直子の部屋 (original) (raw)

近頃の喜怒哀楽つれづれ。

9月末にとん楽師匠が亡くなったと知って驚いた。
最後に見たのが9/21渋谷の伝承ホールでの「松竹梅」なのがなんだか切ない。両国寄席で会える師匠だと思っていたから、次には出囃子を確かめたいと思っていたんだけど。

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好二郎さんの前座時代の勉強会で知った元気丸が11月末で解散。悲しい。でも、同じ上京組なので少し心情はわかる。土木漫才笑ったなあ。

愛楽師匠が9月で笑点卒業。田舎でテレビ見てた頃には、座布団運びしているのが落語家さんだとも知らなかったけれど26年続けられたのはすごい。国立演芸場での笑点収録で笑点での愛楽師匠見れたのも思い出。円楽一門会の中でも高座で印象が変わったおひとり。サブスクぴあ落語ざんまいに10月に沢山新着高座が上がっていた。末広亭でもサブスクでももっと知られて欲しい。

NHKで復活放送されている「坂の上の雲」で喬太郎師匠を発見して飛びあがった。このドラマは三遊亭圓朝が生きてる時代の話。出演されていたシーンは明治22年秋で、圓朝が三遊塚を立て初代二代圓生の大施餓鬼をした後。自伝『三遊亭圓朝子の傳』が出版される前。ただの偶然だけれど、三遊塚が立った頃を調べていたのと、9月に文春落語『すごい!圓朝』で喬太郎師匠が考える圓朝の話を聞いたばかりだったから。意識すると知りたい時代の情報が集まってくるものだ。このドラマには文菊師匠(当時菊六)も出演されているのでこの後も出てくるのかもしれない。

自由研究

一昨年、去年と追善供養に参加して気になっていたので、三遊塚が木母寺に作られた頃のことを調べてみた。三遊塚が立てらてた木母寺は当時明治の廃仏毀釈を乗り越えて復興したことを知る。圓朝が繋がったのは伊藤博文渋沢栄一の影響か、円光僧正の手腕か。ミステリアスな疑問もある。今の木母寺と周辺の景色が様変わりしたのがとにかく残念に思う。

デジタルアーカイブが日々追加更新されているおかげでスマホで読書がはかどる。
興味ある本をタイトルで見分けたり実際読まないと見つからない場所へすぐに確認しにいける威力。のめり込みすぎて困る。手に持って読む本の重さもこれまで大事だったのかもしれないけれど、圓朝全集の圓朝遺聞などスラッと読めるのはありがたい。

圓朝が寄席に上がらなかった時代の暮らし向きを藤浦富太郎氏が残していたことを知った。落語に出てくる人達の中で与太郎だとか粗忽は例えやすいけれど、圓朝は落語に出てくる武士や殿様のような感触を持つ。富太郎氏は圓朝の支援をした大根河岸三河屋の藤浦周助、周吉(三周)を祖父、父に持ち圓朝名跡を預かった三周の後継者で、歌舞伎など他の芸能にも通じた人だったらしい。東京中央青果株式会社初代社長。圓朝を翁と呼ぶ年齢なのに、かなり細かい記憶を残されていて興味深い。

身の回りのこと

家電の不具合が多くなってきた。中でも何度も考えてやめてきたPCの買替は考えた方が良さそう。テレビやパソコンの調子が悪いのは途中で強制終了という意味では良い気もする。とはいえこの記事がふっとびかけたのでいよいよか。。

少し上向きだった体調が季節の変わり目かよろしくない。うっかり習慣化したゲームアプリを捨ててAIメンタルケアアプリを入れてみたが、無課金だと冷たいらしい。それは当たり前か。

推し活は調子がよろしくなくてもできると思っていたけれど、そのラインも超えることがある。前の経験と違うのは多分燃え尽き系。経験を重ねる程想定している最悪の方向と違う角度から問題がやってくること。目標ややる気を持てない状況の辛さは動けるうちはまだましだったということがわかる。「休む」にもいろんな段階があると思い知る。この3年のダメージは相当だったらしいな。よくがんばったねということで労いをつづける。

ブログの名前を自分の部屋にしたのは、自分の陰気も吐き出せるようにしたかったからだけれど、どうしても真面目でブログを私的な場所とは捉えられなくて、人を陰気にするエネルギーは出したくないと思ってしまう。その思考は抱え込みになる原因なんだけど。ただいまは、人に話したらスッキリする、とは思えないんだなこれが。

1年前、2年前といまより普段の心情を書いていた。推し活の記事を書きながら兼好師匠の話は少ない。ダントツなのに書くのは難しいという言い訳。それほど前向きになれていない自覚あり。つまらない。瞬間でも笑えるだけよし、ともいえるけれど、それ以外の大半が沈んでいる。波打つ表面にいないだけましか。まし、が面白くないか。

落語会へ行った記録を書くようになっていたけれど、以前にも増して出かけていないのでサボる。落語の話を書くためにブログを作ったはずではなかったけれど、結局関心が向いていてブログに書けることとなると落語のことになる。落語会の話を読みに来る人がいると思うと他の話が書きにくいし、自由研究もいくつも少しずつ調べているので成果みたいに書くのは難しい。

そんな中でも日々気になることが起こるし、昔の傷が痛むことも多いので、つれづれ書いて修正してみたい。物語に昇華できる人はすごい才能だ。

昨日の祝報は思いがけず大喜びした。
三遊亭王楽師匠が来春に七代目 三遊亭円楽を襲名されるとのこと。
誠におめでとう存じます!

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第一報で真っ先に思い出したのは王楽師匠のYouTubeチャンネル
ゲストが神田伯山さんで襲名の話題が出ていた。
円楽を王楽師匠が継いで、末広亭で披露目したら演芸界がまた盛り上がると伯山さんの希望が話されても、「話が来てないから」と答える王楽師匠。だまされたっ!!

来春七代目円楽となる王楽師匠は五代目圓楽師匠の最後のお弟子さん。
好楽師匠のご子息なのに兄弟弟子なのは承知していたけれど、五代目に27人もお弟子さんがいたことを忘れていた。
やはり六代目が亡くなった直後は無意識に六代目のお弟子さんが継ぐのかな…などと考えてしまったけれど、やはり平常冷静に考えるには時間が必要。ご自身達事のみなさんは決める側も受ける側も尚更落ち着きたいところだろう。

チャンネル視聴者としてコメント欄にお祝いの言葉を入れると、周囲からお祝いの連絡が多数と聞いていた王楽師匠がそれぞれのコメントに返信を入れてくださっていた。流石だ。
(王楽師匠、YouTubeのコメント返信はご自分でされているそうで毎回丁寧でマメで驚く)

その後SNSではトレンド入りして、円楽襲名の話も、それ以外の名前の襲名の話も入り乱れていたので見るのをやめた。

理由はその手の噂話が苦手なこと。毎回推しの兼好師匠の名前も出るからだ。人気の証とはいえ、目の前の祝事を見ない、もしくはけなして囃す人の業が苦手。笑点メンバー予測と誰が襲名するのがいいと思うかという話は拒否反応が起きる。以前にも盛り上がっている所に変顔で水を差したことがあるので、離れるに限る。噂をするのが悪いのではなくて、苛立つことから離れるのが健全ということで。

正式に決まったと発表されたら「キタっ!わーい!おめでとうございます!きゃっほ~い!」と飛んで喜びたい派。予想や希望が外れてショックで落ち込むのが嫌な負けず嫌いということかもしれない。

ちょうどこの9月中席は新宿末広亭 夜の部で王楽師匠も交互出演されている。王楽師匠の高座を知らずに噂であれこれ知った気になりそうな方は、9月26日(木)、28日(土)にもご出演予定なので生で見てほしい。

9月26日の代演情報です。 pic.twitter.com/e39H9i4JFa

末広亭 (@suehirotei) 2024年9月25日

前から面白いと思うこともいくつかあったので、今日はお題「圓楽といえば」に自分の知っていることや印象で回答する「私の代々圓楽像」を書いてみようと思う。

時流に乗った話題を書いて上手くいったことが無いので、きれいにまとまらないことはご承知いただきたい。

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身の回りの参考文献としては、保田武宏著「東都噺家百傑伝」、永井啓夫「新版 三遊亭圓朝」、冨田均「聞書き 寄席末広亭」、日本演芸家連合国立演芸場の誕生までー演芸連合の歩みー」、春陽堂版「圓朝全集」、角川書店版「三遊亭圓朝全集」、Wikipedia など。後半の全集は国立国会図書館デジタルコレクション。他、大きいのは寄席の高座で見聞きしたこと。
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初代の圓楽は歌舞伎役者出身。三遊亭圓朝の弟子で淸朝の名から圓楽、後に三代目三遊亭圓生となった人だ。

役者時代の名前からか”のしん圓生”とあだ名された人で、圓生を襲名した際の事情はいくつかの説がある。とはいえ、圓生を襲名した際に圓朝の鳴物噺(道具入り芝居噺)を受け継ぎ、芝居噺の第一人者になった。

細々とした途中の経緯が都度諸説あり謎もある人だけれど、歌舞伎役者出身で芝居噺を受け継いだと聞くとさもありなんと思える。初代三遊亭圓生は芝居小屋の木戸芸者出身で芝居がかり鳴り物入りの元祖。節や声色を使う技の基礎もあったのだろう。

二代目の圓楽は三遊一朝師匠。圓朝師匠の晩年そばについて面倒を見た方で、やはり怪談噺、芝居噺をされた方だ。そして、この二代目圓楽の一朝師匠の面倒を見ていた人が林家彦六師匠。前名が八代目林家正蔵で更にその前名が三代目三遊亭圓楽。木久扇師匠が笑点でも高座でもよくものまねをする方で、道具入りの芝居噺を現在も受け継いでいる林家正雀師匠のお師匠さんだ。

木久扇師匠が彦六師匠の話をする時、たまに彦六師匠が「おじいさん」と呼んでいた人が登場する。それが一朝師匠(二代目圓楽)だ。晩年を世話した圓朝が亡くなった後、真打前の彦六師匠に圓楽を譲り、二代目圓楽から三遊一朝に名を変えたとか。一朝翁、一朝老人と呼ばれることもある。

彦六師匠(ともう一人の落語家)が一朝老人の面倒を見た頃は、不況や戦争が度々あった時代。聞書きなど本で読むと襲名については今と違った考え方があったように感じる。

彦六師匠の名前の変遷を初めて知った時は驚いた。亭号は三遊亭、扇遊亭、橘屋、蝶花楼、林家 と別派と思える名前を名乗っている時期がある。最初の師匠が不在となり、別の師匠達の内輪になって名前を変えていったようだ。林家正蔵となった時にはやや複雑な事情もあったらしい。

とはいえ彦六師匠は三遊亭圓朝の孫弟子でもあり、一朝老人から得た三遊亭の鳴り物入り芝居噺と怪談噺ができた。林家正蔵の名前にも重なる芸で活躍をされた。
ここまで三代の圓楽は「芝居噺」が引き継がれている。

彦六師匠は木久扇師匠がものまねする晩年とは別に、性格から「トンガリ正蔵」と言われた人らしい。お名前の変遷を辿って感じたのは「やや激しい人生」の印象だ。ただこれは、印象であって、ご自身がどう思われていたのかわからない。

四代目の圓楽師匠のことはWikipedia情報しか知らない。彦六師匠の弟弟子で、彦六師匠が五代目蝶花楼馬楽時代に、彦六師匠の前名を襲名し、四代目圓楽となったそうだ。

そこまではいいとして、その後に三代目柳亭市馬になられている。幇間芸、大神楽、ピン芸の人だった、と聞くと当代と違って異質に思えるけれど、襲名の形やルールはただの思い込みに思える。真っ当正当もものさしのひとつでしかない。運や間のものが無かったら遊びなしでつまらない。

四代目は圓楽でいた時期が太平洋戦争中(1942年~1947年)だった。以前に静岡の寄席を調べた時に六代目圓生師匠の本で読んだように、戦中の不景気や戦災を思うと、戦後お名前を変えているのが世界が変わった時代を感じさせる。

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五代目の圓楽師匠は、子どもの頃からテレビで見ていた人だ。今は寄席で豪快エピソードを一門の皆さんから聞ける。

エピソードから感じるのは「激しい人生」だ。態度の豪快さもあるけれど、行動と判断が豪快で、自然体か策略か発言行動に「話題作り」の側面を感じる。

若い頃は「星の王子様」と呼ばれ、立川談志師匠とのコンビでテレビの人気者だったそうだ。落語に通うようになって初めて知った。それでも「笑点」に出演していたことは子供時代から知っている。テレビの時代の人、テレビでの売れ方を経験した人、という意味で寄席とは別の脇の仕事を作っていった人にも感じる。

六代目圓生師匠の落語協会脱退事件も、途中のあれこれはあれど、抜けた後の試行は聞いただけで凄まじい。これは印象なので間違っているかもしれないけれど、落語を地方で楽しめる興行、仕組みの発端を作った人達の1人ではないだろうか。

そう考えると、六代目は五代目を継いだ人に間違いない。一説には五代目がかばん持ちをしていた学生時代の六代目を五代目がスカウトしたという。弟子入り志願ではないと。その時すでに、とはいわずとも、都内数件の定席、協会ごとでの興行が中心、ホール落語も始まった頃だろうか。その形以外を模索していける人材と若い五代目が目をつけたのではないかと思ってしまう。楽太郎師匠を信用して、生前に六代目襲名を決められた印象もある。このあたりは六代目の圓楽師匠の高座を聴けたことからの思いだ。

五代目圓楽師匠はお身体の事もあって、楽太郎師匠の六代目圓楽襲名発表会見を私の推し兼好師匠の真打昇進会見で同時に行う荒行に出た。当時のことは残っている情報しか知らないものの、六代目がご自身の御病気と辛抱強く付き合いながらも「四派統一」「圓生になりたい」と強気に押して話題を作られていたのと重なる。

六代目と七代目円楽に決まった王楽師匠に共通すると感じるところは「プロデュース」

六代目円楽師匠自ら顔付けをする「円楽プロデュース」で、福岡の「博多・天神らくごまつり」をはじめ、札幌の「さっぽろ落語まつり」、東京での「江戸東京落語まつり」は江戸も上方も協会も垣根のなしの落語のお祭りを定着させては次はと企てておられた。

その六代目からの言葉をきっかけに、顔付けや企画に携わっている王楽師匠を知ったのはいつだったか。圓楽一門会や新宿末広亭の余一会の顔付け話などを高座で耳にするようになり、王楽師匠の印象が変わった。最近は好楽師匠の喜寿祝いの落語会も企画され、舞台裏を配信もされている。

プロデュース力という意味では、王楽師匠のSNS(X)での宣伝投稿には気持ち大き目な異論があるけれど(笑)YouTube配信は今や毎回更新を楽しみに待っている。

ゲストへのインタビューも、仲間の気持ちでゲストをリラックスさせる場が出来ていて意外な話も聴かせてもらえる。演者さんでありながら、「みんなにこの人を知って欲しい」のリスペクトが楽しく伝わってくる。昭和平成のピリッとさせる代々師匠方とも違う、新たな時代の円楽師匠となられるだろう。
一之輔師匠や伯山さんはじめ落語家さんのお祝い&エールのポストも演芸界の良い雰囲気が伝わる。

入口は笑点に出ている好楽師匠の息子さんなの?円楽襲名決定のニュースで初めて知ったわ、という方も、襲名前から高座や配信で好きか嫌いかチェックしてみてはどうでしょうか。

演芸のお祝い会は晴れやかな楽しみがあるし、気が早い所で披露目口上も錚々たる面々だろうな、なんて来春までのニュースも楽しむのが吉。
9月30日の会見は、ご自身は真面目に、好楽師匠木久扇師匠は自然体という感じかなあ。

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youtu.be

秋分の日前日の土曜日は渋谷に落語を聴きに行ってきました。

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国立演芸場 9月特別公演
五代目圓楽一門会 昼の部 @渋谷伝承ホール

番組:

一、手紙無筆 げんき
一、真田小僧 萬次郎
一、がまの油 好青年
一、死ぬなら今 楽天
一、頑張れ!朝乃山 良楽
一、猿後家 好太郎
ー仲入りー
一、中㐂利 道楽、鳳月、好好、好志朗、好青年、兼矢
一、松竹梅 とん楽
一、鼓ヶ滝 道楽
一、 丸一仙翁社中
一、子別れ 好楽

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○前座 げんきさん

着席まばらながら、会場が広いからかのびのびされている様子に見えた。
寄席形式で開演時間前の前座上りということもあって、途中着席多め。
こちらの集中力が少し切れ、途中から読み物っぽく聞こえたもののサラッとサゲていた。前日の人形町と印象違うのも楽しい。

毎度余計なことを書いて失礼ながら、前に見た時も手紙を広げるところで両手で扇子をバッと広げるので、裂けそうでビックリする。兼好師匠の仕草を見過ぎでいけない。
そういえばこの話には渋谷のハチ公が出てくるね!爽やか笑顔のげんきさんから聞くと渋谷で聴いているなって感じで良かった。

○萬次郎さん

サラ口ですし、といくつか洒落を言って客席に積極参加を求めて楽しい。
三遊亭萬次郎、ミドルネームはジョン。

真田小僧の金坊が臭くてくどくて可笑しい。芝居がかったり、しつこい言い回しで重ねたりするのでマスク下で「クドっ!」と言いながらケラケラ笑わせてもらった。好き過ぎる圓生の口跡が出てしまう前座さん時代とは違う意味でクセ強がくせになる二ツ目さんで今後も楽しみ。

○好青年さん

好青年さんと萬次郎さんのコンビでYouTubeをやっているのを見ていたので、続けて出てきてなんだか楽しい。
スウェーデン人の好青年さんは日本語、英語、スウェーデン語で落語をしていて、先日も欧州公演へ行ったそう。日本語の形も見せることになり、海外の人はどうせわからないだろうとこの落語をやったんですよと「がまの油」の言い立てを。
立て板に水の如く話ながら仕草もリアルに、は日本人でも本当に難しい話芸だということがよくよくわかる。日本語以外の言語と文化が混ざってしまう困難は発音から仕草まで全面的に影響する。奮闘しつつ酔って失敗するバージョンまで演るのは至難の業。好青年さんにとって一番スムーズかつ「言い立てる」ことができる言語が今後どれになるのか、また聴いてみたい。

最近言い立ての落語を平に言うより意味がわかるように言う人を時々見るようになったので、こういうのも時代で変わったり多様になったりするのだろうか。

楽天さん

楽天さんは元々六代目円楽師匠のお弟子さん。円楽師匠が亡くなられてまもなく2年ということで、少し思い出話をしてくださった。

入門した時、師匠や一門が嫌になっても落語が好きでいられるなら落語に寄与しなさいと師匠が仰られたのが忘れられないとか。
まだ何者でもなくどんな人間かもわからない時、師匠がそう言ってくれたら忘れたくないだろう。そういう人に出会う時点で運が出る。芸人であろうとサラリーマンだろうと心を動かしてくれる上司や師匠に出会いたいものだ。
感動の後は腹黒エピソードもちゃんと入れているのが照れ隠しのように見えた。

落語のお客さんで時々いる「オチを先に言ってしまう人」
一門ホームの両国寄席でも出会うけれど、オチがわかっていても楽しめるのが落語だと「死ぬなら今」へ。

先にサゲをと言った「死ぬなら今」が両国寄席のお客さんの「饅頭怖い」が混ざった気がしたけどご愛嬌。先日聴いた「位牌屋」に続いてケチの言い様「六日知らず」が出てきた。
吝兵衛さんみたいな人が地獄で要領よく「地獄の沙汰も金次第」を実行して、政治家みたいにバレて混乱したら、あの世もこの世も地獄もないもんだ。あっちの世界では六代目の圓楽師匠はまだ前座だった。きっちり楽しく一席。

○良楽師匠

富山から早朝の新幹線でやってきた師匠。久しぶりの渋谷の変わり様に驚いたと会場入りのいきさつから。そんなに間を開けたつもりが無くても驚くのだから当然だ。
伝承ホールがある渋谷区文化総合センター大和田前のさくら坂周辺はすっかり様子が変わって、JR渋谷駅も見慣れた部分が解体されまるで形が変わっていた。

今の話題と言えば相撲ですね!と仰るので、もう今日明日で優勝が決まる今場所の話題かな?と思ったら、先日の名古屋場所の怪我で休場中の地元力士、朝乃山関を心配されているのだそう。長期の療養が必要といわれているらしい。名前や出身で応援したくなるのが相撲。落語がきっかけでお相撲中継を見るのが楽しみになったので、同郷力士を応援する気持ちもわかる。怪我ならなお心配だ。

富山は相撲が盛んで、2人も横綱がいたんですよ!と梅ヶ谷とライバルの常陸山太刀山のお話に。梅ヶ谷関は両国寄席が行われるお江戸両国亭銅像があるのでちょっと親しみがある。
帰って調べたら明治後期の凄い人達だった!(動画も後で見よう)

越中横綱伝 梅ヶ谷と太刀山 字幕付き|とやまデジタル映像ライブラリー

大きな地声に力説が加わる良楽師匠。師匠は両国寄席より伝承ホールサイズが合ってる声量だな!が素直な感想。

さあさ、お相撲の落語をされるのかな、と思ったら富山相撲愛でお時間いっぱいいっぱい。久しぶりに高座拝見出来て両国寄席と違う楽し味。

○好太郎師匠

小学6年生の頃に背が低いのがコンプレックスだった師匠は、歳を聞かれて鯖を読んで小3と答えたら3年生にしては小さいといわれた、と「猿後家」を。

今やちょっとギリギリの落語にも思えるけれど、落語だから存分に笑う。落語の笑いは実在の人を貶める形ならアウトとみなすのが個人的ものさし。なんでも他人事はどうかと思うけど、なんでも自分に被害が及ぶと考えだしたらその思考で不幸になる。そのために舞台や高座は結界張って別にしていると思うのだけれど、落語で楽しく笑っても、いざ文に書こうとするとわざわざこんなこと書いてしまって困る。

笑っていいのかと思うけれど、こんなにわかりやすくご機嫌が上がったり下がったりを表に出せるのはある意味うらやましい。小野小町といわれて鰻を倍出せる後家になってみたい。その前にご機嫌取りする人に気づいてしまうからこんな滑稽なやりとりが出来そうにないが。

後に控える好楽師匠の一番弟子、好太郎師匠の楽しい一席を仲トリに聴けて前半終了。

○中喜利

仲入り休憩の後は、余興中喜利ということで道楽師匠と5人の若手ズラッと登場。

国立劇場の天女マーク(紋章)入りの見台を前に座るのは司会の道楽師匠。左から兼矢さん、好青年さん、好好さん、好志朗さん、鳳月さんの5人。

威勢よく各々自己紹介の後は、皆で気を揃えてスケッチブックに回答を書くお題から。
「秋の味覚といえば」「新しいお札といえば」「五代目圓楽といえば」の3問までまさかの一致なし!

2問目3問目は伯山さんにも一目置かれる好好さんのミラクル回答炸裂!

五代目の問題に一瞬全員「浜野矩随(はまののりゆき)」で正解!と思ったのに違った。漢字を間違えるなら私も書けないけど、ひらがなでわかりにくく間違える(笑)

王楽チャンネル登録視聴者としては、天才的なボケ(天然)がクリティカルヒットで大爆笑!言い訳コメントの滑り方まで完璧で、あんなに盛り上がってた客席が静けさ、が何度か。愛されキャラはどの辺まで行けるのか気になり過ぎる。

4問目(5問目?)で道楽師匠の「正解できたら焼肉」でようやく心ひとつになった問題は超サービス問題「笑点といえば?」
後ろに控える好楽師匠を全員書けてようやくおめでとうの拍手!道楽師匠「焼肉は各自手銭で」

続いてのお題「落語家の結婚式、どんな結婚式?」に楽しい回答。
好志朗さんの式場の案内看板に「○○家 △△家 二人会」と書いてある、がよかった。「残った食事を前座が持って帰る」「真打が弁当を持って帰る」もありそうだけど、真打がだれかは想像してお楽しみください。仏法に沿ったんでしょうね(笑)

ここでも好好さんが回答と思えない回答をかましてくれた。もう1問ぐらいあった気がするけどとにかく楽しく一門らしい、一門の二ツ目さん達の仲が良さがわかる時間終了。客席も盛り上がりましたが、司会の道楽師匠、本当にお疲れさまでした(笑)

○とん楽師匠

最初にアレ?と思ったのが出囃子。これ多分「残酷な天使のテーゼ」だよね?生音二棹の三味線でなんだか豪華。あがるのはとん楽師匠。

後から調べたら普段の出囃子は「檄!帝国華撃団」だそうで。そういう方なのですね。久しぶりだけど出囃子に聞き覚えがなかったことだけ気づいたということか。それとも近頃の両国寄席ではこちらなのかしら。

お客さんから、高座に上がっているからか緊張しない方法をよく聞かれるが、緊張したことが無く答えられない、と とん楽師匠。どちらかというと今まで緊張している人の話し方に聞こえていたのでこれにはちょっとびっくり。大勢の前で話すと落ち着いているように見られるけれど、実は心臓バクバクしていて損している方なので、高座に上がる方にならない自分に納得。

以前は結婚式の司会なんかよくやったそうで、マイクの前でド緊張して忌み言葉を連発する参列客をやってみせ、婚礼の席で急に余興をすることになった職人3人組の落語「松竹梅」へ。

婚礼の当日にご隠居に相談する3人組。祝儀にする余興をご隠居に教わり口上を聞くけれど、節は自分でつけろという。隠居さんの前で試しに松さんが節をつけてやってみると、陰気になったり童謡になったり「華があるような節」と聞いて「花は咲く」になったり。ようやく決めた節も婚礼の席で違う曲に変わったりする。とん楽師匠、出囃子といい、歌うの好きな方なのかな。節のおかげであまり聴いたことが無い松竹梅を楽しめた。

○道楽師匠

道楽師匠の落ち着いた調子が改めて「中喜利司会お疲れでしたね」という気にさせる。

北海道へ4日お仕事へ行って、そのうち一日は11時間移動だったとか。動物注意の看板が多く、ご出身の釧路もキタキツネがよく出るのだそう。
日本最大の動物、ヒグマに山で遭遇した時注意することを3つ教えてくれたけれど、「あんまり信用しない方が良いですよ」の洒落付き。

「鼓ヶ滝」は両国寄席でも聴く落語だけれど、伝承ホールの高い舞台は後ろは屏風の他は黒いので、道楽師匠の落ち着いた声と相まって鼓ヶ滝が大きく見えた気がした。

丸一仙翁社中

いつも元気でいい笑顔の花仙さんと師匠のお二人で登場。久しぶりに仙翁師匠を拝見出来て始めからうれしい。「江戸太神楽は一に獅子舞…」と紹介される仙翁師匠。仙扇社中として師匠を拝見するのはほとんどこの五代目圓楽一門会だけなので、一度は表で丸一仙翁社中の獅子舞太神楽を楽しんでみたい。

傘の曲、撥の曲と花仙さんが楽しませてくれる。師匠が説明の合間に花仙さんに話しかける掛け合いも楽しい。十三代 丸一仙翁師匠は御年84歳!実は花仙さんも芸歴20年だとか!

「新しいの覚えたんだよな」と師匠が言うと、花仙さんが見事なくわえ撥と鞠の曲技を見せてくれて大拍手!最後はお二人で入れ替わり立ち代わりの撥の曲技。高く飛ぶ綺麗な撥達が舞台に映えて気持ちよかった。

○好楽師匠

いよいよトリの好楽師匠。出るなり仙翁師匠が先輩で現役、兄弟子で先に笑点卒業しちゃった木久扇師匠も86歳でお元気、笑点で一番年上になったなんて言ってられない先輩がたくさんいるんだよ~とおっしゃる。
木久扇師匠がお酒をすっぱりやめて元気になったらしいから、俺もやめたらもっと元気になるのかしらん?と師匠らしくないことを笑って言う。

ちょっと小噺作ったから聞いてくれる?といつものとぼけた調子で小噺をする師匠。ここまでは笑点の好楽師匠で。

スッと落語に入って「子別れだ」と思った時には、もう客席も引き込まれている空気に感じた。特別な情感を込めているという風でもなく、熊さんも亀ちゃんもお光さんも自然体。こういうところが好楽師匠の高座だなあと思う。

聴いていたら一時師匠の高座にぶつかると「胡椒の悔やみ」ばかりだったのを思い出した。あの時はそういう心境でいらしたのかな?とただの偶然に重ねる。

自然体の師匠を見て、やっぱり好楽師匠の高座好きだなあと思う。
笑点を見ても落語を聴いても両方好楽師匠で自然体で、でも少し違うのだ。

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国立演芸場の公演アンケートには今回は結構書いて出した。
後からあれもかけばよかった、なんてことも思いついたけど、国立演芸場の主催公演も盛り上がって欲しいし、ある意味チャレンジだったかもしれない今回の五代目圓楽一門会の公演にファンとしてはきっちり感想をお伝えした。理由の半分はアンケート書くだけでもらえた清涼タイプボディーシートだけど(笑)

今年度の花形演芸会は渋谷の伝承ホールがホームのようだ。

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プログラム恒例の保田武宏先生の江戸落語二百選は「船徳」と「文違い」について。解説に明治時代の演者や速記のことが書かれていて、近頃読んでいるものに親しくこちらも楽しかった。

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帰りにさくら坂下にいつのまにかオープンしていた「Shibuya Sakura Stage」を渋谷の歩道橋デッキでぼんやり眺めた帰り道、楽しませてくれた萬次郎・好青年コンビを発見!「楽しかったです!!」ととりあえず考えなしに声をかける。丁寧にお礼を言ってくれて別れたけど、いきなりオバサンはコワいよねと電車に乗る頃に深く反省。

近頃落語会の終演後の情緒が完全に更年期で、アガり過ぎるか脳窒息のダダ下がりなのだ。怒鳴り散らしたりする老害にはなってたらだれかに説教してもらえるようにしておかなければ。いきなりオバサンでも多少許されそうな祝儀切れる身分になりたいものだ。(まだ若干落ち着いてない気がする)

帰ったら一昨年の国立演芸場カレンダーの円楽師匠が笑ってた。今年は国立演芸場カレンダーは作られるのだろうか・・・(熱望)

五代目円楽一門会 両国寄席公式ウェブサイト | 両国寄席は五代目円楽一門会が開催している寄席です

ryougokuyose.html.xdomain.jp

今月も恒例の人形町噺し問屋へ行ってきました。

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番組:

一、あいさつ 兼好

一、「味噌豆」げんき

一、「初音の太鼓」けろよん

一、「夫婦岩」(作・荻野さちこ) 兼好

<仲入り>

一、ゲスト コント山口君と竹田君

一、「百川」兼好

まずは師匠の立ち噺ことごあいさつ。
メジャーの大谷選手が50-50達成した当日ということでその話題から。

すごいんだけど、ワクワクしてる暇がない!
なんとか到達するまでの物語やドラマを期待している人には、近頃の若いスター達はあまりにも順調だ、と兼好師匠。そういえば、通訳の一件もなかったかのよう。

今やスポーツはデータの世界。大谷選手は、日々更新される試合や選手、チームのデータを頭に入れて、定着させて、すぐ次に活かすことができるのが凄い。睡眠環境をとても大事にして整えていて、体を休ませると同時に記憶の定着を促せるのが睡眠だとよくわかっていると力説。

落語界も実は似ていて、高座の経験をデータ化して、定着させて、次に活かしているんだけど、先輩師匠方の中には忙しくないけど楽屋でとても楽しそうな人達がいて、そういう師匠方はデータを活かさないし、高座終えたら酔ってそのまま倒れるように寝て、良質な睡眠じゃないから記憶も定着しない!

言い切ってる師匠とそれを書いている自分がちょっと心配なネタだけど、客席は大喜び。師匠は笑顔で言ってるところが本気かどうかあやふやに見える術で「一緒に笑っておこう」にさせる。寝不足については耳が痛すぎる。自分に心当たりある毒が笑えるのかもしれない。

それから話題の県知事でしょう、と続く。

ああいういいキャラクターを見つけると、マスコミも周りもとにかく散々言う。(この日は県議会で不信任が議決されて)いよいよになるとみんな悪くいってたのに、実はよいところもあった、なんて話題を引き延ばすわけですよ、といわれて至極納得。

でも、とニヤッと師匠が笑って「あの人、落語では笑わなそうですよね」と嬉しそう。滑稽噺でも人情噺を聴いても落語の洒落に表情も変えそうにない。たとえさん喬師匠の「芝浜」聴いても、サゲがわからなくて横の人に聞いたり、お金貰ってお酒飲んでる話だから「あの人はどこの知事ですか?」なんて言いそう、なんて笑わせる。

(ブログに書き残すのは間違って書くこともあるし、書くと誤解があることもあるから良し悪しで賛否あるだろうけど、兼好師匠の調子でこれをぽーんと話して客席が近くなるのを記録してみる試みなのであえて書く)

次は最近できた楽しみの話題。
今夏クーラーなし生活を完走、自宅も案外涼しい環境らしいこともわかり、朝方の涼しい空気を逃がさないよう遮光遮熱のカーテンを使ったり、風を通したり工夫しているそうだ。風通しは大事。

その風通しもあって、窓を開けている時間に外から聞こえる音がうるさいから楽しみに変わってきた。猛暑の気温になると反岸田政権を公園で叫ぶおじさん、酔った男女の痴話喧嘩、同じマンションにいるらしい暴走族のたまごが放つ迎えの族仲間への言い訳。たしかに面白い。楽しいだけに、どこまで本当なのかわからない。

そんなある日、マンション前を掃除している仲の良いおばさまに会ったら、師匠が好きな力士が勝って良かったわねと言われた。
何故知っているのか不思議に思ったら、仕事で見れなかった相撲中継の録画を昼間家で見ていてエキサイトして「宇良!!!」とか叫んだ声が外に届いていた。外の声も聞こえるけど、内の声も聞こえるってことで注意しましょうと師匠。

クーラーで部屋の窓が密閉されて外からも内からも声が漏れないのと、良い風が通り楽しい声も喧嘩の声も漏れてしまうのと、どっちがいいは正解がないけれど、この時期朝晩は秋の音が聞こえるので暑さが豪雨がどやしてこなければ開けたい派で今年もいろいろ工夫した。

あいさつの後に上がったのは前座のげんきさん。今回はめがねなし。
短く味噌豆。改めて若い入門ってこういう感じなんだなと拝見。
前座仕事と高座の両立、人間関係だっていっぺんに増える。
大学や社会人経験なしでやるのって想像つかない。

続けてけろよんさん。初音の鼓に驚く。

持ちネタを増やされているのだろうと思いつつ、前座さんが前座さんとして上がっていて聴くのは多分初めて。そつなくお上手ではあるけれど、真打の某師匠と思わず比べてしまう脳内。前から書いているように前座さんが前座噺をしている間が貴重に感じられて好みで、個を出し過ぎず平場的に修行されているのも応援したくなるきっかけなので、途中笑いながらも少し冷めた目で見ている自分がいる。

近頃は前座噺の縛りなしなのか、けろよんさんでなくても自由演技は多い。今回は師匠の会だからできるのか、飽きているのか、試したいのかとぐるぐる。
二ツ目になったらどんな落語をされるのかの楽しみのためにも、前座噺で成長や変化を感じたいと思ってしまう。希望ではあるが余計なお世話か。前座さんもそれぞれ。あくまで個人の意見。行く道はご自身が決めるのが最善。これも個人の意見です。

そして兼好師匠。
先日皇居の馬車庫で火事があったそうで、陛下へご報告すると「職員にけがはありませんか」と落語「厩火事」そのままのご様子だったらしいと楽屋で盛り上がった。

縁の中でも特に深いのは夫婦の縁、相性は縁によってきまるもの、「合縁奇縁(愛縁奇縁・あいえんきえん)」といわれることもあるのだそう。「赤い糸」と呼ばれることもあるけれど、元は糸ではなく縄だったのだとか。

月夜に本を読む老人を見て、それを見つけた男が何を読んでいるのか覗くがまるで読めない言葉だった。
尋ねてみると月下老人はなぜ見えるのだと驚く。ここで何をしているのかと尋ねると、脇から縄を取り出し人の縁を結んでいるという。年齢や外見、富や地位の差に関わらず、この縄で足元を括られた者同士はなにがあっても結ばれると聞かされ、自分の足元をみると縄が見えた。辿ってみると市場で身なりの悪い老婆に連れられた娘の足に繋がっている。これでは出世できないと思い、人を使って始末させた。

そんなことも忘れた頃、ようやく結婚する相手ができ仲睦まじくいたが、その娘はいつも額に飾りをつけていた。風呂でも取らず、寝るにも外さない。
理由を聞いてみると小さなころに襲われ九死に一生、その時の傷が額にあるからだと聞き、男はあの時始末させたはずの娘だと気づき素直に事情を打ち明ける。娘も素直に聴き入れ、そこまでしても縁は繋がっていたのだと円満に過ごした。

この唐の故事が日本に渡り、縄ほど太くはないだろう、引っ張ればブチッと切れる位ではと赤い糸になったのでは?師匠がいかにもらしくそう話す。

女が飛び込んできて「聞いてくださいよ!」と場面が切り替わる。あれ?一周回って厩火事?と思いながら続きを聞くと、続けて旦那らしき男も駆け込んでくる。両方で罵り合いながら、自分の言い分をご隠居に聞かせようとする。

夫婦は松吉とおせい(記憶違いはご容赦)の二人。
まず額のこぶが目についてそれはどうした?と聞かれ、おせいがよくぞ気がついたとばかりに気合一発話しを始める。

産婆をしているおせいはお産の仕事を終えて家に帰る途中、女とイチャつく旦那の松吉を見つけた。つきあいで行った吉原の女なら気にしない、どこぞのお嬢さんだの小町と呼ばれる美人ならしかたないが、相手は器量も良くない芋屋の娘。苛立つが知らぬふりで先に帰ると、後から松吉が鼻歌交じりに帰ってきた。
帰るなり飯を炊いてやろうと釜の火を火吹き竹で吹き始める。その後ろに立ってさっきの娘のことを聞くと、振り向きざま一発、火吹き竹で殴られてこぶができた、と一息に話す。

それはひどいと隠居が言うと、旦那が猛反論開始。
よく見れば、松吉の右腕がひどく腫れて谷中生姜のようになっている。

イチャついていたと言うが、娘の方から話しかけてきたんだ、向こうから来たのをムスッと無下にはできないだろう!帰ってくるのに鼻歌の何が悪いのか?

家に帰るなり女房が不機嫌そうだ、飯でも炊いてご機嫌取りをしようと釜の火を吹いていたら、突然しごきの紐が首に回ってギュウギュウ絞められた。だから驚いて思わずボカッと手が出ちまった。悪いなと思ったから、ゴメン大丈夫かとさすってやったら反対にガブッと右腕を噛まれてこのざまだ、という。

それを聞いた女房はまだ不満。
やっぱりあんたは話を伸ばしたり縮めたりしちまうんだ!

さすったのはこぶの方じゃなく尻の方、大丈夫かと耳元近くで言って尻も耳もあたしゃ弱いから許してしまいそうで噛みついたんだ!

と・・・
この辺は勝手にやってくれとこっちが呆れる。

「じゃ何しに来たんだ」と隠居も呆れると、もう嫌になったから旦那に出てけといわれたが、旦那が持っていた家でも家賃を払っているのは女房の方、という訳でどっちが悪いか出ていくのか決めてほしいという。

隠居は二人を表に連れて行き、少し離れて立たせ、1本の縄を持たせて間に3本線を引く。綱引きをして線から出た方が負けの勝負。

二人に依存が無いか聞くと旦那は片腕でも勝てる、女房も負けないと強がる。始めて見ると勝負がなかなかつかない。元は仲の良い夫婦、相手が怪我をしないよう勝負がつかないよう気遣っているなと隠居が言うと、二人とも縄は放さず強がりながらも相手の思い遣りに気づき、この勝負をどう終わらせるか迷いながらお互い間にある線へ近づいていく。

それを見た隠居が思わず「なんだ、まるで夫婦岩だ」と男岩女岩の一対が大注連縄で繋がる伊勢二見ヶ浦夫婦岩に見えるというと二人は仲直り。隠居に「この縄はどこの縄で?」と尋ねると芋俵の縄だというので「それで芋屋の娘がついてきたのか」

途中で「夫婦岩」と題が浮かんだものの、仲入り中も自信が無く、周りに聞いたりしてもはっきりせず、ロビーに出ていたげんきさんに確認した。それでもそのときはまだ古典落語だと思ってた。綱引きと夫婦岩は覚えていたので初めてではない。とても久しぶりに聴いた古典落語だと。。

後から擬古典の会で師匠が掛けられた荻野さちこさんの作品だと気づいて、さていよいよどこで聴いたか覚えていないけれど、久しぶり2回目には違いない。そのためにXに書いたりしてたはずなのにまあいいか。良い時間程綺麗に忘れる。とにかく古典と間違う程自然に聴ける一席だった。昔旅で見た夫婦岩と美しい伊勢湾の景色を思い出した。

あらすじを出来る限り思い出して書いてみたものの、自分の記憶力はあまり信用していない。できれば誤報が出る前に新作もあらすじが記録されていくと良いと思ったりする。近頃圓朝全集なんて読んでいるから、今はどう記録されていくのだろう、何が残るのだろうと思っているのだ。映像や音声がどこかにあったのしても、生の芸をそのまま残すことはできない。アーカイブはあらゆる形であった方が補完できる。すでにある書籍や記録を知らないだけかもしれないが、作家の皆さんは世に出たらぜひ納得のいくあらすじを記録としてどこかに置いて欲しい。後年の継承者が発掘復活も楽しいが、たとえ演る人が絶えたとして、消えゆくのが当然だとしても、それがプライドでプロの仕事だとしても、聴いた方は思い出したい時の助けが欲しい。これも個人の意見でしかないか。

仲入り明けは、待ってましたのコント山口君と竹田くん!
冴えないサラリーマンの竹田君とラーメン屋の店主山口君で不味いラーメンバトルコント。

呂律のあやしいリーマン竹田君に容赦なく攻め入る山口君店主。次第にヒートアップして無茶振りにタジタジで客席大盛り上がり!

どこまでが洒落でどこまでが本当かわからないのが高座の醍醐味。
本気の喧嘩コントも最後はお二人仲良くご挨拶で終了。

人形町で見れるのが贅沢で楽しくてうれしい。

トリで座った兼好師匠が、高校時代に会津の野外イベントで見た山口君と竹田君が凄かったと思い出を話してくれた。

飲み食いできる客席はステージに上がる芸人に目が行かない。そんな場所で急にまわりが騒がしくなり、ステージに目を向けるとあっという間に惹きつけられたのがコント山口君と竹田君だったのだとか。弁当幕に定九郎だなあ。

先日牛久へ行った師匠。日本初のシャトー(本格的ワイン醸造が一貫生産できる場所)を見せてもらったのだそう。デンキブランで有名な神谷バーの創業者が作ったのだそうだ。牛久が初とは意外だけれど、神谷バーと牛久シャトーを後から調べたら明治の実業家の歴史も垣間見えた。

神谷バーの歴史 | 神谷バー

牛久シャトーについて | 歴史を知る | 牛久シャトー公式サイト

牛久なんで、牛久大仏も見に行きます?と同行の方に誘われ、さほどの気乗りは無く行ってみた。山奥に進んでいき、降りたバス停で大仏を見上げた途端にバスの同乗者全員で「デカッ!!!」と口を突くぐらい大きく、信心のない師匠も思わず手を合わせたそうだ。写真やら映像やらで見た気になっても、やっぱり実物の迫力はこの目で見て見ないとわからない。

もう一つ今年見て驚いたのが山王祭のゾウの山車。隔年開催の神幸祭は6年ぶりで完全復活にゾウがお出ましだったらしい。

これも写真で見れば大した大きさに見えないが、実物はとても大きく見えたのだそう。元は江戸に連れてこられたゾウがモデル。さほどの派手もない景色、高い建物もさほどない今の東京とはまるで違った江戸時代には、今より更に大きく見え、さぞ驚かれただろうと祭の打ち合わせに使われた「百川」へ。

言わずと知れた兼好師匠の訛った百兵衛さんは、滑らかな訛り振り。「ピ」に驚く河岸の若い衆がドリフのギャグみたいだ。これは先日ドリフ復活特番見た影響。

「ピ」を抜いて喋れといわれて最後だけお口に手当ての百兵衛さんが可笑しい。途中から百兵衛語を金ちゃん通訳するようになってた。建物潰れる大仕掛けや「ピ」で一斗缶やたらいが落ちてきたら困るけど、ドリフのセットでやれそうなドタバタ展開だ。「四神剣(四神旗)」の説明をぶった切ってもあまり気にならない噺の運びに感じた。

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落語を聴き始めた頃、マクラでかなり仔細に百川があった場所を話していらしたベテラン師匠の話を聞いて、今はどうなっているのかと思った。先日日本橋を歩き回った時に、日本橋にいけば大概通っている福徳神社のすぐ脇に小さなお社があり、その前に百川のあった場所だと書かれていた。浮世小路をいつも通っていたことにも驚いた。

浮世小路の百川 by ぴっか | 中央区観光協会特派員ブログ

帰りにどなたかの手元に12月人形町の会のチラシが見えた気がして、会場に慌てて引き返した。ロビーで見た気がしなく焦ってしまったのだけれど、よく考えたら大したことでもないのに、情報集めたい気持ちが先走ってしまった。お騒がせしてしまった方すみません。帰りはやはり素直に帰るべき。電車で揺られながら反省。更年期の起伏に少し九郎義経

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9月に入って続けて、クローズ、ひみつにしてね、オフレコだよ、SNS禁止でねって話が耳に入ることが続いた。

その場にいる人を喜ばせるためだったり、分別ある行動を促す確認で、それが守られるから楽しめるというもの。 それぞれ理由や趣旨があってのことだと理解した。とはいえ、演芸もそこに配慮していかなければならない所に完全に入ったんだなとも思った。

そんな時、ヨネスケちゃんねるで喬太郎師匠ゲストの回を見た。何気なく見たコメントにえっと驚いてイラっとした。 内容は喬太郎師匠のお弟子さんについて。個人的には動画に対してわざわざそのコメントに入れる必要あるのか?不快だぞ?というのが第一印象だった。

その場では流したけれど、同じ日に同じ事がSNSで話題になっていた。動画へのコメントは落語協会の更新情報が元だったらしい。

わずかな時間タイムラインを見ただけでもかなりの数投稿があった。

一見師弟を心配する言葉だけれど、噂話を探っている言葉に感じるものも多かった。不快なのに目が追ってしまうのをなんとか断ち切ってスマホを置く。

仕方がないことだけど、配信のタイミングに間が合ってしまったのは残念だった、とまず思い返す。

目にした発信は良かれと思ってしている人もいるんだろうな、と自分を納得させようとする。

けれど誰得なのかな、とつい思ってしまう。配信で楽しそうに話していた喬太郎師匠が思い浮かぶ。

あれこれ憶測が飛び交って、離れたとはいえご本人の心中はどうなのかと余計な心配をする。

自分はザワついたまま。発信した人達は外に言葉を発したことで気持ちの折り合いがついたのかもしれない。私はその方法は取りたくない。

答えのないイライラ、悩むだけ無駄と思っても止める方が無理。途中で切れるなら苦労しない。あー関係ないのに腹立つ。見てしまったがために。

SNSに書かないでね、は喬太郎師匠の慣用句の様に高座でよく耳にする。落語仲間の喬太郎師匠ファンは奥ゆかしく、師匠を気遣うタイプばかり。師匠は心配症だなあと思っていたけど、こういう時こそ、心配するお気持ちがわかる。思い知らされたご経験があったのだと。

人気の証といえば聞こえはいいけれど、人気者なら悩まないわけじゃない。時に弾けるような芸風の師匠を好む人の中には、私が気にすることなんてどうでもいい人もいるのかもしれないけれど、自分に弟子がいて、同様のことがあったら、自分や弟子だけでなく影響を受けるだろう顔がいくつも浮かぶだろう。とにかく波立たず落ち着いて欲しいし、外の人間にして欲しいことは噂話ではない。

目にした中には噂話が好きで、どの落語家かは問題でない人もいるのかもしれないと思い浮かんで余計に腹が立つ。無駄な想像力と意味のない怒りにエネルギーを使って馬鹿だ。

SNSに書かないでね、何を書かれても平気なわけじゃない、平気なフリはできないから。師匠はそう言っている。そう聞こえる私は、せめて勝手にあれこれ言わず静かに見守る。他人の口に戸は立てられない。

ネット上で誰でも発信できるようになって、発信力がビジネスになったり話題をかっさらうことができるようになった。いいこともたくさんあるかもしれない。それと同じぐらい自分と他人が匿名の海の中にいて、 物理的にも感覚的にも境界線がどんどん曖昧になってきた。名前も知らない、会ったこともない人に繋がることができる。名前も年齢も性別も好みも知らない他人が自分にとやかくいってくる世界でもある。

家族や親戚近所の大人に進路や就職の話でとやかく言われて鬱陶しかった比じゃない。良かれと思っていろんな主張が飛んでくる。誰に何いうか、何を言わないか、誰とどんな話がしたいのか。

考えるほどクローズ、ひみつにしてね、オフレコだよ、SNS禁止の方が大事な関係性に近く感じる。

SNSもブログも使う立場で矛盾しているかもしれないけど、信頼できる関係が結局は優先になるんじゃないだろうか。不特定多数の発信があって専門知識があってもコントロールしきれないSNSよりは、落語会で顔合わせてる仲間の方が冗談も洒落も程よく受け止めてくれるだろう。必要なら聞いた上で流してくれる。会が終われば別れて、ちょっと飲んでうさを晴らしてもいい。噂したけりゃしたいもの同士ですればよく、遠慮したけりゃその場で断れる。

噂話はいい噂を、落語仲間から聞くのが一番。

兼好師匠の落語会情報を更新しました。

【推し活カレンダー】三遊亭兼好師匠ファンサイト

師匠の公認サイトさまの10月以降の新しい情報を追加しました。

詳細が確認できなかった会が多かったので(仮)情報多めです。
見つけ次第順次追加していきたいと思います。

とにかく各地に行かれます。博多天神落語まつりも近づいてきましたし、12月は昼夜で大名古屋らくご祭の最終日出演も発表されていました。
関東圏やご出身の福島など毎年恒例の会も開催が決まっている模様。

今回は追加情報は多かったのですが、未確認情報がほとんどでお伝えできることはこれくらい。。

rakugo.sankei.com

おまけニュースは、以前おすすめしたサブスク、「産経らくご」さんが30日無料サービスをはじめたという話題を。

「産経らくご」初回限定30日間無料スタート! – 産経らくご

entsunagi705.hatenablog.com

「産経らくご」さんは産経新聞社で主催されている落語会を配信されています。

プレイガイド系の配信チケット(ぴあのPIA LIVE STREAM、イープラスのStreaming+)で個別の落語会を視聴することもできますが、「産経らくご」へ入会すると1回分の配信チケットより安く複数の落語会を配信で見ることができ、先行割引チケットに申し込むことができます。

《対象公演拡大!》産経らくご「もう一度見たい名演」リクエスト募集中! – 産経らくご

それに加えて今年に入り配信期間を会員限定で延長して長く楽しめるようにされたり、過去の公演からリクエストを募って月毎に3席ずつ再配信もされています。

今月9月は兼好師匠の「お化け長屋」(2020年7月7日)も月末まで視聴できます。

《もう一度見たい名演》三遊亭兼好「お化け長屋」(2020年7月7日「第13回三遊亭兼好独演会」より) – 産経らくご

rakugo.sankei.com

「産経らくご」は月額1,100円のサービスですが、少し前から初回30日間無料のお試しサービスまではじめたそうです。今まで利用したことがなければぜひお試しを。

今月のもう一度見たい名演3席は兼好師匠の「お化け長屋」の他、柳家さん喬師匠の「笠碁」、春風亭一之輔師匠の「野ざらし」。加えて追悼特別版で「紙切り名人」林家正楽師匠の技も再び見ることができるそうです。その他、直近の落語会配信も若手からベテランまでたっぷりコンテンツ。

私も忘れないうちに見ておかなければ。

《もう一度見たい名演》特別版 追悼「紙切り名人」林家正楽師匠 – 産経らくご

rakugo.sankei.com

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今回の兼好集は浅草見番。
会場まで浅草寺を通らないルートを初めて通って喧噪なしで心地よく到着。

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番組:
孝行糖 兼好
釜どろ けろよん
ざらし 兼好
ー仲入りー
位牌屋 だいえい
鰻の幇間 兼好

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この会場は客席が畳敷きに座布団。後方に椅子席も用意されているけれど、やはり前で見たいので足腰注意で着席。

入口で次回のチケットは?と伺うと、なにやら趣向があるとのことで今日のお客さんだけに教えます、とのこと。この会の席主のこの言い回し、本当だったり騙されたりするので文字ではニュアンスが伝わらない。今回は真と見た。

落語家さんの人気にもいろいろあるので、兼好師匠をウチで呼ぶなら、の考え方が楽しい席主だ。他の師匠方の会もそんな魅力がはみ出す。開演を待つ間、落語仲間さんと座布団に座ってそんな話をして和む。

三席の独演会ということで前座の前に兼好師匠が上がる。師匠の定番。

それだけでも後から上がる前座さんのお気持ちは如何にと思うのに、前座噺の「孝行糖」を明るく楽しく。後にプレッシャーをかけてひどいなあと思いながら真打で推しの前座噺は本当に楽しい。

「孝行糖、孝行糖、孝行糖の本来は~」の陽気な歌声が見番の座敷に響く。
「ちゃんちきちん、すけてんてん」の仕草は鳴り物があるように見える。

すこしハスの席を選ぶのは、そんな仕草がくっきり見えやすいのも好みだから。

次に上がったけろよんさんが「釜どろ」をかけた。とても久しぶりに聴く落語。
以前NHKで放送されていた「落語 the MOVIE」の三三師匠版の「釜泥」を思い出す。けろよんさんには失礼なのだけれど、泥棒が変装で炭ヒゲを塗って顔を作った、のイメージが濃いめのお顔にピタッと似合って泥棒達の台詞が楽しい。声はすこし高めでらっしゃるからおしゃべり声は気をつけて、となんだか泥棒を心配する心持ち。
豆腐屋さんのおばあさん、呼ばれるたびにおじいさんが潜んでる大釜の蓋をぴったり閉めたがってて危なくて楽しい。

朝が遅くて昼に連絡してもまだ早いという歌丸師匠が、早起きするぐらい好きなのが釣りだったと兼好師匠。サラリーマン時代の先輩も釣りの合間に仕事をするような人だったとか。釣り好きは趣味にいかに時を稼ぐか真剣に考える程夢中らしい。いかに時を稼ぐか!ぜひ見習いたい。

兼好師匠の「野ざらし」は大好きな一席。

女嫌いの浪人者 尾形清十郎の家に、前の晩良い女がやってきて夜伽をしていたのを知っているぞと問いただしにくる八五郎。どうどうと大工道具で穴をあけて覗いた様子を話す八五郎と、夜伽の晩の話が次第に大袈裟になる尾形の会話が幽霊がやって来た家の話とは思えない陽気さだ。

陽気の合間に尾形が出かけた川辺は三囲(神社あたり?)、回向の話に今戸の名前が出てきて浅草近くの噺だとわかって親しみを覚える。

幽ちゃんでもいいから良い女を家に呼びたい八五郎。尾形から無理矢理借りた釣竿片手に川辺に八五郎が出掛けると陽気過ぎて周りが怖がる。

思い込みと妄想で楽しい暴走がとまらない八五郎。こっちの方が釣りより面白いと集まる釣り客と浅草見番の座敷客が一緒に見物する中、兼好八五郎が大暴れ。どっと笑うたくさんの声が劇場とは違うやわらかい響きに聞こえて気持ちいい。

仲入りで晩秋四景のチケットを購入。行けますように。先行で師走四景もあったのだけれど、もう少し調子を見てからにすることに。席に戻り後半の座り方を考える。家なら胡坐にしちゃうのに。頭出ないように加減。楽しい時間でも案外考えてる。

後半は春風亭だいえいさんから。春風亭百栄さんのお弟子さん。ひさしぶりに聴けるのがうれしい二ツ目さんだ。

くいつき(後半すぐの出番)だということを会場に来てから知らされた動揺報告。客席も多分そう思ってる人いると思う。それも楽しい。

落語はこれも久しぶりに聴いた「位牌屋」

昔からのケチの呼び方いろいろ。「六日知らず」は今使っている人いるのかな。「赤螺屋(あかにしや)」を知ってる人はもはや落語を知ってる人しかいないのでは?
赤螺屋吝兵衛(あかにしやけちべえ)さんは他の落語にも出てくるけど、町名まで出ているってことは(町名諸説あるけど)モデルがいるのかな。

よくいえば倹約家の赤螺屋吝兵衛さん。子どもが生まれてあれやこれにおあしがかかると困っている言い草や、祝いですからと小僧にねだられて普段はつけないご飯のおかず(それもすごい)も通りがかりの芋屋さんからあれこれ取り上げてなんとかしようという了見。底意地が悪い。

芋屋さんを怒らせて商売を投げ出させる辺り、こりゃ倹約ではなさそうでこの噺の苦手な所。とはいえ今時のビジネスにも聞くような話。だから苦手なのか?だいえいさんの穏やかな調子に吝兵衛さんが乗るとギャップで怖い。

お遣い先の位牌屋さんで主人の悪い見本の真似をして褒めてもらおうとする小僧さんの様子が落語らしく可笑しい。大いに笑ったところでだいえいさんっぽい、ちょっとそれ怖くない?なサゲでまた別の落語も聞いてみたいなと思った。

兼好師匠が黒い絽の着物で高座に上がった。

マクラから鰻の話だ。昨日の横浜と同じ「鰻屋」?続けてやるぐらい鰻が気になってるのかしら、と思っているとそこはさすがに被せずに「鰻の幇間」へ。黒い絽は暑い夏に外へ客を探しに出る野だいこ、太鼓持ち幇間)姿だったというわけか。

顔に覚えがあるけど、どこで会ったか名前も全く思い出せない旦那になんとか取りつく一八は調子だけは良い太鼓持ち。旦那の家来として傾いて汚い鰻屋の二階でご機嫌伺いをする様子が軽くて師匠の高座に合っている。

旦那に逃げられたとわかって店の女中に楯突く様子が芸人の本音で楽しい。身だしなみに気を配る芸人らしい指摘の中にも師匠らしい工夫がいくつも。

女中もノリがわかっていて、噛みにくい鰻はもしかしたら外這ってる蛇?旦那が持ち帰った4人前は本物?なじみと聞いた旦那の家を聞けば「先のとこ」ってお前が言うな!ここまでくるともはや漫才。

繋がってる漬物を酢の物みたいにすすったり、高い勘定手銭で払って、床の間の掛け軸は「四面楚歌」!一八が飛んで火にいる夏の虫で大笑いした。

兼好師匠の落語は聞く度に編集再構成されていて飽きない。改作までにしない古典で師匠らしい高座は元気が出る。

席主さんにご挨拶したり、落語仲間さんの行ってる落語会の話を聞いたりして、帰りは他愛のない話をしながら人が落ち着いた浅草寺仲見世を通る。良い風良い気分で良い疲れを感じながらぼんやりのんびり。良い日良い晩になりました。