「昭和にワープだ」 (original) (raw)

先週、今週と仕事で熱海まで足を運んだ。

「足を運ぶ」なんて大仰に言ってみたところで、沼津から電車で20分程度の近所の町だ。車で行くと1時間近くかかったりするのだけど…。

一年前に沼津に越してくるまでは熱海に行くことなど殆どなかった。「別府と並び国内屈指の観光地」と呼ばれていたことは僕が生まれる前のことだから実際には知らないし、その後の酷い凋落ぶりもよく知らないし、そこから立ち上がって首都圏からの近場の観光地として賑わっていることも、一年前まではほとんど知らなかった。

そもそも熱海という町が僕の生活圏、意識圏にない「完全圏外の町」だったのだから、そんなふうになるのも当然なのだろう。

一年前に「ほぼ初めて」に近いような状態で熱海を訪れた時、僕は「今だに残る昭和風情」に驚いた。この春、ホテルニューアカオに宿泊したが、そういう「昭和風情を売り」にしているところじゃなくとも、隠そうとも隠しきれない昭和感が溢れ出て来ている感じ…。昭和的に言うなら「モーレツに」そして「ビンビンに」!

どんどん廃れていっている書店も熱海駅前のビルにはまだ健在。健やかに存在しているかどうかは分からないが…。いや、決して儲かったりしていないはずだ。書店に限らずこういう店はどうやって存続させられているのか?非常に気になる。

店頭の回転什器は今でも製造されているのだろうか?気にしたことがないだけで、今でもあらゆる書店には置いてあるような気もするが、僕がこの什器をちゃんと認識したのは随分と久しぶりのことだった。

書店の写真を撮ったのは先週の熱海訪問の時。この日は駅前大昭和ビルヂングにある食堂で魚フライ定食を食べた。700円也。

定食に700円というと僕の中では全く普通の値段…というふうに思うのだけど、最近、700円が順当なレベルの定食であっても、平気で1,000円くらいとるようになった。

実に家庭的なこの定食を食べてみると「物価高を考慮してもやはり700円が順当」という味だった。なんなら620円以下であって欲しいレベル。

しかし、そのくらいの価格で定食っぽいものを食べられるのは大手チェーンの安いメニューなどであり、それらは出汁の代わりに化学調味料が入っているような工業製品のような味がするので、こうした手作り感の味のするところで700円で定食を食べられること自体を幸せに思うべきなのかも知れない。

そしてこちらは今日の熱海。熱海というよりも駅前大昭和ビルヂングの様子だ。

このビルヂングの前を歩いていると、ビルから出てくる人もなぜか昭和っぽく見えるし、内部に入ってから目にするフロアを歩いている観光客も昭和の人のように見える。みんな携帯電話なんて持っていなくて、一部の人はポケベルを持っている。そしてスーツではなくて背広を着ていて、その背広も月賦で作ったもの……そんなふうに思えてくるのが不思議でならなかった。

そして今回は「先日の魚フライ食堂」とは別の食堂で昼食を食べた。今日はミックスフライ定食、870円。

なんだか熱海に行くとフライの定食ばかり食べているのだが、どこの食堂もフライの定食が安いのだ。焼魚や刺身といった魚の定食はおしなべて高い。この駅前大昭和ビルヂングでは、刺身定食なんて安いところでも1,400円だった。これは「熱海に来たのだから美味しい魚を食べよう」と思う観光客からしっかりと金を取るための施策なのだと僕は思っている。

今日の870円定食は値段相応…というか、870円なら相当にお得なのではないかと思う美味しさだった。普段、自宅でフライを食べる時には買ってきた出来合いのものが多いし、極稀に揚物を作った時にも酒を飲みながらなので、熱々のフライを食べることが久しぶりだった。

尾崎豊工藤静香の曲がかかる中、熱々のフライを食べる。こうしたBGMも定食を美味しく感じされる調味料だったのかも知れない。これらは昭和の楽曲ではなく平成のものなのだが…。

タイトルに据えた「昭和にワープだ」はクレイジーケンバンドの昔の曲の歌詞。僕がアルバム「青山246深夜族の夜」を買ったのは1999年のことで今から25年前ではなかったかと思う。

当時、彼らを初めて知った時は「昭和文化」が楽曲の中に散りばめられていたし、彼らが題材としてきた昭和風情も今ほど昔のものではなかった。有楽町の交通会館とか銀座の「白いバラ」とか、モノホンの昭和感を感じられる場所もまだ沢山残っていた。

熱海の古いビルを歩きながら、ふと「昭和にワープ」という言葉が思い出され、昭和の雰囲気が懐かしくなったが、クレイジーケンバンドを聴こうという気持ちにはならなかった。