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コロマンデル海岸

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戦国日本の津々浦々 ライト版1年前

マドラス Madrasインド東岸のコロマンデル海岸中央部の港町。元は小さな漁村だったが、17世紀前半、イギリス東インド会社がセント・ジョージ要塞を建設し、コロマンデル海岸における中心拠点としたことを契機に都市として発展した。周辺地域が戦争の多発などで不安定な政治情勢にあったこともあり、要塞に守られ比較的安全だったマドラスは、職人や商人など多くの移住者を引き付けたといわれる。 イギリス東インド会社のマドラス進出 人口の増加 都市マドラスの区画 マドラス外城内の住人 コロマンデル海岸の「ポルトガル人」 参考文献 イギリス東インド会社のマドラス進出 1639年(寛永十六年)、イギリス東インド会社のアマルガオン商館長フラン…

#インドの歴史#コロマンデル海岸#イギリス東インド会社

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戦国日本の津々浦々 ライト版1年前

モートゥパッリ Motupalliインド東岸のコロマンデル海岸北部の港町。13・14世紀、カーカティーヤ朝やレッディ朝の時代、周辺の港町との交易だけでなく、中国やペルシア方面を結ぶ東西貿易の拠点として栄えた。ヴェネツィア人のマルコ・ポーロの旅行記にも、13世紀末のモートゥパッリが記述されている。 マルコ・ポーロの旅行記 カーカティーヤ朝の商人保護 レッディ朝による商人保護 東西貿易の拠点 衰退 参考文献 マルコ・ポーロの旅行記 モートゥパッリは、マルコ・ポーロの旅行記において、13世紀末に彼が訪れたという「ムトフィリ」(モートゥパッリ)王国として言及されている。旅行記(『東方見聞録』)によれば、当時のムトフィリ王国にはとても賢…

#コロマンデル海岸#インドの歴史#東方見聞録#マルコ・ポーロ

戦国日本の津々浦々 ライト版1年前

プリカット Pulicat巨大なプリカット湖(潟)と海を隔てるシュリーハコータ島の南端部に形成された港町。14世紀頃から多くの商船が集まる商業都市として繁栄した。17世紀にはオランダ東インド会社の商館が置かれ、コロマンデル地方における同社の中心拠点となった。 ヴィジャヤナガル王国の港 刻文史料にみる繁栄 オランダの進出 ヘルドリア要塞 濠址出土の陶磁片 南インドの争乱 参考文献 ヴィジャヤナガル王国の港 プリカットは、ヴィジャヤナガル王国のデーヴァラーヤ2世の時代(1422ー46)に、この地方を治めたアーナンダラーヤという人物の下で発展。彼の名にちなんでアナンタラヤン・パッティナムと呼ばれていた。 またタミル語名でパラ…

#オランダ東インド会社#コロマンデル海岸#ヴィジャヤナガル朝#インドの歴史

戦国日本の津々浦々 ライト版1年前

サドラス Sadrasインド東岸のコロマンデル海岸の港市の一つ。綿布などの輸出港として周辺の商品生産地と連携しながら栄えた。17世紀以降、オランダ人などヨーロッパ勢力が進出した。 聖地ティルカリュクンドラム 様々な地域の商人たちが住む ヨーロッパ勢力の進出 参考文献 聖地ティルカリュクンドラム サドラスから10キロほど離れた場所に位置するヒンドゥー教の聖地ティルカリュクンドラムのシヴァ寺院には、サドラスに言及する14世紀末から15世紀初頭にかけての刻文が残っている。 その一つに、ヴィジャヤナガル王国の皇太子カンパナがこの地を統治していた1374年(応安七年)の刻文がある。この刻文は、ティルカリュクンドラムに住む「カ…

#コロマンデル海岸#オランダ東インド会社#ヴィジャヤナガル朝#インドの歴史

戦国日本の津々浦々 ライト版1年前

マスリパトナム Masulipatnamインド東岸のほぼ中央に位置する港市。コロマンデル海岸の北部の中心として16世紀後半から18世紀にかけて栄えた。特に17世紀には、ベンガル湾沿岸各地の港のみならず、紅海、ペルシア湾の諸港との間にも交易関係を持ちつつ、一大国際交易港として繁栄した。 ゴールコンダ王国の勃興 マスリパトナムの台頭 「王の船」による紅海方面との交易 スルターン・アブドゥッラーの訪問 年代記が伝える繁栄 ペルシア湾方面との交易 ベンガル湾沿岸・東南アジアとの交易 関連人物 参考文献 ゴールコンダ王国の勃興 16世紀前半、バフマニー朝がヴィジャヤナガル王国などの侵攻で衰退し、同朝の勢力はインド東岸から後退していた。 153…

#ゴールコンダ王国#コロマンデル海岸#ベンガル湾#インドの歴史

戦国日本の津々浦々 ライト版10ヶ月前

マルタバン壺 martaban potミャンマー南部の港マルタバン(モッタマ)から輸出された黒褐釉陶器の壺(あるいは甕)。中には1メートルほどのものもあり、東南アジアからインド洋沿岸地域で確認される施釉甕のなかでは最も大きい。貯蔵の為の容器として航海用に用いられることも多く、戦国期の日本にも持ち込まれている。 航海用の貯蔵容器 リンスホーテンの記述 オランダ東インド会社の記録 琉球・日本での出土 参考文献 航海用の貯蔵容器 マルタバン壺の史料上の登場は14世紀にさかのぼる。モロッコ出身の旅行家・イブン・バットゥータの記録をイブン・ジュザイイが編纂した『大旅行記』にみえる。同書は最終的に1356年(延文元年)に成ったとされる。 マル…