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京都守護職

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きょうとしゅごしょく

日本の江戸時代末期の文久2年(1862年)に設けられた江戸幕府の役職。会津藩主の松平容保が任命された。京都市中の治安維持などの役割があった。慶応3年12月9日(1868年1月3日)に王政復古の大号令によって廃止された。

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おおきに京都 ブログ8ヶ月前

鉄の掟夜中に寝苦しくて目が覚めた。少し毛布が暑苦しかったよう。今日は「曇り」っぽいが、時折、日差しも現れ、マラソン(京都マラソン)には適した気候かもしれない。 昨日、我が家に鉄器時代が到来したが、妻から「取り扱いがよく分からない」という声があった。なるほど、技術革新時には当然のことで、職場などでも新しい機器の導入時には「説明会」が行われ、新技術に対する共通認識を持つことが必要となる。しかも早期に行う必要がある。 そこで、フライパンに付属の説明書のエッセンスをまとめた「鉄の掟」を作ってみた。これを、キッチンの見えるところに貼っておこう! 鉄の掟(我が家版)※参考 「会津藩『什(じゅう)の掟』」※iPh…

#調理器具#什の掟#会津藩#フライパン#鉄#松平容保#京都守護職#福島県

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小高旭之の幕末維新人物探訪録3年前

12 【京都守護職の浪人対策と浪士組】1 京都守護職による過激派浪士対策 幕府召募の浪士組が、将軍家茂上洛の先駆けとして、鵜殿鳩翁に率いられて京都に入ったのは文久3年(1863)2月23日であった。浪士組入京当時の京都市中は、長州や土佐を中心とする尊攘過激派浪士たちの跳梁する、尊攘一色の殺伐たる巷で、過激派浪士たちは競って公家の門に出入りし、時事を横議して急進的な攘夷論を揚言、「浪士一夕ノ談或ハ漂然天下ノ勅トナルアリ」(『鞅掌記』・括弧内は以後も筆者の注記)というありさまであった。 京都守護職松平容保の旧臣北原雅長は、その当時の京都市中の様子を、その著『七年史』のなかに、「京師の状たるや、殺伐風を成して切害にあふもの空日なきが如く…

#歴史#幕末#浪士組#新選組#京都守護職#鵜殿鳩翁#根岸友山#殿内義雄#家里次郎

うめじろうのええじゃないか!3年前

【新撰組】京都守護職限定御朱印台紙|文久二年にちなんで限定1862枚!@京都2021秋の空 雲の形が 秋の空 と、土方歳三ばりの?俳句をかましたところで^^;、新撰組ネタです! 先日、ベットでゴロゴロWebを見ていて思わず飛び起きてしまった記事! なぬう・・(゜゜)!? 「京都守護職 新撰組巡礼」限定御朱印台紙だとお・・・!!?? なんでも、新撰組とゆかりの深い3つの寺院を巡る、特別な御朱印台紙だとかで、しかも幕末ファンの心をくすぐるのが、京都守護職が設置された文久二年(1862)にちなんで、1862枚限定だという!!無くなり次第終了、と聞けば、そら行くわ! 壬生寺。一番最初にここを訪れたのは、そらあ、新撰組発祥の壬生だべさ、なんていう意味合いはまったく無く、朝9時から一番早…

#新撰組#京都守護職#限定御朱印#壬生寺#聖護院門跡#金戒光明寺#京都

うめじろうのええじゃないか!3年前

松平容保公寄宿の地|松林院旧跡|清浄華院|@龍馬をゆく2021お馬 御所の東にある、「清浄華院」。 ここの境内にある「松林院旧跡」 ここは幕末、京都守護職であった会津藩主・松平容保公逗留の地でもあります。 「会津藩主 京都守護職 松平容保公寄宿の地」碑。 ご周知、京都守護職は「くろ谷さん」こと、金戒光明寺に本陣を構えていましたが、緊迫する状況下において御所を警備するには、なるべく近い方が良いとの考えもあったのでしょう、御所のすぐ脇の寺院に、寄宿していたようです。 松林院は、伏見天皇皇孫清浄華院第八世敬法上人が正親町室町の昭慶門院御所の敷地を賜り、法然上人の遺跡である白川禅房松林坊を移して創建されたと伝える由緒ある寺院である。清浄華院の筆頭塔頭として皇室や…

#松平容保公寄宿の地#京都守護職#幕末#会津藩#清浄華院#龍馬をゆく

うめじろうのええじゃないか!4年前

金戒光明寺・大方丈「謁見の間」@京都2020京都守護職会津本陣。「くろ谷さん」こと、金戒光明寺。 2020年11月、秋の特別公開に行ってきました 御影堂を見学する前に、先に山門の特別公開を見学したのですが、なんとその山門にて、斎藤一のご子孫とお会いする・・!という・・・とんでもない経験をいたしました・・。そのご子孫のご婦人方も、先に山門を見学なさったようで、御影堂でも歩を同じくするような調子で、先ほどはどうも・・・、な感じでありました・・。 山門同様、秋の特別公開でもうひとつ、幕末・新撰組ファンにとっては欠かせない場所があります。御影堂に隣接された大方丈。 こちらでは、ご周知、近藤勇や芹澤鴨らが会津藩主・松平容保に謁見した間があるのです…

#新撰組#京都守護職#近藤勇#謁見の間#金戒光明寺

うめじろうのええじゃないか!4年前

「京都守護職上屋敷跡」@龍馬をゆく20202006年以来の、京都守護職上屋敷跡地です。前回は「新撰組」のカテゴリーでしたので、今回は「龍馬をゆく~京都編」に組み込みたいと思います 京都守護職会津本陣は、「くろ谷」さん、金戒光明寺ですが、ここは市中にあった上屋敷の跡地ということで、現在の府庁の敷地内になります。くろ谷さんは、御所の東川の高台に、そしてこの守護職屋敷は御所の西側にピタリと張り付くような位置取りにて、東西から挟みこんでいるようです。幕末における京都守護職、会津、そして見廻り組に新撰組、外すことの出来ない大きな存在のひとつですね。今回改めて、御所からそれぞれのポイントポイントを歩いてみて、その位置取りや足での感覚、これによって…

#龍馬をゆく#京都#京都守護職

まち遊び寺社巡り古墳歩き6年前

京都守護職屋敷跡重要文化財 京都府庁旧本館正庁は、幕末京都に置かれた京都守護職の上屋敷の在った所でも有り、その職責は京都所司代よりも上席とされ京都と大坂の治安維持にあたり会津藩主・松平容保がその任に当たりました。 上屋敷は何回か増改築が施され現在の京都府庁旧本館とほぼ同じ敷地面積を占めていたそうで大変豪華な造りだったそうです。 京都守護職はここ上屋敷以外にも京都市内に数ヶ所屋敷を構え上洛藩士1000名以上と配下の新選組でその任に当たって居た訳ですが、28万石の会津藩と言えどその費用負担は重く新式小銃を必要数揃えるのには薩長に大きく後れを取り、戊辰戦役の多大な人的物的損害に繋がったと言えますね。 「京都守護職屋…

#京都府庁旧本館正庁#京都守護職屋敷跡#松平容保#京都守護職#会津藩#容保桜#はるか桜

まち遊び寺社巡り古墳歩き11年前

慶立山 萬福寺・新選組『大坂旅宿跡』天王寺区下寺町の松屋町筋沿い慶立山「萬福寺」、1594年 前田利家の弟、前田利信が開創した西山浄土宗光明寺派の寺院、幕末に新選組の大坂屯所が4年間置かれた寺院でも有ります。 新選組を配下に収める京都守護職は京都だけでなく大坂の治安維持の任も負っていて、大阪での新選組と云うと 1. 内山彦五郎暗殺。 2. ぜんざい屋襲撃。 3. 藤井藍田捕縛惨殺。 以上の3件が良く知られていて、屯所が置かれたのは相撲部屋との乱闘事件以後の様でその吟味を行った大坂西町奉行所与力・内山彦五郎暗殺からぜんざい屋襲撃、藤井藍田捕縛惨殺と続き、鳥羽伏見の戦い以後新選組が解散状態となり以降は大坂屯所を預かっていた谷万太郎は…

#新選組#新選組大坂屯所#萬福寺#谷万太郎#司馬遼太郎#大坂西町奉行所#ぜんざい屋襲撃#藤井藍田捕縛惨殺#京都守護職#大坂城代

藤野正弘の京都まち暮らし12年前

容保桜京都府庁は京都守護職上屋敷があった場所に建っている。 旧本館の中庭には6本の桜があるが、 その内の1本が大島桜と山桜の特徴を持つ珍しい桜である。 その事を発見した桜守の佐野藤衛門さんが、その場所に因んで 容保桜と命名したのが今から3年前である。余談だが、佐野さんの植藤造園は嵯峨野にあり、広大な敷地に 多くの桜が咲いていて、隠れた桜の名所である。 一般にも公開されてはいるが、残念ながら宴会等は出来ないらしい。今日の嵐で府庁の桜も見納めかもしれないので、 桜だらけのブログとなってしまった。

#京都#桜#京都府庁#松平容保#京都守護職

まち遊び寺社巡り古墳歩き13年前

金戒光明寺『会津藩殉難者墓地』会津藩が京都守護職として文久2年(1862年)に入洛してから4万坪の寺域内に1000名以上の藩兵が常時駐屯し、鳥羽伏見で敗退する慶応3年(1868年)まで、京洛の地で命を落とした会津藩士計352霊が葬られています。 ちなみにその後の戊辰戦争で会津藩は3107名もの戦死者を出し、2番目の幕府軍1434名、3番目の仙台藩1202名と比べても大きな犠牲を出しています。 金戒光明寺門前の石碑。 会津藩墓所に辿り着きました。ここまでは観光バスの観光客は上がって来ません。 京都守護職在勤で疲弊しきった会津藩の財政は新式小銃の装備を許さず、旧式ゲベール銃にて後の会津戦役3107名の戦死者を数える事に成るとは…

#金戒光明寺#会津藩墓所#会津藩#会津藩士#京都守護職#鳥羽伏見の戦い#戊辰戦争#黒谷

北条高時.com4日前

加茂軍議〜北越戦争に臨んだ同盟諸藩の思惑と河井継之助「加茂軍議」とは、越後方面の戊辰戦争を大きく左右した重要な軍事会議じゃ。長岡藩軍事総督・河井継之助のリーダーシップや戦略的な決断が、歴史に与えた影響などを紹介したいと思う。過日、新潟に遠征し加茂を旅した備忘録も含めて紹介するぞ。 青海神社(新潟県加茂市)

ふくしま桜旅6日前

紅葉や秋の花が楽しめる♪ 福島県の「秋にも行きたい桜スポット」7選<この記事で紹介している桜スポット> 福島県には桜だけじゃなく、紅葉スポットも多数点在 安達ヶ原ふるさと村(福島県二本松市)茅葺き屋根の古民家を彩る300万本の真紅の曼珠沙華 霞ヶ城公園(福島県二本松市)日本最大級の菊の祭典と紅葉を一緒に楽しめる秋のお城山 あづま総合運動公園(福島県福島市)青空もライトアップも美しい、ロマンチックなイチョウ並木 半田山自然公園(福島県桑折町)沼の水面に鮮やかに映り込む紅葉の水鏡が絶景 花と歴史の郷 蛇の鼻(じゃのはな:福島県本宮市)歴史ある庭園を真っ赤に彩る500本のカエデの古木 福満虚空藏菩薩圓藏寺(ふくまんこくぞうぼさつえんぞうじ:福島県柳津町)只見川沿い…

壬生之力の歴史道17日前

叛乱 結城合戦 第25話それでも敢えて云いたい。私たちは、困難を克服し、互いの信頼関係を構築し、手に手を取って未来へ進んでいけると。 映画「八犬伝」(サウンドトラック) アーティスト:北里玲二 Rambling Records Amazon 頂上至極 (幻冬舎時代小説文庫) 作者:村木 嵐 幻冬舎 Amazon 反乱に関する一愚考 本稿は、史実を元に記述していますが、多種多様な諸説学説がある事は否めません。読者諸賢におかれましては、筆者の私見である事をご賢察いただけますようお願いいたします。 かすみ編が悲劇的とは云え、なんとか終幕できたところで、筆者が常日頃から、いや、歴史に興味を持ち始めた小学生だった頃から疑問に思…

小説を 勝手にくくって 20選!19日前

4-2 竜は動かず 奥羽越列藩同盟顚末 ② 上田 秀人(2016)竜は動かず 奥羽越列藩同盟顛末 下 帰郷奔走編【電子書籍】[ 上田秀人 ]価格: 902 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 玉虫左太夫が視察に向った京都は、争乱の渦の中にあった。勤王派は遊郭などで乱痴気騒ぎを起こして、国事に奔走する姿にはとても見えない。その中で長州藩士では第一等と評価の高い久坂玄瑞に会うも、久坂は頑迷な攘夷論者で、アメリカへの渡航経験のある玉虫には最初から喧嘩腰。そして思いの底には関ヶ原の戦いで減封された恨みが忘れられず、玉虫と交じり合うことはなかった。 対して会津藩は同じ奥州で話は通じるも、京都守護職に「押しつけられた」思いは拭えない。狂奔する浪士を相手に、更に過激な新選組…

快走じじいの回想録23日前

北の大地 22日目 ずいぶんとお寒くなりました北の大地 彷徨い道中記【速報版】 22日目 9月 23日 天候 曇時々晴 朝6時の気温 14℃ 道の駅 おだいとう(尾岱沼)で目覚めた。 ここの道の駅は、名産品売り場やレストランの規模はとっても小さいが北方領土に近い事もあり展望台を併設している こんなベンチもある とても一人で座る勇気が出なかった 昨日のソフトクリームに続いて 生乳を飲む べっかいの牛乳屋さん 旨い 税込100円 三角パックの牛乳はもうここだけでしか手に入らないという 三角パックの牛乳なんて、もう高齢の人しか知らないよね 瓶の牛乳も、お風呂屋さんで飲むフルーツ牛乳 懐かしい 駅舎の2Fが北方領土の資料室 ビデオコーナーもあり …

小説を 勝手にくくって 20選!1ヶ月前

2-1 勝海舟 ① 子母沢 寛(1941~1946)勝海舟 一 黒船渡来 (新潮文庫 新潮文庫) [ 子母沢 寛 ]価格: 1045 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 暴れん坊の勝小吉から生まれた勝麟太郎は剣術にも学問に秀でて、小吉は「トンビが鷹を生んだ」と喜んでいた。剣術で免許皆伝を受ける一方蘭学を学び、西洋式軍隊を見て衝撃を受け、佐久間象山の洋学塾に入門する。小禄の旗本として生涯を過ごした父小吉が亡くなり、師匠の佐久間象山が葬儀に顔を出すと、妹のお順が気に入って嫁となり、勝は佐久間象山の義兄となった。 勝は陋屋で自ら塾を開くが、その祝いに海軍の重要性を説いていた象山が「海舟書屋」の横額を送った時期に黒船が来航する。象山の弟子吉田松陰が国法を…

城巡りマンの野望・出陣2ヶ月前

第35登城🏯会津若松城(2024.7/6日本名城12・福島県)幕末最後の戦い、戊辰戦争の悲劇の舞台となった会津若松城 別名【鶴ヶ城・黒川城】とも。山形や福島、の地元の人は鶴ヶ城で呼んでます 5日目、本日登城は会津若松城 1384年、源頼朝から会津を与えられた佐原義連の直系、葦名(あしな)直盛が黒川の地に東黒川館を置いたことが始まりとされる 葦名氏は会津一円をほぼ支配下に収め、佐竹氏や伊達氏と戦ったが内紛が起こり、それを見逃さなかった伊達政宗が、1589年に会津に侵攻、葦名氏は敗れます。葦名氏は直盛から数えると14代で会津支配を終えることに。(佐原義連から数えると20代、約400年) 1589年5月、会津は伊達政宗の領土となったが、さらなる領土拡大のため軍…

bogus-simotukareのブログ2ヶ月前

櫻井よしこのバカさに呆れる(2024年8月31日記載)「 松浦光修氏が語る特別な『わが国』 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト 「言論テレビ」で皇學館大学教授の松浦光修氏*1に語ってもらった。 松浦氏は安倍晋三*2総理や中川昭一氏*3らが創った若手保守議員の勉強会(後の創生日本*4)の、いわば指導に当たった人物である。 「昔は政治家、言論人、学者、みな『わが国』という言い方が普通でした。ところが最近は『この国』という表現が一般的になってきました。司馬遼太郎さん*5の『この国のかたち*6』というエッセイの影響もあるかもしれません。けれど実は、敗戦でGHQが日本を占領したとき、使用を禁止された多くの言葉の中にも『わが国』が入っているのです」 言葉…

小説を 勝手にくくって 20選!2ヶ月前

17 花ならば花咲かん(田中玄宰) 中村 彰彦(2011)花ならば花咲かん 会津藩家老・田中玄宰【電子書籍】[ 中村彰彦 ]価格: 950 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 代々家老職を襲名していた田中家の嫡男として生まれた加兵衛は、父が早く亡くなったために、祖父から薫陶を受けて成長していく。兄貴分の勝俣武蔵と行った熊撃ちで見せた胆力が認められて、家臣を雇うことを許される。また同じ家格の一瀬家の娘お由紀と馬術を習っている馬場で偶然であい、相思相愛のまま添い遂げる。 12歳で家督を継ぎ、使い番から始まって実直に目の前の役割を果たしていく。藩主松平容頌(かたのぶ)もその仕事振りを見て役職を上げていったが、時に淫らな席と知らずに入り込んでしまい、藩主から「…

arimahamaの日記2ヶ月前

オートファジー1080日目と畑と徳川慶勝2024/8/27火曜日 4時に起床し朝食作り。 5時半に畑へ。 ミニトマトを撮影しようとスマホを構えるとカマキリが。 7/24植えのミニトマト。 7/30植えのミニトマト。 このあと、久しぶりに鍬を振るった。 めっちゃ大汗掻いた。 7時半に帰宅後、シャワー&洗濯。 ベランダで水遣りをしていると綿花が。 このあと収穫。 朝の家事を済ませたら、読書。 昨日に引き続き奥山景布子著「葵の残葉」 元治元年10/22, 慶勝は大阪城に居た。8/7に長州征討軍総督に任ぜられてから2ヶ月半。引き受けるに辺り、参加大名の顔ぶれ、陣立て、毛利家の処分、全て尾張に一任を、と念を押した。 慶勝は全権委任でなければ引…

arimahamaの日記2ヶ月前

オートファジー1079日目と畑と徳川慶勝公2024/8/26月曜日 4時半に起床。 5時に畑へ。 まずは、緑のカーテン。 ゴーヤの黄色と朝顔の白とインゲンの白と紫の花の競演。 その隣では冬瓜が実り始めた。 そして、実を付ける気配の無いミニトマト達。 とりあえず花は咲いた。 元気が出るように、にがり水を振り掛けた。 6時に家路に。 帰宅後、シャワー&洗濯。 ベランダでの水遣りも済ませたら9時に買い物へ。 10時過ぎに帰宅後、漸く読書タイム。 昨日から奥山景布子著「葵の残葉」を読書開始。 幕末に活躍した高須4兄弟のお話だ。 4兄弟の中で最も有名なのは会津藩主で京都守護職を務め孝明天皇の信任が厚かった松平容保公。 が、この著書では長男の徳川…

TanakinSkywalker’s diary2ヶ月前

維新の墓たなきんです。いつものように長文です。 前回の「京都の陵」に続き、またもやお墓の話で恐縮ですが、お盆にちなんでお許しください。 さて、京都はイニシエの都でありましたので、応仁の乱をはじめとして本能寺の変や幾多の戦乱騒動があり、明治維新では蛤御門の変、鳥羽伏見の戦いなどがございました。京都所の西側の烏丸通に面したあの矢弾の跡が残る門の正式名称は「新在家門」であることや、「蛤門」の名称は所が火事になっていつもは開かない門が開けられたことから、火に炙られて開く蛤の名前をつけたことは北山の皆様ならご存知のことと思います。「蛤御門」の俗称そのものは諸説あるものの長州藩と薩摩藩の戦さがあった1864年から…

SIMPLE2ヶ月前

大河 新選組!を見る③大河新選組を見よう!ということで。前回までで、全49話あるうちの1~25話までについて綴ってまいりました。 江戸を離れ京都へとやってきた試衛館の面々。京都守護職の松平容保公に認められ、新たに「新選組」という名前を頂戴します。近藤達は問題行動を繰り返す芹沢派を暗殺し、新たな一歩を踏み出すのでした。 今回はその続き、26話~35話について綴っていきたいと思います。 26.局長近藤勇 27.直前、池田屋事件 28.そして池田屋へ 29.長州を討て 30.永倉新八、反乱 31.江戸へ帰る 32.山南脱走 33.友の死 34.寺田屋大騒動 35.さらば壬生村 よもやま話 26.局長近藤勇 新選組の隊士募…

SIMPLE2ヶ月前

大河 新選組!を見る②大河新選組を見よう!ということで。前回、全49話あるうちの1~12話までについて綴ってまいりました。この12話でメインキャラクターの設定などが明かされ、仲間も増え、というところ。江戸で田舎の剣道場の主で一生を終えるかと思われていた近藤の元に、浪士組の話が持ち上がり、試衛館の食客たちとともに京を目指す…というところまで描かれました。 今回は13話~25まで、浪士組~壬生浪士組のお話について綴っていきたいと思います。! 13.芹沢鴨、爆発 14.京へ到着 15.行くか、残るか 16.一筆啓上、つね様 17.はじまりの死 18.初出動!壬生浪士 19.通夜の日に 20.鴨を酔わすな 21.どっこい事…

鳳山雑記帳はてなブログ2ヶ月前

幕末の蝦夷地の話江戸時代、現在の北海道に当たる蝦夷地は松前藩が支配していました。江戸初期は1万石格、後期に3万石格となりますが米はまったくとれず、家康が松前慶広に与えた朱印状はアイヌとの交易独占権を認めたものでした。サケ、昆布、ニシン、毛皮などの交易の収益は7万石相当にも上ったと言われます。 しかし、1800年代に入るとロシアが南下政策の野心を蝦夷地にも向け始めます。小藩の松前藩では守り切れないと危機感を持った幕府は1855年、松前藩の本来の領地である渡島半島西部を除いて蝦夷地を天領にします。しかし財政が苦しい幕府は、蝦夷地警備の役目を仙台藩、久保田藩、弘前藩、盛岡藩など東北地方の外様雄藩に命じました。これに…