ブックレビュー『シェイクスピアの記憶』 (original) (raw)
収録作の三編は『バベルの図書館22 パラケルススの薔薇』(国書刊行会)で
既読だったが、本邦初訳の表題作のために購入・読了。
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一九八三年八月二十五日
深夜、宿泊するホテルに帰ったボルヘスはフロントで記帳を求められ、
首を傾げつつページに目を落とすと、真新しいインクの跡が自らの名を綴っていた。
宿の主は、よく似た別の客が既にいるが、あなたの方が若いようだと告げる……。
*
バベルの図書館『パラケルススの薔薇』での初読時より、
もっさり・まったりした印象を受け、同時に何故か内田百閒風に感じられた。
初めて読んだときは、
忘れっぽいドゥルイ氏が繰り返しフロントで自身の部屋番号を訊ねるという、
ブルトン『ナジャ』(1928年)終盤の挿話(白水uブックス,p.156-157)を
想起した。
それはともかく、訳者解説によると、本作の執筆は1970年代末。
作中の語り手ボルヘス(1899/08/24-1986/06/14)が
「きのうで六十一になった」(p.12)と述べているので、
彼にとっての日付は1960年8月25日のはず。
だが、年老いた分身は「君はきのうで、八十四になったことになる」(同)と
応じているので、
現実の作者(70代後半)が過去の自分と近い将来の末期(まつご)の自分の想像図を
対面させている格好。
魔術的。
青い虎
1904年末にガンジス川のデルタ地帯で青い虎が発見されたとのニュースを読んだ
〈私〉ことアレクサンダー・クレイギーは、更に、
そこから離れた村にも青い虎の噂があると聞いて旅立ち、
山に入って無数の小石を発見した。
石は分裂し、増えたり減ったり。
村人はそれを「子を産む石」と捉えて、無限に増殖する可能性を恐れていた――。
*
この世の理(ことわり)が通用しない、
言わば彼岸に存在する物質が我々の世界に顔を覗かせる恐怖は
「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」と共通するか。
訳者解説によると〈虎〉は、
芸術の象徴でありつつ現実の象徴でもあり、それゆえ宇宙が人間にとって整然たるコスモスではなく不条理なカオスであることを表すモチーフとなっている(p.136)
とか。
また、
村を抜け出して山の上で解放感を感じる論理学教師の姿に、〔政変を忌避して母国アルゼンチンから頻繁に国外へ旅した〕ボルヘスが重なってくるのだ(p.141)
とも。
パラケルススの薔薇
錬金術士パラケルススことテオフラストゥス・フォン・ホーエンハイム(1493-1541)
の許に弟子入り志願者がやって来たが……。
*
訳者解説によると、本作は
「トマス・ド・クインシーの語るパラケルススのエピソードに想を得ながらも」、
「人間には神の作った世界を変えることなどできない、
神の力に対して人間ができることはほんのわずかである、
という信念に基づいて錬金術を行う」由。
薔薇は灰になり、灰から蘇る。
シェイクスピアの記憶
英文学者ヘルマン・ゼルゲルは
シェイクスピア国際会議で知人に引き合わされたダニエル・ソープから
「シェイクスピアの記憶を差しあげましょう」と切り出された――。
*
シェイクスピアの記憶を授けられたとしても本人に成り切れるわけではなく、
しかも、自分自身の記憶が押し流されてしまうことに恐怖を覚える、という話。
作者ボルヘス自身の鏡像と思しい主人公たちの驚きが静かだけれども瑞々しい。
旅と記憶と〈読むこと〉〈書くこと〉を巡る佳品群。