人間のあるべき姿の探索 (original) (raw)
人生で初めての人形の展示、アトリエ果樹園・いおぎい国天使商会合同教室展「Pathos ~想ひ~」が10月29日から11月10日まで開催され、無事会期を終了することができました。お疲れさまでした。
せっかくなので人形制作に関する経緯や展示の裏側の話を備忘録としてまとめようと思います。
経緯
最初に人形に興味を持ったのが2017年10月頃で、もう7年前になります。早稲田大学で人形メディア学の菊地先生とmillnaさんの講演会で、ドールモデルの橋本ルルを見たのを覚えています。橋本ルルは球体関節のタイツにヘッドを被ったいわゆる着ぐるみなのですが、その時の説明で驚いたのが、中身が入れ替わり可能で、踊れる人が入れば踊ることもできるといったようなものです。つまり、ふなっしーのような代替できないキャラクターや身体能力によってキャラクターが定義されるのではなく、ガチャピンのような様々な中身によって何でもできる存在です(このあたりの話は菊地先生の著書『人形メディア学講義』で語られていて面白いのですが、この本を人に勧めるたびにAmazonで売り切れになっているので、もし売っていたら買ってください)。彼女は人形ではないのですが、魂を外側から与えられる存在としての人形に興味を持ちました。
その後、熱海旅行の際にミワドールさんに訪問してビスクドールを見たり、創作人形の界隈に詳しくない中で企画展やコンクールを見に行ったりしていました。その傍らで、生命とか哲学に興味を持っていたのですが2018年当時の機械学習や数理モデルによるロボットの行動学習みたいなテーマに触れ、ロボットの方面に興味を持ちました。メイド服に粘土で作ったお面を被せて、それにモータを括り付けて動かして…とか、ドールアイを買ってきて動かせないかとか試していました。当時は技術も知識もなかったので、タコ糸を括り付けて土台も段ボールにセロハンテープで…みたいなことをしていました。その後、人型のロボットを扱う研究室に入り、色々あってRobovie, ジェミノイド、Pepper等結構いろんなロボットに少しずつ触れました。
人形制作を始めたのは丁度4年前の2020年11月、しばらく卒論で京都にいてその後の論文執筆のダメージなどから回復しつつあるタイミングで教室に通い始めました。とりあえず一人、ということで8ヶ月ほどかかって完成しました。拙いながらも可愛くできたかもしれません。
godiva-frappuccino.hatenablog.com
その後、人形を機械的に動かすにはどうすればよいかと考えていると同時に修論の方も忙しくなってきてしまい、造形とそういった試行錯誤を兼ねながら研究もと手が回らなくなった為、教室には行けなくなってしまいました。教室が遠く、今考えると習った方が上達は確実にするのですがその往復時間も惜しい感じになっていました。
その後就職したり色々あったのですがその間も粘土は触り続けていて、造形としては作っているものを見る目が養われていなかったので拙いままだったので少し後悔はあるのですが、ひとまず粘土の感触は覚えてきて慣れてきました。一方で機械の扱いも少しずつ覚え、準備が整ってきました。2023年は一年間かけて憑依できる人形というのを作ろうとしていました。ひとまず形になりました。
godiva-frappuccino.hatenablog.com
そこで、2024年はこれを含めた一つのテーマをもとに展示をしたい!と思い準備を進めてきました。その中でいおぎい国天使商会に見学に行くことになり、その流れで入会しました。今思うと結構大きな出会いで、入会から一年足らずですが造形としても人形全般としても教わることが多い期間になっています。木村龍(敬称略)に初めて出会ったのが2023年6月の宇宙零展で、在廊のタイミングでハンドルを回すと首が前後する宇宙詩人の憂鬱を実演してもらったのを覚えています。そこから約9ヶ月経っての入会でした。
展示に向けて、12月にデザインフェスタギャラリーの予約だけ取ることで退路を断ち、改めて人形を作り始めました。展示は1体でも成り立つという言葉をどこかで聞いたことがあったのですが、それをするとあまりにも説明が雄弁になってしまうので、人形3体で物語も作りこむことにして、結果7月頃に1体目の造形が終わり塗装や髪の毛、10月前半には2体目も完成していました。あとは2023年に作った子なのですが中身を一から作り直しているので個展直前まで炎上プロジェクトとして走り抜けることとなり、退路を断っておくことの重要性を感じました。
そんなこんなで作っていたのですが、丁度第二回の合同教室展の話があり、折角だから出しましょうという話になった、という経緯です。Pathosは籠っています。
合同教室展について
初めての人形の展示だ!とあたふたしながら準備していました。ひとまず人形とキャプションを用意して、後は機械もあったので安全に配慮した形で電子部品とコンセントなども持参しました。ついでに一週間前に「作品紹介ページがあると嬉しい…!」と思い高速で作品紹介ページをJavaScriptで実装してQRコードでそのサイトに飛べるようにしました。人はなぜ直前になるとやることを増やすのか…
搬入は前日の17時から、自分は人形が1mあってその場で組み立てる必要があったので早めに入って組み立てました。その大きさもあって窓際の大きなスペースとなり、初めて人形を出させていただくので場所に特別なこだわりもなかったのですが、丁度店の外から目に入る一番手前かつカウンターから視界に入りやすい位置に置いていただけてとても嬉しかったです。
タイトルは『棺』です。最小限の生命活動で人形に生を与えることを考え、白い棺の拍動装置から眠っている人形に拍動を与えました。展示期間中は自分か店主のアマネさんの在廊時は直接触っていただけるようにしました。胸のあたりを触ると、拍動の音と共に感触が指に伝わります。この演出の為に、造形から機械から素材から、必要な全てをやってきて、人形に興味を持ってから7年、作りはじめてから4年、ようやく自分の考えていたんのが人前に出ることになりました。
念のため直接自分から電源についての説明させていただいた方のみ操作OKとしたのですが、会期中メンテナンスの必要もなく2週間程度稼働してくれて、強かだな…と思うと同時に安定して動作してもらうために知恵を絞った甲斐があったと思いました。
安らかな顔です。
会期中も仕事があったので結局休日にしか在廊できなかったのですが、INTERNET上で感想をいただいたり、在廊中には直に来廊された方の反応を見ることができて良かったです。あまり似たことをされる方がいないこともあり、斬新で驚いたという声もあり、一番印象に残ったといったコメントもいただけて悪くなかったと思います。(他の方も気合入った展示だな…という感想です。直前まで試行錯誤する姿を教室で見たり聞いたりしていたので総勢21名揃って全体としても壮観でした)
そして無事会期が終了し、搬出となりました。慣れない部分としてキャプションも拘れたかなとかデザインできる部分にも意識がいかなかったとかあるのですが、ひとまず2週間動き続けて人に何か影響を与えられたのかなと思います。
せっかくなので、これまでのイベント参加の話をすると、個人的に何かをしたことがほとんどない人生でした。多分大学生のころは音楽サークルで高齢者施設や学園祭に参加していた程度で運営や演出について細かく関わる機会が少なかった気がしますし、自分の創作物といった感じではありませんでした。その中で直近だと昨年末にコミティアで小説を出したのと、4月のニコニコ超会議に「ぬいぐるみがイキイキと働く」をコンセプトにぬいるぐみが習字をして書いた字を渡す展示をしたりしました。前者は布を引いて什器にポスターや本を設置したり、後者は電子部品も用いて搬入に必要な機材の用意なども自分の方で行う部分が多かったので、こういった経験を踏まえて初めての人形の展示でもスムーズにできた部分が多かったのかなと感じています。何より初回の合同教室展からやられていた参加者の皆様やギャラリーのスタッフの皆様のおかげですが…
godiva-frappuccino.hatenablog.com
godiva-frappuccino.hatenablog.com
場数を踏むのも大事だな…と思いました。人形の展示をやってみて楽しかったので今後もやろうと思います。展示の特性上誰かしら付いていないと実演ができなかったり細かい説明も難しいのでできるだけ在廊したりフルに魅力を伝えられる形での展示を考えていこうと思います。
宣伝
というわけで、今年12/6~12/8の3日間、原宿デザインフェスタギャラリーで個展『Project Beyond Eve』をやります。過去・現在・未來をテーマに、リラダンの『未來のイヴ』で描かれた他者としての理想のその先を考える展示をします。ぜひ興味のある方はお立ち寄りください。果たして間に合うのか、そして3日間彼女たちは動き続けることができるのか、自分は展示を作り上げるために寿命を削ってなんとかしていきます。来年はゆっくりさせてください(作りたい人形とか一緒に進めたい企画とかあるので、来年も無理みたいです)。
ふと、雨の匂いや本の香りから懐かしい記憶を呼び起こされることがあります。何となく、図書館の情景が思い出されるな…と思ったのですが、そこで終えず、もう少し解像度を上げてその郷愁を思い出していきたいと思ったので、思い出していきます。
本の記憶だと、小学校の図書室が思い出されます。小学校の三階にあり、偶に夢を見るときは図書室に行くか職員室、向かいの棟の空き教室あたりに行くことが多い気がします。この前みた騒ぎの起こった学校から抜け出す夢では、騒ぎの後で恐らく亡くなったであろう自分が教室に戻りながら、図書室に寄っていた気がします。階段を登っていかなければ行けない場所にありました。
小学校の図書室は入って右手にミッケ!があり、その辺りにあった座れるスペースは常に込み合っていました、ミッケ!は人気でした。入って奥に進んだ先には漫画があったのですが、はだしのゲンがあって結局怖くて一度も読めませんでした。小学五年生の時、戦争のイラストが渡り廊下に並べられていて、夜寝る前に思い出して初めて死の恐怖を覚えたような気がします。読んだ本は意外と覚えていないのですが、狭いいくつかの棚に本が詰まっていて、読書の時間には一クラス全員が着席して本を読んでいたのは懐かしいです。そう、こういった解像度で過去の記憶を呼び覚ます時間を作りたいのです。
中学校の図書室は二階にあって、スラムダンクが揃っていました。結構勉強の本もあっていくつかの分野で手に取っていた気がします。小説はあるほか、ライトノベルが置かれていて当時付き合いのあった人はライトノベルのオタクが多かったので自分は読まなかったのですが、その一角を偶に思い出します。図書委員の副委員長を務めていた時期もありますが、自分は本を読まず、受験期には皆で勉強をしたのが懐かしまれます。結局地元のある程度の高校に進学し、予後はあまりよくないですが、あの時間は結構楽しかったかもしれません。
本といえば、中学生の頃同人誌に出会いました。昔は自転車で行ける距離の大きな駅の周辺に同人誌を売っている建物がありました。1,2階におもちゃがあり、三階が同人誌コーナー、当時はあまりアニメも知らなかったのですが、その重厚な匂いに惹かれて入っていきました。それを共有できる友達はおらずSNSもやっていませんでしたが、そういう時間が好きでした。高校生になってアニメを大量に見た時期があったので、その後はアイドルマスターやまどマギ、東方をはじめとしていくつかの作品の同人誌を買いました。当時は向こう側に作者が居て即売会がある事は知らなかったですし、創作への人の想いにも気づけていませんでしたが、自由に妄想を描く姿に思いを馳せ、同人誌が200冊くらい自宅にあります。幾らか処分してしまったのですが、思い出に残る作品も結構あります。初めて買った作品は初音ミクのイラスト系のもので、ファンシーなイラストに惹かれました。
本から少し離れると、同人誌が置かれていた店の近くにカードショップがあり、お金がないながらも遊戯王のカードを買っていました。中学校の部活の同期でたまたま本の虫のやつがいて、その後ドグラ・マグラや魍魎の匣を勧められるのですが、彼と共にゲーセンのアーケードゲームをやっていたので、そのカードも買いました。結局自分はあまりプレイしないままスタン落ちというかゲームシステムが変わってしまってやらなくなったのですが、そのゲームは神話生物や色んなゲーム作品のコラボキャラクターが登場していて、魅力的だったので画集も買ったりしました。
高校の図書館はプレハブ校舎だったため狭かったのですが、坂道のアポロンを読んだのが印象的でした。素敵な話なのですが、恋愛模様の中でもつれていくのが若い時分には見ていて辛いもので、今でもあまり読み返す気持ちになれていません。中学高校と共に図書室には結構思い入れがあります、他にも色々。その頃世の中に存在する知識、そしてその象徴である本が無限にある事に気づいて全てを読めないことに絶望して本を読まなくなりました。時折思い返すのですが、大学生になってから岩波文庫を読みまくっている本読みの凄い人に出会い、そこからできるだけでも読もうとして大学の図書館で400冊くらい本を借りて結局200冊くらいしか読めなかったりしていました。
魍魎の匣は実はコミカライズで読んでしまったのですが、ドグラ・マグラは小説で全部読みました。一度京都への18切符旅行の道中で読んだのですが、7時間半ひたすら移動しながら電車であれを読むのは精神に悪かったようで断念し、後で読み返しました。結局珍しく2周もした小説です。本を読むのが遅いので、そんなに読むことは稀です。今は未來のイヴを読み返していますが、結局他の本も読んだりで5年ぶりの読書が6年ぶりの読書と呼べるようになってしまっています。時が経つのは早いですね。
大学の図書館はキャンパスも大きい総合大学の為大量に本がありました。日吉には学部の若い人向けに各分野の本があり、泣きながら勉強したり本を読んでいました。一度だけ地下の書庫をみて良い気持になりました。湘南藤沢キャンパスは近所だったので、一度に8冊くらい本を借りたりしていました。最新の本や情報系の本が多かったので、結構通っていました。数学や脳科学にちょっぴり興味を持った時などは重宝しました。三田キャンパスには哲学の本を探しに、丁度地下にそういった本が多かったので散策したりしました。色んなキャンパスを巡る中でNDC(日本十進法)を覚え、番号で本の分野を意識しながら歩くのが楽しかったです。007, 600番台に情報系が分かれ、000には総記・文庫系、755に人形、400に生物や数学、300の社会学はあまり見ていなかったかもしれません。140番くらいにギブソンのアフォーダンス理論に関する本があったのを思い出しました、しかしアフォーダンスとか就職してから聞かなくなってしまって、この二年半でもう大学の頃に好きだった知能や認知科学、ロボット、それらに関する感性に関する話を大方忘れていて恐ろしいです。この頃から書店にもよく行くようになりましたが、書店では売り上げの為の工夫がされていてNDCではない方法で本が並べられています。それもまた一興ですね。渋谷の丸善がなくなってしまったのが悲しいですが、東京駅の丸善が今でもあるので、そこに行ったことは良い思い出です。
大学生の頃は一時期京都にいたのですが、丁度国会図書館の西の建物があったので、何回か通いました。地下にある空間で、人工知能学会誌を見たり、いくつか本を読んだり。当時哲学サークルへの寄稿の予定があったのですが、文献が必要とのことで自分の大学から取り寄せられないので探した気がします。確か藤田さんの人形愛の精神分析なのですが、結局一度東京に帰ったのかなぁ、思い出せません。近くにあったスーパーはあまり大きくなかったのですが、オライリー等の技術系の中級車向けの本があったり妙に学術向けに強い並びで驚いたのを覚えています。一応学研都市だったんだなぁと思い返しています。
社会人になると、お金はあるので本を買いました。初めの頃は社会に反抗する倫理学の本を読んだりしていましたが、次第に技術書も読めず評論も読めず…という有様です。なぜ社会人になると本を読めなくなるのか、そういった本を読む時間は何とか取れました。生きているうちに何冊本を読んで、何回本の詰まった空間の香りを嗅いで、何度こういった記憶を呼び起こせるんでしょうね。
本の話が続きましたが、最後にこの文章を書こうと思ったきっかけの作品の話をします。『うみねこのなく頃に』という作品がとても好きです。中学生の頃、仲の良かった友人にひぐらしを勧められ、ブックオフを二人で回りながら漫画を漁りました。結局漫画は後半を揃えるのに断念してアニメで見ました。そういえばブックオフにかなり通っていたのも懐かしいです。その後、うみねこの話も聞きます。うみねこは今でもアニメが前編しか放映されておらず後編が当時はPCノベル、PSP版辺りしかなく、じぶんがまともにアクセスできる環境ではありませんでした。志方あきこさんの楽曲をはじめ、うみねこの音楽は悲しい気持にさせるものが多く聴くのに覚悟がいります。結構音楽を聴くのに覚悟がいることが多く、歌詞で色々想起されるものもありますが、曲調でダメになってしまうことも多いです。
長い間うみねこは前編だけ知っていて、ベアトリーチェに魅了され、少し同人誌を買ったり番外編で内容を少しかいつまんでいました。そして、全てを知る機会を得ず10年近く時が経ちました。知らないけれども好きな作品を知る、猫箱を開ける覚悟ができなかったのです。もう三年近く前になりますが、Switch版のうみねこのなく頃にを満を持して購入し、修論の時期に平行しながら100時間ほどでプレイしました。内容の重さもあり精神に悪い影響を与えたのですが、素晴らしかったです。もう一度見たいのですが、時間をとることと心へのダメージを懸念してまだ覚悟ができていません。最近TRPGを経験しても思うのですが、創作物でも現実でも感情が動かされるものに対する耐性が弱いので、それを望みつつも得られない苦しみの中で生きています。丁度その後にステージでの公演が始まり、最初のエピソードを見て感動しました。しかし、苦しみの中で次以降のエピソードを見られずにいる内に前編の公演が完了しました。思い返してみると、うみねこも東方もはまっていた時期に語り合える友人がいなかったのが思い出されます。うみねこは当の友人と高校受験の前には接点がなくなってしまい、東方は一人孤独にプレイや二次創作の享受を数年間続けていました。唯一ボカロだけは中学から高校にかけて皆で楽しんでいました。話はそれましたが、長い時間をかけて過去の記憶や気持ちが今につながっていることを感じました。
そんなこんなで、うみねこのなく頃にに対する気持ちを思い出しながら、やはり人は過去によって構成されているな…と感じたりしました。うみねこのなく頃にの話はまた別の機会にしたいと思います。これを文字にするだけでも一苦労ですが、今までもこうやって文字に書き起こすことで何とか自分の外に気持ちを手放してきたので、続けていかなければいけません。
お疲れさまでした。
表題の通りです。
突発的に二週間後の旅行が決まり、打合せの中で川端康成『古都』に登場する北山杉を見に行くことになりました。しかし、原作を読んだことが無かったので、打合せ中にAmazonを開き翌日に本が届き、その後三日間で読みました。残りの一週間で他の同行者に読書スピードによっては4時間で読める為現実的な読書であることを伝え、全員が読んで来る異常読書集団の集まりが完成しました。
『古都』のあらすじを引用します。
『古都』(こと)は、川端康成の長編小説。古都・京都を舞台に、生き別れになった双子の姉妹の数奇な運命を描いた川端の代表作の一つ。老舗呉服商の一人娘として育った捨て子の娘が、北山杉の村で見かけた自分の分身のような村娘と祇園祭の夜に偶然出逢う物語で、互いに心を通わせながらも同じ屋根の下で暮らせない双子の娘の健気な姿が、四季折々の美しい風景や京都の伝統を背景に、切なく可憐に描かれている。
Wikipedia内の解説や作品評価・研究も面白かったです。川端と言えば以前『片腕』のあらすじを聞いていいわねぇと思ったりしたのですが、夢想的で女性を理想化した純粋な眼差しを軽やかなリズムの文体でオブラートに包みこんだような会話文の多い文章で読んでいて楽しかったです。現代の創作における分かりやすい舞台の転換や一言で簡単に説明される場面ではなく、感情の揺れ動きや文全体から伝わる情景描写、登場人物のメタファーを文章を読み進める中で経験するのは心地よかったです。余談ですが、創作物の話を沢山する中で、素直でまっすぐな人間が創作においても現実においても好きなことを思い出したりしました。『純潔のマリア』のマリアとか分かる人いるのでしょうか。あとは『うみねこのなく頃に』のベアトリーチェは…全く素直ではないですが素敵ですね。
木の上に株をいくつも生やす台杉、それぞれの株はよく手入れされています。
千重子が見ていたであろう木々、生みの親はこんな高所で物思いに耽っていたのでしょうか。
樹齢600年の北山杉。若いものは特に細身ですが、千重子、苗子のようにまっすぐです。
話は変わって若い頃の話になりますが、本をほとんど読まず、特に小説は年に一、二冊読んだ記憶がある程度です。実際にはもう少し読んだかな…と思い返すと山田悠介は『リアル鬼ごっこ』を含め何冊か読んだかな、とか本屋でふと見つけて買った『ジョーカー・ゲーム』や『水の棺』は読んだなぁといった感じで、心理描写に力を入れているモノでも、物語の展開の中で揺れ動く心理で、情景と感情が融合しているものは私の読んだ本の中では少ないように感じました。最近梶井基次郎もいくつか読みましたが、そういった素朴な表現をする文豪の作品の魅力に気づいたりしました。
思い返すと、国語便覧があまり得意ではなく、大学時代の友人は大概小説を読むかソースコードを読むのが好きな人間のようだったので結構浮いていたのかもしれません。国語便覧のあらすじはなんとなくわかるものの、名作の中にも分かりやすい展開ではなく細かい描写に宿る良さが多かったのかもしれない為、今それらを読んでから国語便覧を詠んだら紹介されている作品達にもそういった詳細があることに思いを巡らせることができるのかもしれません。それに私が若い頃はインターネットも発達しておらず創作物の楽しみ方を知らなかった為、山月記も学びがあるなぁ程度に読み飛ばしていました。あれはテストの点数を取る為の30文字程度の感想を考えていただけだからかもしれません。
一方で、阿部公房『鞄』は記憶に残っています。高校三年生の頃に担当になった国語の先生が阿部公房好きで、阿部公房が好きな国語教師にろくな人間はいないので馬は合わなかったのですが、多分今教師ではない人間として出会っていたらもう少し仲良くなれたかもしれません。物語の指し示す一般的なメッセージに共感を示すようになったのが最近なので、本を読むのが楽しくなってきた気がします。
大学二年生の夏まで、「この世に大量に存在する知識や本を全て手に入れることができない絶望」によって本当に本を全く読まず雑学を少しつまむ程度の人間だったのですが、当時Twitterでフォローしていた方で本の虫で岩波を揃えていた人がいて、仕事の関係で中国に移住するにあたって本を売りに出すとのことで話を聞きたい一心で会いに行きました。哲学に造詣が深く当時の自分には分からないことも多かったのですが、理論的な話ではなくとにかく本を読むべきだと感じ、大学の図書館に閉じこもるようになった時期があります。理解しきれなくて途中で手放すことはあっても、とにかく借りて読んで、というので結局大学院までの6年間で400冊くらいは借りて、200冊はろくに読めずに返した気がします。そういったインフラがあった生活も懐かしいですね。
小説や創作物に影響を受けて何か感じ取ることが少なかったのですが、そういった点ではTwitterに助けられたかもしれないです。あまりよろしくないですが、漫画の考察や感想が流れてくる中で、こう楽しめばよいのかと気づくことが多かったです。鬼滅の刃の考察やちいかわのアングラな楽しみ方、それこそ山月記のミーム化も捉え方には変わりなく、そういった態度の是非はともかくとして創作物から何かを得て良いことに気づいてから考え事の質が変わりました。二年ほど前から触れているTRPGの影響もあります。ショートショートはいくつか書いたことがあったのですがそこではあくまで舞台装置としてのキャラクターを描いてしまいがちだったところを、キャラクターシートでは自分のロールプレイしたいキャラクターを考えることになる為、ある程度筋書きはあるがそれを自分が知らない物語で動いてほしいリアルなキャラクターを考えることになります。それこそ、舞台装置ではない、物語を進めるのに都合の良いだけではないディテール、感情を持った人間を考えるようになったことで、創作物を生み出すことと受け取ることの双方向につながりが生まれたことで結構人生に面白みが増した気がします。この前1PLシナリオを回った時に肺病を患った小説家の青年でロールプレイしたのですが、人生の重要な局面においては詩を詠みたいという気持ちで振舞っていました。自分の人生も喜劇でも悲劇でもロールプレイのような粋を常に意識したいなと思いました。
北山杉の里に落ちていた二つくっついた栗。四季を過ごす中で夏から秋にかけて出会うことができた寄り添う二人のように見えました。生まれは同じ、それでも一緒になることは無いのでしょうね。
ここ最近文字が思い浮かばず、一、二か月ほど文字を書けずにいたのですが、久しぶりに書いていこうと思います。一応以前は文章をそれなりに書いていて、昨年ははてなブログの記事も60件(内12月に27件程度)書いていたのですが、仕事内容の変化であったり作業への没頭であったり、ここ数か月プラスにもマイナスにも環境の変化によるストレスもあるようで、頭を働かせる余裕がなく、不調を感じています。
本題、私はしばしば「いきいき無生物」という言葉を使用します。生きていないもの、人間の眼差しによって生を錯覚されてきたもの、生きて生まれなかったものを指して無生物と呼んでいて、具体的にはぬいぐるみや人形のことを指していますが、それは場合によっては電柱や石であるかもしれません。そこに生を感じさせる力がどの程度あるか、そしてそれを感じる人間がいるかの二項によって成り立っています。
街中にもそのような扱いをされている無生物がいます。
無生物がいきいきとしてほしいのは人間のエゴですが、彼らが自らの手でその選択をできないからこそ、いきいきとしてほしいと願っています。もし人間の眼差しが与えられることが無ければその無生物に対する期待はないかもしれませんが、期待されて生まれたからにはやはりその生を輝かしいものにしてあげたいと思います。人間のエゴで操ることができてしまう存在だからこそ、その人間のエゴが彼らを尊重できると良いと思います。
具体的な話をします。今年の4月に「ぬいぐるみ労働組合」として、ぬいぐるみがいきいきと働くことを目標としてぬいぐるみが習字をする展示を行いました。ここでは3つの目的を設定して、1.展示の主催者が満足する、2.展示に訪れた人が満足する、3.無生物が満足する、としました。3つ目が大切で、これは1,2を目的にするにしろしないにしろ、ぬいぐるみが強制的に労働させられているような印象を与えないよう気を付けました。手を動かす機械は小さく目立たないようにし、変わることのない笑顔の表情がそう見えるようにする、と気を使いました。
彼らが生きている存在と遜色ないような生き方を模索する活動も、今では昔より流行っています。彼らが私たちに向けることのない眼差しと同じ目線で、彼らと同じものを見るようにします。彼らが何を考えて生きているか分かりませんが、できるだけ楽しく無生物としての生を楽しんでいることを祈っています。
彼らが床に寝そべるなら人間は床に這いつくばります。「現代思想 ぬいぐるみの世界特集」で印象的だったものとして、彼らと一緒に寝そべることで彼らと同化していく感覚になる話があった気がします。勿論、無生物には無生物に適した生き方がありますが、ある線引きをして向こう側では無生物としての扱いをしたうえで、こちら側では同じ生き方をする、その線の引き方に意義があるように感じます。
ぬいぐるみが中心になりましたが、私は昔というほど前でもないですが、以前人型のロボットを扱っていました。内臓も動きもある程度知って、語源通りの奴隷ではないにしろコントロールする立場になった時申し訳ない気持ちがありました。ハードウェアの故障もあるし、減価償却の対象にもなるし、人間の目的の為に存在し、その人間の目的が彼らに向いていないことが悲しかった気がします。
そして、数年前から人形を作り始めました。人形を作る中で思ったこととして、自分は人形を器に近いものとして考えていました。心身二元論をイメージの補助に使用するのは少し抵抗がありますが、身体が彼らの肉体に依るものとして、その精神はやはり人間の眼差しが与える主観的なものであると思っています。これには人形に対するスタンスで賛否があると思いますが、それを人間の眼差しが与えるか、自律化させて外側から与えるか、どちらにせよ器かなと。
今作っている人形は、彼らの生を意識したものと、明確に生ががらんどうの器としたものがあります。前者にはそこに存在することで彼らが彼らなりの方法でいきいきと生きていける展示や居住の仕方を考えてあげたいですし、後者にしても外部から生を与える器としての生を全うできる存在の仕方を考える必要があると感じています。彼らが存在する場において、暮らすことが目的であれば暮らしていけるように、展示の様に見られることが目的であればよく見てもらうことで彼らが輝けるように。彼らが最終的に人間の為にあるのが仕方ないのと対照的に、人間が彼らの為にあるような形を模索していきたいです。
前者的に見せたい無生物。
後者的に見せたい無生物。
無生物がいきいきと暮らすことを願って。
昔所属していたサークルがここ数年定期演奏会をやっているそうなのですが、10周年ということもあり、ようやく都合が付いたので見てきました。
↓YouTubeに演奏の様子があるので見ましょう。
少し自分の話をすると、僕は2018年の三田祭で引退…の後滋賀大会と年末の神田明神での演奏だけ出たのですが、その後卒論の為に京都に行って、帰ってきたら緊急事態宣言で…と知っている後輩の引退の場に立ち会えず、といった感じでした。その後コロナの影響もあり、色々大変そうだな…と思っていたので今も存続し、かつ定期演奏会が毎年できるようになっていて嬉しいです。
一応二代目だったのですが、最終的に生存した4人の中では唯一先生に習っておらずサークル活動でのみ津軽三味線を弾いていたので途中から「後輩の方が上手いな…」とか思っていましたが、二年生の夏頃誰も同期・先輩がこれなくて一人で後輩数人に教えていた時とかもあったので、やっていてよかったかもしれません。
定演に話を戻すと、引退後本当に聞く機会をとれていなかったのですが、皆上手だな…と思いました。あと人数が結構多い。第一部と第二部に別れていて、概ね14曲、ソロ演奏や期ごとの演奏など奏者の構成は色々あるけど、その曲数をやれる人数になったんだな…と思いました。
年を取るにつれて現代曲よりも民謡の方が心に沁みるようになってきたのですが、津軽五大民謡を何曲か含めた民謡多めで嬉しかったです。僕は引退後に秋田荷方節が好きになったのですが、ソロの演目で演奏されていてよかったです。一弦、二弦の音が押し撥で入るのが好きです。津軽じょんがら節掛け合いの4人での演目も良かったです。どれも良かったですが、個人的には1人目の方の一弦の音が響くのと3人目の方のちょっとトリッキーな音の入り方がした気がしたのが良かったです。やっぱり民謡系は津軽三味線のベーシックな技法とか一音一音を楽しめる気がします。現代曲はかなり綺麗にAメロBメロサビみたいな区切りがあるイメージで、じょんがらとか荷方節は繰り返しの中で少しずつ音が変わり滑らかに次に音が続いていくような流れ方が良いと改めて思いました。
逆に現代曲だと疾走は現役当時も聞いていたので懐かしかったです。パートが分かれるけど人数が少なくてパートごとに2,3人とかだった記憶もありますが、結構演奏する機会も多かった気がするので当時のことを思い出しました。
あと、鼓動が良かったです。最初のソロでバッと引きこまれてそこから音圧一気に上がるので、サークルの人数での演奏が映えるように思いました。
全然見に行けてなくて恐縮ですが、これからも頑張ってほしいですね。
最近、三味線には関係なく出たイベント(ニコニコ超会議でブース出してました)でプロの澤田響さんが別ブースにいらして津軽三味線を持たせてもらったのですが、やっぱり思い切り撥で弦を叩いてデカい音が出ると楽しいのでやりたくなりますね…秋田荷方節弾けるようになりたい気持ちもあるので、押し入れにしまわれてしまった津軽三味線の木が生きていれば皮貼り直して偶に弾こうかな、と思いました。
最近ぼんやりと考えていたことをまとめていきます。要約すると、気楽に生きつつできることを緩く広げ、その間にできていたことも緩く忘れていこうと思います。
まず、知性の話をするために大学院生くらいまでをさかのぼります。小学生~高校生の頃、勉強ができないことはなかったのですが常に思考がごちゃついている感覚があり、うまく思考ができないものだなぁと思っていました。大学生の頃、一度勉強ができずにかなり苦労して、その後本を読むようになったり勉強を頑張ったりして何とかなる様になり始めました。その時はがむしゃらにやっていたのでうまくやれなかったのですが、ここ最近勉強の仕方を勉強する、であったりタスクを実行する自分とタスクの割り振りをする自分を分ける、といったメタ的に自分を制御する方法に気づき、ようやっと自らの行動における主体性を獲得しました。小学生のころから感じていた思考のまとまりのなさについても、多分思いついたことがあるとそれに思考を引っ張られてしまう特性によるものだったと思っていて結構人の話を聞けなかったりしたのですが、歳と共に改善すると同時に「今はこれをやる時間である」と割り振っていくことで、人生を進める能力が身についてきました。
知性を考えると、大学院生の頃が一番難しいことに触れていた気がします。というのが、高校生の頃は東大も含めた赤本を眺めてこれは難しい…と思ったりしていたのですが、自分でそれを解く理解の前段にある解説を読めば分かった気になれる程度のレベルにはいたものもあったので、実はそれほどの難しさに触れていなかったように感じます。大学の講義はかなりレベルが上がり、表面的に手続きを覚えるのではなく定義を丁寧に理解することで他に応用するといったものが多く、この壁で苦労していました。本当は大学入試の問題も本質はそこにあるべきですが、意外とテクを覚えるものも多かったように感じます。
大学院、というか研究はとても苦労しました。最初の方がノウハウが分からずひたすら作業に忙殺され、ボトムアップに進めていたことで苦労した話を時々しているのですが、自分の能力不足も含めてご迷惑をおかけしたり大変でした。研究に対する僕の認識として、研究はまずマネジメントとしてそのタスクやスケジュールを管理する能力が求められます。これについては学生は経験で覚えることが多く難しいと感じていますが、意外とエンジニアやマネージャーが読むような本でカバーできるかもと思い始めました。そして、新しいものを生み出すという抽象的で非定型的なタスクが存在します。分野や対象によっては既存研究を調べに調べて足りないものを探していくこともあるかもしれませんが、新しさを生み出すプロセスはとても難しいように感じます。そして、その具体的な内容についても自分より頭の良い人たちが頭をひねったものたちなので難しいです。読めば理解できても自分でこれを生み出せるような理解の仕方に至るのはとても難しい、そもそも前段の理解した気になることが難しいレベルのものも多いと感じました。ロボットの実装をして感性評価をして…みたいな話だと、実験評価のセオリーをインプットしたうえでしばらく読んでいると定石が見えてくるというか一般的にこうみたいな感覚はついてきましたし、実装に関してはアーキテクチャを見れば行けそうと思ったのですが、ロボットメインというよりは統計的学習メインのバックグラウンドで深層学習をやっている論文の本丸みたいな部分はどうしても理論・実験的感覚ともに掴みかねていたかなと今でも思っています。
それを経て、もう研究から離れて2年以上経過しましたが、だんだんと具体的なことは忘れて印象的な出来事や抽象的なそれらの見方だけが頭に残っていく感覚があります。とはいえ、ロボットの話についてはそれが実現したい社会についても実装の詳細についても時々考えていて頭に残っているのでリハビリしたいところですが、老人の様に思考は抽象化された、洗練と呼んでよいのか分からない状態になっていきます。別に若い人でも、なんとなく聞いたデマ情報の内デマかどうかの真贋判定は忘れてその概要のみ覚えていてなんかそんな情報があったという認識になることも多いので、こればかりは常にその分野にしがみついていないと仕方ない部分かなと思います。人間はデータベースではないので…
こういったことを考えると、人生におけるリソースを優先度の高い順に忘却曲線を意識しながら時系列に割り振っていくことになるのですが、そうなったときに一つのものにリソースを割き続けることを諦める選択が必要になると感じました。複数を同時並行でやる想定の元、昔ちょっと齧った倫理学の本とかは多分詳細な議論ができることはなく、新書を掴んではこんな議論があるのかと感心して本棚に置かれ、暫く考え込んだのちに抽象的な学びの概要だけが頭の片隅に残るのだと思います。そして、それを認められるようになってきました。
逆に、新たな学びとして、常に学び続ける意欲は大切だと感じました。社会人になってからクラウドサービスやソフトウェアアーキテクチャについて学びましたが、こういったものを学び続けるのは楽しく、上のものを忘れつつこれらを学ぶと良さそうという感じはします。複数の分野や観点での知見を併せ持つ人のイメージというのはそれぞれ積み重ねているイメージでしたが、これをやろうとすると全てに常にしがみつく必要があり、実際多くの人にとって現実的なのはAを3覚えてBを1忘れ、Bを3覚えAを1忘れ、の繰り返し程度なのかなと思ったので、そういうペースでやっていければ良いのかなと少し気楽な気持ちになりました。そして、マネジメントだと複数の分野をまたがるとこれらの管理コストがかさむのですが、何かを習得するにあたってはそれらの関連が新しい知識を生むので結構面白いと感じました。最近は人形とロボット、その機構について考える中で特にからくりのような歯車を用いた機構に興味がありますが、それが持つ周期的な運動がどういった可動域でどんな速度の動きを生み出すかについての知識が、非周期的な運動を生み出す必要のあるロボットだけでなく、歯車によって構成されるもの、例えば時計が人形のモチーフにつながるのではないかとか、それらの機構を用いて人形で実現したい動きを再現できるのではないかとか、抽象的なレベルで繋がっていく感覚があります。
僕が物事を解体して理解する上での方法として、設計一覧・設計書間の関連・設計詳細を意識するようにしています(設計というよりはこの世に存在する対象なのですが、その仕様が記載された人間に解釈可能なドキュメントという位置づけて設計と呼んでみます)。実際には物事は複雑に絡み合っていて木構造というよりは密なグラフ構造ですが、概形を捉えるとどんな要素があって、要素間の関係がどうで、その要素の詳細を見るともう一段具体化された一覧と関係があって…みたいな、人間が理解する上でのある程度妥当な解釈が発生すると感じています。勿論そうではないものや設計詳細の理解に時間がかかる対象もあるのですが、そういった理解の仕方を意識しています。
これを前提とすると、設計詳細に深入りする時間と設計一覧及び設計書間の関連を意識する時間のバランスをとっていくのが人生におけるやることなのかなと思います。勿論前者は進めていく必要があって、例えばエンジニアとしては抽象的な設計や要件定義だけではなくコードを書いてライブラリの仕様も調べることは今でもしていますし、人形を作るにあたっては本当に具体的な作業、作業、作業です。先生に教えを請うたり美術解剖学の本で人体を見たり、自分の肉体を参考にしながら、それらの解釈を基に具体的な詳細に立ち入っていきます。無茶を言うと、この具体的作業が抽象的な方向に作用するので両方やるのが望ましいので、体力の続く限りは両方やろうと思います。結構細かいライブラリの仕様によってプロダクトが実現できるかどうかの判断が変わるような状況もありますので。
そんなこんなで、人生における諦めとして物事の習得や、習得したものの保持、人生におけるリソース選択がある事を意識していけると良いと感じました。逆に、その制約で優先順位をつけると、自分が面白いと思うことにチャレンジしていきたいと思いました。世界一周したり、バンジージャンプとか肉体に作用する物事をやってみたり、美術館に行ってみたり、色々飛びついていきたいですね。
こう考えると、最近やっと物心がついてきた感覚がします。多分死ぬ前の最後の言葉は「やっと物心がついたのう…」とかになって絶命すると思います。
できたもの
https://portfolio.yumenohadaly.net/
背景
エンジニアたるもの…と思って作りました。
要件として、細々と自己紹介や作品を載せる程度のものを想定してはいたのでポートフォリオのサービスの利用を考えたのですが、デザインは自分で決めたい(コンテンツ管理を楽にしたい!)ことや、ドメインを自分で決めたいことから、自作に至りました。ただ、お金をかけすぎるのも負担になるので節約できる構成を考えました。
仕組み
使用経験がある程度あるAzureにアプリケーションを配置する前提のもと、フロントの画面をReact.js、コンテンツ管理の為のバックエンドをC#、コンテンツをSQL DB及びStorage Accountというストレージに配置する構成をとりました。
基本的には節約を第一に据えました。まず、フロントアプリはStatic WebAppに配置することでほぼ無料でホスティングできます。静的Webサイトに限られますが、コンテンツをバックエンドから取得する方式かつコンテンツ表示に徹するシンプルなサイトなのでこれでクリアできました。また、Azure Functionsは消費プランだと月4000呼び出しまで無料、その後も呼び出しのコストはとても小さい為何とかなりました。
問題はデータの永続化で、一年くらいAzure CosmosDBというドキュメントDBサービスの無料プランでやりくりしていたのですが、まともなデータの構造化ができないのは開発体験や保守性に影響すると考え、SQLに移行しました。アクセス数は少ないですが1~2秒以内の待機時間で画面表示されてほしいのでSQLのプランは月5.5USドル程度のものにしました。円安なのでちょっと厳しいですが、月1000円以内ならまぁ遊びで動かすサービスの保守としていいかな…という判断です。
また、別途ドメインが年間1600円ほどかかっています。こちらはAzureでWebアプリケーション用のドメインを購入できるもので、お名前ドットコムなど外部で取得するよりもAzure内での設定ができる点などからこのソリューションを選択しました。.netドメインが一番まともに使われていてかつ安価だったので、自分の名前のドメインを確保しておきました。本当はメールアドレスのドメインにも使えると便利ですが、今はその予定もないですしそういうサービスが必要なら別途取得で良いかと思い、Webページ専用のドメインサービスになります。
フロント構成
とりあえず、自己紹介ページ・作品一覧・イベント一覧及びコンタクトが表示できれば良いと思い、ポートフォリオのテンプレートにコンテンツ表示用のコンポーネントを自作して追加するようにしました。こちら参考にさせていただきました。作成者およびMITライセンスに感謝…
複数コンテンツの表示に関しては、ChatGPTの力を借りつつバックエンドから取得したコンテンツをforeachで回してコンポーネントを生成する仕組みで実現しました。
バックエンド・DB構成
バックエンドはシンプルにデータベースのコンテンツを成形してフロントに返す仕様となっています。コンテンツとしては作品及びイベントです。イベントはタイトル・画像・本文等を格納するのみなのですが、作品については複数の画像を持つほか動画も載せたいという要望が顧客もとい自分から上がっていたので対応が必要でした。解決法としては、SQL DBとしては作品テーブルのIDを外部キーとして持つ作品メディアテーブルを作成し、メディアの種別を画像と動画に分けました。そして、画像はStorage Accountに配置したのですが、動画に関してはデータストアから取得したものをフロント画面に埋め込むのも難しく、コンテンツ管理に難があるのでYouTubeのURLを格納する形としました。動画コンテンツはYouTubeにアップロードしていることが多いので、これをそのまま使用するのが一番シンプルな構成となりました。
今後の展開
ユーザー数が少ないサービスなので、一旦はこの構成で行きます。SQL DBも一人で使うにはオーバースペックなので複数人のポートフォリオのコンテンツ管理とかしてマネタイズできると嬉しいですが、その辺りのコミュニケーションや要件定義・保守コストが大きいので細々と貯金を使っていこうと思います。
細かい部分では、イベントの日付がfrom toではなく1日だけ設定だったり、直さないといけない部分はポロポロとあるので、少しずつ良くしていこうと思います。フロント側はStatic WebAppを使っている関係で構成が特殊なので、GitHub Actionsでデプロイを自動化していて、CI/CDはパッとできるので、少しずつ良くする仕組み作りだけは済ませてあります。
作品も細かいものを含めると結構な点数になりそうなので、ハイライトとして見せたい代表作を抜き出したり、カテゴリで人形・ロボット・小物など分けても良さそうです。
あと、実はコンテンツ管理システムが欲しいといいつつ管理者用の管理機能が付いておらず現状SQL DB上のデータをSSMSで直接弄っているので、管理画面と対応するWeb APIのエンドポイントが必要です。実質ポートフォリオ画面が二つになりつつファイル選択などの機能も必要になり、開発コストが大きくなるのでこれはまた今度ですね…元々フロントエンド書かない人間なので、最近のライブラリの動向も追いつつ鍛えたい所存です。