俳祖宗鑑と俳跡一夜庵 (original) (raw)

近江国栗太郡志那村(後の常盤村、現草津市志那町)に生まれ、佐々木義清の裔で志那弥三郎範重と言い、幼少時より室町幕府9代将軍足利義尚に仕え(近習とも祐筆とも)、一休禅師とも親しくよく連れ立って志那に来たと伝えられている。義尚が鈎の陣で没した(延徳元年、1489年)後世の無常を感じ出家。摂津国尼崎または山城国薪村に隠棲し、その後淀川河畔の山城国摂津国?)山崎に庵「対月庵」を結び棲んで、「山崎宗鑑」と呼ばれた。

大永3年(1523年)ごろ山崎の地を去り、享禄元年(1528年)に讃岐国香川県観音寺市)の興昌寺に庵「一夜庵」を結びここで生涯を終えた。「一夜庵」の名は宗鑑が長居の客を厭い一夜以上の泊りを許さなかったからとも言われている。

宗鑑終焉の地「一夜庵伝」

☆天文22年(1553)10月2日宗鑑死去(享年89歳)

☆寛保3年(1742)一夜庵主百花坊(除風)による修復

★安永4年(1775)宗鑑200年忌

★昭和26年(1909)宗鑑400年忌法要、記念句会

★昭和57年(1940)生誕の草津市と終焉の観音寺市姉妹都市の縁組

☆昭和59年(1984)一夜庵保存会による全面解体修理(琵琶湖の葦で屋根葺替)

☆平成12年(2000)11月3日 一夜庵屋根葺替落成式

☆令和6年(2024)11月3日 〃 屋根の改修落成式の予定