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法住寺

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ほうじゅじ

京都府京都市東山区三十三間堂廻り町にある寺院。山号は南叡山。天台宗の寺院で988年に創建された。かつて、後白河上皇の宮廷があった。

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#法住寺殿#法住寺#藤原忯子#後白河法皇

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富柏村日剩2ヶ月前

西那須野で豪雨甲辰年七月廿二日。気温摂氏24.5/32.1度。晴。巣鴨で墓参のあと恵比寿に行く家人を朝、自家用車で駅まで送りアタシにしてはまことに珍しいが「ドライヴ」で那珂川を縫ふやうに上ることになつた。好天に恵まれ山の鬱蒼とした緑も深く旧御前山村の長倉を抜け旧緒川村から県境の峠を越えて大木須から烏山へ。烏山は昨年秋に宇都宮から烏山線で訪れてはゐるが鉄道を往復しただけ。それでも今日も烏山駅に。目的は「エキタグ」でしかない。 烏山で昼のラーメンを啜り(相澤屋)烏山から旧小川町へ。現在こゝは那珂川東岸の馬頭町と合併して那珂川町となつてゐる。大田原は東北本線から外れてゐるので鉄ちゃんにはあまり馴染みがないが(正確…

弁護士法人フィクショナル・公式ブログ(架空)2ヶ月前

俺がお前でお前が俺で俳優の田中美央さん。 我が家では「みおう様」と呼ばれております。 キングダムの実写版では渕さんを演じておられます。 ただの良い人じゃなくて「やるときゃやる」感が滲み出てます。 キングダムのアニメ版では汗明を演じておられました。 同じ原作のアニメと実写の両方に出演されているんです。 すごいですよね。 ゴジラマイナスワンでは堀田艦長の役でした。 「海神作戦を開始する!」 ドシラー♫ドシラー♫ドシラソラシドシラ♫ ここはたぎりましたねぇ。 なんたって例のテーマはここで初出なんですから! みおう様は美味しいところを持っていかれましたなぁ。 そうそう、ゴジラマイナスワンと言えばこの方。 神木きゅんじゃな…

ホリショウのあれこれ文筆庫2ヶ月前

第1127話 道元を産んだとされる冬姫序文・木曾義仲の正室 堀口尚次 藤原伊子(ふじわらのいし)〈仁安2年 - 承元元年〉は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女性。父は摂関家の関白・松殿〈藤原〉基房(もとふさ)。源〈木曾〉義仲の正室で、後に公卿・源通親(みなもとのみちちか)の側室となり道元〈曹洞宗の開祖〉を生んだとされる。位階は従三位。松殿伊子とも記され、冬姫とも伝わる。 寿永2年、木曾義仲は法住寺合戦で後白河法皇を幽閉した。独裁権力を獲得した義仲は、後白河院政の体制下で干されていた基房と接近する。公卿・近衛基道に関白の座を奪われていた基房は、これを好機と見て義仲に協力した。『平家物語』によると、義仲は基房の娘を正室とし、これが伊子…

中世文学漫歩3ヶ月前

東国対決の木曽義仲長村祥知さんの『源頼朝と木曽義仲』(吉川弘文館 2023/8)を取り寄せて読みました。年表・参考文献一覧とも180頁のソフトカバー、持ちやすく文字も大きくて読みやすそうに見える本ですが、長元元(1028)年の平忠常の乱から説き起こし、駆け足で保元平治の乱から頼朝の征夷大将軍就任までを書いていくので、殊に前半は人名ぎっしり、という感じになり、分量配分を誤ったのではないかな、と思いましたが、本書は「対決の東国史」というシリーズの第1巻で、コンセプトの制約があったようです。 一昨年の大河ドラマの監修も務め、承久の乱に関する著書もある長村さんに、私は木曽義仲の新しい伝記を期待して取り寄せました。本書は…

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第1101話 冠者・源義高と大姫の絆序文・又従兄弟同士 堀口尚次 源義高は、平安時代末期の河内源氏の流れを汲む信濃源氏の武将。清水冠者〈冠者とは元服して間もない若者〉と号す。木曾義高とも。源〈木曾〉義仲の嫡男。母は『尊卑文脈』では今井兼平の娘としているが、兼平は義仲と同年代の乳母子なので、義高の母は兼平の妹〈中原兼遠の娘〉と推定されている。 寿永2年、挙兵した父・義仲は以仁王の遺児・北陸宮を奉じて信濃国を中心に勢力を広げ、同じ源氏の源頼朝とは独立した勢いを見せた。また頼朝と対立していた叔父の志田義広と新宮行家を庇護したことにより、3月には頼朝と義仲は武力衝突寸前となる。義仲が11歳の嫡子義高を人質として鎌倉へ差し出すことで、両者…

Svelandski氏の秘められた日記3ヶ月前

平家物語 巻第六 「新院崩御 3」2024-06-29 (土)(令和6年甲辰)<旧暦 5 月 24 日>(仏滅 甲子 九紫火星)下弦 Peter Petra 第 26 週 第 27531 日 高倉上皇はこのところずっとご心配ごとがおありであった。一昨年にはお父上の後白河院が鳥羽殿に幽閉されておしまひになった。去年は10歳ほど年上のお兄様である高倉の宮(以仁王)が討たれてしまはれた。また福原遷都といふあはただしい出来事もあって、天下が騒がしくなった。高倉上皇はこれらのことを思ふにつれ、気も休まらずにゐらっしゃるのであった。上皇様はいつもご病気であると噂されてゐた。そこへもってきて、今度は東大寺・興福寺が焼失したといふ知らせをお聞…

いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸3ヶ月前

【🌊10分で聴く平家物語38】🪷厳島御幸〜中宮徳子様の皇子が即位。新帝 安徳天皇はなんと3歳🙀上皇となられた高倉上皇は安芸の厳島に御幸🌟平家絶好調だけどこういう時こそ謙虚さ大事 by 🐈‍⬛【平家物語77 第4巻 厳島御幸①】 治承四年正月一日、法皇の鳥羽殿《とばどの》には、 人の訪れる気配もなかった。 入道相国の怒り未だとけず、 公卿たちの近づくのを許さなかったし、 法皇も清盛をはばかっておられたからである。 正月の三日間というもの、 朝賀に参上するものもいなかったが、 僅かに桜町中納言とその弟左京大夫脩範 《さきょうのだいふながのり》だけが特に許された。 正月二十日は東宮の御袴着《おんはかまぎ》、 ついで御魚味初《おんまなはじめ》というので、 宮中はめでたい行事で賑ったが、 落莫《らくばく》とした鳥羽殿の法皇には ほとんど別世界の出来事のように思われた。 そして二月二十一日、…

いずぃなり4ヶ月前

その角に凌霄の花咲きにけり(あ)朝、3時に目を覚ましてブログの下書きをする。 下書きにはMac miniの標準アプリ「メモ」を使う。iPad Proにも標準アプリがインストールされているから、Mac miniで書かれたのと同じ内容が同期される。そのタイミングでタイムラプス撮影動画をFacebookにリンクして「メモ」に貼り付ける。 下書きを終えたらMac miniから離れて今度はiPad Proをいじる。 iPad Proの「メモ」に同期されたブログ下書きを、これもインストールされてある「はてな Pro」にコピペ。コピペと同時に打たれた字数が表示されるから、それを見ながら字数を1,500字前後に調整する。これを「はてな」で行…

いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸4ヶ月前

【🌊10分で聴く平家物語19】📕教訓①②〜鹿ケ谷の陰謀を知って激怒する清盛殿を、情理をつくし、誠心誠意かきくどく平重盛殿‥言葉一つ一つに道理があり筋が通ってる。重盛殿 素晴らしいよ💖by🐱【平家物語34 第2巻 教訓①】 陰謀荷担者のほとんどすべてを捕え、 これを幽閉した清盛は、 まだそれでも気の済まないことが一つあった。 いうまでもない、陰謀の本当の元凶というべき法皇を、 目と鼻の先に野放しにしていることだった。 とにかく相手は法皇であって、西光や成親とはわけが違う、 うかつに手の出せないことが、 余計、彼を焦々《いらいら》させていたのである。 やがて清盛は、 赤地錦《あかじにしき》の直垂《ひたたれ》に、 黒糸縅《くろいとおどし》の腹巻、 白金物《しろかなもの》打った胸板《むないた》を着け、 愛用の小長刀《こなぎなた》をかいばさんだ 物々しい装立《いでた》ちで、側近の貞能を呼…

いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸4ヶ月前

【🌊10分で聴く平家物語11】🪷神輿振🔥内裏炎上〜神輿を振り上げる僧兵と源頼政殿 平重盛殿 それぞれの闘い⚔️ 山門の僧兵達の恨みの中 クソ度胸で収める平時忠殿🌿それぞれの正義があって難しいね by🐈🪷平家物語 第1巻 神輿振〈みこしぶり〉🪷 加賀守師高、目代師経の断罪を度々叫び続けていたのにも拘らず、 一向に沙汰のないのにしびれを切らした山門の僧兵達は、 再び実力で、事を処理する決心を固めた。 折柄行われる予定の日吉《ひえ》の祭礼をとりやめると、 安元《あんげん》三年四月、御輿を陣頭に京へくり出して来た。 賀茂の河原から、法成寺《ほうじょうじ》の一角に兵をくり出し、 御所を東北から囲む体形で迫ってきた。 京の街々辻々には、 坊主、神官、その他、各寺、神社に仕える者達がはしくれに至るまで、 都大路をぎっしり埋めていた。 神輿は、折柄の朝日を受けて、輝くばかりのきらびやかさで、 人目をうばう…

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸5ヶ月前

平家物語79 第4巻 厳島御幸③〜The Tale of the Heike 🌊翌十九日、 大宮大納言 隆季《たかすえ》の徹宵の準備で 御幸はつつがなく行なわれた。 三月も半ばを過ぎている。 霞に曇る有明の月おぼろな空の下、御幸の一行は、 地に淡い影を落しながら鳥羽殿へ向った。 鳥の声、空を渡るのを見上げれば、 遥か北陸を目指す雁の群である。 一群消えればまた一群、哀れをもよおす雁の声は、 御幸の者の胸にひびいた。 鳥羽殿についたのはまだ未明であった。 御車より上皇は降り、門を開いて進んだ。 すでに春は暮れなんとしている。 薄暗い木立、人の気配すらない。 木々の梢の花色あせて、 樹葉は早くも夏を告げる装いをしている。 鳴く鶯《うぐいす》の声も力なく老いていた。 上皇の胸に…

西国お遍路“行雲流水”5ヶ月前

奈良国立博物館特別展「空海展」に行ってきました!奈良国立博物館入口 2024年5月3日、奈良国立博物館で開催されている「空海展」に行ってきました! 展覧会のレポートは3年ぶりですが、今年度から土日が休みになりましたので、ちょいちょい見に行ってみようと思っています。 そして今回は何と、あの「空海展」ですよ! 「巡礼ヤー」としては、これは行かずにはいられないですよね。 特別展「空海展」 特別展「空海展」について 第1章 密教とは―空海の伝えたマンダラの世界 第2章 密教の源流 ― 陸と海のシルクロード 第3章 空海入唐 ― 恵果との出会いと胎蔵界・金剛界の融合 第4章 神護寺と東寺 ― 密教流布と護国 第5章 金剛峯寺と弘法大師信仰 特別展「空…

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【蓮華王院・三十三間堂】千体の観音像が放つ慈悲の世界とは?京都市東山区にある蓮華王院・三十三間堂。 本堂は、千体の観音像が放つ慈悲の心が漂っており、絶対的な安堵感が感じられる空間です。 観音像は、訪れる者の心を見透かし、底から救ってくださるかのようなお力をもっています。 今回は、精神的な安定をもたらす蓮華王院・三十三間堂の魅力に迫ります。 仏像、伽藍、行事など、蓮華王院の拝観のポイントをまとめた一冊。より知識を深めたい方におすすめです↓隔週刊 古寺行こう(7) 蓮華王院 三十三間堂 あの秀吉も目を付けた!蓮華王院の由緒 南北に長い重厚感がある本堂 まるでお浄土に来たかのような1001体の千手観音 優しいオーラを放つご本尊・千手観音座像 勇ましい雄姿!…