読んだ:『リサーチのはじめかた 「きみの問い」を見つけ、育て、伝える方法』 (original) (raw)

トーマス・S・マラニー +クリストファー・レア、2023、安原和見(訳)、『リサーチのはじめかた 「きみの問い」を見つけ、育て、伝える方法』、筑摩書房

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リサーチはじめたい~、何から手をつけていいかわからない~、という時に最初の第1章あたりを読み、今日、一気読みした。

思い出話からはじめようと思う。

私の在籍していた大学の、進学したコースでは「自分で問いを見つける」ということがテーマであり、学部2年の時から、自分が興味のあることのロードマップを書いてみたり、自分にとってトレンドだと思う新書を読んでその内容について発表する、ということがなされていた。自分の問いと言われていても、自分がどういう問題について取り組んでいたらカッコいいか、など思ってしまい、その時はぼんやりと環境のことをやりたいだとか生物多様性についてもっと知りたい、などと答えていたような気がする。

また、自分で発表した内容についてもある時は「ドイツの歴史教科書」というテーマだったり、ある時は「妖術」だったり、一貫性がなかった。

見かねた指導教員は「あなたはディシプリンのあるコースや先生について進んだ方がよかった」と言い、大変に困惑したことを覚えている。

今、そんな風に研究テーマをありとあらゆる分野から探して見つける、ということはないのだろうけれども、自分の中にあるはずの「問い」を見つけるということはどういうことなのか、ということが、きっと難しい人がこの本を参照するのだと思う。

ワークなどもふんだんに盛り込まれており、文献の選び方や、資料一つとってもどのようなテーマ・分野があるのかが概観できたりと、すごくよい本である。

研究テーマについて、一次資料の読み方や、どのように文献を探すかや、自分で本を出すとしたらどんなタイトルで本を出したいか、など参考になった点も多い。

でも「自分の問い」を見つけるとき、それはごくごく個人的なエピソードから発しているのではないか、とやはり思ってしまうのだった。

たとえばこちらの本では、中国の風水について調べる学生の例が出て来るけれど、実は自分の家族について理解したいというように、その人の心の深くを占める(これってフロイト的なのだろうか?) 問題について考えて、それを安易に何か結論付けたりしないことの方が大事だと思う。

最近、カウンセリングを受けていて思うのだけど、どんなに自分が何か「なりたい」と思う自分がいたとしても自分の性質というのは無視ができないのだし、何か「明るい」「解決したい」と思うことは結構なことのようには思うが、簡単にポジティブに解決することができないのだから、人は本を読んで、言葉を自分のブロックとして持ち、何か言葉をつくりあげていくのだと思う。そういうことの練習としても、自分の問いが何なのか(別にパッケージデザインの変遷でも、アイドル研究でも、時間をめぐる児童文学でも、なんでもよい)その問いの深いところには何を理解したいと思い、どういう人間なのかということがわかるとよいなと思った。

この本では、資料検索などについても丁寧に教えてもらえるけれど、千葉雅也だかがTwitterで言っていたように、どの分野とかテーマとか、それについて語れるに越したとこはないが、特に文系の場合、自分のテーマだけでなくありとあらゆることについて話せるようになっておくことが大事だ、ということはほんとうにそう思う。

文学は哲学と関連するし、当時の時代背景などにも共通するし、社会学的な発想について押さえていた方がいいこともあるし、そもそも自分の見方がどの学問に寄っているのか、(たとえば文学ベースの文学なのか、美術史ベースの一つの作品なのか、その分野全体のことなのか、それらを形作っているおおもとの起源はなんなのか、それについて語る時に外せない名著ってなんなのかなど)をなるべく包括的に知る必要がある。(と思う)。

この本では触れられていなかったけど、また、それぞれの学問分野の暗黙の了解のお作法や基本的な考え方もあったりするので、何か研究をしたいとか、突き詰めて「この哲学を知ってみたい」と思った時は、やはり独学で頼るのではなく、学術研究機関に近い人たちの話を聞く必要があると思った。

今回は「問い」に関して、「反響板」がある場合の話を読んだけれど、世の中には独学で思想をつくっていった人というのもいるわけで、(たとえば渡辺京二とかね)、次は中公新書の本でも読もうかなと思いました。