山にもたれて何か読んでいる」感じだった) 9.1 青空よ赤く染まらないで戦争で (久間木カウエ(16才)「東京新聞・平和の俳句特集」9月1日、美しい夕焼けを見ながら、その向こうに、ガザやウクライナの空を想像しているのだろう) 2 敗戦日鎧(よろい)も蝶も笑わない (市橋富士見美(63歳)「東京新聞・平和の俳句特集」9月1日、作者は戦後生まれの人だが、8月15日の情景をおそらく的確に詠んでいる、言葉は個人の記憶ではなく人類の記憶なのだ)…

karumerabunkoのブログ2ヶ月前

ちくま学芸文庫刊行書目一覧 最新版2024年10月31日時点での既刊のちくま学芸文庫全2,071点(セット版を除く)をあげた。文庫の整理番号順に従って表記(一部変更あり)した。「♾️」マークはMath&Scienceシリーズ(青背)を示す。人名表記の揺れ(例「シモーヌ・ヴェイユ」と「シモーヌ・ヴェーユ」)は訳者に従い、統一はせずそのままにした。編者、訳者は一部を除き割愛し、編著者が3人以上に及ぶ場合は代表者1人の名前のみ記した。 Math&Scienceシリーズのみの刊行書目一覧はこちら→ちくま学芸文庫M&S刊行書目一覧 最新版 - karumerabunkoのブログ 浅田彰『ヘルメスの音楽』 赤坂憲雄『異人論序説』 赤坂憲雄…

karumerabunkoのブログ2ヶ月前

講談社文芸文庫刊行書目一覧 最新版2024年10月31日時点での既刊及び刊行予定の講談社文芸文庫全1,318点(日本文学1,246点/海外文学72点、ワイド版を除く)をあげた。文庫の整理番号順に従って表記(一部変更あり)した。編者、訳者は一部を除き割愛した。 阿川弘之『舷燈』 阿川弘之『青葉の翳り 阿川弘之自選短篇集』 阿川弘之『鮎の宿』 阿川弘之『桃の宿』 阿川弘之『論語知らずの論語読み』 阿川弘之『森の宿』 阿川弘之『亡き母や』 阿部昭『単純な生活』 阿部昭『大いなる日/司令の休暇』 阿部昭『無縁の生活/人生の一日』 阿部昭『千年/あの夏』 阿部昭『父たちの肖像』 阿部昭『未成年/桃 阿部昭短篇選』 青柳瑞穂『ささやかな日…

浅草散歩道2ヶ月前

#隅田川の防波堤(墨田区側)夕方もまだまだ暑いので久しぶりにスミダリバーウォークを渡りたいと思います。 さすがに川の上なので涼しいです。夕方の日差したっぷりですが川の上の歩道は日差しがあっても全く暑くありません。 台東区から墨田区に渡り桜橋を渡って戻ろうと思います。 隅田川のコンクリートの防波堤にはテイカカズラやノウゼンカズラ、くずなどが元気よく絡みついています。 テイカカズラは名前の由来は 成就しなかった恋の執心で蔦葛となり、恋人である式子内親王の墓に絡みついたという伝説を脚色した謡曲「定家」に由来します。 テレビドラマでも執着した情念を描き出すのに使われていました。 花はかわいいのにとてもしつこいとは見えません。 こ…

2)日本民族の伝統文化と天皇神話の400年宗教戦争。天皇の人道貢献と戦争回避の平和努力。 2ヶ月前

💍50)─1─なぜ悠仁さまは学習院を外したか。天皇制を維持する社会制度を整えない日本の怠慢。〜No.164 ・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 2024-07-27 💍47)─1─17~19歳「皇室に関心ない」55%でさらに増加している。〜No.161 ・ ・ ・ 2024-02-26 ⏱20:ー3・Bー中国共産党は学習院内にチャイナスクールを創設しようといている。~No.61 ・ ・ ・ 反天皇反民族のリベラル左派系メディアや教育による皇室へのバッシングや誹謗中傷が絶えない。 ・ ・ ・ 2024年9月 YAHOO!JAPANニュース プレジデントオンライン「「なぜ悠仁さまは学習院を外したか」男性・男系天皇にこだわり天皇…

charisの美学日誌3ヶ月前

[今日のうた] 8月 [今日のうた] 8月 何事も人に従ひ老い涼し (高濱虚子1942、虚子はこのとき68歳だが、当時の感覚では「老い」なのか) 8.1 炎天や僧形遠くより来たる (山口誓子1944、炎天で地面の空気がゆらゆらと揺れている、そのためか、道を歩いてこちらにやってくる僧が、とても遠くを歩いているように見える) 2 稲妻に頬向きかへて女ねむる (加藤楸邨『穂高』1940、家族で旅行したときの句、「女」は妻だろう、鋭い稲光を浴びたのが眠ったままで分るのか、目も覚まさずに反対側に顔を向けた) 3 汗の背にはるかな夕日わかちなし (飯田龍太1949『百戸の谿』、夕方になっても、山中の棚田では人々が一心に田草を取…

野川砂町の日毎夜毎3ヶ月前

定家が公卿の列に入れたのは、1211年、50歳になってからだった。 後鳥羽院は競馬狂い! 白拍子の女六十余人が後鳥羽院のサロンに集い歌い踊る! 式子内親王は、良い香りがしたんだってさ。 兄弟27人、子供27人ってなんだコレ? 西行やら親鸞やらの凄まじさ。 後白河の梁塵秘抄のトンデモ。 院政時代には朝廷が夜廷になっていたとのこと。 フィクシオンとしての歌や本歌取りなどつくるためにつくりつくられ、天皇制は存在し存続するために存続している。 陽剣と陰盾が相応じる性交舞踊って何? 定家と長明が京の宵を横笛を吹き鳴らして車をとばす。2人とも40代か。 後鳥羽院は宇治の平等院でヌードざんまい、それに嫌悪を…

yachikusakusaki's blog3ヶ月前

夏の日・夏の陽を詠んだ短歌 夏の日のあつもり塚に涼み居て病気なほさねばいなじとぞ思ふ 正岡子規 夏の日のくれゆく時に海原と空との色は見飽かざりけり 岡麓 山ながら夏の陽つよし./女学校の講堂に来て/風をすがしむ 石原純 真夏日のひかり澄み果てし浅茅原にそよぎの音のきこえけるかも 斎藤茂吉 夏の日は女役者のものごしのなまめかしさに似てさびしけれ 北原白秋 真夏陽に磨かれてゆく石一つその中核の闇ぞ恋しき 佐佐木幸綱暑い「夏の日」が続きますが-- ウェザーニュースによれば, https://weathernews.jp/s/topics/202207/170095/ 明日以降はすっきりしない天気で「梅雨のような蒸し暑さ」「夏空はまだ先」(=まだ夏は続く)とのこと. https://www.google.com/search天気予報 藤沢 https://weathernews.jp/s/topics/202207/170095/ 俳句では,「夏の日」は,夏の太陽と夏の一日のいずれをもさす季語. https://kigosai.sub.jp/001/archives/8733 川風や夏の日落つる臼の音 鬼貫…

いずぃなり4ヶ月前

炎天や人間様には寿命あり(あ)三島・大場の病院で定期検診。 定期検診の日は私が覚えていたわけではない。病院の看護師が覚えていた。 すごいね今のサービスは、ここまでやるんだ。定期検診の日くらい忘れたってどうってことないのに、病院側では大事なことを忘れたと言わんばかりに電話攻勢をしかけてくる。定期検診って、そんなに大事なの? 大事だろう。患者が多いか少ないかは病院にとって死活問題だ。昔は黙っていても病院は繁盛したが、今は売り込みをしないといけないというのが現実のようだ。病院も生き残りに必死になる大変な時代を迎えた。 さて、定期検診の結果はどうだったか。良くもなく悪くもなくと言った感じだ。 「最近どうですか?」という主治医の問診…

いずぃなり4ヶ月前

そら夏だどんすかどんすかぴいひやらら(あ)7:00〜公民館で夏祭りの準備。 どこにも仕切り屋というのがいるもので、夏祭りの準備に関しても例外ではない。準備というよりも、お祭りそのものが好きなんだね。 祭りというと目の輝きが違ってくる。 青森は祭りといえば「ねぶた」だが、こっちは「しゃぎり」。 「しゃぎり」とはどういうものか。 「静岡県三島市の伝統芸能の一つで、鉦(かね)、太鼓、笛を使った祭囃子(まつりばやし)をいう。その歴史は、起源となる「お囃子」の発症から数えると約450年、「しゃぎり」自体が生まれてからは220年が経過していると言われる。市内の最も大きな祭事である三嶋大祭りや行事ににぎやかな華を添えてきた。現在も市内約7割の町内で…

Svelandski氏の秘められた日記4ヶ月前

「しのぶれど、、」と「恋すてふ、、」2024-07-27 (土)(令和6年甲辰)<旧暦 6 月 22 日>(先負 壬辰 八白土星) Marta 第 30 週 第 27559 日 「しのぶれど、、」の歌は平兼盛の歌である。戦記物である「平家物語」を読んでゐてこの歌に出くはすとは思はなかった。有名な「天暦の御時の歌合」があったのは村上天皇の天徳4年(960年)3月30日のこと。この歌合せで対した壬生忠見が詠んだ「恋すてふ、、」の歌とともに、ふたつの歌は並んで人口に膾炙した。高倉天皇の御代はその歌合せから220年近くが過ぎてゐた。藤原定家は、この頃18歳前後であったが、後に小倉山荘で編んだとされる百人一首にも両方の歌が並んで選ばれてゐ…