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方広寺

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社会

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ほうこうじ

京都府京都市東山区にある天台宗寺院

方広寺

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地理

)

ほうこうじ

静岡県浜松市北区引佐町奥山にある仏教寺院。山号は深奥山。臨済宗方広寺派の大本山である。建徳2年(1371年)創建。

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#方広寺大仏殿跡#方広寺鐘銘事件#国家安康#君臣豊楽#方広寺#大坂冬の陣

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京都おすすめ散歩道2年前

三十三間堂 ~風車と風鈴が誘う京の涼三十三間堂は正式名称を蓮華王院と言い、その本堂が「三十三間堂」と通称されています。ほの暗い本堂内にずらりと並んだ1001体の千手観音像が印象的で国宝も多く所蔵され、京都でも人気のスポットの一つなので、修学旅行などで訪れた方も多いと思います。この三十三間堂で「京の涼さがし 風の京」と題して、境内に風車と風鈴が設置されたので、訪ねてみました。 三十三間堂の場所 三十三間堂とは 千手観音坐像と千体千手観音立像 境内に涼を運ぶ風車と風鈴 池泉式回遊庭園 太閤塀 三十三間堂の場所 goo.gl 三十三間堂の行き方 電車で 京阪電鉄「七条駅」より徒歩約7分 バスで JR京都駅より市バス100、206、20…

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近畿ブラ歩き24日前

太閤秀吉出生の地此方を出向こうとした動機は、御朱印を集め出した初期の頃、地元大坂城に鎮座して居ます豊国(ほうこく&とよくに、どちらとも呼称が変わります)神社へ参拝し、其れから数年経ち、京阪七条駅から東山を探索した時に秀吉を祀った豊国神社へ訪れました。 其処で調べたら秀吉を祀った豊国神社が未だ幾つかが在る事を知り、3年前に三箇所目の長浜を散策する機会を得て参詣に訪れました。 其れから最後の場所で在る豊臣秀吉出生の地を訪れる事を決心しました。 其れが、藤井八冠が名古屋でタイトル防衛戦を名古屋で行なう事を知り尋ねる気に成りました。 本当は7月の防衛対局に訪れる事にしたかったのですが、日柄と天気に見放されて8月に変更…

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新刊紹介:「歴史評論」2024年10月号特集『近世日本の宗教の規律化と自律性』 ◆近世日本の政治文化とキリシタン禁令(大橋幸泰*1) (内容紹介) 徳川家光政権での島原天草一揆(島原の乱)以前、つまり豊臣秀吉、徳川家康、秀忠時代にもキリシタン禁令はあったが、それを強固にしたのが、板倉重昌が戦死することなどで、幕府に衝撃を与えた島原天草一揆であった。一揆の中心人物(天草四郎(益田四郎時貞)など)がキリシタンとの理解の元、キリスト教は危険思想扱いされ、弾圧が強化された。 なお、幕末になると「国学思想」「尊皇攘夷運動」の高まりから、キリシタン禁止は「それ以前と比べ」極めて、神道色の強い物となった(例えば「キリシタンでないことを確認する宗門…

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屋久島の「弥生杉」台風に倒れる。。日本列島に被害をもたらした台風10号が接近した鹿児島県・屋久島で、樹齢3000年といわれる白谷雲水峡の「弥生杉」が倒れるなどの被害が出ている。【2024/09/02 23:33 読売新聞】 日本列島の各所で様々な被害を齎した台風10号、、、 その爪跡は、鹿児島、県屋久島にある「弥生杉」にも及んでいた。。○| ̄|_ 樹齢が3000年ともいわれ、国指定特別天然記念物となってる「弥生杉」、、、 台風10号の暴風雨を受けて倒木したと見られる。。 屋久島沖通過時の最大風速は70m前後であったと推定され、鉄塔さえもなぎ倒す自然の猛威の前には為すすべもない。。 仕方がない、と言えば、仕方がないんだが、、、な…

西國三十三所順打ち巡礼記1ヶ月前

【西国第十七番】補陀洛山 六波羅蜜寺宗派 真言宗智山派 本尊 十一面観世音菩薩 ご詠歌 重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 参る身なれば 605-0813 京都市東山区ロクロ町81-1 公式サイト https://rokuhara.or.jp 【前の記事】 ⇩ ⇩ ⇩ さて、第十六番・清水寺の次に 第十七番・六波羅蜜寺に到着したのは、 午前10時40分頃。 こちらも私は高校の修学旅行以来、 38年ぶりの訪問になります。 ガイドブック二冊には、 「駐車場なし」とありますが、 境内の南側の客殿の裏に、 この参拝者用駐車場があります。 さて、六波羅蜜寺の歴史ですが、 天暦五年(951)、 空也上人が自ら刻んだ 十一面観音を祀…

川柳と習字を与那国島から2ヶ月前

茄子の馬 573 前野長康昨夜は嫁さんとのしばしの別れを、頂いたばかりの赤ワインで乾杯しました。嫁さんはグッと飲んで、チョッとダウンしました。今日の朝は、お酒明けなので、海岸沿いをゼエゼエと走ってきました。 「日本史1200人」573 前野長康(ナガヤス;?〜1595) 戦国から安土桃山時代の武将・大名。織田信長に仕えた後、豊臣氏の宿老となる。戦功を重ねて播磨国三木城・但馬国出石城および有子山城主となる。豊臣秀次付の宿老および後見人となった後、1595年に秀次が謀反の罪により秀吉に自害させられると、長康も秀次を弁護したことから罪に問われて身柄を預けられ、その後嫡男の景定が自害を命じられると、それを追って切腹した。築城…

ある日 この道2ヶ月前

京都滋賀岐阜7 正法寺・岐阜城・うかいミュージアム7泊8日の京都・滋賀・岐阜・名古屋旅行、7日目。 日本遺産「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜 「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜|日本遺産ポータルサイト 8時26分にJR岐阜駅前(北口)発の岐阜バスで約10分、8時37分に伊奈波通りに到着。 岐阜バスは「ayuca」という電子マネーしか使用できなったが、2024年3月2日よりmanacaなど10種類の交通系ICカードが使えるようになった。 ayucaは2026年中に廃止される予定。 ayuca|岐阜バスグループ https://www.gifubus.co.jp/info/rosenbus/post165 岐阜善光寺 甲…

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豊国神社(京都市東山区)/太閤豊臣秀吉公を祀る豊国神社の総本社【京都十六社朱印めぐり】豊国神社御朱印 参拝日:令和6年(2024年)5月21日 大鳥居 手水舎 豊臣秀吉像 唐門【国宝】 アクセス 方広寺の真横に有ります。 正面に回って鳥居に行きます。 大鳥居 手水舎 豊臣秀吉像 唐門【国宝】 伏見城の城門を移築したものです。境内の由緒書には伏見城から二条城、南禅寺中門の右手前にある塔頭の金地院を経てここ豊国神社に移築されたと書かれています。西本願寺、大徳寺の唐門とともに「国宝の桃山三唐門」の一つとされています。豪華な装飾が随所に見られ、桃山時代の雄大で優美な雰囲気をかもしだしています。 右手の社務所で御朱印を頂きました。 朱印料は300円でした。(2024年5月現在) 豊国神社…

よそもんが京都で暮らす2ヶ月前

南禅寺の2つの塔頭を訪ねる小堀遠州作庭の金地院鶴亀の庭 夏の夕方、南禅寺塔頭の天授庵と金地院を訪ねる。暑さのせいかどちらも観光客は少なく空いていた。 天授庵は、1339年に南禅寺の開山無関普門禅師を祀るための寺院として創建。応仁の乱によって焼失していたが、1602年に細川幽斎(藤孝)によって再建された。枯山水と池泉回遊式の2つがあり、池は蓮で覆われている。 細川幽斎は、加藤忠広の改易に伴って、1632年から肥後熊本を治めた細川忠利の祖父に当たる。忠利の父が忠興、その妻が明智光秀の三女ガラシャである。幽斎は足利義晴・義輝・義昭、そして織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に仕え、戦国時代を生き抜いた。 金地院は、1400年頃に北山…

世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」2ヶ月前

【読了】柏井壽「歩いて愉しむ京都の名所」今年70冊目読了。歯科医にして京都のカリスマ案内人と称される筆者が、定番寺社・名所と味巡りを提唱する一冊。 図書館にあって、以前読んだ「京都の迷い道」がとても面白かったので手にしてみたが、ちょっといまいちだったかな。期待感が強すぎたのかもしれないが。 でも、やはり読んでみると面白い記述に『へぇ〜』と唸らされる。「『三千院』は、天台宗の根本教理である<一念三千>に由来する。一年の心に三千の諸法を具えることを観ずることで、中国天台宗の開祖である智顗が創案した」「京都御苑の中にある宗像神社には、タラヨウの木がある。多羅葉と書き、葉っぱの裏側に経文を書いたり、葉をあぶり占いに使ったりしていた。これが葉…

R13C Lab. ―with a shade of curiosity2ヶ月前

どうする家康 第45回「二人のプリンス」

ホリショウのあれこれ文筆庫3ヶ月前

第1125話 修験道の総本山・金峯山寺と役行者序文・桜の名所吉野山 堀口尚次 金峯山寺(きんぷせんじ)は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある金峯山修験本宗〈修験道〉の総本山の寺院。山号は国軸山。開基〈創立者〉は役小角(えんのおづの)〈役行者(えんのぎょうじゃ)〉と伝える。かつては「山下(さんげ)の蔵王堂」と呼ばれていた。本尊は蔵王堂に安置される蔵王権現立像3躯。本尊は巨像として著名で中尊は約7mもあり、普段は非公開〈秘仏〉であることから「日本最大の秘仏」とも称される。現存の蔵王堂は、天正18年に豊臣秀吉の寄進によって再建されたもので、蔵王権現立像3躯の造仏は、秀吉の発願した方広寺大仏〈京の大仏〉の造仏にも携わった、南都仏師の宗貞・宗印兄弟が手…