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保元物語

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ほうげんものがたり

保元物語。保元合戦物語、保元合戦記、保元記とも。
軍記物語。三巻。鎌倉時代に成立、のち様々な成長を遂げた。
作者未詳、「平治物語」と同じともいわれる。

保元の乱の顛末を和漢混交文により記し、武士たちの活躍を描く。

作中の美福門院得子は、玉藻前のモデルとされる。

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#保元物語#センター試験#共通テスト#現代語訳#古文

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時代を超えた「萌え」鈴鹿山の立烏帽子/鈴鹿御前三重県に長年住みながらも、鈴鹿山の立烏帽子/鈴鹿御前の伝承は、Googleニュースのレコメンド記事で初めて存在を知りました。 magmix.jp 「もののけ姫」のエボシ様のモデルが、鈴鹿峠の女盗賊だったという記事です。ウェブで調べてみると、次のようなことが分かります。 鈴鹿峠の盗賊「立烏帽子」 ・平安末期の説話集「宝物集」に、悪事をなして報い(捕縛・処刑)を受けた者の例のひとつとして、「スゝカ山ノ タチエホウシ」が挙げられている。 ・保元物語に、立烏帽子を捕らえた者の孫だという伊賀の武士が登場している。 ・これらのことから、平安末期から鎌倉時代にかけて、鈴鹿峠の伝説的盗賊「立烏帽子」が認識され…

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【アニメ『平家物語』】2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では語られなかった討たれる側の物語。アニメ 平家物語 平家物語 2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では語られなかった討たれる側の物語 軍記『平家物語』 軍記『平家物語』とは 作者は不詳 アニメ『平家物語』 あらすじ 2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では語られなかった討たれる側の物語 義経最大の武功「鵯越の逆落とし」の真相 結末を知っているからこその楽しみ方 2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では語られなかった討たれる側の物語 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 軍記『平家物語』 祇園精舎ぎおんしょうじゃの鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹さらそう…

北条高時.com1ヶ月前

崇徳天皇(上皇)はなぜ、怨霊になってしまわれたのか〜その生涯と鎮魂の歴史を解説崇徳天皇を祀る御廟 菅原道真、平将門と並ぶ日本3大怨霊といわれ、その中でも最強とされている崇徳天皇(上皇)。その崇徳天皇を祀る御廟が、祇園のど真ん中、東山通から一筋西側の万寿小路に面した、ちょうど祇園歌舞錬場の裏側あたりにひっそりと建っておる。 この御廟は、崇徳院の寵愛を受けた阿波内侍が上皇の遺髪を請い受け、亡き上皇の霊をお慰めするために建立したもらしい。なんだか、ここだけ異空間のように感じるのう。 ということで、今回は崇徳院についてじゃよ。

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中世文学漫歩2ヶ月前

古活字探偵20高木浩明さんの連載「古活字探偵事件帖20」(「日本古書通信」1141号)を読みました。今回は「部分異植字・再説」と題し、阿部亮太さんの論文「『保元物語』『平治物語』に見る古活字版刊行事業の一端」(2024/3)を取り上げて、➀保元物語と平治物語は同じ活字を使って版行されたこと②組版後も解版せずに誤植を直し、さらに刷りを続けていたらしいこと③部分異植字は誤植訂正のためだけでなく、同じ活字が並ぶのを避けたり、同訓異字を使い分けたりなどの目的もあって行われたらしいこと を発見した功績を褒め、同時に批判も加えています。 阿部さんの論文については、すでに本ブログで取り上げているので、繰り返しません。この…

bojptappの日記3ヶ月前

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お城めぐり5ヶ月前

砥石城米山城から尾根を辿っていくと砥石城に至る。 分岐点から砥石城まで15分だという。ぱっと見、緩やかな雰囲気だったので走った。テンションも上がっていたので。 そうしたら意味ありげな石列を見つけた。道に沿って置いてあるわけでもなさそう、規則的にも見えるけど正体が分からず、そのまま先へ。 先にも似たような石列が。 これは一枚の岩盤の先っちょだけ出ているだけみたいな? 出てきた先端部分が浸食されて石列に見えただけのような気がする。 この山から砥石が産出されたので、山や城の名前に「砥石」が入っていると言われる。この石列も砥石を切り出すための跡とかだったりして(それにしては変な場所にあるし、不自然な切り出し…

biboudouのブログ5ヶ月前

橋本治他 『文藝春秋 2003年9月号』日本を見つめ直す最良の「歴史書」というアンケートに、橋本治は、 『日本書紀』 『続日本紀』 『保元物語 平治物語』 を紹介している。

Humanoid K’s diary5ヶ月前

センダンの花「栴檀は双葉より芳し(せんだんはふたばよりかんばし)」は「大成する人は小さいときから優れている」という諺。「栴檀」は中国では「白檀(ビャクダン)」のことで、まだ芽が出たばかりの双葉の頃から、とても良い香りを放つ木として有名です。 東京メトロ有楽町線の豊洲駅から豊洲新市場に向けて歩いていくと、歩道の両側にセンダンが植えられています。今花をつけているセンダン(栴檀)はセンダン科センダン属の落葉高木。別名はオウチ(楝)、アミノキなどで、残念ながらビャクダンではありません。センダンの樹高は15mにもなり、成長が早く、既に見上げるほどの高さになっています。秋に楕円形の実が枝一面につき、落葉後も木に残る姿…

ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。5ヶ月前

木津志の城野神社、祭られているのは源為朝の奥方と伝わる城野神社(じょうのじんじゃ)は、鹿児島県姶良市木津志に鎮座する。木津志(きづし)というところは、なかなかの山奥である。鎮座地は「隠れ里」という言葉がしっくりくるような雰囲気だ。 城野神社の参道口 御祭神は浄之御前(じょうのごぜん)。源為朝(みなもとのためとも)の奥方だと伝わっている。 城野神社の由緒 島津義弘の腹痛を治す 城野神社をお詣り 大隅国桑原郡の源為朝伝説 もとは違う神様か? 城野神社の由緒 由緒については『木津志百年史』(1966年発行)や『姶良町郷土誌』(1968年発行)に詳しい。こちらの資料を参考にした。 創建年代は不明。浄之御前については源為朝の妻と伝わるのみで、出自はわからな…

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書評京都の中世史松薗斉さんの「『京都の中世史➀摂関政治から院政へ』を読む」(季刊「古代文化」3月号)を読みました。吉川弘文館から出た叢書『京都の中世史』第1巻(編集代表元木泰雄)の書評ですが、通史としての立脚点、企画構成そのものから論じています。私は本書を読んでいない(気にはなっていたが、この版元が手を変え品を変え、矢継ぎ早に出す通史を購入、読了するのに疲れた)のですが、書評の内容には納得しました。 約半世紀前に出た叢書『京都の歴史』(学芸書林)と対比しながら論じるのも、書評としてはユニークだが成功していると思います。本書は叢書名にふさわしく、都市としての京都、の構造的変化ー京・白河という新たな市域の形成を以…