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良弁

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一般

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ろうべん

日本の奈良時代の華厳宗の僧。東大寺の建立に尽力した。

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仏像、ときどきワンダー観光1年前

【仏像】東大寺 開山堂(12/16特別開扉の様子)- 良弁像もお堂も国宝東大寺 開山堂(特別拝観) 開山堂には良弁さんがお祀りされている ポイント ・お堂も良弁(ろうべん)僧正坐像も国宝・良弁(ろうべん)は東大寺を開いたお坊さん・12月16日のみ開扉・弟子の実忠もお祀りされている(※)(※)2023年は東大寺ミュージアムのほうにお出ましで、開山堂には御不在でした。 東大寺 開山堂(特別拝観) ポイント 拝観レポート (実忠和尚像) お堂からの眺め ちなみに 12/16は法華堂の執金剛神も公開される おわりに 東大寺のほかの記事 全体レポ 広告- - - - - - - - - - // 拝観レポート 東大寺境内を二月堂のほうに進みまして。 二月堂方面へ 法華堂を過…

#仏像#秘仏#特別開扉#東大寺#良弁

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8ブックマーク奈良・萬々堂道則:糊こぼし(良弁椿) - 🍵大福だんごお菓子な毎日🍵mainichi-mochidango.hatenadiary.com

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なーまんのEye-Level1年前

紅葉を見に行こうよう! 丹沢大山は良弁の故郷か?なーまんのEye-Level は毎週日曜日更新! ですが・・・ 泊まりがけで紅葉狩りに行くので (^_^;) 今回は1日早く更新します m(_ _)m ここは丹沢大山国定公園の麓、秦野戸川公園。 紅葉と雪のコラボレーション v(^_^o) 今回は7年前の写真で更新です m(_ _)m ところ変わって大山 (おおやま) 江戸時代は「六根清浄」と唱えながらわらじ履きで山頂を目指しましたが、今は下社までケーブルカーで登れます (^_^) 廃仏毀釈が行われるまで、山全体が石尊権現(せきそんごんげん)という神仏習合の聖地でしたが、今は大山寺と大山阿夫利神社に分かれています(^^;; 大山寺は後ほど、夜景…

#紅葉#大山#伊勢原#良弁#多賀

ぽん太のよりみち精神科2年前

【小浜】お水送りと若狭神宮寺・鵜の瀬奈良県東大寺で行われるお水取りは、春の訪れを告げる行事として有名ですが、その時使われる霊水が、小浜市にある鵜の瀬から「お水送り」という神事によって送られることはあまり知られていません。 この記事では、福井県小浜市の神宮寺・鵜の瀬で行われるお水送りについて説明します。 奈良東大寺のお水取りとは 小浜市で行われるお水送り 若狭神宮寺ので井戸から汲んだ水をお香水に変える 若狭彦神が降り立った鵜の瀬に御香水を注ぐ 若狭彦神社・若狭姫神社 基本情報 奈良東大寺のお水取りとは 奈良の東大寺二月堂では、3月1日から2週間にわたって修二会(しゅにえ)と呼ばれる儀式が行われます。選ばれた行者が、二月堂の本尊十一…

#若狭神宮寺#鵜の瀬#お水送り#良弁

10月うさぎの部屋2日前

関東三十六不動をめぐる 1.大山寺編先月、江戸三十三観音を回りきった。 まだ、東京を歩いてみたい。 そこで始めたのが「関東三十六不動」。 関東三十六不動とは、神奈川県・東京都・埼玉県・千葉県内にある36ヶ所の不動明王霊場寺院の総称で、昭和62年(1987年)に開創された。 私はまず、納経帳をいただくのを兼ね、第1番札所の大山寺に向かった。 1.大山寺 2.大山阿夫利神社 3.弘法の里湯 1.大山寺 私が伊勢原駅に降り立ったのは12時半過ぎで、ここからバスに乗って大山寺に向かう。 バスに揺られて25分ほどで、大山のふもとに到着する。ワクワクしてくる。 バス停の終点からケーブルカーの駅までは「こま参道」というお土産屋さんを通る必要が…

nyoraikunのブログ1ヶ月前

三島由紀夫と近江の風景:石山寺と人間の美を求めて」www.xn--fhq32lm4eoko24c48b.comwww.xn--fhq32lm4eoko24c48b.comwww.xn--fhq32lm4eoko24c48b.com 「あくる日の快晴の午後を、二人は石山寺の見物にゆっくりとすごした。石山寺は千二百年の昔、良弁僧正の開基になる名刹で、その本堂には、縁結、安産、福徳の霊験あらたかな秘仏を祭り、数しれず供えられた安産御礼の供米を、若い夫婦は言いがたい思いで眺めた。」五箇荘の近江商人屋敷でも、このような鯉が多く泳いでいた。残飯を鯉の餌にしていたらしい。あれほど大きい屋敷に住んでいると、それが普通になって、同じ商売敵と、張り合って、やり合…

bogus-simotukareのブログ1ヶ月前

新刊紹介:「歴史評論」2024年11月号(副題:戸板康二『團十郎切腹事件』の一部ネタばらしがあります)特集「屯倉(みやけ)・国造(くにのみやつこ)から見る古代東国の地域社会」 ◆屯倉から評・郡へ:橘花屯倉から官衙・寺院の成立(三舟隆之*1) ◆考古学から見た東国(関東地方)の官衙遺跡:橘樹官衙遺跡群を中心に(栗田一生) ◆武蔵国造の乱と橘樹郡の古墳(新井悟) ◆国造制研究とミヤケ(篠川賢*2) ◆武蔵国造の乱の再検討:古代東国の国造と屯倉(鈴木正信*3) ◆ミヤケ研究の現状と課題(堀川徹*4) ◆屯倉の経営と氏族:橘花屯倉を中心に(田中禎昭*5) ◆文字瓦から見た地域社会:古代影向寺の建立と橘樹評・荏原評(中林隆之*6) ◆ミヤケから評家・郡家へ:研究の現状と課題(仁藤淳史*7) (内容紹介)…

misasa104の旅行記1ヶ月前

2024/09 奈良さんぽ奈良に用事があり、せっかくなので前乗りし少しだけ観光することにしました。奈良に行くのはもう何十年ぶりです。いつもは計画を立てるのが好きなのですが、奈良はほとんど計画なしで赴くままに散歩をしました。 一度は泊まって観たかった奈良ホテル。クラシカルで、想像していた通り、趣のあるホテルです。今となっては、一度とは言わず、また泊まりたいです。 ロビーです。夕方になるとフリードリンク・サービスがあり、宿泊客でいっぱいになっていました。 ホテルに到着したのがお昼頃。いったん荷物を預け、徒歩で出かけます。 ホテルからの景色です。ワクワクしてきました。 まず行ってみたかった中川政七商店。東京駅にもあり、お気に…

ovanの社会科見学2ヶ月前

2024/09/24 泉龍寺(泉龍寺 別院、福徳弁財天)『狛江市元和泉の狛江駅の近くに位置し、雲松山と号す。狛江市内の寺院の中で最も規模が大きく、また市内中心部に位置することから市を代表する寺だといえる。 道路を挟んで南東に狛江弁財天池特別緑地保全地区が存在し、保全地区内にある弁財天池と呼ばれる池は良弁僧正の雨乞いによって湧き出た霊泉だとする言い伝えがある。 』 『伝説によれば765年(天平神護元年)、良弁によって開山された。 当初は法相宗兼華厳宗の寺院であったが、平安時代に天台宗、戦国時代に曹洞宗に転宗した。 1591年(天正19年)、徳川家康の家臣石谷清定は当地に所領が与えられた。清定は当寺を旗本石谷家の菩提寺とし、衰微状態だった当寺を整備した…

秋谷高志 批評をめぐる試み2ヶ月前

文学批評) 白洲正子『十一面観音巡礼』を読む ――「境界/中間領域/過渡期」への眼差し昭和四十四年に『かくれ里』を、昭和四十七年に『近江山河抄』を「芸術新潮」に連載した白洲正子は、昭和四十九年一月から『十一面観音巡礼』を一年半連載する。 紀行文のようでもあるが、昨今はやりの「食」「宿」などへの雑文的言及は厳しく排して、十一面観音に集中している。 《私の経験からいっても、十一面観音は、必ず山に近いところ、もしくは山岳信仰と関係のある寺に祀ってあり、あまり方々でお目にかかるので、自然に興味を覚えるようになった。何より驚くのはその数の多いことと、美しい作が沢山あることで、興味というより不思議に感じたのがはじまりである。が、そんなことはいくらいってみた所で仕方がない。学者なら学問の方か…

owari-oyajiの放浪記2ヶ月前

西国三十三所第13番 「石光山 石山寺」​​滋賀県大津市石山寺。琵琶湖を源にする瀬田川の右岸に鎮座する真言宗の大本山、本尊は如意輪観世音菩薩。枕草子、源氏物語、浮世絵、近代文学を育む舞台ともなり、養老2(718)に開かれた西国三十三所観音霊場の第13番として古くから崇敬される古刹。広大な境内には東大門や舞台造りの本堂、多宝塔など多くの伽藍が建てられ、内陣や豊浄殿を拝観し伽藍を見て回るだけでも相当の時間を要します。 「朗澄大徳ゆかりの庭園」石山寺東大門の右手にあり、石山寺の玄関口と言ってもいいかもしれない。ピンクの花を付けたサルスベリの先に、小さな泉と鬼の姿が彫られた石碑が立てられています。この鬼は石山寺中興の祖 朗澄律師(1131-…

「言葉こそ人生」読むだけ元気お届け人の"今ここを生きる心"の裏側2ヶ月前

【漫画】「火の鳥 鳳凰編」手塚治虫:著(全1巻)大人読みしました。奈良時代(8世紀)の日本を舞台に、盗賊・我王は、命を助けられた高僧・良弁上人と諸国を巡りながら、仏師に成長する。 一方、若い頃、我王に利き腕を傷つけられた仏師・茜丸は苦労しながら、奈良・東大寺の大仏建立のプロデューサーにまで出世した。 そんな時、大仏殿の鬼瓦の製作を、茜丸と我王が競い製作することとなり・・・というストーリー。 最初は悪役だった我王が、善人役だった茜丸と性格が入れ替わる。立場はそのままで。 この展開は本当にゾクゾクするし、二人とも「生きる」ことに悩み、輪廻の中でもがき苦しむ。 我王が山から登る太陽を見て「美しい」と呟くシーン。これが生きていることなんだと感動せざる得ない名シーンで…

なーまんのEye-Level2ヶ月前

伊勢原大神宮 伊勢と鎌倉の絆とは?「ひとりよりふたり」 「ひとつよりふたつ」 これは伊勢原大神宮のシンボル ^^ 伊勢の内宮と外宮を表しているそうです。 中央が天照大御神をお祀りする皇大神宮(内宮) 右が豊受大神をお祀りする豊受大神宮(外宮) www.daijingu.net 伊勢の内宮と外宮は4k以上離れていますが、ここはまるで寄り添うように鎮座 ^ ^ 御朱印も一枚に纏まっていてお得感があります (^.^)v しかも300円 \(^^)/ 得した分あんみつではなく・・・ クリームあんみつにグレードアップ (^。^)v 以上、伊勢原大神宮のルポでした (^_−☆ おしまい・・・ではなく・・・ 御興味のある方は、この先もお読み…

owari-oyajiの放浪記3ヶ月前

西国三十三所霊場巡り 『13番 石山寺・14番 園城寺(三井寺)』 滋賀県大津市8月22日、滋賀県大津市の石山寺と園城寺(三井寺)の西国三十三所霊場を訪れてきました。今月初めに青春十八切符を利用し、『17番・18番・19番』を回り、利用回数も残っているので、13番・14番も回ろうという事。当日の天気は晴れ時々曇りで、猛暑は一服と想定していたが、現地は強い陽射しの降り注ぐ快晴。いつもの様にJR金山駅から7:00過ぎの列車に乗り、米原で乗り換え、9:30頃にJR石山駅到着。 最初の目的地石山寺へは京阪電鉄石山坂線で終点石山寺駅まで向かいます。丁度到着したばかりでしたが、ダッシュは諦め一本見送る。 610京都橘ラッピング電車。2両編成の可愛い電車、側面の「滋賀のみんなに、しって…

西國三十三所順打ち巡礼記3ヶ月前

【西国第十三番】石光山 石山寺宗派 東寺真言宗 大本山 本尊 如意輪観世音菩薩 ご詠歌 後の世を 願うこころは かろくとも ほとけの誓い おもき石山 520-0861 大津市石山寺1-1-1 公式サイト https://www.ishiyamadera.or.jp/ 【前の記事】 ⇩ ⇩ ⇩ さて、第十二番の岩間寺から、 第十三番のビッグネーム、 石山寺にやって来ました、 時刻は午後12時半前ですが、 神社仏閣に興奮すると、 お腹が減らない特異体質の私です。 大変申し訳ありませんが、 母にも付き合ってもらいましょう。 さてさて、石山寺。 私自身、高校の修学旅行以来、 38年ぶりの訪問。 琵琶湖の南端近くに位置し、 琵琶湖か…

西國三十三所順打ち巡礼記3ヶ月前

東大寺 (金光明四天王護国之寺) 〜奈良の大仏〜 その二国指定史跡 東大寺旧境内 宗派 華厳宗 大本山 本尊 盧舎那仏 630-8587 奈良市雑司町406-1 公式サイト http://www.todaiji.or.jp/ 東大寺 (金光明四天王護国之寺) 〜奈良の大仏〜 → その一 → 特別展「東大寺大仏 天平の至宝」東京国立博物館 その九 → 特別展「奈良の古寺と仏像〜會津八一のうたにのせて〜」三井記念美術館 その二 → 「東大寺」関連の記事 さて、午前11時近くになって、 奈良国立博物館・なら仏像館から、 東大寺にやって来ました。 さすがに多くの外国人観光客の姿が見えます。 国宝の南大門は、 応和二年(962)に台風で倒壊後、 正治元年(1…

MY・gallery " watercolor"3ヶ月前

戒壇院裏の塀 この中には、高倉健そっくりの良弁上人像がある。友人にファンがいたので、教えてもらった。確かにそうだった。

国宝を観る3ヶ月前

線刻千手観音等鏡像 水神社寺の仏像や神社の御神体は公開されていないものがしばしばある。国宝でも東寺の御影堂内にある不動明王や吉野水分神社の木造玉依姫命坐像は非公開を貫いている。その他にも公開はしているが、いつでも誰でも見ることが出来るものから、公開スパンが長期のものと様々である。ちょうど辰年の今年、12年に1回公開する六波羅蜜寺の十一面観世音菩薩立像や21年ごとの公開の慈尊院・木造弥勒仏坐像(次は2036年!!)など、健康に留意してその時に現地へ行く体力作りをしながら待つしかないものもある。 さて、寺社の本尊ということで、1年に1度だけ公開されるものが結構ある。東大寺の僧形八幡神坐像(10月5日)、良弁僧正坐像(12月…

シニアノマドのフィールドノート3ヶ月前

良寛さんと宮沢賢治さん(15)民衆の人たちと共に歩み、民衆の人たちを苦しみから救うことに尽力した僧の人たちとはどのような人たちで、どのような活動によって苦しんでいる民衆の人たちを救おうとしたのでしょうか。このことについては、宮本常一さんの「民衆と仏教芸術」(『宮本常一著作集3』未来社、1967年所収)の論考が参考になります。 宮本さんの仏教史を見る視点は非常にユニークで、社会学的にも非常に興味あるものです。宮本さんは、確かに仏教という新しい宗教を日本に導入し、豪華絢爛な寺院や芸術を創り出したのは、権力者・支配者の人たちであったかも知れませんが、それを現在まで保持することができたのは、民衆の人たちの支持のお陰だったと言うので…