『AKIRA』4Kリマスター版 (original) (raw)

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原作・監督:大友克洋、声の出演:岩田光央佐々木望小山茉美石田太郎鈴木瑞穂ほかのアニメーション映画『**AKIRA**』4Kリマスター版をIMAXレーザーで鑑賞。1988年作品。PG12。

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2019年のネオ東京。“健康優良不良少年”金田をリーダーとする暴走チームのメンバーの鉄雄は敵対チームとの抗争中に研究施設から逃げ出したナンバーズ“26号”タカシと接触、“大佐”と呼ばれる軍人が率いるアーミーによって捕らえられラボに収容される。人間離れした力を発揮しだした鉄雄は、やがて暴走し始める。彼の力には、かつて東京を破壊した“28号”アキラが関係していた。

88年の初公開時に劇場で観ました。あれからもう32年経ってますが、実は原作漫画は未読です。デカくて分厚い単行本を本屋や漫画喫茶でよく見かけたけど、結局ちゃんと読むことはなかった。最近は漫画自体をまったく読まなくなってるし。

映画は漫画版からいろいろ改変していて映画独自の物語になっているそうだけど、原作の方は知らないので映画版についてのみ書きます。

今年2020年は東京オリンピックの開催が予定されていて(それも新型コロナウイルスのために延期されましたが)、この『AKIRA』の舞台になっているのがちょうどその前年の2019年、ということで以前からネタにされてましたね。「中止だ中止」の落書きとか。

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舞台が2019年なのは、この作品に影響を与えているだろう、リドリー・スコット監督、ハリソン・フォード主演の『**ブレードランナー』(感想はこちら**)がそうだったからなんでしょうかね。

人造人間や空飛ぶ車が出てくるブレランのロサンゼルスに比べると『AKIRA』のネオ東京はもうちょっと現実の世界に近いけど、女の子は公衆電話使ってるし、ケータイもスマホも存在しない2019年というのが面白い。あの時点でそういう未来は想定されてなかったってことか。

芸能山城組の「〽ラッセ~ラ~、ラッセ~ラ~♪」の曲とそびえ立つ超高層ビル群をバックに金田たちがバイクで疾走する冒頭場面はいつ観ても鳥肌が立ちそうになるし、コロナ禍のせいで今月は映画館に行くのはなるべく控えようと思っていたのに、『AKIRA』をIMAXで上映するなんて言われたら、そりゃ観なければ、と。

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いえ、僕は特別この映画のファンではないし大友克洋ファンというわけでもないんですが、そのわりにはその後の『MEMORIES』(95年)も『**スチームボーイ**』(04年)も劇場公開時に観てまして。懐かしいなぁ、と。ガムランの音色はこの映画で初めて聴いたような気がする。

大友克洋というクリエイターは、少なくともアニメ映画に関してはストーリーよりも「画」の人、というイメージが僕にはあって、だからぶっちゃけお話の方はたいしたことがないというか、いつも最後は爆発が起こって建物や機械が破壊されておしまい、みたいなところがある。

まぁ、アニメでスペクタクルが描かれればそれが見せ場になるんで、観ていて気持ちよければそれでいいんですが。

スチームボーイ』のあたりになるとCGも使ってたと思うけど、『AKIRA』の頃はまだセル画に全部手描きで作ってたんで(波形の映像では3DCGを使用)、実写の特撮映画と同じで手作りの技を堪能する楽しさがある。

作画前に声優の声を収録するプレスコ方式が採用されていて、そのためにキャラクターたちの口の動きが他の日本製のアニメよりも細かいんだけど、金田や鉄雄を始め、彼ら登場キャラたちの身体の動きがいちいち大仰でずっと違和感があった。

でも、今観るとそういう作品は日本にはほとんどないから(むしろ、キャラクターたちの動きはフルアニメに近かった東映動画の「漫画映画」の時代の作品を思わせる)かえって新鮮に映るし、だからこそ古びない。

一方で、その内容はというと、そもそも劇中で言及され姿を見せる「アキラ」とは、かつて東京を壊滅させた彼が持つ「力」とはなんのことなのか、ハッキリとはわからない。

金田…鉄雄…28号…。これらが「**鉄人28号**」から取られていて、それは人類が制御することが難しい、だがいずれは制御せねばならない巨大な「力」のことらしいのだが。

何か意味ありげではあるけれど、本当にそこに重要な意味があるのかどうかもよくわからない。

ザック・スナイダーが実写映画化したアメコミヒーロー物の『**ウォッチメン』(感想はこちら**)で扱われた“核”が映画の作り手にとってどれほど切実なものとして認識されていたのか、よくわからなかったように。

原子力、ドラッグ、宗教、さらには「若さ」…。描かれているもの、語られていることについて観客がいろいろと意味づけしたり、自分なりに解釈することは可能でしょう。

88年当時、鑑賞後に圧倒されつつも狐につままれたような気持ちになったことを思い出す。あの頃、この映画の内容について誰かと語り合った記憶はない。まぁ、ピンときませんでしたね。

ただ、ジョシュ・トランク監督が2012年に撮った『クロニクル』(日本公開は2013年)は『AKIRA』の「“思春期”の暴走」の部分をとてもうまく捉えていて、このアニメ版『AKIRA』が今でも人気が高いのは、鉄雄が体現するおちこぼれ少年の心理が多くの人々の共感を呼ぶからでもあるのでしょう。その後のいろんな映画に影響を与えているのがわかる。

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『クロニクル』で主人公を演じていたのは、若くして“デコ助野郎”のデイン・デハーンだったし(^o^)

もちろん、『AKIRA』自体が先ほどの『ブレードランナー』だったり(それ以前にメビウスなどのフランスのコミック作品からも)、たとえばスティーヴン・キング原作、ブライアン・デ・パルマ監督の『キャリー』(**感想はこちら**)などから影響を受けてもいるのでしょうが。

鉄雄は幼い頃に知り合って以来、金田と兄弟のようにつるんできたが、要領がよくてリーダー格の金田から自分がいつも格下の弟分扱いされることに劣等感を持っていて、超能力を得たことでその長らく溜め込んできた鬱憤を爆発させる。

「うるさ~い!俺に命令すんなぁ~!!」って叫んで暴れるとか、鉄雄のその幼稚なメンタリティは、僕が中学生の時にいた同学年の頭の悪いヤンキーそのまんまだ。そいつは1年生の時は目立たない生徒だったが、何があったのか中二で急にヤンキーデビューしてまわりの生徒たちにちょっかいを出すようになった。鉄雄の言動を見ていると、あのバカを思い出す。

暴れたらみんなが自分に一目置くようになった(本当はかかわりたくないから距離を置いただけなのだが)ので、調子に乗って暴力をエスカレートさせる。恐れられることが「強さ」の証明だと勘違いしている。

鉄雄はなんの恨みもないはずのバーのマスターや、彼を心配していた仲間の山形までも殺す。自分の暴力性と万能感に酔っている。

『クロニクル』も思春期の失敗を描いた物語で、 デイン・デハーン演じるアンドリューは特殊な力を得るが、それをうまく使いこなせず中二病をこじらせて、それまで彼のことを気にかけてくれていた従兄のマットに八つ当たりするようになり、いつも暴力を振るう父親を逆にぶちのめし、キレたはずみで大事な友人を死なせてしまう。

AKIRA』では、鉄雄のことを「アキラ」だと思い込んで彼を反政府のシンボルのようにヒーロー視する者たちまで出てくるが、当の鉄雄は激しい頭痛に苦しみ、また実は自分が誰からも尊敬されてもおらず「ぶっ壊してくれるなら誰でもよかった」ことに気づいてもいる(このあたりは、トッド・フィリップス監督、ホアキン・フェニックス主演の『ジョーカー』→**感想はこちら** を思わせる)。だから心が満たされず、やがて肉体が変貌して巨大な赤ん坊のような醜い肉塊と化す。

仲間を殺して怪物となった鉄雄を金田は見捨てず、彼を救うために鉄雄が飲み込まれた光の中に自らの意思で飛び込む。

結局のところ、これは“友情”とか“絆”というものを描いていたわけで、そこに清々しさを感じる人もいるでしょうが、その部分が僕がこの映画に心底夢中になれないところでもあって、仲間は大事にするがそれ以外の人間に対してはいくらでも酷い仕打ちができたり徹頭徹尾無関心だったりするヤンキー気質が大嫌いなので、金田のことも鉄雄のことも彼らの仲間も好きになれないんですよね。僕はこいつらみたいな連中に憂さ晴らしに嫌がらせされたり暴力振るわれたりしていた立場の人間なんで。

警察で手榴弾を爆発させようとしたが不発、警官たちから半殺しにされた男のことを山形は「死にたきゃ一人で死ね」とどっかで聴いたような台詞を吐くが、お前らこそ暴れたいんなら勝手にてめぇらだけで家の中でやってろ、と思う。つまらん内輪揉めに赤の他人を巻き込むんじゃねぇ!と。

それでも僕がこの映画を楽しんで見られるのは、アニメーション映画としてのクオリティが高いからだし、クズな奴らのこともちゃんとリアルな人間として描いているから。

あんなふうに普段から敵対するチームと殺し合いのようなことまでしてる奴らが、なんで学校でおとなしく教官に殴られてるのかよくわかんないけど。

厨二病の若者が暴れる、というのは細田守監督が『バケモノの子』(**感想はこちら**)でもやっていて、おそらく『AKIRA』を参照、引用してもいるのだろうけれど、あの映画に欠けていたのは「肉体感覚」だった。

大友克洋の漫画やアニメには人間の肉体は傷ついて血を流し死ぬものだ、という意識がある。痛み、痛覚が表現されているんですね。細田監督の作品にはそれが希薄なので、登場人物がやたらと鼻血出したり出血しても絵空事に見える。日本製のアニメにはヴァイオレンスを売りにしているようなものが少なくないけれど、僕がそれらに嫌悪を感じるのは、ほんとの痛みを知らない者たちがかっこよさとか気持ちよさに酔って描いているようにしか思えないから。そしてそんな薄っぺらい似非暴力アニメを、これまでろくに殴り合いの喧嘩もしたことがないようなヲタクどもが面白がって持て囃している。僕が最近の日本製アニメに興味が持てないのは、そういう理由もある。これ見よがしに「ヴァイオレンス」を売りにするアニメなど、実につまらない。

大友克洋のアニメも、ほとんどすべてが手描きだった『AKIRA』以降の、CGを堂々と使った作品からはこの「肉体感覚」が失われていったように感じる。

女の子たちの描かれ方(金田のケイへのクドき方に見られる80年代的な軽薄さも)には時代を感じるし、石田太郎のイイ声をした軍人“大佐”を頼れる父親的な存在として描いているのもいただけないが(敷島大佐はやはり「鉄人28号」の敷島博士から取られたキャラだから、元ネタの立ち位置を踏襲しているだけとも言えるが)、それでもアニメーション映画『AKIRA』が偉大なのは、劇中の台詞の通り、ここからいろんなものが「始まった」のを感じるから。

芸能山城組の女性コーラスは押井守監督の『**GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊**』の音楽に先駆けているし、鉄雄の前でぬいぐるみたちが暴れるヤク中の幻覚のような場面は今敏監督の作品を彷彿とさせる。僕は最近のアニメには疎いけど、それでも『AKIRA』が多くのクリエイターにインスピレーションを与えただろうことはうかがえる。

映像も音もクリアで大きなスクリーンのIMAXで32年ぶりに観られたのは嬉しかったし、80年代と昭和の終わり頃に作られたこの映画に、あの当時をリアルタイムで生きていた自分自身の少年期を重ね合わせて感傷に耽ってみたりもしながら、それでもここで描かれているのはもう過ぎ去ったものだな、とも思う。

ナウシカAKIRAに懐かしさを覚えるのは、あれらが30年以上前の作品であることもそうだけど、焼け野原になった都市の姿に清々しさを感じたり、そこからまた新たな始まりが…というイメージが「幻想」でしかないことを僕たちはもうずっと前に気づいてしまっているからだろう。

— ei-gataro (@chubow_deppoo) April 8, 2020

AKIRA』で「中止だ中止」と落書きされていた東京オリンピックは延期。街は破壊されないまま人々は自宅待機を命じられている。どこにもAKIRA的なカタルシスはない。だから映画を観る。

— ei-gataro (@chubow_deppoo) April 8, 2020

長らくハリウッドで『AKIRA』の実写化の企画が上がっては立ち消えになったり延期になったりしてますが、僕は日本の漫画やアニメのハリウッドでの実写化作品にはイマイチ食指が動かなくて(これまでに、これぞ、という作品が見当たらないし)ハリウッド版『AKIRA』にもあまり興味が持てないんだけど、もしも実現するなら、30年以上前のアニメの単なるトレースではなく、ぜひ「現在」の“世界”が反映されている映画にしてほしいです。

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