見沼代親水公園を歩く(2) (original) (raw)

前回に引き続き、見沼代親水公園を歩くの2回目です。

かつて、農業用水として区の農業を支えていましたが、その役割を終えた用水は、昭和59年4月、憩いの場として親水公園が誕生しました。親水路の長さは、約1,700mです。せせらぎの心地よい散歩に最適のヒーリングスポットで、春は桜並木、夏場はじゃぶじゃぶ池の開放があったり、ざりがにを釣る親子や、休憩する人などのどかな光景が広がっています。 鴨の親子や、亀の甲羅干し、鯉など見られます。

↑尾竹橋通りを渡った所の、見沼代用水の堰

見沼代用水の歴史 ------------------------------------------

江戸時代初期、利根川と荒川は現在の越谷付近で合流しており、 氾濫はんらん を繰り返していました。この両川を引き離し、その跡を一大水田地帯にする大土木事業が行われました。利根川は文禄2年(1594)から60年かけて、流れを少しずつ東に移していく工事が行われ、それまで東京湾に流れ込んでいた利根川は、銚子で太平洋に注ぐようになりました。荒川は寛永6年(1629)、熊谷の久下で元荒川を締め切り、流れを西に移し入間川隅田川を通じて江戸湾に注ぐ流路に変えました。

これらの工事によって大河川が遠のいた跡の池沼地帯では、耕地を広げるために池沼の水を排水する落川や農業用水を貯めておく溜井がいくつも造成されました。

その後享保12年(1727年)、 徳川吉宗の命を受けた井沢弥惣兵衛為永が、新たに利根川から用水を引き、見沼溜井は干拓して新田開発し、排水路として中悪水路(現芝川)を掘削する工事を行いました。見沼たんぼの誕生です。

利根川から引かれた水は、見沼に代わる用水なので「見沼代用水」と呼ばれました。見沼代用水は、取水口の利根川から見沼まで全長60km。そこからかつての見沼用水につなげましたから、末端は現在の東京都足立区まで、84.5kmにも及びました。(埼玉県 見沼たんぼのホームページ より)

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↑舎人諏訪神社

↑夏季は、この奥の葦簀張りの中に、ジャブジャブ池があります。

カルガモが気持ち良さそうに泳いでいました。

↑休憩所とトイレもあります。

↑ハイビスカス

この辺で見沼代親水公園とはお別れし、「日暮里・舎人ライナー」の舎人駅に戻りました。