島津忠久とは 社会の人気・最新記事を集めました - はてな (original) (raw)

島津忠久

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しまづただひさ

日本の平安時代末期から鎌倉時代前期の武将。鎌倉幕府御家人。
薩摩を拠点として活躍した島津氏の祖で正式には惟宗忠久と言う。出自については諸説ある。

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花尾神社【後編】 丹後局の墓/丹後局御荼毘所/丹後局御腰掛石花尾神社(はなおじんじゃ)の記事の続きである。旧称は花尾権現社。鹿児島市花尾町に鎮座し、源頼朝・丹後局(たんごのつぼね)・永金(ようきん)を祭る。丹後局は島津忠久(しまづただひさ、島津氏初代)の母とされる人物だ。また、島津忠久は源頼朝の庶子とも伝わる。 花尾神社の詳細は【前編】にて。 rekishikomugae.net このあたりは、古くは薩摩国満家院(みつえいん)の厚地(あつち)と呼ばれるところ。丹後局は晩年を厚地で暮らし、この地で亡くなったとされる。花尾神社の境内には「丹後局の墓」とされるものもある。 丹後局の墓 丹後局荼毘所跡 丹後局御腰掛石 丹後局の墓 参道の途中で登っていけるところ…

#花尾神社#丹後局#島津忠久#島津氏#郡山#鹿児島

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5ブックマーク花尾神社が吉田本城にもある、静寂な森の中に丹後局(島津忠久の母)を祀る - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。rekishikomugae.net

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#一之宮神社#島津忠久#島津氏#丹後局#惟宗広言#鹿児島市#鹿児島県

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#花尾神社#丹後局#島津忠久#吉田氏#鹿児島市#仁王像

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#稲荷神社#島津氏#島津忠久#丹後局#惟宗氏#東市来町#日置市#鹿児島県

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富隈城跡にいってみた、大隅国に築かれた島津義久の居城富隈城(とみくまじょう)は、島津氏16代当主の島津義久(しまづよしひさ)が拠点とした城である。場所は鹿児島県霧島市隼人町住吉。富之隈城ともいう。 文禄4年(1595年)、島津義久は薩摩国鹿児島にある内城(うちじょう、鹿児島市大竜町)から大隅国の富隈城に移る。慶長9年(1604年)までここを居城とした。平野にぽつんと小さな丘があり、そのまわりを囲うように城館が整備された。丘は物見に使うほどの大きさしかなく、防御には適さない。形状としては、ほぼ平城である。城門は茅葺だったとされ、簡素な造りだったようである。 石垣が残る 島津義久の引っ越し 近衛信尹が立ち寄る 関ヶ原から生還した島津義弘を迎える 稲…

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旅人サイファのお出かけブログ3年前

『鶴丸城(鹿児島城)』は薩摩島津の居城!【秋の鹿児島旅行記】⑧こんにちは!旅人サイファです。 前回ご紹介した「照国神社」と「西郷隆盛像」から歩くこと北へ数分、島津家の居城『鶴丸城(つるまるじょう)』へやってきました! 『鶴丸城』は鹿児島城とも呼ばれる、薩摩藩の中枢です。築城は関ヶ原の戦い直後。 後に初代藩主となる「島津家久」によって作られ、歴代藩主はここから政務を取りました。 現在は、当時のまま残された石垣と、復元された本丸表門「御楼門」が往時の姿を偲ばせています。 島津家の初代「惟宗忠久」は、源平合戦時代に源頼朝に加勢し、鎌倉幕府を支える有力御家人として活躍しました。やがてその活躍が認められ、鎌倉幕府成立後、薩摩、大隅、日向の三国にまたがる日本一の荘園…

#鹿児島県#鶴丸城#島津忠久

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都之城跡にいってみた、北郷氏が守った「島津」の拠点宮崎県南西部から鹿児島県北東部にかけて広大な盆地が広がっている。都城盆地は南北約30km・東西約25㎞もの規模があり、2市2町(宮崎県都城市・三股町・高原町、鹿児島県曽於市)にまたがる。 この都城盆地を統治したのが、島津一族の北郷(ほんごう)氏である。江戸時代に北郷氏は島津姓を名乗るようなり、「都城島津氏」と呼ばれるようになった。 北郷氏(都城島津氏)が拠点としたのが、日向国庄内の南郷都島(しょうないなんごうみやこじま、現在の都城市都島町)の都之城(みやこのじょう)である。永和元年・天授元年(1375年)、北郷義久(よしひさ、名は誼久とも、北郷氏2代)が築いたとされる。別名に「鶴丸城」とも。こ…

#城#宮崎県#都城市#島津氏#島津忠久#北郷氏#北郷忠相#神武天皇#都城島津氏

ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。14日前

『島津氏 鎌倉時代から続く名門のしたたかな戦略』、なんだかんだで700年島津(しまづ)氏は12世紀末に惟宗忠久(これむねのただひさ)が南九州に所領を得て、その歴史がはじまる。日向国・大隅国・薩摩国にまたがる島津荘(しまづのしょう)を領したことから「島津(しまづ)」を名乗りとした。また、三ヶ国の守護職にも任じられる。 初代の島津忠久(惟宗忠久)から29代当主の島津忠義(ただよし)まで、じつに約700年間にわたって南九州を治めた。 こんな本が出た。読んでみた。 『島津氏 鎌倉時代から続く名門のしたたかな戦略』著/新名一仁・徳永和喜 島津氏 鎌倉時代から続く名門のしたたかな戦略 (PHP新書) 作者:新名 一仁,徳永 和喜 PHP研究所 Amazon 700年の歴史が「…

ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。3ヶ月前

種子島氏、中世から続く南島の領主種子島(たねがしま)は鹿児島県にある島だ。大隅半島の南のほうに浮かぶ。鹿児島港から高速船で1時間半くらい、フェリーで3時間半くらいで行き来できる。大きな島で、南北の長さは57㎞ほど。ちなみに島の北部の西之表港から南端までは車で1時間以上かかる。 この種子島の領主だったのが、種子島氏である。「鉄砲伝来」という教科書にも載っている歴史的なイベントにも遭遇。けっこう知名度の高い一族なんじゃないかと思う。 種子島氏について、ちょっとまとめてみた。 まず、種子島について もともとは肥後氏、大隅国の守護代 伝わっている出自はあやしすぎる 種子島氏の名乗りは14世紀から 禰寝氏との抗争 鉄砲 島津貴久・島津…

全国の御朱印を制覇したい!!4ヶ月前

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近世における島津氏の分家、江戸時代の「〇〇島津家」いろいろ17世紀以降の島津氏の分家についてまとめてみた。 島津氏にはもともと分家が多い。鎌倉時代から続く歴史の長さに加え、子沢山な当主も多かったりする。そんなわけで、一族の枝葉をいっぱいに広げる。中世から続く家柄もあり、江戸時代に立てられた分家もあり。 中世の島津氏 薩摩藩における分家 薩摩藩主家/島津本家 重富島津家(越前島津家) 加治木島津家 垂水島津家 今和泉島津家 玉里島津家 日置島津家 都城島津家 花岡島津家 宮之城島津家 永吉島津家 豊州島津家(黒木島津家) 知覧島津家 佐志島津家(佐司島津家) 新城島津家 市成島津家 島津本家準三男家(忠広一流) 島津本家準二男家(島津大蔵家) 島津本家…

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【神奈川県 鎌倉】 源頼朝 北条義時 北条政子鎌倉の大仏といえば、日本三大仏の1つとして知られています。 高徳院の本尊で、最初に建てられたのは鎌倉時代でその後倒壊して室町時代に今の姿となったといわれています。 電車で行くなら、江ノ電長谷駅で下車して歩けばすぐ着きます。 奈良の大仏のように遠くからしか拝めないわけではなく、間近まで近づいてその姿を見られるのが特徴的です。 倒壊するまでは、大仏殿が周りを囲んでいたようです。 鎌倉は武家政権発祥の地であり、ここから武士の世は始まったといっても過言ではありません。 それは今から800年も昔のことですが、その足跡は今も街のあらゆる場所で見ることができます。 まずは鎌倉幕府の精神的中心となって東国武士…

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