『ストレンジ・ウェイ・オブ・ライフ』 (original) (raw)

『ストレンジ・ウェイ・オブ・ライフ』 (Extrana forma de vida) [2023年スペイン・アメリカ]

1910年。若き日にともに雇われガンマンとして働いていた旧友の保安官ジェイクを訪ねるため、シルバは馬に乗って砂漠を横断する。メキシコ出身のシルバはしっかり者で感情的、つかみどころがないが温かい心の持ち主だ。一方、アメリカ出身のジェイクは厳格な性格をしており、冷淡で不可解で、シルバとは正反対だった。出会ってから25年が経つ2人は酒を酌み交わし、再会を祝い愛し合う。しかし翌朝、ジェイクは前日とは打って変わり、シルバがここへ来た本当の目的を探ろうとする。監督&脚本はペドロ・アルモドバル。出演はペドロ・パスカル(シルバ)、イーサン・ホーク(ジェイク)ほか。

ペドロ・アルモドバル版『ブロークバック・マウンテン』らしいが、おそらく私とペドロ・アルモドバル監督は『ブロークバック・マウンテン』についての解釈が同じだなと思った。『ブロークバック・マウンテン』は時代の変化に適応できずに生きていくことができない(子供に戻りたい)カウボーイ2人がイノセンスさの象徴である山で過ごすという、失われた男らしさやカウボーイ幻想を描いていると思う(そもそも『ブロークバック・マウンテン』が公開していた年はアメリカは戦争していた)。イニスもジャックも女性たちから真実を告げられても反論できていなかったし。

また『ブロークバック・マウンテン』を監督したアン・リーアメリカ人ではないのだが、そのアメリカ人ではない監督がアメリカの象徴であるカウボーイを通して2006年の幼いアメリカを描いていた、という側面がすごく重要だと今は理解されるべきだと思う。『ストレンジ・ウェイ・オブ・ライフ』の中でも、ワインを男女5人組で飲むシーンで、そこにいる男性2人の幼さを女性たちが嘲笑っていた。カウボーイはどこまで行ってもボーイなのだ。ペドロ・アルモドバルのスペイン人で、アメリカを外から見て、カウボーイはどこまでいっても所詮はボーイだと思っているのだろう。

アン・リーが『ブロークバック・マウンテン』の中で描くカウボーイは消えていく文化の存在として描かれていたけど、ペドロ・アルモドバルが『ストレンジ・ウェイ・オブ・ライフ』の中で描くカウボーイの文化はしっかり生きていているんだよね。時代が違うのもあるけど(『ブロークバック・マウンテン』は1960~80年代、『ストレンジ・ウェイ・オブ・ライフ』は1910年代)、西部劇やカウボーイへの捉え方が2人は全然違う(『ブロークバック・マウンテン』がアカデミー作品賞を逃したのは、クィアなカウボーイを描いたこともあるかもしれないけど、カウボーイや西部劇を終わっていくものとして描いたのも要因として大きいと思うな)。

ただラストは傷ついても、愛と優しさを持っていれば良き相棒として2人でやっていけるという、"死"を描かずにシルバとジェイクに幸福(?)が訪れるであろうと想像させる終わりを迎える。そもそも短編なので、すぐ終わってしまうが、スリリリングな演出や緊迫あるスコアは素晴らしい。いつもの通り美的センスは相変わらずだし、衣装も可愛い。全体的に洗練されていてモダンな西部劇だ。ペドロ・アルモドバルの西部劇への愛情を随所に感じる映画であった。