三男日記 (original) (raw)

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美味しい飲食店を巡るのが好きです。

「飲食店」の奥深さを知ったのは、社会人2年目、大阪に住んでいた時。

会社の先輩に連れて行ってもらったとあるワインバー。

ナチュラルワインのお店。

とても美味しくて、その味が忘れられなくて、

数週間後、自分ひとりで、勇気を出して再訪してみた。

もちろん美味しかった。

でも、ふと気づいた。

先輩と一緒に行ったときに出してもらったようなワインではないことに。

しかも、隣の人に出している美味しそうなワインが、僕のところには出てこないことに。

「店が人を選んでいる」ということを社会人になって、はじめて気づいた瞬間だった。

それまでは、どの店も、お金さえ払えば同じものを出してくれるものだと思っていた。何なら、メニューにすべて載っているものだと思っていた。

でも、違った。

オーナーは、客をきちんと見ていたのだ。

飲食店の空間の中で1番ワインが好きなのは、オーナーなのだ。

自分が好きなワインを、良さがわかる人に出したいし、逆に良さがわからない人には普通のワインを出しておきたい(それで相手が満足しているなら)なんて思うのは、当たり前だ。しかも数も少ないナチュラルワインなのだ。

いいワインを、その良さがわかる“いい客”に出したい、という当然の道理に、その時ようやく気付いた。

それ以来、僕はオーナーに認めてもらいたくて、何度もその店に通った。ナチュラルワインの良さを知りたい一心で、ボトルも何本も買った。色んなワインを教えてもらった。

通い始めて(といっても毎日通えるほどお金はなかったけど)、1年くらい経ったとき。

ふと入れてもらったワインが、いつにも増してめちゃくちゃ美味しかった。その時、ふと隣に来た一見さんのお客さんには、全く違うワインを出していた。そのお客さんはすでに酔っぱらっていて、あまりワインの味はわからなそうな状態だった。オーナーは、その人には僕のワインは決して出さなかった。

その時、オーナーから初めて電話番号を聞かれた。

「安くもないワインを、若いのに、自分のお金で通ってくれて、すごくうれしい。ナチュラルワインのボランティアとかあるし、これから声かけさせてもらってもいいかな。」

心の中ではガッツポーズをしながら、興奮を抑えて冷静に「はい、ぜひ」と答えた。好きなお店に認められた気がして、すごくうれしかった。

(結局、そこから転職などを挟み、結局ボランティアはご一緒できなかったのだけれど、、、さらに東京に来てしまったので、なかなかその店に顔を出せなくなってしまった。大阪に行ったときは必ず訪れるようにしている)

そんな経験が、自分の飲食店観を形成している。飲食店に行くことは、自分の感性を試されているような気がして、いつも真剣勝負だと思っている。

まさに客と店のコミュニケーション。

客も店を選んでいるのと同時に、店も客を選んでいる。

金沢に行ったとき、寿司屋の大将が、とある日本酒を出してくれた。「あまり手に入らないんですよね~」と笑いながら、

「でもお客さんが日本酒好きだって言って、美味しそうに楽しんでくれるから、お客さんにはこの酒出そうと思って」と言って出してくれた。

僕に大事な日本酒を預けてくれた。

とてもうれしかったし、とても美味しかった。

「どんなものを食べさせてくれるのか」と客が飲食店を試しているのと同様、

「こいつはどんな風に食べるのか」と客も飲食店に試されている。

「飲食店で食事をする」ということは、ある種コミュニケーションの最高峰だと思っている。その店で何を、どう嗜み、どうふるまうか。すべてが試されているような気がする。

まさにこの記事にも似たようなことが書いてあった。

飲食店で目指す理想の接客サービスとは?京大経営学教授に聞いてみた - おなじみ丨近くの店から、なじみの店へ。 (onaji.me)

接客サービスの本質は「闘争」であり、お互いがお互いを認めてもらうように”闘っている”ということ。ちょっと話がそれるけど、この記事にあるように、下手で来るお店より、好きだからやってるのだ文句あるのか?的なお店に魅力を感じやすいのは、客も自らの価値承認を求めているから、ということには一理あるような気がする。

自分はまだまだ全然だけど、

いいものを出してもらえる客になれるように、自分なりの旅を続けたい。

もちろん人生は食事だけじゃないけれど、「美味しい飲食店」を知っている人はやっぱりかっこいいと思う。

そんな人に、自分もなりたい。

【今月の5本】

①生まれ育った家庭の不平等さ

生まれ育った環境で人生が変わってしまう。できる限り、そういう変数は少なくし、誰でも選択肢を持てるような社会ににする必要がある。

note

生活保護世帯から東大で博士号を取るまで⑧

https://note.com/rshimada/n/n6db3b8ffb5a1

→痛烈な体験談。当たり前と思っている環境を享受することに、生まれによる格差が大きい現実。それを正していけたらなぁ。

>

私さえいなければ、ここまで述べたような問題は何一つ起こらなかったし、そのせいで人に迷惑をかけることもありませんでした。

だから私が前に進むには強力な理由が必要でした。
その理由の一つとして、「もし自分が数学の天才だったとしたら、その才能がここで消えてしまうのは人類に対しての罪である」と思い込むことにしました。

誰も彼もに「迷惑」をかけてしまった以上、私は常に自分の才能を証明する必要に迫られてきました。
特に敬意も払われていない状況で、この精神的負荷に耐え続けるのが一番難しいことでした。

でも本当は進学するのにこんな理由なんて必要ないはずなんです。
みんな平等に、夢を実現する機会が与えられていなければならないはずです。

東洋経済オンライン

山上容疑者を凶行に駆り立てた一族の「壮絶歴史」

https://toyokeizai.net/articles/-/616833?display=b

→凄まじい過去。。。安倍総理を撃たなければ、こうした宗教二世の問題はフォーカスされなかった。安倍総理暗殺は、行政やメディアの不作為が生んだ事件でもあると思う。

②アンコンシャスバイアス

無意識に、自分の色眼鏡で世界を見がち。少数の人でも弱者にならず、楽しめる社会に。

note

この写真を見て、何か気づいたことはありますか? https://note.com/h_ototake/n/na0241f0c6f3e

→つくる側の目線で、きちんと使う人のことを想像する大事さ。

>

私自身、じつは敦賀の出身なんです。だから、この気比神宮にも何度も訪れているし、この鳥居の前も何度も通っています。なのに恥ずかしながら、そのことには一度も気づきませんでした

障害者に寄り添う観光を 合理的な配慮、民間も義務に:日本経済新聞

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO80402310R00C24A5L83000/

→こういうビジネスの方向性。世の中のニーズを丁寧に拾い切る。

③捨てる戦略

やらないことを決めること、が1番大事。

note

なぜ、最悪の業績なのに年商の20%にもあたる1億円の売上を手放してまで楽天市場から退店するのか

https://note.com/t_washio/n/n46ed6f71ef46

→戦略のお手本のような話。成功するかどうかはわからないけれど、こんなに思いの強い経営者だったらきっと成功するはず。「冬が楽しみになる」のコンセプトは素晴らしい。戦略の基本は、やらないことを決めること、ということを実感させられる。

近鉄、本店以外「百貨店」やめます 日常使いの店舗に:日本経済新聞

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO79908180Z00C24A4TB1000/

→時代の転換点。百貨店という名前だと客を呼び込めないということか。

④生きざま

「生きざま」で勝負するということ。「そうだ、京都行こう」キャンペーンは、京都という街の生きざまを紡ぐ物語。

note

【驚愕】経歴・学歴・経験一切不要の編集部が15年以上も人気の理由

https://d-jedi.jp/n/n2aa96e53921d

→確かに、ロケットニュースはめちゃくちゃ面白い。生き様で勝負、かー。

>

キャリアに関しては、人それぞれ立場や生き方はあると思いますが、ウチは「生き様」で勝負しています。

やり続けたら他のところから声かけられるような、そんな仕事をしてほしいです。無駄な打席は1つもないという気持ちでバッターボックスに立って欲しい。ホームラン打とうが三振しようが、全力で振り切って欲しい。

その積み重ねが、生き様になると思っています。

note

そうだ、と始めたら 30年がたっていた。(コピーライター 太田恵美)|『「そうだ 京都、行こう。」の30年』より

https://note.com/honno_hitotoki/n/n20fb1d46ad81

→そうだ京都、行こうキャンペーンは、日本の歴史を変えたと思う。それほど素晴らしいキャンペーン。

>

この町の過去を、なんのために使おうか

⑤何この発表

夫婦同姓への逆PRだったらすごい面白い。佐藤さんになってしまう恐怖。笑

時事

500年後は全員「佐藤さん」? 夫婦同姓続いた場合―人口は28万人・東北大試算

https://www.jiji.com/sp/article?k=2024041000127&g=soc

→これはまさに意図してない気もするが、PR。夫婦同姓のおそろしさがわかる。

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好きな映画は何、と聞かれると困る自分がいる。

好きな映画を聞かれる際は、聞かれる誰もが思うことだと思うが、言ってクールに見える映画を言いたい。

(雑誌のおすすめ映画特集に王道の映画はきっと出てこなくて、ちょっとコアな、マイナーな、知る人ぞ知る映画ばかりが出てくるのは、そういうことだ)

でも、そういった邪念を措いておいて、

「好きな映画」を「何度も見てしまう、セリフを覚えてしまうくらいハマった映画」だとするならば、僕の中の1番好きな映画は間違いなく、

踊る大捜査線 the movie 2 レインボーブリッジを封鎖せよ」だ。

踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ! : 作品情報 - 映画.com (eiga.com)

世代としては僕世代ドンピシャじゃないのだが、年の離れた兄の影響で踊る大捜査線のドラマを見はじめ、そのままズブズブはまっていった。

警察ドラマとして、いわゆる探偵ドラマのように、主役が見事に鮮やかに事件解決がする、という点では、**踊る大捜査線は全くそんなドラマではない。**

刑事が出てくるのに、このドラマは警察ドラマなんかではなく、サラリーマンドラマだと思っている。

事件を解決するとか、人がギリギリで助かるとか、そういうことにワクワクするよりもむしろ、人間関係の中で何が起こって、どう解決されるのか、という組織プロセスこそが、踊る大捜査線の真骨頂だ。

本庁・キャリア官僚(警視庁)と所轄(湾岸警察署)の間の上下関係はさることながら、

それぞれの、本庁内・所轄内での利害対立も描かれるなど、登場する誰もがそれぞれの「間」に挟まれていて、何事もまっすぐ、やりたいことを突き詰めきれないサラリーマンの難しさが十二分に描かれている。

主人公の青島(織田裕二)や、室井さん(柳葉敏郎)など、

みんな「正しいと思ったことをやりたい」という強い信念はあるのだけれど、

でも、組織の利害などが絡み合ってうまくいかないもどかしさ。

「レインボーブリッジ」で有名なセリフは、犯人確保のためにレインボーブリッジを封鎖しようとした青島が発した、「レインボーブリッジ、封鎖できません」だと思うが、

普通、「○○ができない」ことが名言となる警察ドラマはないと思う。笑

あれほど、theサラリーマン社会たる日本をシンボリックに描いた作品はないのではないか。

「レインボーブリッジ」のコンセプトは、組織の在り方、が1つの主題になっており、通常のマネジメントでうまく封鎖できなかったレインボーブリッジが、室井さんの的確なマネジメントにより「レインボーブリッジを封鎖」できて最終的に犯人を確保する、という単純に快活なストーリーラインであることはさることながら、

その周縁において、「レインボーブリッジの封鎖」をめぐって繰り広げられる中間管理職の悲哀を描いた人間模様が、めちゃくちゃ面白い。

とはいえ世間にはこの映画がリアリティに欠けていると批判するコメントも多々みられるものの、映画とはそもそもフィクションであり、コアにある伝えたいことの側縁部分に若干のお化粧がされていても、それはそれでご愛敬、だと思っている。

(そういう意味だと、実際は、やろうと思ったら簡単にレインボーブリッジは封鎖できちゃうらしい。けど、まあ封鎖できない、っていう発想にも全然納得感はあるので、そこまでリアリティに欠けている、というわけでもないような気もする。)

そんな踊る大捜査線の続編が、今度始まるらしい。

“踊るプロジェクト”映画最新作『室井慎次』公式サイト (odoru.com)

中間管理職で苦しみ続けた室井さんが、最後どういう人生を送ったのか、という室井さんが主役のスピンオフ映画らしい。

「現場を良くする」という信念を掲げ、警視庁・警察庁で出世の街道を上り続けるキャリア官僚たる室井さんが、偉くなった結果、何を成し遂げられて、何に苦しんだのか。

「中間管理職ドラマのフィナーレ」とは、若干矛盾した表現だと思うが、フィナーレがどう描かれるのか、今年秋の公開を楽しみにしたい。

踊る大捜査線なんて古いドラマ、自分の周りであんまり見ている人いないから、ひっそりと楽しむことにしようかな。。。)

【今月の5本】

① 本屋と銭湯

オールドな2つが、今の時代にこそ価値がある存在に。そもそも、紙とお湯というもの自体に、物性としてエモさがある。

プレジデント

「書店で本を売る」という仕事は続けられるのか…42歳で独立した男性が選んだ「本まみれの生活」のリアル

https://president.jp/articles/-/79695?page=1

→本屋は、本を媒介にしたメディアに。

>

時に耐えるような本というか、その場限りで1年後には忘れられてしまうようなものではなく、5年10年経っても読むに堪えるような本こそが読む人の滋養になっていくのではないでしょうか。その人が今泣きたいからこの本を読んで泣きました、終わり、というのではなく、その人の性質のある部分を形づくっていくような、そのときには気づかないかもしれないけれどもその人に沁み渡っていく、そういった本が根っこのある本だと思います

note

拝啓 小杉湯のお客さまへ

https://note.com/kosugiyu/n/n0e8d4afc582c

→気持ちがいい文章。想いがこもっている。。。気持ちのいいお風呂を沸かす、ということの価値。

>

茶店、映画館、本屋、銭湯。そんな誰かの生活の支えになっている場所は、いまでも誰かに求められ、愛されている。だけど、実際そういった場所をいつまでも続けることは簡単ではない。自分たちが必要だと”思っている”だけでは、足りないのかもしれない。銭湯の価値を世の中に伝えていかないと、皆さまが好きでいてくださる小杉湯を、続けられないのかもしれないと思ったんです。

②誰も取り残されない社会

逆転可能性を考慮した社会こそ大事だなと改めて実感。自分が弱い立場になる可能性を常に頭に入れる。

anond

「どんな人でも生きていていい」が世の中を明るくするって知らないの?

https://anond.hatelabo.jp/20240309171028

→"弱い"人に優しい社会。それはほんとだなぁ。誰も取り残されない感覚。

③女子アナという構造

「女子アナ」は、お互いウィンウィンの構造。テレビ局も、アナウンサーに目立ってもらった方がテレビ局の宣伝になる。そして辞めて貰えば、テレビ局としても次の若い女性を採用する余地ができる。興味深い。

プレジデントオンライン

20代では「テレビ局の顔」だが、30代では「お払い箱」…キー局女性アナの大量離職が続くテレビ局の構造的欠陥

https://president.jp/articles/-/79716?page=1

→女子アナ論。面白い。テレビ局の広告塔として若いうちはチヤホヤされるが、厳しい時間管理もありなかなか自分に時間は使えない。アナウンサーを目指してきた人生に、30〜40代になると転機が訪れ、キャリアチェンジを迫られる可能性も出てくる不安定な仕事。そして常に周囲から注目される。テレビ局としても、30〜40代の女子アナに辞められても、次から次へと入社してくるわけだから、そんなに気にしていない、、、?毎年アナウンサーを採用し、新たな広告塔をつくり、話題を作り続ける仕組みが女子アナ。これはうまくできている仕組みでは。

無知の知

ちゃんと謙虚になること。それが大事。

月刊ショータ

「ワタシは差別をしない」という人間こそ、私は軽蔑する

https://monthly-shota.hatenablog.com/entry/2024/03/13/192558

→差別をしている、という自覚から全ては出発するということ。正欲で描かれていることと同じだなぁ。

⑤「現場を知っている」というマジックワード

「現場」の解像度を上げる重要性。

中原研究室

「現場を知っていること」は本当に「良いこと」なのか!?:「おまえは現場をわかっていない」というフィードバックが、相手に1ミリも刺さらない理由!?

http://www.nakahara-lab.net/blog/archive/15604

→「現場を知らない」は確かにマジックワードだ。。。解像度が低いということを実感。。。

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映画・ドラマを見る、ということは、「他人の人生を追体験すること」と思う。

「こういう人生があったらいいな。」という憧れに近い追体験もあれば、

「人生ってこうだよな、結局。」という共感に近い追体験もある。

人に勧められて今さらやっと見た「獣になれない私たち」(けもなれ、2022)は、後者のドラマとして、めちゃめちゃ心に響いてきた。

www.ntv.co.jp

このドラマを一言で言うと、【業の肯定】

「落語とは、人間の業の肯定である」(=人間とは所詮どうしようもないものなのだ)とは、立川談志の言葉だが、このドラマこそ、まさにその形容がドンピシャではまるドラマだと思った。

このドラマでは、至るシーンで、「大人」が甘くない現実を突きつけてくる

・お互いの本意がうまく伝わらない、もどかしい人間関係

・「恋」じゃなくて、「愛」って何なのか / 結婚ってどういうことなのか

・辞めたくてもやめられない上司との関係。不正経理を受けざるを得ない現実

それらはすべて、視聴者にずしんと重くのしかかってくるものではなく、

あたかも、それらが自分という人間を美味しくさせてくれるスパイスのように、じわりじわりと心にしみこんでくるのだ。

こういうことって、あるよなあ、、、わかるわかる、と。

しかもこのドラマは、1話から10話まで、驚くほど進まない

やっと最終話で、現実が動き出す。

それも少しだけ。

登場人物みんな、結局大してうまくいっていないし、なんなら一歩進んで二歩下がったような気分。

でも、人生って、こういうことなんだよなあ、結局。

大人の甘くない現実と、それでも前を向いて生きることの大事さをそれとなく教えてくれる、素晴らしいドラマでした。

何より、そうしたドラマのテーマに、「ビール」がぴったりはまるのだ。

物性としても苦いビールは、まさに「大人の現実の象徴」。ドラマで出てくるビールは、主にクラフトビールなのだが、それらはどれも個性があって、その個性(味)には理由がある。まさに、人間が一人一人違って、それぞれがそれぞれのバックグラウンドを抱えて過ごしている「社会の象徴」。

最後に出てくる熟成ビールは、まさにドラマを通じて“熟成”された「登場人物たちの象徴」。

なんと美しいストーリー。笑

(余談)

昔、ポカリスウェットのイオンウォーターのCMで、「甘くない、引きずらない、もう、青くない。」というコピーがあったけど、それに近いかな。イオンウォーターの甘くない物性と、大人の現実がバチンと合致して、面白いCMだった。

kyodonewsprwire.jp

けもなれの登場人物誰もが、全員「業」を抱えていて、理想はあるけれどみんなもがいててなかなかうまくいかない。それぞれがいい感じに全体のピースにはまり、誰一人、無駄なピースがいない。みんな好きだなあ。

最近見た、役所広司の「パーフェクトデイズ」は共感性の極致のような映画だったけど、けもなれも、こういう世界があったらいいなあと心から思わせてくれる、素敵なドラマでした。

(こういうドラマは、無理に続編もなく、個人個人にいい感じの余韻が残って終わるのがまたちょうどいいんだよなあ。)

サブスクサービスに入ればいつでもどこでも映画・ドラマが見られ、また漫画も見られるようになった。なんならお金を払わずとも、YouTubeで無料であらゆる動画がみられてしまう。

次から次へと新しいコンテンツ、それも魅力的なコンテンツが登場し、次はこれを見たい、というコンテンツが「マイリスト」にどんどんたまっていく。

多くの人が、「積ん読」ならぬ「積ん見」のコンテンツを恒常的に抱えている。

そうした状況は、コンテンツと生活者の関係の間に、大きく「2つの変化」をもたらしたと考えている。

「コンテンツの共通体験がない時代へ~コンテンツたこつぼ社会~」

僕が小さいころ(小学生くらい)の時は、めちゃイケやはねトビが全盛期で、今でも同世代の人と話すと、「あの頃何のテレビ見てた?」と、コンテンツがお互いの共通体験となり、世代を物語る1要素になっていたと思う。

とはいえ、それが100%良いことだった、というわけではない。テレビしかメディアが存在しなかったため、バラエティが好きではない人、スポーツが好きではない人も、それぞれ同じような番組を見ざるを得なかった、というだけであり、望もうが望ままいが、勝手に「コンテンツの共通体験」ができざるを得ない状況であったといえる。(親がバラエティ好きだったからテレビのチャンネルがバラエティになっていた、みたいな)

しかし、今は違う。

いつでもどこでも何のコンテンツも自由に選べる時代になった結果、世代ごとに、「ああ、あのコンテンツ良かったですよね」という共通体験が、もはやない。

例えば、今の時代、ネットフリックスで最新作がオンエアされたとしても、それをいつ見るかは、1人1人の優先度(≒積ん見リスト)に依存するのであり、一気見もできてしまうことから、そのコンテンツがいつの時代なのか、という“世代性”と結びつきづらくなっているように思う。

その結果、コンテンツが各個人の領域で“フィルターバブル”するようになり、社会全体として、コンテンツで共通の会話が成立しづらい時代になった。

アニメ好きは無限にあふれるアニメコンテンツを深堀できるし、

韓国ドラマ好きは韓国ドラマを無限に深堀できる。

お互いがお互いの知らない、それぞれが好きなコンテンツを楽しんでいる、「コンテンツたこつぼ社会」である。

つまるところ、自分と同じつぼのコンテンツは見るが、違うつぼのコンテンツには触れない(触れなくても生きていける)ような、そんな時代になった。

②「コンテンツの自由化による“コンテンツ地獄”へ」

コンテンツを自由にみられることになり、コンテンツがたこつぼ化したことで、世の中に“コンテンツレコメンド”が増殖することになった。なぜなら、それぞれのたこつぼで、それぞれの人が自分にとっていいコンテンツをお勧めするため、無数のレコメンドが発生しているからである。

自由にどんなコンテンツも見られる、という、誰にとっても理想的な世界になったと思いきや、「次はこのコンテンツを見なきゃ」とどんどんコンテンツの「積ん見リスト」に追い込まれていく。

色んなコンテンツを知れば知るほど、コンテンツに充てられる可処分時間がコンテンツに追い付かず、「コンテンツの海に溺れている」状況に。

コンテンツを見る主語が、自分じゃない感覚。

もはや主体的にコンテンツを選べていない。

コンテンツが、もはや自分の領域を飛び越えたアンコントローラブルな存在になっていて、見られる対象だったコンテンツに、主語が移りつつある・・・?

(そういう意味だと、いつでもなんでもしていい、という自由は、みんなが幸せになるように見えて、そういうことを招かない側面もあるのだなと感じる。TSUTAYAでDVDを借りないと映画を見られなかった時代の方が、コンテンツを主体的に選ぶことができていたように思う)

=====

という、とりとめのない所感になってしまったが、、、

①②のような時代を幸せに生き抜くには、しっかり「コンテンツの好みの軸」を持っておくことが大事だと思う。

自分は何が好きで、何が好きじゃないか。

何を見た方がよくて、何を見なくてもいいか。

それも、ジャンルではなく、なんのどんな物語に惹かれるのか、という内容ベースの軸。

そういう意味で、「コンテンツとの付き合い方」はしっかりと自分で確固たる軸として持っておかないと、コンテンツの海で溺れてしまい、コンテンツに振り回されてしまうような、そんな時代になってきているのではないかと最近感じている。

コンテンツと向き合うのも大変だなあ。。。

【今月の5本】

①受けて立つリベラル

どんな問題であっても、想像力を持ち、冷静に考える。人権擁護側のリベラル側に立とうとすればするほど、偏見に流されず、"受けて立つ"意識が必要。

note

(右翼さん以外のための)『川口市クルド人問題』まとめ

https://note.com/keizokuramoto/n/n98f5a4a33c04

→置かれている人の立場を想像し、冷静に議論をし、現実的な落とし所を探ること。受けて立つリベラル。倉本さんのnoteは、外苑再開発の際も見たが、すごく勉強になる。

>

欧州の極右政権が問題になったり、米国のバイデン政権ですら何らか国境線をフルオープンにはできない事情が明らかになってくる中で、現実的な対処をすること自体を否定していてはいけないのだ、という風潮がリベラル側にも出てきている

②人手不足の国家総動員体制

労働参加率が限界を迎えている中、女性と高齢者をどう参画させるか、という観点。働くモチベーションを確保しつつ、柔軟な働き方を認めていく必要。働きたくなる仕組みが大事。賃上げに加え、 しっかりと生産性を向上させる投資が不可欠。

USJの来園増、シニア人材が鍵 200人採用計画:日本経済新聞

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO78562200W4A210C2TB0000/

→元気なシニアが増えるにつれ、こういう事例は多くなりそう。これぞ、国家総動員

バイト時給、1月3.3%上昇:日本経済新聞

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO78511660V10C24A2QM8000/

→面白い。人手不足に伴い、業務の細分化が始まっているという見方。

〈物価を考える〉好循環の胎動(1)人手不足で上がる価格:日本経済新聞

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO78410060S4A210C2MM8000/

→農村の余剰労働力が工業労働者に吸収される限界が来るルイスの転換点が、女性と高齢者バージョンになってやってきている、との見方。

【経済教室】賃上げの持続性(下) 労働市場の流動化こそ王道:日本経済新聞

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO78180240S4A200C2KE8000/

労働市場の硬直性(勤続年数)と賃金の伸びの逆相関。勤続年数が長いほど賃金は低い。日本の問題は、大企業が安く若者人材を買いたたき、高齢人材を生産性に見合わない給料で維持していること。もっと流動的な労働市場へ。

【大機小機】賃金・物価高の「悪循環」避けよ:日本経済新聞

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO78668480R20C24A2EN8000/

労働生産性が上がらぬまま、賃金への分配率を不相応に上げ、結果として販売価格の増加という形の賃上げは、賃金と物価高の悪循環を招きかねないとの見方。研究開発投資を増やし、そもそもの収益を増やしていくことが重要、との指摘。

【経済教室】生産性停滞 要因と対策(下) 地方の研究開発力底上げを:日本経済新聞

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO78651720R20C24A2KE8000/

→国内でも倍近くの生産性の格差が。特にサービス業で差が生まれているとのこと。創造性を担う人材を地方に増やすため、研究開発において地方にもっと投資すべき、との指摘。とはいえ、単に研究設備だけではなく、住環境や教育など、丸ごと整備する必要がある。なるほど。そりゃそうだ。

ブルームバーグ

米国で再び「大引退時代」の到来、株高の追い風が高齢層の資産を潤す

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2024-02-09/S8LQ1KDWX2PS00

→株高による資産増や、コロナ禍での自由な働き方からの揺り戻しにより、予想を超えて退職の波。

③分けるをやめる

イノベーションを阻害していた意味のない分類をやめていくべき。中堅企業、については、そもそも中小企業への優遇をやめた方がいいと思うが、過渡期としてやむをえないか。

「中堅企業」育み地方賃上げ:日本経済新聞

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO78447680U4A210C2EP0000/

成長につなげられるか:日本経済新聞

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO78447730U4A210C2EP0000/

→どこで区切るか、という話である一方、そもそもこういった区分が必要なのか、という観点。過度な中小企業保護策が日本を停滞させたという気もする。

【Deep Insight】「理系か文系か」やめませんか:日本経済新聞

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO78586020Z10C24A2TCR000/

→おっしゃる通り。欧米に追いつけ追い越せで始まった帝国大学においては、実学を中心に学ばざるを得ず、官吏養成の法学部と、技術者養成の工学部が生まれ、1918年の第二次高等学校令で明確に分けられた。その流れが今も続いており、子どもの頃から、今に至るまで、日本人の志向に大きな枷をはめているといえる。

④インドが不衛生な理由

めちゃくちゃ面白かった。下請け文化が背景にあるのか。

note

インドでおなかを守る極意と、インド的「下請け文化」の考察-①

https://note.com/indiamugicha_123/n/n959f30fbc46e

→めちゃくちゃ面白く読んだ。なるほど、下請け文化が背景にあるのか。

⑤日常を描いて、見る人を揺さぶる

ここまで言語化できなかったけどシンプルな日常を描いていてなお見る人の心を揺さぶるめちゃめちゃいい映画だった。。。

CINEMORE

『PERFECT DAYS』共同脚本/プロデュース:高崎卓馬 “もの作り”は手段じゃない

https://cinemore.jp/jp/news-feature/3293/article_p1.html

→いいものを作りたい、という思いでいいものを追求していると、それが新しい世界に連れて行ってくれる。最高の人同士が結びついた、素晴らしい映画でした。

vogue

『PERFECT DAYS』が提示する、ルーティンの中できらめく人生の喜び。そして憂い

https://www.vogue.co.jp/article/toru-mitani-perfect-days

→ここまで言語化できなかった。。。静かに、完璧なルーティンを描くからこそ、自分とはちがう存在のはずの平山に共感を抱き、そして自己を投影する。そして、その揺さぶりも共有できる。こういう言語化をできるようになりたい。

>

平山のたおやかでライトグレーのように曖昧だけど意思のあるルーティンだからこそ、ニュートラルに自己を投影できてしまう。

>

平山は自分であり、身近な誰かであり、家族のひとりだ。シンプルに生きる一人の男をゆっくりを追い続けることで、まったく身に覚えのないさまざまな人生の人間たちがどこかで主人公・平山と繋がっていく至極の人間ドラマだと言えるだろう。まるで、着彩されてない人生のぬり絵をさらりと目の前に置かれた気分。

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