第37登城🏯白河小峰城(2024.7/8日本名城13・福島県) (original) (raw)

白河小峰城

戊辰戦争の東北戦争緒戦・白河口の戦いの舞台となった奥州と関東の境界線

「小峰」は小峰ヶ丘という丘陵にちなんで命名されていますが、別名として地名に因んだ「白河城」という呼び名や双方を合わせた「白河小峰城」という呼び名もあります

最終日です、長かった、長旅だった。アクシデントや予定変更があったがこれも旅の醍醐味なのだろう。本日は最終日なので宿泊なし、深夜の夜行バスまで時間はたっぷりあります

まずは前日の白河駅ホームから見えた小峰城から

関東と東北をつなぐ街、白河。気づけば縦断して福島県最南端まで来ました

前日のキセルが頭の片隅に残りつつも白河駅構内、周辺は閑散過ぎるため予定通り城巡りのほうから始めていきます

白河の小峰城マンホール

ホテルから歩き始めて発見したのは

脇本陣柳屋

白河口の戦いの際には新選組斎藤一隊長率いる隊士が宿営した旅館で1881年明治天皇東北巡幸の際に明治天皇が宿泊した脇本陣柳屋、当時の蔵座敷が現存しており今に伝えてます

斎藤一が泊まったのか。るろうに剣心世代としては斎藤一といったら牙突龍が如く維新では坂本龍馬桐生一馬)が新選組に潜入した際に使った偽名でもありますね

小峰城から 市場を見れば 駒のいななき せりの声

白河馬喰(ばくろう)節という碑を発見

馬喰とは牛や馬の仲買商人。産地の農家から牛馬を買い取り、それを広く売りさばいたり、交換したりする

そういえば馬喰町という地名が東京の中央区日本橋にもありますね、ここは馬市が行われていた場所なのですね

スーパーヨークベニマルで朝飯

洋館風の駅舎の出口から線路の下の地下道を通り反対側(城がある側)へ、城壁を模して造られていて一気に景色が変わる

右は小峰城跡、左には城山公園と書いてある

綺麗で広く整備された公園、天気が良ければピクニックしてる家族連れなどもいただろう

公園からひょこっと城が見えます

白河小峰城結城親朝が14世紀中頃に築城したのが始まりとされています。その後16世紀末の豊臣秀吉による奥羽平定時に結城家は改易され、白河は会津領の一部となり、支城となった小峰城会津領主の蒲生や上杉の城代が城主をつとめました

1627年に初代白河藩主となった丹羽長重が4年の歳月を費やして完成させた奥州の押さえにふさわしい梯郭式の平山城です

ここで丹羽氏の話になりますが丹羽というと織田信長の家臣であり秀吉の上司でもあり安土城の普請総奉行を勤めるなど有名な丹羽長秀がいますが長重はその子ですね。

長秀は信長が討たれた本能寺の変後、山崎の戦い(対明智光秀)や賤ヶ岳の戦い(対柴田勝家)でも秀吉に味方したことにより越前・若狭・加賀2郡の123万石の大大名となりますが長秀死後、家督を継いだ長重は秀吉から良からぬ(あらぬとは言わないが)疑いをかけられ加賀松任4万石の小大名まで成り下がります。

秀吉からしたら元上司の丹羽家ですから力を持たせたくなかったのでしょうか

その後(秀吉死後)、関ヶ原の戦いで長重は西軍につき改易の憂き目に。しかし1603年に常陸・古渡1万石を与えられ大阪の陣での武功により徐々に増封、長重は白河藩10万700石となります(会津藩主の蒲生忠郷が嫡子なくして死去し、蒲生氏は改易されたことも忘れてはならない)、長重の子の光重の代で二本松藩10万700石に転封、以後丹羽氏は明治維新まで存続します。

しかし………

最終日、小雨も降り見事に悪天候です

2011年の東日本大震災で石垣が10ヶ所にわたり崩落、2013年から約5年かけ復旧工事が進められました。現在工事している箇所は清水門で清水門は白河小峰城で最も大きな間口の門で本丸への出入りを監視する番所の役割があったとされていますが、明治初期に取り壊されたとみられています。

工事後、復元されま清水門から入れるようになるのは2026年下旬頃か2027年春頃かな?

雨が強くなってきたのでまず二ノ丸茶屋へ

二ノ丸茶屋にスタンプが設置されています

マスクメロンのソフトクリーム🍦

雨宿りがてら食堂を利用させてもらってたら映画が流れてる。竹中直人が出てたのでなんだろうと。榎木さりなさんという俳優が主演のおとめ桜という短編映画で小峰城にまつわる話

・おとめ桜

1629年丹羽長重によって改修された際、本丸の石垣の一部が何度も崩壊したため、石工の提案により人柱を立てることとなり、決められた日に一番最初に城に入って来た娘を人柱にする事と決まった。当日、作事奉行・和知半三郎(竹中直人)の娘の「おとめ」(榎木さりな)が父にお弁当を届けに最初に城に入って来ようとしたので、和知は手で合図して追い返そうとしたが、自分を呼び寄せていると思った娘はそのまま入って来ようとして藩士に追いかけられて捕まり人柱にされてしまったという伝説がある。

おとめが埋められた場所には桜の木が植えられ「おとめ桜」と呼ばれるようになったという。この桜は戊辰戦争により焼失したが、新たに桜が植えられ福島県白河市白河小峰城址に二代目の「おとめ桜」として現存している

人柱とは難工事の完成を祈り、人を生きたまま土に埋め神へ捧げる儀式、もちろん映画にそのような酷いシーンはなかったがつまりは生贄ってことですよね、大義の名のもとに、このような残酷な話がまかり通った時代。あくまで伝説なので真偽は不明ですがまるまる30分見入ってしまった。

小峰城行く人は是非鑑賞していただきたい

雨もあがり、入城(仮設階段を昇っていく)

仮設階段を上がったところは帯曲輪門跡。先に帯曲輪に行ってみます。

これも修復した石垣

わずかに江戸時代前後と思われる石垣が残る

矢之門から入城します

ここは捕まようとした藩士からおとめが逃げ走ったとこですね

三重櫓へ上がっていきます

桜之門は現在工事中の清水門から左側を入った場所にあり、本丸御殿の南側の入口にあたる門です

多門櫓跡からの景色、そう高くない

本丸御殿跡、藩主の居所。

おとめ桜の碑

撮り忘れてましたが隣に桜の木がありました

この桜は二代目で、初代は戊辰戦争の戦火で焼失しています、これ三重櫓の横にあるのですが春の見頃は桜とセットで映えるんだろうな

丹羽氏の後の白河藩ですが寛政の改革で知られる松平定信をはじめ、7家21代の大名が居城しましたが、1868年の戊辰戦争白河口の戦いで落城。約120年の時を経て、1991年に三重櫓、1994年に前御門が江戸時代の絵図に基づき忠実に木造で復元され、市のシンボルとして親しまれています

三重櫓

前御門

屋根瓦には歴代白河藩主の中で最長の約80年間、この地を治めた久松松平家の星梅鉢の紋が使用されています、この時期は(1740〜1820年頃)平和な時代でした

中は無料で撮影OKです

鉄砲狭間や左には石落としが見えます

当時、白河小峰城天守とは言わないけど(三重御櫓と言いながらも)それに匹敵する城郭を作ったんですね。しかし木造復元された城郭建築のうち、天守に相当する建物の復元では最初のもので、現在でも数少ない木造復元天守の1つであるということです

杉材は戊辰戦争の激戦地であった稲荷山から取ってきたもの。弾痕を残して通り柱や床板としています。生々しい。でも自由に触れることが出来ますから、人の指には油分があるので(指紋に油脂)たくさんの指で触られ続けた結果、変色や穴が大きくなってしまってると思います。京都の蛤御門なんかは特にそうでしょうね

急な階段も再現してます

城山公園も一望できます

天候回復と時間調整のためまた二ノ丸茶屋に寄り昼食に。白河だるまバーガーてのを実食、階段の上り下りのあとで空腹が満たされました(またおとめ桜見て今度は本編後のドキュメンタリー映像まで見てました)

・奥羽列藩同盟軍と新政府軍の東北戦争の火蓋が切られた白河口の戦い

戊辰戦争時、白河小峰城は、藩主(がやらかして棚倉へ転封)不在の幕府直轄領で二本松藩が代行で守備。一度は新選組斎藤一らが防衛して新政府軍を追い返します、さらに白河口の総督として会津藩家老・西郷頼母、仙台、棚倉、二本松藩の部隊も増援して白河に同盟軍の戦力を集中。兵力は、同盟軍約2,500人、新政府軍約700人になったと言われています。

白河は江戸や宇都宮に集結している新政府軍が会津へ進攻するための攻城必須の奥州街道の要。逆に同盟軍はなんとしてもここを突破させるわけにはいかないのです。

また同盟軍は奥州街道から白河城下に入る関門である稲荷山に陣を敷き(稲荷山は最も重要視した陣地でここを落とすわけにはいかないと、会津藩斎藤一などが守備にあたっていました)が、兵力で劣る新政府軍は、策を練り兵力を3隊に分け左右正面から進攻、同盟軍の退路を断つ形で包囲攻撃する作戦をとり正面から総攻撃と思わせる陽動作戦に出ました。

兵力が稲荷山に集中したことにより左右部隊が雷神山と立石山を占拠、新政府軍は稲荷山を包囲する形で新型の武器で銃撃を加え、さらに城下へと突入し白河小峰城を占拠しました。ここでの戦死者は700人にも上ると言われています。

同盟軍は戦力を増強してその後も白河小峰城を攻めますが撃退され撤退、また白河が落城したことにより、白河小峰城へ援軍していた二本松城棚倉城は兵力の薄いところをつかれ敗戦。これが悪化する戦況に出陣を余儀なくされた二本松少年隊・白虎隊の悲劇へとつながっていきます。

この緒戦の戦いで戊辰戦争の大勢は決して東北の戦局を決定づけました

戦国史がメインですが幕末史は避けては通れない城巡りでした。思えば常に戊辰戦争のエピソードに触れる旅で本来東京からならルート的には白河が一番最初に行くべきでしたね、しかしこうなると五稜郭も数年以内には行きたいですね。

帰りは西側出口の会津門跡から。右側は水堀になっています

阿武隈川が流れる白河橋を渡り、新白河駅へ歩きます(キセル清算しないとスイカが使えん!)

山形、福島の旅の城巡り、全8城巡りました!

白河小峰城

・スタンプ設置場所

白河小峰城(城山公園)内の二ノ丸茶屋レジ前

白河小峰城三重櫓

・交通アクセス

JR東北本線 白河駅から徒歩約5分