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都於郡城

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ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。2年前

都於郡城跡にのぼってみた、堅固な伊東氏の本拠地は戦わずして落城した曲輪群は船が浮いているようにも見える。そのことから「浮舟城(うきふねじょう)」とも呼ばれる。日向国の都於郡城(とのこおりじょう、宮崎県西都市)は伊東氏の本拠地であった。国の史跡にも指定されている。 日向伊東氏の本拠地 守りは堅いぞ 高屋山上陵と伝わる 日向伊東氏の本拠地 都於郡城は、建武4年・延元2年(1337年)に伊東祐持(いとうすけもち)が築城したとされる。伊東氏は南北朝争乱期から日向に根をおろし、ここがその本拠地となった。 伊東氏は、工藤(くどう)氏の一派である。工藤氏は藤原南家の藤原為憲(ためのり)にはじまり、木工助(もっこうのすけ)に任じられたたことから「工藤」と称するようになったと…

#都於郡城#城#伊東氏#伊東義祐#島津氏#宮崎県#西都市#高屋山上陵#伊東マンショ

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syusyunakのブログ4ヶ月前

城好き気象予報士とめぐる名城37 天気が変えた戦国・近世の城 久保井朝美2024年3月5日第1版第1刷発行 帯封「『そうだったのか!』がわかる。気象予報士ならではの新視点。NHK総合サタデーウォッチ9の人気気象キャスターが、天気×城を読み解く!」 目次 はじめに 口絵 第1章 気象と築城技術 雪 会津若松城(日本で唯一「赤瓦」を頂いた天守) 丸岡城(全国的にも珍しい「石瓦」 金沢城(「鉛瓦」と「海鼠壁」の堂々たる機能美) 雨 高知城(全国有数の雨量に耐える「土佐漆喰」 飫肥城(水を吸いにくい地元産「飫肥杉」が活躍!) 風 唐津城(城と暮らしを守る「虹の松原」) 鹿児島城・人吉城(暴風雨に負けぬ「海鼠壁」) まだまだあります 雪対策の材 弘前城、松前城、高島城、新発…

月下の港5ヶ月前

「信長の野望・天翔記HD」プレイ日記(1534年毛利家中級)その2(九州攻略編)前回の記事はこちら。 gekkahope.hatenablog.com 1538年 春。門司城・立花山城・金石城・城井谷城攻略。城井家滅亡。天野隆重登用。 夏。大友家と開戦。府内城・丹生島城攻略。赤松政秀が「挑発」獲得。味方してくれた秋月家が岡城を落とした。連続攻撃で栂牟礼城攻略。秋月家が阿蘇家の城を落とし、阿蘇家滅亡。立花道雪登用。 秋。浦上家と疎遠。友好の使者を送り成功。伊東家と開戦。味方してくれた相楽家が飯野城を攻略。門川城・都於郡城攻略。伊東家滅亡。伊作島津と開戦。肝付が島津と同盟していて敵に回った。味方してくれた相良軍が肝付軍に撃破された。島津家の飫肥城を攻略。肝付家の垂水城・加治木…

ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。7ヶ月前

島津家久のすごい戦績、戦国時代の九州の勢力図をぶっ壊す!島津家久(しまづいえひさ)の戦績をまとめてみた。 島津家久は四兄弟の末っ子である。通称は「中務大輔」「又七郎」。兄に島津義久(よしひさ)・島津義弘(よしひろ)・島津歳久(としひさ)がいる。 この兄弟の中では島津義弘の知名度が圧倒的に高い。「戦場の鬼」というイメージだろうか。だが、島津家久の戦績は、この兄をも越えるかも。 ちなみに、『信長の野望』シリーズをはじめとするゲームの中では、島津家久の戦闘力がかなり高く設定されている。戦国時代好きには、それなりに知名度があると思われる。 島津家久の活躍が目立つようになるのは、永禄10年(1567年)からの菱刈(ひしかり)氏攻めより。島津氏は菱刈氏を降した…

ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。8ヶ月前

戦国時代の九州戦線、島津四兄弟の進撃【まとめ】/元亀2年から天正15年まで(1571年~1587年)島津氏は、元亀2年(1571年)に島津貴久(しまづたかひさ)が没して代替わりをする。跡を継いだのは長男の島津義久(よしひさ)。そして、次男の島津忠平(ただひら、島津義弘、よしひろ)、三男の島津歳久(としひさ)、四男の島津家久(いえひさ)らが兄を支える。 この四兄弟の時代になって、島津氏はものすごい勢いで支配領域を広げる。短期間のうちに九州のほとんどを制圧し、そして天下人となった豊臣秀吉と対峙することに。……その過程をたどってみる。 島津の四兄弟 島津義久 島津忠平(島津義弘) 島津歳久 島津家久 島津包囲網 肝付が動く、鹿児島湾岸の戦い 伊東も動く 加久藤城の戦い 木崎原の戦い 大隅の制圧 小…

ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。9ヶ月前

豊薩合戦、そして豊臣軍襲来/戦国時代の九州戦線、島津四兄弟の進撃(7)島津義久(しまづよしひさ)・島津義弘(よしひろ)・島津歳久(としひさ)・島津家久(いえひさ)の四兄弟の進撃は、島津氏の最大版図を築く。九州の大部分を制圧しようとしていた。 そして天正14年(1586年)、島津と大友が全面抗争へ。島津氏は大友氏領内への侵攻を開始する。一方の大友義鎮(おおともよししげ、大友宗麟、そうりん)・大友義統(よしむね)は豊臣秀吉を頼った。豊臣秀吉は九州に大軍勢を派遣する。 島津と大友の微妙な関係 天正14年の九州の勢力図 島津の両殿体制、そして日向の末弟 島津と毛利 豊臣秀吉の惣無事令 戦を急ぎたい島津家臣団 豊後攻めが決まるが…… 筑前へ出陣 勝尾城の戦い 岩屋城の戦い…

銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記10ヶ月前

宮崎県編 その6〇小村寿太郎 (1855~1911) 外交官、政治家。日向国那珂郡飫肥(現宮崎県日南市)生まれ。7人兄弟の第二子。飫肥藩の振徳堂に学び、開成学校の法学部に進む。その後ハーバード大学に留学、驚異的な暗記力で他の学生たちからは敬意を持って接したという。帰国後司法省から外務省に出仕し、イギリス、アメリカ、ロシアなどの公使・大使を務め、外相として日英同盟の締結、日露戦争後のポーツマス条約の締結、条約改正の完成(関税自主権の完全回復)を成した。 <小村寿太郎像> 場所:飫肥・竹香園(宮崎県日南市星倉5566-1) 竣工:1952年11月 像高: 作者:朝倉文夫 撮影時:2022年3月30日 説明:この像…