武兵町とは 人気・最新記事を集めました - はてな (original) (raw)

武兵町

このタグの解説についてこの解説文は、すでに終了したサービス「はてなキーワード」内で有志のユーザーが作成・編集した内容に基づいています。その正確性や網羅性をはてなが保証するものではありません。問題のある記述を発見した場合には、お問い合わせフォームよりご連絡ください。

関連ブログ

名古屋の町は大騒ぎ14日前

お引越し正徳2年4月14日。蓮乗院がこの日武兵町から東出来町へ移る。9日に屋敷奉行により出来町の屋敷を渡す。12日に5人の比丘尼衆へ同所を渡す。出来町の比丘尼屋敷は周囲南北32間(1間は約1、8メートル)、東西56間であった。

#1712年4月14日#蓮乗院#武兵町#出来町#比丘尼

関連ブログ

名古屋の町は大騒ぎ7ヶ月前

本当の行き倒れ宝永5年9月24日。今朝、武兵(平)町水野彦四南の方ではばき(脛に付けた布)を付けた無刀の者が、行き倒れて死んでいた。

#1708年9月24日#武兵町

名古屋の町は大騒ぎ10ヶ月前

急な大雨とは、こりゃ大変宝永3年8月11日。近頃、鍛冶屋町下大池の花火がにぎわい、大曽根あたりもこれにおされ、大方は皆鍛冶屋町へ出かける。大池の堤の上では周りを囲い、1寸の余地もないほど見物人があふれる。男女・老少・貴賤が集まり、弁当・毛氈を持ってたくさんの人が見物する。茶や売物も多く、縁取1枚を10銭で貸し出す。酒は徳利などに入れて盃を添えて売り廻り、あぶり餅・かば焼きなどをたくさん売る。ただし茶屋の店はなく、その時々で筵・薄縁などをひいて茶を売る。歴々の諸士や妻女なども大勢やって来る。花火は種々の趣向を凝らしており、綱火(操り人形と仕掛け花火が融合した花火)は大池の上に張り渡して飛ばす。道成寺のからくりもある。そ…

#1706年8月11日#鍛冶屋町#花火#大曽根#武兵町

名古屋の町は大騒ぎ1年前

どうも召し抱えられた侍は怪しい宝永3年4月21日。和州郡山牢人原田八右衛門が40石に5人扶持を下される。馬廻りに玄蕃殿宅で召し抱える。昨年春、八右衛門は話題になっていた。長久寺にやって来た赤穂の牢人で、40貫目の鉄砲を杉の木筒で打つ者だと。この度は鉄砲ではなく、軍学の達人と申し立てており、先月頃から長久寺前住江戸愛宕が願い出ていたので、この度召し抱えられる。武兵町大下の横丁、俗に四軒町に住む小普請組横山善右衛門妻の兄で喜平太甥という斎藤杢之右衛門なる40ばかりの男がいた。元は六郎様の御徒で今は牢人であった。少々金銀もあるので善右衛門一家のところに住み、妾を抱え、この女をとても愛していた。しかし、善右衛門夫婦や親類が意見し、…