山崎宗鑑とは アートの人気・最新記事を集めました - はてな (original) (raw)

山崎宗鑑

(

アート

)

やまざきそうかん

(寛正6年(1465年)? - 天文23年10月2日(1554年10月28日)?)
戦国時代の連歌師俳諧作者。近江国の出身とされるが、本名・出自については諸説ある。

このタグの解説についてこの解説文は、すでに終了したサービス「はてなキーワード」内で有志のユーザーが作成・編集した内容に基づいています。その正確性や網羅性をはてなが保証するものではありません。問題のある記述を発見した場合には、お問い合わせフォームよりご連絡ください。

関連ブログ

一朴洞日記1年前

イヌタデだろうか。紅とも赤紫とも断じがたい、珍しい花色だ。玄関前一帯に満開である。とはいえ人間の眼にはいっこうに目立たない。 今年は春と夏の草むしり時期が偶然効果的だったものか、地表がシダとドクダミとヤブガラシに覆い尽されてしまうということがない。ほかの小型野草にも頑張る余地がいくぶんか残されてある。これまで報われぬ孤軍奮闘を強いられてきた小声族が、控えめながらも声を上げている。 毎年この時期には咲いてきたのだろう。より長身で勢い旺盛な連中の葉陰に埋れてしまう宿命を甘受してきたのだったろう。やっと巡ってきたチャンスである。長らく機を窺って辛抱した甲斐があったというもんだ。 漢字では犬蓼だ。「蓼…

#イヌタデ#蓼#犬#新撰菟玖波集#新撰犬筑波集#山崎宗鑑

関連ブログ

norimoyoshiakiの日記1年前

俳諧中学からの友Yとの話し。 Y「なぁ、のりも。山崎宗鑑って知ってる?」 私「え?だれ?山崎努なら知ってるけど」 Y「ばか。映画俳優じゃないよ。室町時代の俳諧師だよ」 私「俳諧師?」 Y「ああ。この人が亡くなったのが今日なんだってさ。でな、テレビで言ってたんだけど、連歌の5・7・5・7・7から上の5・7・5をとって短歌としたのが俳諧っていうだろ。あの俳諧をいわば始めたのが、山崎宗鑑なんだってよ」 私「へぇぇぇ~知らなかった。どんな作品があんの?」 Y「あのさ、この人の短歌ってユーモアがあふれててさ、あるとき、貴族から、下の句『切りたくもあり切りたくもなし』っていう歌に合う上の句を3つ付けてみろって…

#山崎宗鑑#落語

剣持雅舟のブログ24日前

一夜庵改修記念式典(11/3)俳諧の祖、山崎宗鑑が讃岐の国興昌寺の境内に結んだ数奇屋造の庵で、日本最古の俳跡といわれている。 建立は、享禄元年(1528)でその後4回ほど修復されたが、ほぼ原形をとどめている数寄屋造りの庵。 「一夜庵」の名は、宗鑑が来客の一夜以上の滞在を許さなかったという次の歌に由来している。 上は立ち中は日ぐらし下は夜まで 一夜泊まりは下々の下の客

剣持雅舟のブログ1ヶ月前

日本最古の俳跡一夜庵~創庵より500年香川県観音寺市八幡町 臨済宗東福寺派 興昌寺境内 一夜庵~日本最古の俳跡 俳諧連歌師 山崎宗鑑が晩年を過ごし終焉の地とされる。 上は立ち中は日暮らし下は夜まで一夜泊りは下々の下の客(一夜庵の言われ) 宗鑑はどちへと人の問ふあらばちと用ありてあの世へと言へ(辞世) 20年毎に屋根の葺き替え、この度改修を終え、11月3日落成式 10月27日茶会

剣持雅舟のブログ1ヶ月前

俳祖宗鑑と俳跡一夜庵近江国栗太郡志那村(後の常盤村、現草津市志那町)に生まれ、佐々木義清の裔で志那弥三郎範重と言い、幼少時より室町幕府9代将軍足利義尚に仕え(近習とも祐筆とも)、一休禅師とも親しくよく連れ立って志那に来たと伝えられている。義尚が鈎の陣で没した(延徳元年、1489年)後世の無常を感じ出家。摂津国尼崎または山城国薪村に隠棲し、その後淀川河畔の山城国(摂津国?)山崎に庵「対月庵」を結び棲んで、「山崎宗鑑」と呼ばれた。 大永3年(1523年)ごろ山崎の地を去り、享禄元年(1528年)に讃岐国(香川県観音寺市)の興昌寺に庵「一夜庵」を結びここで生涯を終えた。「一夜庵」の名は宗鑑が長居の客を厭い一夜以上の泊り…

「だるころ」(だぁ~るまさんがこぉ~ろんだ♪)2ヶ月前

水無瀬神宮のライトアップ◆水無瀬神宮のライトアップ◆ ◆よく行く場所なのに◆ ◆いつもと違う◆ 今回も訪問して下さりありがとうございます。 今回は招待状を頂いたので、水無瀬神宮のライトアップを観に行きました。 えーと、写真の撮り方は下手くそですが写真を楽しんで下さるとうれしいです。言葉にしてもあまり伝わらない感じなので...。 ●神宮入口 少しライトで照らされてるだけで、雰囲気違いますねぇ〜。月に2回は必ず訪れてる場所です。 でも、こうやって招待されて水無瀬神宮へ行くのは初めてかもです。 ●門をくぐった景色 まだ、少し明るいですけどね。 暗くなるともっと綺麗だと思います。 ●夜の風鈴 約千個の風鈴がライトアップされた…

剣持雅舟のブログ5ヶ月前

宗鑑「橋姫」句碑の本歌貸し夜着の袖をや霜に橋姫御 宗鑑 興昌寺(観音寺市)に宗鑑自筆の短冊保存 この宗鑑俳句の本歌になる「片敷きの袖をや霜にかさぬらむ月に夜がるる宇治の橋姫」の短冊を所蔵している人が池田米太郎氏(引田町) 宗鑑の発句には本歌あり 編集 貸しの袖をや霜に橋姫御 宗鑑 俳祖山崎宗鑑は一夜庵(観音寺市興昌寺境内)が終焉の地 庵の前に宗鑑の直筆短冊(興昌寺蔵)の俳句を刻んだ句碑がある。 かし夜ぎの袖をや霜にはし姫御 宗鑑 この句の本歌は『新古今和歌集』の「橋上ノ霜といふことをよみ侍りける 法印幸清 片敷の袖をや霜に重ぬらむ月に夜がるゝ宇治の橋姫」である。(宗鑑直筆の極のある短冊を故池田米太郎氏所蔵)宗鑑がこ…

剣持雅舟のブログ5ヶ月前

宗鑑の一夜庵日本最古の俳跡「一夜庵」 最古の俳諧師「山崎宗鑑」の発句(俳句の始まり)

剣持雅舟のブログ5ヶ月前

宗鑑の一夜庵をご存じですか?日本最古の俳跡「一夜庵」は最古の俳人「山崎宗鑑」の終焉の地

剣持雅舟のブログ6ヶ月前

日本最古の俳跡、俳句ここは四国讃岐/香川県観音寺市興昌寺境内【一夜庵】俳祖山崎宗鑑終焉の地である。

剣持雅舟のブログ7ヶ月前

宗鑑代表10句山崎宗鑑(1465~1553)室町後期の連歌師・俳人。俳諧の祖。『新撰犬筑波集』の選者。 1 元朝の見る物にせん富士の山 2 筆ひぢてむすびし文字の吉書哉 3 満丸に出てもながき春日哉 4 にがにがしいつまであらしふきのたう 5 花の香をぬすみてはしる嵐かな 6 手をついて歌申(し)あぐる蛙(かはづ)かな 7 うづきゝてねぶとに鳴や郭公(ほととぎす) 8 月にえをさしたらばよき団(うちは)哉 9 七夕(たなばた)の夢のうきはしは烏鵲(うじゃく)かな 10 風寒し破れ障子の神無月(かみなづき)

剣持雅舟のブログ9ヶ月前

讃岐「千年の和歌、五百年の俳諧」柿本人麻呂が『万葉集』で「玉藻よし讃岐の国は⋯」の和歌を遺しくれていますし、 山崎宗鑑が『犬菟玖波集』で俳諧連歌を遺してくれています。

剣持雅舟のブログ9ヶ月前

観音寺市の琴弾山・興昌寺山観音寺(かんおんじ)と言えば市名、観音寺(かんのんじ)と言えば寺名69番札所 観音寺市は人口57205人(令和5年12月現在)、興昌寺と言えば俳祖山崎宗鑑の終焉の地【一夜庵】がある。市指定の文化財。室町末期の創設で、500年の歴史がある。現在、茅葺屋根の葺き替え途中(ご寄付受付け中) 1月8日から仕事始め再開、4月完成予定。

剣持雅舟のブログ10ヶ月前

犬・猫 語録無駄死に野垂れ死に「犬死に」【戦没者は英霊か犬死か】=教え子の卒論テーマ 本当の蓼に似た「犬蓼」 菟玖波集をまねた山崎宗鑑編『犬菟玖波集』 かわいい青色のオチンチ花「犬ふぐり」 手で水を掻く泳ぎ「犬掻き」 犬の出入り口「犬潜り」 人間性のない人を罵って「犬畜生」 犬の形をした張り子のおもちゃ「犬張り子」 相性の悪い「犬猿の仲」 机の脚が内向きの「猫足」 小さな荷車または手押しの一輪車「猫車」 極めて狭い土地「猫の額」ほど 熱いのが苦手な「猫舌」 多忙を極めて「猫の手も借りたい」 誰でも彼でも「猫も杓子も」最近の子は知らない 表面はおとなしそうにする「猫被り」 殺鼠剤「猫要らず」鼠を捕らない最近…

剣持雅舟のブログ10ヶ月前

「一夜庵」日本最古の俳跡 修復中クラウドファンディング受付終り、不足分を個人的に平身低頭お願い中 室町末期に創建以来500年が経つ俳諧の始祖、山崎宗鑑の終焉の地、香川県観音寺市 貴重なる伝統文化財保護に対する認識を新たに深めてくれることを念じて止みません。

剣持雅舟のブログ10ヶ月前

二十年経つとこんなになる茅葺屋根日本最古の俳跡「一夜庵」俳諧連歌師・山崎宗鑑終焉の地、香川県観音寺市興昌寺境内 琵琶湖の葦で葺いた茅葺屋根の「一夜庵」葺き替え、本日より始まる⋯

剣持雅舟のブログ1年前

観中琴弾学習(作句を楽しむ)12月1日午前中 ふるさと学習の予定 1 琴弾八幡宮 一の鳥居前 琴弾公園内の史跡 2 木の鳥居 石段途中 源義経が戦勝祈願で奉納 3 琴弾山頂 歌碑 堀野林治 燧灘波路の末の雲晴れて伊予の高根に降れる見ゆ 4 興昌寺山 禅宗 東福寺派 興昌寺 5 一夜庵 俳祖 山崎宗鑑 終焉の地 俳諧(俳句)の始まり 6 俳句作り 三句作って一句選んでもらい、短冊に書く。後ほど校内作品展 〇どんぐりがかくれんぼして落葉ふむ ◎観中へ寒中見舞いユリカモメ ●小春日や一期一会の一夜庵