浄福寺城とは 地理の人気・最新記事を集めました - はてな (original) (raw)

浄福寺城

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地理

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じょうふくじじょう

現在の東京都八王子市下恩方町にあった山城。1590年の豊臣秀吉による八王子城攻め、落城とともに浄福寺城も落城して廃城となった。

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ちょっと山城に (正規運用版)3年前

八王子城の記事リンク不定期に載せていた 八王子城 紹介シリーズ リンク集としてまとめました。 --------------------------------------------------------------------- 八王子城 再訪 1~4 2011年3月掲載 掲載範囲 麓の御主殿・山頂の主郭部・詰めの城 八王子城 再訪① (東京都 八王子市) - ちょっと山城に (正規運用版) 八王子城 再訪② (東京都 八王子市) - ちょっと山城に (正規運用版) 八王子城 再訪③ (東京都 八王子市) - ちょっと山城に (正規運用版) 八王子城 再訪④ (東京都 八王子市) - ちょっと山城に (正規運…

#東京都の城#八王子城#浄福寺城#小田野城#百名城#八王子市

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ちょっと山城に (正規運用版)4年前

浄福寺城 再訪 (東京都 八王子市)2それでは 浄福寺城 再訪1 の続きです 今回は 8 の主郭を後にして、今回初となる9~11の尾根を見てから北東側の尾根を伝って下山します。 主郭から東の尾根を辿り 9の大堀切を目指します。 2018年の記事でも触れましたが、東側3本の尾根から主郭を目指す場合、9の大堀切を必ず抜く必要があります。つまりこの大堀切が浄福寺城の最終防衛線と言えるでしょう。 ん ・・? ここは9の大堀切の少し手前ですが、藪が一部払われており奥に道が続いているようです。 前回は完全な藪で道なんてなかったんですがねぇ、2回目以降じゃないと入れないダンジョン的な何か? それでは踏み分け道にお邪魔します。 少し進むと写真では…

#東京都の城#浄福寺城#八王子市

ちょっと山城に (正規運用版)4年前

浄福寺城 再訪 (東京都 八王子市)1浄福寺城 (再訪) 訪問 2020年 11月 駐車場無し (麓の浄福寺Pを利用) 案内板有り (麓 浄福寺正面) 記事の更新が遅々として進まずに最近は訪問から2年以上経過した物件ばかり紹介してました。 時間が経過すると記憶も曖昧になり、まとめるのも面倒に感じて 「よし 書くぞ!」 といった気にならないんですね。 それに今年はコロナ騒動でお城巡りも自粛気味。 お城に関わる時間も激減し、お城巡りの趣味も少しばかり熱が醒めた状態になってました。 そんな折の秋晴れの休日。 遠出は面倒だけど都内の山城くらいなら行ってみようかな? という事で再訪したのが八王子市に残るここ浄福寺城。 浄福寺城は、都内に留ま…

#東京都の城#浄福寺城#八王子市#浄福寺

ちょっと山城に (正規運用版)6年前

浄福寺城 (東京都 八王子市)2それでは浄福寺城1 の続きと参ります。 再び登場の縄張り図 「11番」付近 畝状竪堀群より9番の小郭方向を見上げて撮影。 一般的な畝状竪堀群と異なり、急斜面ではなくほぼ平坦地に掘られているのが特徴。 9番の小郭に接近して撮影。 切り立った切岸面の途中に9郭を防禦する横堀があるのが判りますか? 横堀の位置を加筆するとこんな具合。 11番付近の畝状竪堀群の先、北東側支尾根まで足を伸ばします。 支尾根途中にある竪堀。 圏央道と砕石場による破壊が見られる地点まで降りた所で引き返します。 9の小郭を中心とした一連の遺構群については、火縄銃の使用を前提とした 「火点」ではないかと妄想してます。 9郭の土塁…

#東京都の城#浄福寺城#八王子市

ちょっと山城に (正規運用版)6年前

浄福寺城 (東京都 八王子市)1浄福寺城 訪問 2018年1月 案内板 有り 駐車場 無し 浄福寺城、前回紹介した八王子城とは陣馬街道を挟んで北方約2キロ程度にある山城です。 冒頭から結論じみた事を書きますが、ここ数年で訪問したどの城よりもここ浄福寺城は素晴らしい縄張りでした。 戦略拠点である八王子城とは全くことなる戦術級の城郭ですが、少数で防衛する という目的の為に研ぎ澄まさており 都内に残る隠れた名城と言えるでしょう。 もっとも、半ば観光地化している八王子城とは異なり、浄福寺城は一般には無名に近い存在です。 訪れるのは一部のマニア(自身も含む)に限られます。 城の歴史について、はっきりした事は判っていません。 名前すら怪…

#東京都の城#浄福寺城#八王子市

Mottyの旅日記 Archive4ヶ月前

滝山城 (武蔵)山内上杉家臣で武蔵守護代であった大石定重によって、永正18年(1521)に本拠として築かれた。ただ、異説もあり、大石家に入嗣して浄福寺城に入った北条氏照により、永禄年間(1558-70)の中頃に築城されたともいう。 定重築城説の永正年間(1504-21)というのは、鎌倉公方足利成氏による関東管領上杉憲忠謀殺を発端とする、享徳3年(1455.1.27)から28年も続いた享徳の乱の後、山内上杉家と扇谷上杉家の対立である、長享元年(1487)から18年も続いた長享の乱を経て、なおも争乱が続いていた頃である。そして、この旧権力の衰退を尻目に、伊勢宗瑞(北条早雲)が永正13年(1516)に三浦氏を滅ぼし…

Mottyの旅日記 Archive5ヶ月前

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ちょっと山城に (正規運用版)5ヶ月前

八王子城 主郭北麓 11 まとめと 氏照墓所の背後 編八王子城 主郭北麓 10 最終防衛線 高丸 編 の続きと参ります。 八王子城 主郭北麓編 のまとめ回です。 初回で8回程度になりますと書きながら今11回目。 妄想力が予想以上に増殖してました。 前半は、全体のまとめと縄張りの考察(妄想) 後半は、城主「北条氏照」公の墓所を訪問します。 所で このブログを見て主郭北麓に行ってみたいと思う人・・ 果たして存在するか不明ですが、実在したらツチノコ並みの激レア趣味人に違いありません(一応褒め言葉のつもりです) 紹介したルートは全体的に整備状況が悪いのでツチノコさんにも諸手を挙げてお勧めできるものではなく そこで 一般の登山道からアプローチできるポイント…

ちょっと山城に (正規運用版)5ヶ月前

八王子城 主郭北麓 8 主郭北麓 本丸背後の搦め手口 編八王子城 主郭北麓 7 水汲みの谷津・水平道 編 の続きと参ります。 「水汲みの谷津」を後にし「棚沢の滝(上)」から尾根上の作業道を辿り八王子城本丸搦め手に迫ります。 ではルート図を、番号順に紹介します。 本丸を含む主郭部の北麓側にも2本の水平道が通されてます。途中水平道に寄り道して、北麓側の遺構も探ります。 北麓側の尾根には名前がないので便宜上西から尾根1~3と呼称する事にします。 段郭が多数普請されると思しき「尾根1」を辿ります。 「尾根1」は登りきると本丸背後に到達します。 1 「棚沢の滝(上)」から「尾根1」に取り付きます。 稜線に出るまでは虎ロープのガイドが敷設されてます、ここは斜度…

ちょっと山城に (正規運用版)6ヶ月前

八王子城 主郭北麓 1 搦め手からの奇襲ルート辿る 導入部編八王子城 主郭北麓 1 搦め手からの奇襲ルートを辿る 導入部編 訪問 2022年3・4・6月 2023年1・1・8・12月 2024年1・3月 既に幾度も紹介してきた「八王子城」の紹介に戻ります。 今回の主郭北麓編は八王子城の縄張りと落城の経緯についての核心部分編と言うべき、本丸背後から西方堡塁群を含む、北~西側「搦め手」側の遺構紹介となります。 登山道が未整備で訪問者は極めて稀な一帯ですが、反して遺構の残存状態は良好かつ内容も素晴らしい。 と、言う事で短くまとまり切れず8回位の長編になりそうです。 八王子城は、力攻めによって落城し(実は結構珍しいかも)戦闘経過が比較的伝承された城郭になります…