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吉田定房

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社会

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よしださだふさ

日本の鎌倉時代後期から南北朝時代の公卿。建武政権で内大臣などを歴任。足利尊氏の反乱後は南朝に仕えた。

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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸3ヶ月前

【私本太平記24 第1巻 大きな御手16〈みて〉〜「足利家七代の君、若殿には御祖父にあたる家時公の御遺書のことでござります」肺腑を突くとは、こんな言を擬して、一瞬、はっと息を呑ませる鋭さをいうのだろう。🙇動画のオープニングは私本太平記24が正しいです🙇 「……さ。いま伺えば、 その若公卿が召連れていた侍童の名は、菊王とか」 「たしか菊王と呼んだと思う」 「ならばそれも、天皇に近う仕えまつる近習の御一名、 前《さき》の大内記、日野蔵人俊基朝臣 《ひのくろうどとしもとあそん》に相違ございますまい」 「どうしてわかる」 「菊王は、後宇多の院の侍者、寿王冠者の弟とやら。 ——そして、とくより日野殿の内に 小舎人《こどねり》として飼われおる者とは、 かねがね聞き及ぶところにござりまする」 「そうか。そう分って、 何やら胸のつかえが下がった気がする。 みかど後醍醐のおそばには、なおまだ、 ああした公卿振…

#足利家時#万里小路宣房#北畠親房#吉田定房#花山院師賢

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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸4ヶ月前

【私本太平記10 第1巻 大きな御手②〈おおきなみて〉】香染のおん衣、おなじ色のみ袈裟、まき絵の袈裟筥《ばこ》をそばにおかれ、寝殿中央に御座あって,“御拝ノ礼”をとられた天皇を見守っている。ほどなく、おん輿は、 京極おもての院の棟門《むなもん》につく。 夙《つと》に、お待ちうけらしいたたずまいである。 院司《いんじ》の上奏あって、 すぐ乱声《らんじょう》(雅楽部の合奏)のうちに、 鸞輿は、さらに中門へ進められた。 みかどの父ぎみ、後宇多《ごうだ》法皇は、 まだ五十五、六でおわせられた。 が、御愛人の遊義門院の死に会うて、 御法体《ごほったい》となられてからは、 俄に、老《ふ》けまさッてお見えであった。 が、ひとつには。 二ノ御子《みこ》尊治《たかはる》(後醍醐の御名)の 即位をやっと見給うたこと。 また、院政という歴代にわたる厄介な 二政府式の弊《へい》も廃して、 天皇一令のむか…

#吉田定房#上達部#御簾#御宇多天皇#後醍醐天皇

北条高時.com12年前

吉田定房〜後醍醐天皇の忠臣、後の三房、南朝の製造人吉田定房卿について。父・吉田経長は亀山上皇、後宇多上皇に仕え、定房も早くから大覚寺統のために働いた。後醍醐天皇が即位すると重鎮のひとりとして活躍し、内大臣に昇進。北畠親房、万里小路宣房と合わせて「後の三房」と呼ばれた。後宇多法皇が院生を停止して後醍醐天皇が親政を行うことを鎌倉幕府に申し入れたのも、正中の変の後、後醍醐帝のために鎌倉への陳弁につとめたのも吉田定房卿じゃよ。 吉田定房

#吉田定房#南北朝

Megurecaのブログ10日前

『マンガ日本の歴史 18 建武新政から室町幕府の成立へ』 by 石ノ森章太郎マンガ日本の歴史 18 建武新政から室町幕府の成立へ石ノ森章太郎中央公論社1991年4月5日 初版印刷1991年4月20日 初版発行 『マンガ日本の歴史 17 蒙古襲来と海外交流』の続き。17巻では、日蓮の予告したとおり鎌倉時代の一大事、元寇(文永の役と弘安の役)がおこり、執権時貞の得宗先生の時代について。18巻では、後醍醐天皇がとうとう倒幕へと立ち上がる。 megureca.hatenablog.com 目次序章 都鄙名誉の悪党第一章 出口なき 幕府第二章 当今御謀叛第三章 足利尊氏、起つ!第四章 建武新政の崩壊 18巻は、13世紀末、鎌倉時代末期、悪党の登場から始まる。悪党とは、いわゆる狼…

北条高時.com2ヶ月前

後醍醐天皇、隠岐脱出大作戦。どうやって島を抜け出したのか?さてさて、今回は後醍醐天皇の隠岐脱出についてお届するぞ。どこまで真実かはわからんがその経緯は「太平記」にも詳しく記されておるので、まずはそれをベースに紹介したい。 後醍醐天皇 後醍醐天皇、隠岐へ配流 用意周到に準備された脱出計画 夜陰に紛れて脱出作戦を決行 間一髪!隠岐判官の追っ手を振り切り名和湊へ上陸 まとめ:隠岐脱出のその後 後醍醐天皇、隠岐へ配流 後醍醐天皇の隠岐流しのエピソードをざっくり語るとしようかのう。密かに鎌倉幕府をぶっ潰そうと企んでいた後醍醐帝じゃが、元弘元年(1331年)にその計画が側近の吉田定房にばれてしまう。ヤバいのう、と感じた後醍醐帝は、三種の神器を持ってこっそり京都を…

いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸3ヶ月前

【🪻10分で聴く私本太平記11】大きな御手16〜17完〈みて〉🪷足利又太郎は、足利七代の君 足利家時が若いうちに置文を残し自害したことを聞く。その置文は菩提寺鑁阿寺に家時の霊牌に納めてある。by🐈【私本太平記24 第1巻 大きな御手16】 「……さ。いま伺えば、 その若公卿が召連れていた侍童の名は、菊王とか」 「たしか菊王と呼んだと思う」 「ならばそれも、天皇に近う仕えまつる近習の御一名、 前《さき》の大内記、日野蔵人俊基朝臣 《ひのくろうどとしもとあそん》に相違ございますまい」 「どうしてわかる」 「菊王は、後宇多の院の侍者、寿王冠者の弟とやら。 ——そして、とくより日野殿の内に 小舎人《こどねり》として飼われおる者とは、 かねがね聞き及ぶところにござりまする」 「そうか。そう分って、 何やら胸のつかえが下がった気がする。 みかど後醍醐のおそばには、なおまだ、 ああした公卿振りの朝臣…

いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸3ヶ月前

【🪻10分で聴く私本太平記6】大きな御手3〜5〈みて〉🪷後醍醐天皇‥皇太子時代に 前太政大臣の姫君をさらって 密かに隠していたそうな‥皇后になったとはいえ父君 母君の心労は半端なかったろう💦by🙀【私本太平記11 第1巻 大きな御手③〈みて〉】 「主上《きみ》には、 ご受禅《じゅぜん》(み位をうける)の後は、 政務のひまにも、講書の勉《つと》め、 詩文の会など、ひたぶる御勉強のみと伺うが、 余りな御精励もおからだが案ぜらるる。 まれには、ちと、おすごしもよかろ」 法皇は、後醍醐の御酒量のほども知っておられる。 み手ずから酌してあげぬばかりなおすすめの仕方であった。 酒間には、 法皇のお覚えよき寿王とかいう冠者の“ 落蹲《らくそん》ノ舞”などあって、 女房たちの座も初春《はる》らしい灯に笑いさざめいた。 ——頃をみて。 「あまりお酔も深からぬうちに」 と、頭《とう》ノ蔵人《くらんど》冬方…

いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸3ヶ月前

【10分で聴く私本太平記5】大きな御手1〜2🪷後醍醐天皇は31歳での即位。父君の後宇多法皇との 父子対面の御座に向かい合われた。身分が高いと親に会うのも大変そうだなあ by🐈‍⬛【私本太平記9 第1巻 大きな御手〈みて〉①】 あいにく、正月三日の空は、薄曇りだった。 そして折々は映《さ》す日光が、 北山の遠い雪を、ふと瞼にまばゆがらせた。 ——天皇の鸞輿《らんよ》は、もう今しがた、 二条の里内裏《さとだいり》をお立ち出でと、 沿道ではつたえていた。 行幸《ぎょうこう》や御幸《ごこう》を仰ぐのは めずらしくない都の男女だったが、 朝覲《ちょうきん》の行幸《みゆき》と知って 「……今日ばかりは」 の、ひしめきらしい。 まことに、今上《きんじょう》(後醍醐天皇)としても、 公な父皇への御訪問は、 即位後、初めての御儀だった。 今後とて公な御対面としては、 御一代あるかないか…

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸4ヶ月前

【私本太平記12 第1巻 大きな御手④〈おおきなみて〉】姫を盗んだ下手人は、皇太子尊治の君とやがて知れた。‥さすが乳父吉田定房の家には連れず、よそに隠しおかれ、こよなき恋の巣と、潜んでおいでであった。いまは九重の上、お噂とて、なかなか洩れ難いが、 かつて吉田定房の邸におられた皇太子時代には、 そうした豪気による放埒の御片鱗が、 しばしば世上に聞えぬでもなかった。 たとえば、その当時。 ある年の秋の一夜だったが、 西園寺《さいおんじ》の 前《さき》ノ太政大臣実兼《さねかね》の末の姫が、 とつぜん北山の邸から姿を消した事件など、 ひところの騒ぎであった。 姫はまだ十七、 深窓の愛《いつく》しみにくるまれていたが、 佳麗な容姿はかくれもなく、 つねづね若公卿ばらの野心のまとであった。 それだけに、西園寺家では 「——いかなる悪党の仕わざか。 もしや野伏《のぶせり》から人買いの手にでも渡されてか?…

こたえなんていらないさ9ヶ月前

るひま「ながされ・る君へ ~足利尊氏太変記~」る太 一部ミュージカルパート・全キャスト感想どうしても感想を沢山書きたくなる、言語化したくなる作品に出会えた幸せを噛み締めています!!! サムネがないのも寂しいので、明治座特製・座長御膳with推しのミニのぼり写真を添えておきます。 おいしかったです二部の感想も書きたいなと思ったのですが、やっぱりその前に全キャストに感想を書くことにしました!だって本当に好きなんだもの!る太! ★以下、記載順はパンフレットのクレジット順に従っております。 相葉裕樹さん/足利尊氏 内藤大希さん/足利直義 石川凌雅さん/護良親王 松田岳さん/北条高時・吉田定房 前川優希さん/新田義貞 井澤巧麻さん/北条時行 広井雄士さん/風清 井深克彦さん/ふゆ 丘山晴己さ…

ここなっつぴぃす9ヶ月前

「ながされ・る君へ~足利尊氏太変記~」観劇記録シンる・ひま オリジナ・る ミュージカ・る「ながされ・る君へ~足利尊氏太変記~」 観劇日 2023年12月29日(金) @明治座 (予定公演時間 4時間) 1部 1幕 11:00~12:00 休憩 30分 1部 2幕 12:30~13:40 休憩 30分 2部・カテコ 14:10~15:09 登場人物 物語 第一部 1幕 第一部 2幕 第二部「猿楽の日1338 ~近頃都で流行るものフェスティバル~」 鹿るGENJI 「奈良ダイス銀河★劇場」 ActSTONES「イミネーッショ・レイン坊」 新しい都のリーダーズ「キゾクブルー」 ミュージカル『ナラジン』より「三種のジンギー」「ア・ホーリュー・ジ・…

古田十駕(酒盛正)の文学日記10ヶ月前

2023年12月15日 遅筆という順調。九十五枚。吉田定房が鎌倉へ主上謀反という奇っ怪な密告をするところまで書く。定房の心中への憶測はあまりながく書かず、鎌倉の反応と京の騒擾を今日から書き出す。京の変事に正成が亀のように頭をすっこめているところまで書いて二章を終える。次作の資料になるかも知れない本を二十冊ほど入手。次作は資料が沢山要るので何年もかけてせっかく減らした蔵書がまた増える。 酒盛正の電子書籍 ↓ ↓ ↓ ↓ (表紙画像をクリック) books.rakuten.co.jp 曹洞宗の禅林で破門同然となった良寛は、越後へ帰郷して世俗の中で禅の修行を全うしようとするが、そうして真摯に生きようとすればするほどこの世に生きる場を失う。…

古田十駕(酒盛正)の文学日記1年前

2023年11月23日 この青空の下、人間であること。七十六枚。先週「土」を読み終えて一昨日からケラーの「白百合を紅い薔薇に」を読み始める。正中、嘉暦、元徳と、正中の変以降の後醍醐天皇雄伏の期間を、南河内に拠点を持って何をしているのやらわからない正成の視点を離れてまとめて一気に書く。後醍醐天皇に自重を求める万里小路宣房、北畠親房、吉田定房がひと言ずつ登場。正中の変で捕らわれたが罪を免れた日野俊基とその配下の空如が再登場するところまでを今日書く。 酒盛正の電子書籍 ↓ ↓ ↓ ↓ (表紙画像をクリック) books.rakuten.co.jp 曹洞宗の禅林で破門同然となった良寛は、越後へ帰郷して世俗の中で禅の修行を全うしようとするが、そうして真摯に…

古田十駕(酒盛正)の文学日記1年前

2023年11月21日 異常気象で昆虫の世界も大混乱。七十四枚。主要登場人物の一人北畠親房の紹介を一日かけて書く。五、六行。親房、吉田定房とならんで「後の三房」と呼ばれた万里小路宣房の子の藤房の年齢がノートに書きもれていたので年頭の各頁に書き込む。オスプレイが空気を叩くようにして住まいの上を通過する。遠のくと竹とんぼのように見える。日々刻々青虫の努力。 酒盛正の電子書籍 ↓ ↓ ↓ ↓ (表紙画像をクリック) books.rakuten.co.jp 曹洞宗の禅林で破門同然となった良寛は、越後へ帰郷して世俗の中で禅の修行を全うしようとするが、そうして真摯に生きようとすればするほどこの世に生きる場を失う。良寛は身を屈め、大きな体を小さくして人の世を生…

Megurecaのブログ1年前

『私本太平記(二)』 by 吉川英治私本太平記(二)吉川英治吉川英治歴史時代文庫641990年2月11日 第一刷発行1990年5月14日 第二刷発行 南北朝時代の時代小説、私本太平記。(一)の続き。 裏の説明には、”鎌倉幕府が開かれてから130年、政治の歪みが至るところに噴出していた。正中ノ変はその典型的な例である。そして公武の亀裂はますます拡大し、乱世の徴候が顕然となった。「天皇 御むほん」さえ囁かれるのである。当時は両統迭立(てつりつ)の世、後醍醐天皇が英邁におわすほど、紛擾(ふんじょう)のもととなった。この間、足利尊氏が権門の一翼として檯頭し、再度の叛乱に敗れた日野俊基とは明暗を大きく分ける。”とある。 目次婆娑羅帖(つづ…