山崎豊子忌 (original) (raw)

山崎豊子(小説家)の命日は9月29日。今年は2024年9月29日(日)に谷町九丁目の藤次寺で行われた。

山崎豊子は、1924(大正十三)11月3日、父菊蔵、母ますの長女として大阪市南区横堀に生まれる。実家は船場の昆布店「小倉屋山本」。1936(昭和十一)年3月、大阪市立蘆池(あしいけ)小学校を卒業。1941(昭和十六)年3月、私立相愛高等女学校を卒業。ヴァイオリニストの辻久子、随筆家の岡部伊都子が同窓である。1944(昭和十九)年3月、京都女子専門学校(現:京都女子大学)国文科を卒業。同月、毎日新聞大阪本社に入社。1945(昭和二十)年、毎日新聞大阪本社学芸部に異動。当時、学芸部副部長であった井上靖に新聞記者としての訓練を受け、文章に対する厳しい態度を学ぶ。

2013(平成二十五)年9月29日、呼吸不全のため、入院中の病院で、午前2時10分死去。戒名は松壽院殿慈廉翠豊清大姉。一族の眠る大阪市の如意山藤次寺に葬られた。

f:id:higachanntan:20240930012835j:image谷町九丁目の藤次寺
f:id:higachanntan:20240930012857j:image↑同上
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f:id:higachanntan:20240930012846j:image↑豊子忌のポスター
f:id:higachanntan:20240930012904j:image↑谷町不動尊
f:id:higachanntan:20240930012849j:image↑小倉屋嘉兵衛の墓
f:id:higachanntan:20240930012839j:image山崎豊子の墓
f:id:higachanntan:20240930012900j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240930012853j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240930012842j:image山崎豊子の作品一覧表

f:id:higachanntan:20241001015153j:image↑大阪大空襲直前芦池校区復元図(著作権者不明のため、著作権者の情報をお持ちの方は当方にお知らせください)
f:id:higachanntan:20241001015149j:image↑明治初年の連合及付近町称(著作権者不明のため、著作権者の情報をお持ちの方は当方にお知らせください)

中央区はかつての東区と南区が合併されてできた区だ。大阪大空襲で米軍の焼夷弾攻撃で一面火の海になった。寺院も米軍の攻撃目標の例外でなかった。墓地の墓も黒ずんだのもある。大空襲の悲劇を物語っている。

「豊子忌」だと言っても、物見遊山的にイベントに参加する気持ちはいただけない。お線香を墓前に供えたいものだ。お参りする気持ちが大事だと思う。『約束の海』が未完になってしまったのが大変惜しまれる。

【参考文献】

山崎豊子全集第二期4 約束の海 シノプシス・略年譜』(新潮社刊、2014年12月20日発行)

『なにわの昆布の物語-小倉屋山本創業150年記念誌』(平成10年10月発行)

『付録 浪華の魁』(1976(昭和51)年発行、宮本又次著、復刻)

『商工技芸浪華之魁』(1882(明治15)年1月発行、垣貫一右衛門編)