「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに」 後京極摂政前太政大臣 妻を亡くした寂しさを和歌に昇華させた (original) (raw)
百人一首第91番目の歌の作者は後京極摂政前太政大臣ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじんです。
今回は後京極摂政前太政大臣について紹介します。
後京極摂政前太政大臣とは
後京極摂政前太政大臣とは藤原良経のこと。
生年が1169年、没年が1206年。
保元の乱の中心人物でした。
藤原良経は政界で活躍しながらも、和歌や漢詩などの文学に通じていました。
自らも優れた和歌を残しています。
そして、当時の文学界の有力なパトロンで、百人一首の選者の藤原定家も、その支援を受けた一人でした。
百人一首に選ばれた歌は、当時の藤原良経自身の経験を文学作品に昇華させたもの。
この歌が作られる少し前に、自身の妻を亡くしています。
その寂しさを、ただ嘆くだけではなく、情感豊かな文学作品に仕上げています。
そこに藤原良経の文学者としての力量が発揮されています。
藤原良経自身も38歳という若さで亡くなっています。
その死は、当時の歌壇に限らず、多くの人たちから悲しまれたに違いありません。
時代背景
この昆虫の呼称の変化がどうして起こったのかは「わからない」とのこと。
以下の記事には、その変遷を追った内容が書かれています。
こおろぎの鳴き声、秋になったらまた聞けるのでしょうね。
百人一首の歌
歌:きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む
歌の意味:こおろぎの鳴く、霜の降りる寒い夜に、狭い筵に自分の衣の袖だけを敷いて、一人きりで寝るのだろうか。
「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに」
後京極摂政前太政大臣
妻を亡くした寂しさを和歌に昇華させた
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dantandho