敏達天皇とは 一般の人気・最新記事を集めました - はてな (original) (raw)
敏達天皇
(
一般
)
【
びだつてんのう
】
第30代天皇、倉太玉敷尊とも。
欽明天皇の第二皇子なり。
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Blue Wave•3ヶ月前
黒沼神社:瑞獣「角端(かくたん)」が護る神社(福島県)金華山から仙台へ戻り、翌朝郡山へ新幹線で移動。レンタカーを借りて黒沼神社へ向かいました。黒沼神社は福島でもいくつかありますが、こちらが元祖黒沼神社になります。 〒960-1246 福島県福島市松川町金沢宮ノ前45 周りは住宅が少なく畑が多いです。こじんまりした所にあります。 参道を抜け手水舎で清めて階段を上がると正面に拝殿があります。 しかし右手にある大きな木に目が釘付け。 洞がありますね。精霊がいそうです。 ビリビリとしてパワーを感じました。何か上の枝にやってきたようですが、正体不明。樹齢1300年の御神木だそうです。 拝殿へ進み、ご挨拶と光の設定ワークをさせていただきました。 その後、神主…
#黒沼神社#角端#敏達天皇#日本武尊
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上古への情熱•5ヶ月前
継体持統⑦:漢王の妹、大俣王淡海三船が「皇極」と名をつけた天皇。まさに皇を極めた天皇であるが、出自が謎めいている。 皇極天皇の父方の系譜 日本書紀によると皇極天皇の父は茅渟王であり祖父は押坂彦人大兄皇子となっている。茅渟王の母に関する記載はない。 古事記では押坂彦人太子の子の智奴王の母は「漢王の妹、大俣王」としていて、大俣王の父母が誰か書かれていない。 漢王の妹、大俣王 大俣王については同名の大俣王が敏達天皇妃の春日老女子の第四子にいるが、敏達天皇の子に漢王の名がない。 春日老女子の第四子の大俣王の同母兄としては難波王、春日王がいて、いずれかの別名が漢王であれば当該大俣王が智奴王の母との解釈も可能となる。 また後世の資料…
#皇極天皇#茅渟王#舒明天皇#敏達天皇#橘諸兄
上古への情熱•5ヶ月前
継体持統⑥:押坂彦人大兄皇子の微妙な立ち位置敏達天皇の正嫡である押坂彦人大兄皇子。系図を眺めると政治的立ち位置が見えてくる。 太子彦人皇子 日本書紀には丁未の乱の直前に押坂彦人大兄皇子の記事が出てくる。 587年4月2日に用明天皇が天然痘に罹患し死の床についたことで紛争が勃発。「群臣が大連を陥れようとしている」との噂から物部大連守屋が本拠地の河内国に避難。物部氏側の中臣勝海は『太子彦人皇子』と竹田皇子を呪詛するも、事の成り難きを知り、彦人皇子に帰順するが、彦人皇子の舎人に斬られた。 このように、日本書紀は、押坂彦人大兄皇子は物部氏側の中臣勝海を斬っており、物部陣営には属さず、推古天皇寄りの立場に居たと記している。 系図からわかること 事…
#押坂彦人大兄皇子#舒明天皇#推古天皇#敏達天皇
シン・ニホンシ•10ヶ月前
326.伊勢大鹿首(いせのおおかのおびと)の娘と胸形君徳善(むなかたきみとくぜん)の娘・尼子娘敏達天皇(第30代)の妻である小熊子郎女、そして天武天皇(第40代)の后である尼子娘(あまこのいらつめ)を取り上げる。天皇と地方豪族の娘との関係から古代を探り、特に天武天皇の海の氏族との関連を人物関係から示す(既に論証されていることではあるが)。次の流れで紹介していく。 ■敏達天皇(びだつてんのう)第30代天皇。在位は572年~585年。諱は他田(訳語田)天皇(おさだのおおきみ)。敏達天皇の子女には押坂彦人大兄皇子らがいる。 敏達天皇の父は欽明天皇でその第二皇子。母親は欽明天皇の皇后、石姫皇女。なお継体天皇の長子が欽明天皇にあたる。 ■小熊子郎女(おぐまこのいらつめ)古事記では小熊子郞女(おぐ…
#敏達天皇#小熊子郎女#天武天皇#大海人#尼子娘#胸形徳善
旅ながらの日々•2年前
【大阪府太子町】敏達天皇陵、見上げる空から慈愛の声がきこえるところ敏達天皇はその在位中、まさに難問山積だった。 外にあっては任那再興をはかるがおもうにまかせず、国内では崇仏・廃仏の争いが大きくなっていった。 585年、崩御のあと、母、石姫皇女の墓であるこの磯長 (科長・しなが) の陵に追葬された。 生前、物部守屋らの奏上をうけいれて、はっきりと廃仏の側に立っていた自身の陵のすぐそばに、後年、仏教の強力な庇護者である聖徳太子の墓がもうけられ、さらに時を経てこのあたりが太子町と名付けられるとは、なんという皮肉だろう。 ふたりはいま、なにを語らうのか。 そこには美酒と、尽きせぬ笑い声があるといい。 敏達天皇陵参拝道へ 慈愛の声がきこえるところ 敏達天皇陵参拝道へ …
#敏達天皇#聖徳太子#天皇陵#古墳#大阪府太子町
中今〇ノ丞の「まあるく生きる」•4年前
女性天皇とは その3みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。 「女性天皇」の3回目です。 (出典:ウィキペディア『推古天皇像』) その最初の女性天皇である推古天皇(すいこてんのう)は、欽明天皇( きんめいてんのう)の皇女で、同時に敏達天皇(びだつてんのう)の皇后 でありました。 その敏達天皇が崩御すると、弟にあたる用明天皇(ようめいてんのう)が即位した のですが、用明天皇も間もなく崩御してしまい、続けてその弟にあたる崇峻( すしゅん)天皇が即位いたします。 しかし、後継者が決まる前に崇峻天皇が暗殺されてしまったため、政治が混乱し、 皇位継承を巡る争いが起こりそうになります。 そこで、皇女でもあり先帝の皇后である推古天…
#女性天皇#男系男子#皇位継承#推古天皇#敏達天皇#用明天皇#崇峻天皇
kobuniroiroのブログ•3日前
高等小学国史新指導書下巻p304~第五十六 明治天皇の崩御 大正天皇の即位 学習目的 明治天皇及び昭憲皇太后の崩御につきわからせ、御霊徳を偲び申し上げ、皇室に対する国民意識を喚起し、大正天皇の践祚と即位を学習して国体観念を強め、国運の無窮と国民の幸福を認識させる。 学習事項 (一)明治天皇崩じなさる 明治の大御代はすでに四十五の歳月を重ね、国運ますます盛んになるちょうどその時、思いがけず天皇は御病におかかりなさる。天皇は御幼少の頃はあまり御壮健と申す程でもおありにならなかったが、中頃から極めて御壮健におなりなさったもので、御身長五尺八寸、御体重二十八貫もおありになった。ところが明治三十七年来、糖尿病にかかりなさり、三十九年一月…
大和の国のこころ、万葉のこころ•12日前
生き死にの二つの海を厭はしみ・・・巻第16-3849~3850訓読 >>> 3849生き死にの二つの海を厭(いと)はしみ潮干(しほひ)の山を偲(しの)ひつるかも 3850世間(よのなか)の繁(しげ)き仮廬(かりほ)に住み住みて至(いた)らむ国のたづき知らずも 要旨 >>> 〈3849〉生と死の二つの海が厭わしいので、潮が干上がった山(須弥山)にたどり着きたいと、いつも思い続けている。 〈3850〉世の中という、煩わしい仮の宿に住み続けながら、願い求める浄土に至ろうと思うけれど、手掛かりも知られないことだ。 鑑賞 >>> 「世間の無常を厭う」歌。この2首は、かつて明日香村にあった河原寺の仏堂の中にある倭琴(やまとごと)の面に書かれていたという歌で、『 万葉…
撮り鉄の鉄道ノート•15日前
上ノ太子駅のあたりは王陵の谷と呼ばれる場所だった。歴史マニア必見の地引用:Google Map 上ノ太子駅は南大阪線の大阪最後の駅。隣は二上山駅で奈良県です。 その駅間距離はまぁまぁ長くて5.3キロ。 この長さは近鉄の中でも4番目に長い駅間距離です。 詳しい内容についてはこちら→近鉄の駅間距離4位!上ノ太子~二上山は偶然の産物?を読んでください。 この記事の内容 上ノ太子駅の駅名は寺由来。太子はあの太子で間違いない 上ノ太子駅の近くに何かできるかも。具体的な内容は 上ノ太子駅エリアは「王陵の谷」と呼ばれている、歴史マニア必見か 南大阪線 二上山>> 上ノ太子駅の歴史。開通した年に起こった事故は、ここだった 引用:Google Map/区間快速準急さん 上ノ太子…
古代史好きな28歳サラリーマンのブログ•16日前
【逃げ上手の若君】信濃の国司 清原信濃守(きよはら しなののかみ)は実在した?『逃げ上手の若君』四巻より 今回は『逃げ上手の若君』四巻に26話に登場した敵、清原信濃守(きよはらしなののかみ)を深掘りしていきます。 ※『逃げ上手の若君』四巻のネタバレを含みます。 清原信濃守(きよはらしなののかみ)の時代 目次 清原信濃守(きよはらしなののかみ)とは? 清原信濃守(きよはらしなののかみ)の家系図は? 清原信濃守(きよはらしなののかみ)は実在する?最期は? 清原信濃守(きよはらしなののかみ)とは? 『逃げ上手の若君』四巻より 清原信濃守(きよはらしなののかみ)は 京都の帝(みかど)=天皇から信濃守(しなののかみ)に任命されて信濃へ赴任した国司(こくし)です。 『逃げ上手の若君…
瑠璃色の空と海•17日前
愛宕を調べる→広がる1さぁて・・・ 愛宕。 サラッといきたいけど 今回は調べなくちゃって 思うから、頑張ってみる。 果たしてまとまるのか??? 。。。(°▽°)。。。 まずは 愛宕神社は、瀬織津姫と関係が あるのかないのか、を調べよう。 〈愛宕神社 瀬織津姫〉 全国で遠野市の一社のみ愛宕神を 瀬織津姫神と伝えている。 次は、 〈愛宕と聖徳太子〉 愛宕山の縁起によると 敏達天皇が10歳の聖徳太子の教育係として 百済より日羅上人を呼び寄せた。 だが、天皇の内政、三韓情勢の対応、 無断渡航に怒った百済王の軍とで 難波における戦闘となる。 日羅上人は百済軍に勝利。 でも自責の念から、 愛宕山に隠棲。 初めは愛宕山の天狗が妨…
上古への情熱•17日前
継体持統⑲:乙巳の変641年10月9日舒明天皇崩御から645年6月12日の乙巳の変へ至る経緯を以下にまとめる。 舒明崩御と皇極の暗躍 641年舒明天皇崩御の段階で、祭祀を司る天皇の後継者として、母が皇族である男性皇族は、宝皇女が庇護する葛城皇子=天智、大海人皇子=天武のほか、弟の軽皇子=孝徳、上宮王家にも白髪部王、弓削王がいた。 641年で30歳程度以上の壮年であったのは、軽皇子、上宮王家の白髪部王であり、天智・天武はまだ10代であることから継承資格がない。 宝皇女は、天智、天武への日嗣を実現させるため、推古天皇の先例に倣い、皇后として舒明天皇からの日嗣を企図し、舒明天皇の殯(もがり)を2年にわたり行った。 日本…
歴史の余白•20日前
File:日本の女性君主たち(連載第5回)Ⅰ 古代の女性君主たち 三 飛鳥時代の二人の女性オオキミ 2:皇極天皇(594年‐661年) (ア)登位の経緯推古女帝を継いだ男帝の舒明天皇の崩御後、舒明の皇后から直接に即位した。蘇我氏の傀儡として実権を持たなかった舒明同様、蘇我氏によって傀儡として後継のオオキミに立てられたと考えられる。 (イ)系譜敏達天皇の曽孫に当たるが、祖父の押坂彦人大兄皇子、父の茅渟王[ちぬのおおきみ]ともにオオキミには即位しておらず、当時のオオキミ家では傍流に属した。当初、用明天皇の孫に当たる高向王[たかむくのおおきみ]と結婚したが、死別もしくは離縁し、叔姪婚により叔父に当たる舒明の皇后に立后された。 (ウ)事績『日…
ものづくりとことだまの国•1ヶ月前
【信夫山(福島県福島市)】三山詣りのはじめに羽黒神社【大わらじ奉納とわらじ信仰】前回ねこ稲荷を紹介した福島県福島市の #信夫山 山中には #出羽三山 のお社(分詞社)がそれぞれ鎮座しています。まずは #羽黒神社からお詣り。御本殿そばの高さ10数メートルの #大わらじ が目を引きます(2023年10月参拝) 目次 信夫山(しのぶやま、福島県福島市)の羽黒神社 大わらじ。わらじ奉納の信仰 本文 信夫山(しのぶやま、福島県福島市)の羽黒神社 信夫山 案内板 羽黒神社 詳しい御由緒は不明ですが、第33代推古女帝の飛鳥時代(628)にはすでに鎮座していたらしく、信夫山は、平安時代に天台宗を東北地方に拡大した慈覚大師が薬王寺を開きました(857) 信夫山 羽黒神社への参道入り口 御祭…
4〕日本天皇・日本民族と中国・朝鮮両民族との2000年戦争。日本脳。心理学。日本民族の祖先。•2ヶ月前
🗻11〕─1─天孫降臨には天皇神話や物部神話など多数存在する。古代の権力者・物部氏。~No.44No.45No.46 ・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 大和王朝は、日本を統一する為に全国にあった多くの神話伝承を一つにまとめ、中華帝国(中国帝国)や朝鮮諸王朝とは違う事を宣言した、それが高天原の天照大神(女性神)や天孫降臨の神武天皇などの神話物語に連なる唯一の血筋(神の裔)とする男系父系天皇を正統とする記紀神話(古事記・日本書紀)であった。 正統保守は、数千年、民族神話の正統男系父系天皇を護ってきた。 ・ ・ ・ 2024年3月6日 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「【古事記と日本書紀が描く神話の世界】もうひとつの天孫降臨 —ニ…
松村かえるの「かえるのねどこ」•2ヶ月前
糟屋郡宇美町宇美1丁目 宇美神社(宇美八幡宮)過去に「神社めぐり」に掲載するため作成した文章です。現在ではリンク切れとなっている箇所や、すでに情報が古い部分もありますが、再取材はせず当時のまま掲載します(注記:2024.08.25) 現地のようす これで、4か所目の「蚊田」を訪問しました。 福岡県神社誌の内容(抜粋) 現地のようす 大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI ) 宇美八幡宮(公式ホームページ) 宇美八幡宮 - Wikipedia 立派な構えの御神門があります。 社殿のつくりも立派です。拝殿が縦入り、渡りがあって、本殿という黒田藩領でよくみる形式ですが、大きさと立派さのけたが違います。 境…
歴史の余白•2ヶ月前
file:日本の女性君主たち(連載第4回)Ⅰ 古代の女性君主たち 三 飛鳥時代の二人の女性オオキミ 飛鳥時代は通常、6世紀末から奈良時代が開始される8世紀初頭までを指す。この時代は蘇我氏の専横を排したいわゆる大化の改新を境に前期と後期に分けることもできるが、ここでは天皇称号が確立され、本格的な天皇王朝の樹立につながった壬申の乱を境に前期と後期に分けて、その前期に現れた二人の女性オオキミを見る。 『日本書紀』ではこの二人をそれぞれ推古天皇、皇極天皇=斉明天皇(同一人の重祚)と「天皇」として叙述するが、古墳時代末期と重なるこの時代にはまだ天皇称号は使われておらず、従前の大和朝廷の君号であるオオキミが使われていたと考えられる。従って、天皇称…
手のひらの話•2ヶ月前
桜井市忍阪〜上之宮遺跡〜吉備池今日の目的地は舒明天皇「忍坂内陵」。舒明天皇(田村皇子)は敏達天皇の子、押坂彦人大兄皇子の子。この忍阪の地を勢力圏としていたと思われる。近鉄大和朝倉駅からは遠く二上山が見える。 付近の住宅地造成に伴い古墳群が見つかった。既に破損していた横穴式石室が数基、移築保存されている。忍阪の谷に入ると多武峰が目前に見えた。水路沿いの道を歩くと無数の赤とんぼが舞っている。依然猛暑だが、季節は秋に移っている。 忍阪坐生根神社。背後の宮山を神体とする古風な神社。石段を登ると磐座がある。その手前に並ぶ板状の石は、舒明天皇陵の葺石が持ち込まれたものと言う。玉津島明神。祭神の「衣通姫」は允恭天皇の皇后、忍坂大中姫の妹…
ないえごろうブログ•2ヶ月前
ダレかが読んでくれたらしい・・・昔の記事文字霊日記・3536日目 十年マエ & 一年マエの ブログ日記の己の記録ーーーーー 2024年9月13日7時・金曜日 2024年 干支41 甲辰(乙・癸・戊)年 9 月 干支10 癸酉(庚・ ・辛)月 13 日 干支17 庚辰(乙・癸・戊)日 十年マエの記録・ブログ日記 2016-02-25 古事記字源 をダレかが読んでくれたらしい・・・ 2016~17~18~19~20~21~22~23~2024 9年前+10年前=19年前 ・・・随分と経ったと思うが・・・ 昨日の様であるカナ・・・ ↓↑ 「倭、自ら太伯(呉の始祖)の後裔」・・・ 伯=イ+白 太安万侶(おほのやすまろ) 多安万侶 父 多 品…
シン・ニホンシ•2ヶ月前
425.新撰姓氏録とは何か新撰姓氏録とは何か。次の流れで紹介していく。・新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)・嵯峨天皇(さがてんのう)・万多親王・藤原緒嗣(ふじわらのおつぐ)・皇別・神別・諸蕃・皇別氏族における歴代天皇別の出自数 ■新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)古代氏族の名鑑。815年(弘仁6年)に編纂された。 嵯峨天皇の命によって万多親王(まんだしんのう)、右大臣・藤原園人(そのひと)、藤原緒嗣(おつぐ)らによって新撰姓氏録は編纂され、814年(弘仁5年)に完成。 ただし、不備のある点や源朝臣の条を追加などし、朝廷へ献上されたのは815年となったという。 その内容は、京(平安京)や畿内に住む1182氏について祖先を…
ないえごろうブログ•2ヶ月前
置いてあるように見える文字・・・供え物は喰えない?文字霊日記・3530日目 「山上憶良」は 「奈(柰)良」時代のヒトではない・・・? 於=方+仒 方+𠆢(人)+丶+丶・・・ 亠+勹+𠆢(人)+丶+丶 勹=ノ+𠃌 オ・ヨ 置き字 訓読で読まず 置いてあるように見える文字 置き字 語句と語句の関係を示したり 断定・完了などの文法的な機能を持つが 訓読の場合にその文法的機能を 送り仮名によって示し 読みの対象から外され字 「於・于・乎・而・焉・矣」 の6字 「於・于・乎・而・焉・矣・兮」 の7字 而( ジ)=丆+⺵ 語句と語句の接続 順接 ~て・~して・そして しこうして 逆接 ~ども・しかれども 於( ヲ)= 場所・対象・比較・受身動作 前置詞 …