『生きろ 島田叡 戦中最後の沖縄県知事』 (original) (raw)

こんにちは。
沖縄戦に関するドキュメンタリーを見たので感想を書くサトーです。
長いですが、よければご覧ください。

※戦争の話なので殺人とか自決の話が出てきます。

ドキュメンタリー

生きろ 島田叡 戦中最後の沖縄県知事

1945年1月から6月まで沖縄県の知事を務めた島田叡(しまだあきら)のドキュメンタリーです。
以下、敬称略。

島田は兵庫県出身で、東京帝国大学から内務省へ進んだエリートだったようです。
野球のスター選手でもあり、文武両道を地で行く人だったそうです。

その島田が戦中に沖縄県知事として任命され、どのように活動していたのかということを、彼と関わった人々の証言や資料を交えて記録したものです。

感想

島田の前任者の泉守紀は、死ぬなら内地だと言って東京へ行ったまま帰ってこなかったそうです。沖縄県民を嫌っていたようですね。

その後に来たのが島田叡。
警察部長の荒井とともに県民を疎開させようとしたけど、最初はうまくいかなかったと。県民は日本兵がくるから大丈夫だろうと言って、なかなか疎開をしなかったとのことです。

その後、やっと動いて県外に7万人、北部に3万人を疎開させたらしいです。そして台湾総督府から米を調達してきたそうなんですね。

しかし、ご存知のように沖縄戦では近代兵器を駆使するアメリカに日本は太刀打ちできず、非戦闘員の住民もろとも叩きのめされ大敗し、地獄と化します。

日本兵がやったこと

島田の話からちょっと逸れますが・・・沖縄の人々に対して日本は改名しろとか、方言の殲滅とか、方言を話したらスパイとみなすとか、天皇崇拝が徹底してないから気に入らないとか、そういうことを言ったりやったりしたそうです。

あと、壕の中では日本兵が少年から黒砂糖を奪った上に発砲したり、泣き止まない幼い女の子のこめかみを撃ったり、壕から県民を追い出したりしたそうです。

言葉も踊りもダメという沖縄文化を全否定だったようで、それを見た荒井は、どこの国でも方言はあると言って怒ったそうです。
そりゃそうだ。

自分たちが不快に思うから、自分たちが理解できないから、それらは全部悪だ!というのはものすごい短絡的で無知丸出しで傲慢ですよね。

一方で、ある兵士の言葉に支えられていた、という証言者もいます。
「死ぬのは容易いけど、生き延びなさい」
と、自決をしようか考えていたときに言われたと、ある女性が語っていました。

沖縄にきた軍人はたくさんいたようですが、結果として司令官の大田實は自決、他人に最後まで戦えと言っていた司令官の牛島満も自決したとのこと。

Wikipediaによると島田叡は享年43歳。
ある時期から消息不明で、遺骨はまだ見つかっていないそうですが、証言者によると海に入って命を絶ったのではないかということでした。
その証言者が言うには、海だったらいつかは家に帰れるから、という理由でした。

人間性に富んでる人

島田は赴任した時から最後まで、軍人のやり方に批判的で、沖縄県民のことを考えて行動していたようです。
当時の島田について、鉄血勤皇隊だった大田昌秀はこう言っています。
人間性に富んでる人なら、ああいう状況そのものを否定せざるを得ない。内面の葛藤がすごかったろう」と。

沖縄県民を捨て駒としか思ってないような軍人もいれば、島田や荒井のように県民を人間として尊重した要職の人たちもいたんですね。

司令官の役目

こういう話を見るたび聞くたびに思うんですが、やはり頑固なアホに権力を握らせてはいけないですよ。

司令官だった牛島のお孫さんが出てくるんですけどね、
「司令官の役割は戦闘を停止すること。自決したら停止する役割の人がいない」と言っていました。
当時、牛島が自決したことによって、牛島が出した命令を取り消す人がいなくなったらしいんですね。

司令官は死んだのに、命令だけが生きてる状態ですよ。
それでも兵士たちは律儀に、「命ある限り戦え」という愚かな命令を実行し続けて、そのせいで沖縄においての終戦が遅れたようです。

戦いの引き際において、「戦いを終わらせる」というその責任すら果たせなかった軍司令官がいたようなのです。

まとめ

この手の話は見るのも読むのも聞くのも精神的にかなりハードなんですよね。
でもこのドキュメンタリーのおかげで、私は島田叡という人物を知ることができました。こんな人物が沖縄戦の只中にいたんだなあ・・・と。

沖縄戦の証言者が内地からきた人を賞賛することはあまりないと記憶しているので、島田叡なる人物はかなりの人格者だったと思われます。

もし、彼が戦後も生きて知事をやっていたら、沖縄の復興になんらかのポジティブな影響があったのかもしれないなあと考えたりしました。

余談ですが、インタビューにこたえる証言者は全員、方言ではなく標準語で話しています。制作側がそういうふうに依頼したのでしょうか。方言でもよかったのに。

最後まで沖縄県民に寄り添った島田叡。
彼の魂は救われたんでしょうか。
ご冥福を祈ります。

それでは、お読みいただきありがとうございました。

fortunamajor.hatenablog.com

fortunamajor.hatenablog.com