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石祠

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ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。2年前

牛根の太崎観音にいってみた、桜島をのぞむ海辺の石祠鹿児島県垂水市は海岸線の景色が美しい。桜島は鹿児島市から見た姿がよく知られているが、大隅半島側からの姿も素晴らしいのである。 『三国名勝図会』という本がある。江戸時代末期に編纂された島津氏領内の地誌である。この中には桜島の見える風景の絵図が数多く掲載されている。その中のひとつに牛根(うしね)の「太崎観音(たさきかんのん)」というのがあって、なんだか気になっていた。近くを通る機会があったので、立ち寄ってみた。 太崎観音、『三国名勝図会』巻之四十四より(国立国会図書館デジタルコレクション) 『三国名勝図会』の詳細はこちら rekishikomugae.net 国道沿いの景勝地 場所は垂水市牛根麓。…

#寺院#垂水市#桜島#鹿児島湾#聖観音#石祠#鹿児島県

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25ブックマーク「コロナ神」の石祠建立 脅威を神格化、疫病退散願う 香取・山倉大神(千葉日報オンライン) - Yahoo!ニュースnews.yahoo.co.jp

6ブックマーク宇賀神をまつる石祠 福岡県築上郡吉富町小犬丸 - 日々の”楽しい”をみつけるブログwww.ku-hibino.com

6ブックマーク石祠にまつられる弘法大師像 大分県豊後高田市大岩屋 - 日々の”楽しい”をみつけるブログwww.ku-hibino.com

6ブックマーク久留米市三潴町早津崎 石祠 - 松村かえるの「かえるのねどこ」bifum.hatenadiary.jp

5ブックマークうきは市浮羽町新川 石祠 - 松村かえるの「かえるのねどこ」bifum.hatenadiary.jp

関連ブログ

YOBIUMA Satsuki(呼馬皐月)のブログ21時間前

酒々井町の地域探訪 上岩橋の駒形神社&菊賀神社など(令和6年11月4日その6) 佐倉組十善護国講(内郷組)の札所捜索を兼ねた酒々井町の地域探訪、伊篠新田の大師堂などの次は、上岩橋の駒形神社、続けて、菊賀神社などに参ります。 富里市七栄と今倉新田の境から、伊篠新田を抜けて上岩橋に入る一本道を進みます。結構進んでからの連続する丁字路、上岩橋東の連続交差点最初の左丁字路は直進、奥の突き当たり丁字路は右折(北行)します。この道が左にカーブし始める辺りまでの上岩橋東端部は、(佐倉牧の)内野牧の延長のような土地でした。 カーブしながらJR成田線の上を通って、ほどなく前方は駒形神社の杜となります。上岩橋駒形神社の杜すぐに、右手に鳥居となります。 上岩橋の駒…

牛歩的写真中心網録”2日前

伊豆峯辺路: 走湯権現(伊豆山神社)~走り湯美伊豆主催のジオカフェ[伊豆峯辺路ヲアルク]に参加して、走湯権現(伊豆山神社)から走り湯で修験者の修行のミニ体験をしてみました。伊豆峯辺路(伊豆辺路)は、修験道の開祖である役行者が伊豆で修行した足跡を辿る修験の路である。本来は、12月15日を走湯権現をスタートとして、伊豆半島の海岸沿いの拝所で修行して、1月28日に走湯権現に戻る。 鳥居~本殿 伊豆山神社の鳥居前に集合して、まずは石段180段上の本殿を目指す。途中に、役行者(役の小角)を祀る足立権現社(あしだてさん)が建つ。 伊豆大島に流刑された役行者は飛行の術で富士山や伊豆山で修行していた。その際に、伊豆山の海岸から五色の湯煙が上がるのを見つ…

剣持雅舟のブログ2日前

11月17日誕生日の花と花言葉歌句11月17日誕生日の全国35万人の皆さんおめでとうございます (拙句) 清楚なる君今もなほ我が胸に 雅舟 【花】イソギク 【花言葉】清楚な美しさ 【短歌】 磯菊は見つめの流れる砂山砂の一部始終を 鳥海昭子 植物は芽を出した場所が終の住みかです。海からの風で砂が 動く様子を、イソギクだけがじっと見つめているような気が しました。【季語】 磯菊【俳句】 磯菊が蕾めり安房の船溜 阿部 笙人 磯菊の咲くや師とある舟溜 杉山 葱子 磯菊や風の死角に石祠 椎橋 清翠 【三行詩】名のとおり磯に咲く菊 黄色い花が群れ咲いて 清楚さに心は和む 【万葉歌】 伊豆の海に立つ白波のありつつも継ぎなむものを乱れ始めめや…

YOBIUMA Satsuki(呼馬皐月)のブログ3日前

酒々井町の地域探訪 伊篠の白幡神社など(令和6年11月4日その4) 佐倉組十善護国講(内郷組)の札所捜索を兼ねた酒々井町の地域探訪、伊篠の松雲寺&浄泉寺の次は、伊篠の白幡神社などに参ります。 浄泉寺から南へ道を戻り、旧街道との十字路まで来ました。旧街道伊篠集落入口十字路集落からこの十字路を直進、次の国道51号との十字路も直進すると、白幡神社の方に行けるのですが、その前に、旧街道をも少したどってみます。ここの十字路は左折です。旧街道伊篠集落入口十字路から北東方向谷津田の中間の水路( 江川 )のところに地蔵像が建っています。伊篠旧街道江川の地蔵像前 伊篠旧街道江川の地蔵像 伊篠旧街道江川の地蔵像地蔵像台座正面の中央「三界萬霊」、その右…

日々是"吉"日5日前

富士神社古墳の富士塚 駒込富士神社※ 2023年秋に参拝し下書きで眠らせてしまっていた記事です どうも、ひのきですm(*_ _)m 本日は東京大神宮からの巡拝最後の目的地、駒込富士神社です お、おぉ、、、想像していたよりも異世界感の漂う御神域ですね この時はまだ本郷富士神社のご由緒を調べていなかったのでこちらの事も知らぬまま、ただ富士塚があるということだけの知識でした 鳥居を潜ってすぐ左手に素敵な標柱がありました ずずん!! 想像していたよりもずっと広い。。。 駒込天祖神社の兼務社だというのでもっと規模が小さいと思っていたのですがとても広い、そして 鎮 の文字がぴったりなほに鎮まったご神域です 大きな水盤よりもこうして並んでい…

YOBIUMA Satsuki(呼馬皐月)のブログ5日前

酒々井町の地域探訪 上岩橋大崎から伊篠までの旧街道(令和6年11月4日その2) 佐倉組十善護国講(内郷組)の札所捜索を兼ねた酒々井町の地域探訪、酒々井新堀の60番大師堂などの次は、上岩橋大崎から伊篠までの旧街道を進みます。国道51号上岩橋大崎の旧街道分離交差点(再掲)今いる交差点は、国道51号目線でいうと、千葉市から延々進んで、酒々井町酒々井の坂を下りきり、そして酒々井町上岩橋で上り坂となる直前の交差点です。旧街道はここで右に曲がります。曲がってすぐ、右手に大崎自治会館です。 酒々井町上岩橋の大崎自治会館 酒々井町上岩橋大崎自治会館酒々井町上岩橋大崎自治会館看板大崎も、このあたりの小字でしょう。 登坂を拒否した旧街道ですが、左に曲がってから、…

YOBIUMA Satsuki(呼馬皐月)のブログ6日前

酒々井町の地域探訪 酒々井新堀の60番大師堂など(令和6年11月4日その1) 佐倉組十善護国講(内郷組)の札所捜索を兼ねた酒々井町の地域探訪、本日は、酒々井町酒々井の北西部から、旧街道で上岩橋を抜け、伊篠、伊篠新田、今倉新田と巡って、上岩橋の南部へ進みます。 本日の出発点は、国史跡本佐倉城跡東側入口です。本佐倉城跡東側入口から城山(I郭)東側入口の丁字路を、本佐倉城跡東側入口丁字路から南東方向城から出て右(南)へ、次の丁字路は左折ですが、その丁字路内(左)側に案内標識があります。本佐倉城跡・上岩橋貝層・酒の井の碑案内標識はい、本日最初の目的地は、上岩橋貝層であります。 谷津田を横断して酒々井町酒々井地区に入り、突き当たり丁字路は、本佐倉城跡…

YOBIUMA Satsuki(呼馬皐月)のブログ7日前

酒々井町の地域探訪 柏木の七社神社&下岩橋の宗吾参道など(令和6年10月30日その4) 佐倉組十善護国講(内郷組)の札所捜索を兼ねた酒々井町の地域探訪、下岩橋の八社神社&大仏頂寺の次は、隣接する柏木の七社神社に参った後、下岩橋の宗吾参道などを通ります。 大仏頂寺から千葉県道137号宗吾酒々井線に出ました。千葉県道137号下岩橋大仏頂寺入口(再掲)県道の向かいにあるのが七社神社です。柏木七社神社参道入口 柏木の七社神社 七社神社、印旛郡酒々井町柏木678番地。(千葉県の宗教法人名簿より) 短い参道は、左に双体道祖神があって、それから鳥居、本殿で、境内左側には境内社が散在します。 柏木の双体道祖神 柏木七社神社の双体道祖神柏木七社神社の双体道祖神標識酒…

YOBIUMA Satsuki(呼馬皐月)のブログ8日前

酒々井町の地域探訪 下岩橋の八社神社&大仏頂寺(令和6年10月30日その3) 佐倉組十善護国講(内郷組)の札所捜索を兼ねた酒々井町の地域探訪、柏木の新光寺跡の前などの次は、下岩橋の八社神社と大仏頂寺に参ります。 下岩橋の双体道祖神の参拝を終えています。下岩橋双体道祖神前の交差点(再掲)この写真の左の木陰に双体道祖神などがあります。そして、写真中央の直線路の先(北西)に、大仏頂寺の本堂が見えています。その直線路に戻って北西に出ますが、道は右に折れてしまいます。次の交差点、下岩橋大仏頂寺・八社神社麓の交差点ここで左に切り返して、下岩橋大仏頂寺・八社神社麓参道入口またすぐ右に入ります。徐々に坂を上って、何か標識のあるところに出ました。下岩橋大仏…

道は未知 / 大糸線利用で歩く塩の道 10日前

千国街道 §13 追分(信濃木崎駅)⇒海ノ口 湖西道コース ラインが描画できないため空白となっている部分があります。本文をご覧ください。 今日は、JR大糸線 海ノ口駅に車を置き、電車で信濃木崎駅へ移動し、道歩きをスタートさせます。 1 海ノ口駅*1 「1929年(昭和4年)9月25日:国鉄大糸南線の信濃大町駅 - 簗場駅間が開通し、開業」*2 雰囲気を大事にしている駅のようです。 駅前に千国街道の案内板があります。今日歩く湖西道も青い線で記されています。 ホーム出口に「白鳥の見える海の口駅」の額が掲げられています。 かつては白鳥が飛来する場所だったそうです。 木崎湖の案内マップ。大糸線の各駅が撮影スポットになっています。海の口駅については… 「…

YOBIUMA Satsuki(呼馬皐月)のブログ11日前

酒々井町の地域探訪 中川の西蔵院(14番&61番&64番)&上岩橋の大鷲神社など(令和6年10月22日その7) 佐倉組十善護国講(内郷組)の札所捜索を兼ねた酒々井町の地域探訪、中川の水神社&65番大師堂などの次は、中川の西蔵院(14番&61番&64番)、続けて、上岩橋の大鷲神社などに参ります。 酒々井町中川の旧街道屈曲丁字路から西へ、酒々井町消防団第8分団倉庫前を通って左の、西蔵院前へ出ました。中川西蔵院入口右側から境内中央と左手写真左端の建物が消防団倉庫です。 中川の西蔵院 真言宗智山派、西蔵院、印旛郡酒々井町中川339番地。(千葉県の宗教法人名簿より) 14番&61番&64番大師堂あり。中川西蔵院入口左側から境内中央 境内右手の石仏と手水鉢 境内右手の墓地の前に、石仏…

石仏石神を求めて11日前

津軽地方の庚申塔 #210(弘前市十腰内・路傍)青森県弘前市十腰内字野中の路傍(訪問日:2024年9月1日)大間越街道(県道31号線)沿い、十腰内集落の南口に様々な民間信仰塔を祀っている空間があります。羽黒神社は山を挟んだ向かい側に鎮座しています。十腰内農業研修会館とも近いです。 順番はバラバラですが主要なものを掲載していきます。文字庚申塔 刻銘「昭和三十九年旧二月二十三日(1964) / 佐藤久三郎五十九才建之 / 神の知らせ三十三才の時より母様の手に渡り子孫代々までも信心願う / 庚申大神」 自然石型、彫像(日天月天、瑞雲) かなり特殊な庚申さまです。大変に信心深い方がこの文言を刻んだのでしょう。 佐藤久三郎という方は青森市と黒石市に2…

YOBIUMA Satsuki(呼馬皐月)のブログ12日前

酒々井町の地域探訪 中川の水神社&65番大師堂など(令和6年10月22日その6) 佐倉組十善護国講(内郷組)の札所捜索を兼ねた酒々井町の地域探訪、酒々井旧街道沿いの景勝地などの次は、酒々井町中川(なかがわ)に入って水神社や65番大師堂などに参ります。 酒々井宿から旧街道を北に進み、坂を下りきって、旧街道旧国道51号の分離地点まで来ました。酒々井・中川の旧街道旧国道51号分離地点(再掲)写真右端が旧国道、中央から左奥へ緩くカーブしているのが旧街道です。しかし、ここは10時の方向に左折しました。 左折して完全に中川地区入りです。中川は、酒々井町酒々井と上岩橋の間の、印旛沼(干拓地)に面した低地地帯です。近代以降は京成本線の酒々井駅駅前でもあります…

YOBIUMA Satsuki(呼馬皐月)のブログ14日前

酒々井町の地域探訪 酒々井宿の麻賀多神社(令和6年10月22日その4) 佐倉組十善護国講(内郷組)の札所捜索を兼ねた酒々井町の地域探訪、酒々井宿の東光寺の次は、酒々井宿の麻賀多神社に参ります。 東光寺から北西へ、旧街道・旧国道51号・現千葉県道137号宗吾酒々井線酒々井町役場入口交差点で右折(北行)して、麻賀多神社の南側まで来ています。酒々井宿麻賀多神社の杜(再掲)丁字路は直進して、家一軒挟んで左手に入口があります。 酒々井宿の麻賀多神社 麻賀多神社、印旛郡酒々井町酒々井204番地。(千葉県の宗教法人名簿より)酒々井宿麻賀多神社入口 鳥居 道路から階段を上って鳥居です。酒々井宿麻賀多神社鳥居酒々井宿麻賀多神社鳥居神額神額は「麻賀多大…

日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~14日前

柴田神社(福井県福井市)【 柴田神社 】 所在地: 福井市中央1-21-17 戦国時代の武将・柴田勝家を主祭神とし、その妻であるお市の方も祀っている。鎮座 地は勝家の居城であった「北ノ庄城址」の本丸跡地と伝えられている。 創建年代は定かではないが、天正11年(1583)、勝家が羽柴秀吉との争いに敗 れ自刃した後、非業の死を遂げた勝家・お市の方を祀る石祠が建立されたようで、福井 城内の神祠として松平氏に保護されていたという。 明治23年(1890)、旧福井藩主・松平春嶽、旧福井藩士、住民らの発願によっ て小祠のある場所に神社が建立され、「柴田神社」と名付けられた。 その後、大火や福井空襲、昭和23年(1948)の福井地…