泰澄大師創建の白山遥拝所 松任金剣宮 (original) (raw)
どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、松任金劔宮です
金沢から乗り換え、、、このキャラだれっ!!
調べると あいまるくん というIRいしかわ鉄道のキャラクターで被っているのは彼が憧れる前田利家公の鯰尾兜だそうですw
そっか、北陸はIRいしかわ鉄道やあいの風とやま鉄道で三セク化されているんですよね~(IRってIshikawa Railwayか!)
やって来たのは松任!! ユーミン(の旦那様)で知っていたから読めるぜ!! 本日の宿は松任、翌朝イチバンで白山さまへご挨拶する為に選びました(*´ω`*)
え? 別に金沢でも良かっただろうって? うーん、、、確かに、なんででしょうね( ノ∀`) きっと、山に少しでも近い白山市に泊まりたかったんだと思います(*´ω`*)
駅通路にマップがありましたが、、、白山がそのまま含まれているので市が凄い形してますね!!
白山は三峰を中心とした全体の事を指すので白山というひとつの山があるわけではないんですね、知らなかった
さて、と、駅を出ると思ったよりも明るい、というわけで夜間参拝もしくは翌朝早々朝の予定だった駅付近の二社をチェックイン前に参拝する事にしました
駅を出て左手へすぐのところ、って想像したよりも規模が大きい!
青銅の凄い大鳥居ですね Σ(゚д゚;) もうちょっとこぢんまりとした神社さんを想像してま
夜になって食事へ出かけた時に気付いたのですが、鉄道高架下を潜る歩行者自転車専用道がそのまま正面参道になってるんですΣ(゚д゚;)
だから車は通れなかったのか、、、さらにその前の通りは金劔通りとなっていて灯篭風の街灯がとてもオシャレです(*´ω`*)
白山さんの近くにも金劔宮がありまして、こちらは別とのことですが同名だったので是非参拝したかったのです
御由緒がありました、キンケングウだと思っていたらカナツルギグウなんですね、そして金劔大神は素戔嗚命、湍津姫命、そして都留伎日子命の総称なんですね、ちなみに白山の金劔宮とは同名ですが関連は無いそうです
717年に白山が開山され手取川を下ってきた泰澄大師がここから振り返り見る白山の荘厳さに歓喜山無量寿院を開き隣接地を白山遥拝所とされたのが神社となったそうで源義経や木曾義仲も祈願に訪れたと言われています
都留伎日子命は菊理媛命の御子とされており?!剣ヶ峰の神霊なのだそうです、御祭神については後述にします
もう気になるところだらけですがまずは手水舎へ、あぁ、とても清らかです
まず手水舎の裏、なぜ森に鳥居?!?!
立入禁止ということもないでしょうけれどさすがに見た感じ何も無く無闇に潜るのもはばかられたので写真だけ
写真は内側からですが、入ってきた時から凄く気になっていたのが奥側の木、その後ろには燈籠が二列並んでいます
ごく普通に見えるのですが何か不思議な感じがしたのは何だろう
こちらが御社殿、いやー凄く立派ですね
もう夕方なので扉が閉まっているかと思ったのですが中の見える扉で、、、おや? 開ける事が出来て中でご挨拶することが出来ました
とても静かで厳かな拝殿、、、うーん、凄く素晴らしい
そしてなんとウクライナ遥拝所があり国旗色の御幣が!!
ウクライナから県内へ避難者も居ることからウクライナ危機早期収束祈願祭も執り行われたそうです
境内左手には稲荷社が鎮座しています
こちらはお賽銭を入れる口がありますので扉は開きませんがガラス張りで拝殿を拝むことが出来ます
うーん、素晴らしい境内だ(*´ω`*)
社殿左手に御神木、さらに何かありますね
橋爪の夜泣き石、、、夜な夜な川から女性の泣き声が聞こえる川底からこの石を見付けお宮に納めるとその泣き声はやんだという
あれ? 奥が道になってる?
進んでみると木屑が敷かれてふかふかの道がぐるりと木々の周りの遊歩道になっています
何か気になる、、、と思ったら切り株かな?
こちらは絡みつくようで綺麗に避けている木
道はそのまま本殿裏へ
何の道だったんだろう、と思ったら四季の雲を四人が詠んだ碑
こちらはもしかしてこのお庭(遊歩道)の、、、と思ったら瑞籬、つまり瑞垣改築記念碑なんですね、恐らく本殿を囲んでいる瑞垣のことでしょう
その瑞籬の上には顎をつけ逆立ちする狛犬?が四隅に居ました
いやー、、思いのほかのんびりしてしまいましたが、すっかり曇り空の夕方になっていても凄く神聖で気持ちの良い境内でした
うん、ご挨拶出来て良かった(*´ω`*)
では現段階での御祭神についての後述です、この後に白山比咩神社を参拝した記事で新たに調べますのでコロッと変わるかもしれませんがそれはそれで必要なステップということで(*´ω`*)
まず素戔嗚命とその娘 湍津姫命がなぜここに祀られているのか、そして都留伎日子命とはいったい
これについては謎ではあるものの、遥拝所として白山大神である伊弉冉命の夫と子を祀ったと考えることが出来ます(伊弉諾命も白山御祭神とされているケースもありますが)し、同じく御祭神とされる菊理媛命の御子神として都留伎日子命も祀られていると考えることが出来ますが、それは少し短絡的で無理があるように感じます
白山信仰の謎がここに来てさらに謎を産みました(*´ω`*)
白山比咩神社では御祭神を菊理媛尊とされており共に伊弉諾尊と伊弉冉尊も祀っていますが、全国に鎮座される白山神社ではその社により異なっていて三柱全てというところは以外と少なく、菊理媛だけであっったり伊弉冉だけであったり、また三柱のうち二柱だったり、そして伊弉諾だけというケースもかなり稀ですがあるにはあります
なぜこのようなバラつきが生まれるのか、そもそも古事記には載らず日本書紀のみに描かれるのは何故なのか、黄泉比良坂で諾冉の間を取り持った女神とされていますがあそれ以上の情報はありません
と、、思っていたのですがこうして新しいキーワードが増えると付随して情報も増えますね(*´ω`*)
謎多きククリヒメに御子が? その都留伎日子命とは一体誰なのでしょう、調べてみるとまず読み方、金劔宮に剱の字があることからもツルギヒコと読みたくなりますが、これはイザナギ・イザナキと同じで途中から濁点が付いた可能性がある
いろいろ調べてみると、ツルギ→剱から武門の神とされるようですがツルキ→蔓木ということで本来は木々を司る神だという推察もされています
白山比咩神社の最寄り駅もある門前町は 鶴来 で つるぎ と読みますがこらも つるき と読むことが出来ます(私は最初 かくらい だと思ってましたw)ので鶴が由来である可能性も考えれば 剱、鶴、蔓と三通りの可能性があります(それ以上あるかもしれませんが)
そして出雲国風土記によれば、ツルキヒコはスサノオの子であるとされているのです、そうであれば松任金劔大神三柱が父娘息子ということになります
そして神名で検索すると松任以外では出雲が出てくる、確かに出雲で中心に祀られているとなるとスサノオの御子である事にも納得が行くけれど、、、おっと、奈良の磯城にもある?! が、こちらは功績のあった人物を祀ったという伝承があって関係無いかもしれない
うーん、、、と混乱していた所に浮かんできた情報が月山神社、、、山形?! 月山?! 調べると本宮には月読命だけでなく建速須佐之雄大神が祀られ、その周囲に祀られる神々はタギツヒメにサヨリビメ(イチキシマヒメの別名という)、タキリビメ、ツマツヒメ、オオヤツヒメにイソタケル、、、?! さらにヤシマジヌミ、ツルギヒコ、、、居た!! ...と尽くがスサノオの御子とされる神々が並んでいる、、、
カグツチ、春日神社、八幡神社、や地震じゃ、熊野神社も祀られてはいますがもはやツクヨミの氏族ではなくスサノオ一族で固められていると言って良いレベル
な、な、な、な、なんだこれわぁぁぁぁぁぁ!?と思ったのもつかの間、突き詰めては調べていませんがどうやら神仏分離の際にツクヨミをスサノオということにして周囲の観音をその御子神に置き換えていったのだという説が出て来ました
なぁんだぁ、、、びっくりした(でもツクヨミ=スサノオ説もあるようです)
でもとりあえず、全体的にはツルキヒコ=スサノオの御子という方が主流だということがわかりました
ただ、、、月山にはなぜか建角身神社が祀られている、仮に春日・八幡と同じ感じだと考えるには 賀茂神社・鴨神社で良いところを(それでもなぜ選ばれたか謎ですが)わざわざ建角身命が祀られているのは少し違和感がある
月山全体には他にも神社がありスサノオの御子だけではありませんが重要な御室内にタケツノミが入っている事は気になります
話が逸れて来たように見えて私の勝手な妄想は繋がっていきます(暴走とも言う)、蔓木、葛木、、、葛木!!
ここでひとつ懺悔を、、、かつらぎ といえば 葛城 なのですが葛木御歳神社は 葛木 だ!! と気付いて自分の書いたブログを見に行ったらなんと文中では葛木御歳神社と打っているのにタイトルと冒頭では葛 城 御歳神社と誤変換していることに気付いてシレッと直しましたm(*_ _)m この妄想が無ければ気付かないままだった( ̄▽ ̄;)
さて、こじつけから都留伎日子は蔓木で葛木に通じることからタケツノミが祀られてるんじゃないかと思ったのですがさすがに伝承も異なる一社があるだけで奈良とは関わりも無さそう
と思ったその時である
葛城国造の系譜に都留伎日子命の名がある?! そのツルキヒコが出雲で活躍したことで出雲に神社が多いとすればスサノオの御子ではなくなってしまう
はい、情報大渋滞で大混乱(°ω。)
能登応援の主題に次ぎ、我が姉神と勝手に崇めるククリヒメの正体に迫る を副題としていた今回の巡拝ですが御子の時点で巨大な迷路へと迷い込んでしまいました(´・ω・`)
でも、、、でも、、、この大混乱の中の一路がゴールへと続いている、と信じて( ˙꒳˙ )
これだけ妄想しておいて最後に言うなよって感じではありますが、当社は717年あたりの創建とされていますので麻痺してきた私の感覚では比較的新しく、御祭神から神々の系譜を解き進めるのはやや難しい
あくまでもひとつのヒントとして考え、導かれた答えがどう繋がってくるかによる、という感じですm(*_ _)m
もうね、わからないだらけの中においては僅かな情報すら採用して一度繋げてみて、それが繋がるのかズレているのかで消去していくしかないのですよね(´・ω・`)