西那須野で豪雨 (original) (raw)

辰年七月廿二日。気温摂氏24.5/32.1度。晴。巣鴨で墓参のあと恵比寿に行く家人を朝、自家用車で駅まで送りアタシにしてはまことに珍しいが「ドライヴ」で那珂川を縫ふやうに上ることになつた。好天に恵まれ山の鬱蒼とした緑も深く旧御前山村の長倉を抜け旧緒川村から県境の峠を越えて大木須から烏山へ。烏山は昨年秋に宇都宮から烏山線で訪れてはゐるが鉄道を往復しただけ。それでも今日も烏山駅に。目的は「エキタグ」でしかない。

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烏山で昼のラーメンを啜り(相澤屋)烏山から旧小川町へ。現在こゝは那珂川東岸の馬頭町と合併して那珂川町となつてゐる。大田原は東北本線から外れてゐるので鉄ちゃんにはあまり馴染みがないが(正確には東北本線の野崎駅の所在は大田原市内)奥羽街道の城下町。大田原の市街は東北新幹線の駅もある西那須野に続いてゐるが旧西那須野町塩原町黒磯市と合併して那須塩原市になつてゐる。西那須野で日帰りの温泉に浸かつてゐたら午後遅くからみる/\雲行き怪しくなりバケツをひっくり返したやうな豪雨。露天風呂に簡易の屋根があつてたすかる。温泉の駐車場まで行くのも厭ふほど。夕方、もう日暮れの頃に雨が弱まり帰途につく。大田原から小川、復路は那珂川をこゝで渡り旧馬頭町。西の那須の空が真っ暗。翌朝未明まで塩谷から黒磯にかけ豪雨。塩谷町では230mm以上の記録的雨量を観測。稲妻はときどき空の高いところで光るが黒い雨雲は来ず県境の伴睦峠を越え旧美和村。小瀬を抜け旧御前山村野口から那珂川を渡り旧桂村から旧常北町を抜け水戸に戻る。西那須野から2時間程。昼のラーメンがアタシには珍しく豚骨スープのこってりで夜も腹が減らず。家人を水戸駅に迎へる。

▼新宿大ガードについて。先日のNHKニュースで東京の新宿から麻布にかけての突発的豪雨で新宿大おほガードも冠水と報じてゐた。柏木の寺を出て東口に出るのによくこのガードを潜るがずつと新宿大ダイガードだと思つてゐたが大おほガードなのださう。実際に道路上の表示も“SHINJUKU OGADO”なのだ。通常、外来語の場合は「木下大サーカス」だとか「大ヒットを記録」で「ダイ」。和語は「大雨」だとか「大騒ぎ」で「おほ」。漢語の場合は「大記録」だとか「大判官」で「ダイ」。「新宿大おほガード」はかなり例外の読みなのかしら。その謂はれに昔こゝに桟橋があつて「大桟橋おほさんばし」といふのもあつたから、といふのだが古地図で見ても桟橋は見当たらず。このガードのあたりは江戸期には「大筒角場」なるものがあつて、これは大久保の鉄砲百人組で大砲の射撃訓練場。これは「おほつゝ」だが。
▼京都国際高校。夏の甲子園決勝で関東第一(東東京)破り優勝のこの高校。前身は京都韓国学校だが京都で学校のロケーションを見たら東山区今熊野本多山町1番地で泉涌寺の南。今熊野は後白河法皇が現在の三十三間堂の東側にある法住寺の鎮守社として新熊野権現を勧請したのが現在の今熊野椥ノ森町にある新熊野神社であり、それに由来するさう(Wiki)。