下野国一之宮 宇都宮二荒山神社 (original) (raw)
どうも、ひのきですm(*_ _)m
さぁ、宇都宮二荒山神社へと参りました
いちょう通りから御橋通りへ、小さいけれど素敵な川と橋だなと撮影しておいたのですが調べてみると昔は宇都宮城主と二荒山神社神主以外は渡ることを許されていなかったんだそうです
そのまま北上すると通りの名前はバンバ通りへと変わり大鳥居が見えてきました、想像以上に大きい!!
遠目からも分かる右手の玉垣が気になり、先にご挨拶するべきという気がしたのでそちらへ
こちらは宇都宮二荒山神社 摂社 下之宮
まだお店も開かぬ平日朝ですがなかなか賑やかな場所であるにも関わらずしっかりとした重厚な御神氣に溢れています
こちらが元宮だったんですね!!
諸説あるようですが参拝後に調べたことも合わせ御由緒を纏めてみました
仁徳天皇48年(360年)、下毛野国の国造に任命された奈良別王が曽祖父である豊城入彦命を祀ったとされており(それ以前から大神大明神が祀られていたという説も)、下野国一之宮だったことからイチノミヤが転じて宇都宮になったとも言われている
元は下之宮が鎮座するこの場所も小寺峰と呼ばれる山になっており開発で徐々に削られ1961年にはほぼ平になってしまったんだとか、下之宮は途中で遷されたともずっとここで祀られたとも言われておりどちらかは不明、小寺峰と本社の臼ヶ峰を併せふたつの山があったことから二荒山神社とされたという説があるようです
賑やかな繁華街の一角とは思えぬ鎮まった空気、御祭神は本社t同じで豊城入彦命、配祀に大物主命と事代主命が祀られています
社殿裏の大通りは車通りも人も多いのですが不思議な緊張感と静寂に包まれた中、心身統一してご挨拶するとさぁーっと冷たい風が身を包む、、、あぁ、そうか、やっぱりお呼びいただいたんだな、二度寝やらかしたのに起こしてくださったんだな(でもなぜ呼ばれたのかは分かっていない)
では、、、いざ!! って!?!? 大両部鳥居ぃぃぃぃぃいいい!
す、すみません、、、両部鳥居マニアなもんで(*´д`*)ハァハァ
いやー、大鳥居ってその大きさだけでも十分凄いのにそれがさらに両部鳥居となるともうすっごいですね(語彙喪失)、失礼します!!
さぁ、石段だ!! っと、不思議ですね、この時点で物凄く氣が合うと感じ途中で振り返って眺める街も凄く良い、一歩一歩と登るにつれそれは確信に変わっていきました
なぜこれほど氣が合うのか、現時点では全くの謎でこの後色々調べても何もわからないかもしれませんが合う合わないに理由など無いのかもしれません
石段の途中で左右に境内社が並んでいました、まずは右手から
そしてひと際ズシンとした氣を放つお社は荒神社、三宝荒神かと思いなぜそんな覇気があるのかと思えば素戔嗚尊と書かれていて納得、京都今宮神社の疫神社と同じ感じで背後の木からも強いお力を感じます
そして最後のお社ですがなぜかこちらだけ立札が無く不明
こういう時に神様や眷属様とお話出来ればお教えいただけるのですが生憎そういった力は無いので暫し空気を感じてみる、、、うん、わからん(*´ω`*) でも凄く清らかな感じがするし水の氣が...? でも周りを見るも水は無いなぁ
調べてみるとこちらがなんと水神社...嘘やんΣ(゚д゚;) 公式な御祭神名を見つけることは出来ませんでしたが罔象女命でしょうか、脇に小さな川が流れている感覚になったのはきっとまぐれでしょう(*´ω`*)
そして三社を眺めて気づきました、それぞれのお社脇(後)に木があるのですが凄い氣を放つ荒神社の後ろだけ枝がワシャッとまるで指を前に何かを掴もうとする手のようになっています
他とは種類が違うのかわかりませんが、厄災を掴み取らんと前へせり出す木に強い有難みを感じます(写真だと立体感がイマイチ伝わりませんね)
続いて左手の境内社へ
手前は素戔嗚尊を祀る剣宮、同じ御祭神ですが荒神社とは異なりこちらは氷川さんなどと似た雰囲気です
知った上で参拝するならまだしも京都今宮さんの疫神社もこちらの荒神社もそうと知らずに同じ圧を感じるというのは巡拝していてとても興味深いところです
こちらは十二社、国常立神、国狭槌神、豊斟渟神、埿土煮神、沙土煮神、大戸之道神、大苫邊神、面足神、惶根神、伊弉諾神、伊弉冉神、天照皇大神、天忍穂耳神、彦火瓊瓊杵神、彦火火出見神、鵜葺草葺不合神が祀られます
そして道真公を祀る菅原神社です
その先には筆塚と、、、針霊碑?! つまり針供養なんですね、針霊碑という名では初めて見ました
そして石段を上がると立派な神門が迎えてくださいます
由緒や御祭神については後述にて
あぁしまった、写しきれていなかった(>_<) 琴平神社では狛犬が前脚で支える水盤でしたがこちらでは後脚(尾?)で支えています
水盤は素敵ですがそれ以上に清々しさを感じるのはなんだろう、後ろに回ると、、、井戸?!
なんとなく、じっくり境内の雰囲気を感じてからご挨拶したい気がしたのでゆっくりと境内散策
神門の左右回廊には奉納額などが掛けられていて、、、ぽ、ポップコーン自販機!? 全部うすしおでしたが絵のキャラクターが持っているバーベキュー味だったら面白懐かしくて買ってたかも(≧∇≦ )
なんと上部で繋がっている?!と角度を変えて見るとギューッと近付いて当たらず並んで延びていますね、凄く素敵な木だ(*´ω`*)
神楽殿も素敵ですね(*´ω`*)
よし、整った! 今回は始発から来て巡拝社絞ったので全てゆったりとしたマイペースで参拝しています(*´ω`*)
おっ、薄雲だけど暈がしっかり出てくれていますね(*´ω`*)
では、豊城入彦命、大物主命、事代主命へご挨拶!! 下之宮で既にご挨拶していたからか特に何も起こりませんでしたが
非常に重厚感ある素晴らしい拝殿内部で凄く引き締まるご挨拶が出来ます、そして何よりも凄く氣が良くてご挨拶を終えても暫く拝殿周りを離れたく無いなぁ、と感じるほどでした
社殿右手に神馬像、社紋は菊に三つ巴ですがこちらに三つ巴
こんなところに素敵な巨石が隠れていました、石好きにとっては堪らない(*´ω`* )
そして奥にお社は最上級に素敵な雰囲気です
また素晴らしい氣に満ちた本殿脇に祀られるこちらは素戔嗚尊を祀る須賀神社と大市姫命を祀る市神社の合殿
この静かなる癒し空間は見た目が私好みなだけでなく夫婦神で祀られてらっしゃるからでしょうか(*´ω`*)
なんとも可愛らしい表情で素敵な狛犬さんです(*´ω`*)
素晴らしい本殿も見えます、いやーここ凄く素敵だなー(*´ω`*)
そうそう、こちらの参道は正面ど真ん中に銀杏が生えているのですがこの木がまた素晴らしい氣を放っておりまして、はーと眺めていると枝々に沢山の乳が出来ていることに気付きました、夫婦神の正面ということがまた素晴らしい
続いて左手側へ
と、本殿真横にお社が!? っていうか瑞垣そのもの?!
なんとお名前は女体宮、御祭神は三穂津姫命
はて、、、と調べてみると ムハーッ となったので後述にします(オィ)
こちらは十社、素戔嗚尊、天児屋命、味耜高彦根命、武甕槌命、豊城入彦命、大山咋命、事代主命、下照姫命、誉田別命、日本武命と県内式内社の御祭神を祀っています
こうしてどういった神々を祀るということが書かれていると凄く助かりますね、無いと「なぜこの神が、どういった関係性が隠されているのか」と無駄に頭を悩ませるのでw
そして稲荷社ですが、二枝に別れる楠の後ろが凄く気になる!
と思えば井戸! 明神の井!!
参拝時は先に参拝した滝尾神社で宇都宮七水という名前だけは知りましたが他がどこなのか知らなかったので驚きました
横から入れるようになっているのですがよく見たら稲荷参道の鳥居途中からこちらへ来られるようになっています
井戸横に龍口がありまして、下方のハンドルを回すとお水が出るようになっています、流しっぱなしで無駄にならなくて良いですね(*´ω`*)
とっても清らかで気持ちの良いお水は宇都宮の名水で水質検査に適合しているけれど一応飲用は煮沸するようにとのこと、七木七水八河原、やっぱり宇都宮は水の街ですね(*´ω`*)
それではお稲荷様へ!! 朱鳥居と神狐さんが並ぶ素晴らしい参道
その先のお社もまた素晴らしくそしてビシッとした素敵な御神氣は Theお稲荷様 そのものです
心身を整え稲荷祝詞をあげさせていただく、いくつかの御神灯が円を描くようにくるくると揺れとても素晴らしい拝殿です
っぷはぁ~~~っ、最高に居心地が良い、どこもかしこも居心地が良い、街の雰囲気も良かったけれどとにかくこの山全体の居心地良さが凄い!!!
っと、まだまだ終わりません
境内左手から小路を降りていくと石段下へ、そして反対側の坂道を上がると神苑になっています
のんびりと歩きながら何か違和感を感じてじーっと見ていると草土に石壁と同化した小さく背の低い祠が?! これだけ綺麗にされている境内で放置されているわけがないので恐らく何かしらの神様が祀られているのでしょう
神苑というより斜面が竹林になっている素敵な小径ですね、とても心地良く登っていくと神馬像の後ろに出ました
そして稲荷社脇から裏参道を降りたところに鎮座されるのが東照宮、徳川家康公を祀ります
以上! 盛り沢山でしたがどちらも凄く素晴らしい宇都宮二荒山神社でした!! この後は餃子を食べてスタミナを付け、最後の参拝地へと向かいます!
それでは後述です(*´ω`*)
いろいろあってどれからいこ(*´ω`*)←おいおいw
まず、実は日光巡拝を終え特に次の目的地も無いままちょっとのんびりしていた時、これまでずっと放置していたホツマツタヱを漸く読んでみようと腰を上げたのです
以降には界隈で偽書と断じられているホツマツタヱを読み齧った情報も少し混じりますのでご了承くださいm(*_ _)m
二荒山神社が二社あることについてはかなりの混同や錯綜が見られ難しかったのですが自分なりに考えてみました、以降 日光社 宇都宮社 とします
創建は日光社が767年(二荒権現としての開山)とされており353年の宇都宮社の方が古いことになります
927年成立の延喜式神名帳においては河内郡とされており宇都宮社がそれに当たる、日光社は都賀郡なので違うということになるので創建年と郡名からも宇都宮社が式内社ということになる
ではなぜごちゃごちゃしているかといえば日光社は後の創建であるが二荒山という呼び名と祭祀自体はそれより古かったと思われ、また日光社が大きく崇敬を集めることになったからなど諸説様々
由緒も古く郡名も合っている宇都宮社ですが宇都宮大明神として祀られていたのが神仏分離で二荒山神社に改めたという説もあったり時代毎の都合により社格を変更されたりしています
周辺に分詞される二荒山神社の御祭神を見るとほとんどが日光社の方(大己貴命と豊城入彦命という併せ技な社もあるようですw)ですがそれだけで日光社が式内社だと確定することは出来ません
個人的には郡を間違えて記載する事は無いと思う(思いたいw)ので式内社としては宇都宮社だろうと思うのですが両社を参拝した私にとっては当然ながらどちらも上下無くそれぞれに素晴らしいということ、ただ他の地域にも言えることですが歴史的肩書きや社格によって保護や補助、人気(つまり集まるお賽銭や寄付)が変わるので論社や一宮で論争となるのは仕方が無いですね
主祭神の豊城入彦命は崇神天皇の皇子で候補二人がそれぞれに見る夢によって次期天皇を決めるとされ、三諸山に登って東へ矛刀を振り回す夢を見た豊城入彦は東国統治を命じられ、三諸山へ登り四方へ縄を張り雀を追う夢を見た異母弟が後継に選ばれ垂仁天皇になりました
ちなみに豊城入彦って豊鍬入姫と似てるよな、と思ったら兄妹(どちらが上かわかりませんが)でした!! 豊鍬入姫は宮中より笠縫邑へ天照大御神を遷し祀った初代斎王です
毛野国の開祖とされる豊城入彦命を祀ったのは四世孫の奈良別王とされていますがその系譜を見て三世孫の名が御諸別王であることに気が付きました、崇神天皇の皇子達はなぜ揃いも揃って御諸山に登る夢を見たのか、なぜ豊城入彦の子孫に御諸の名が付けられているのか
そもそも御諸とは神坐す神聖な場所という意味だそうですが皇族にとって御諸山といえば三輪山でしょう、そして宇都宮二荒山神社は創建前に大神神社が祀られていたという説があるようです
そう、配神に大神神社の主祭神である大物主とその子とも言われる事代主が祀られているのです、繋がった!?
ではその大神神社は誰が祀ったのか、勝手に想像すると崇神天皇は御諸山の麓を都としており自身も御諸山の夢を見たわけですから毛野国へやって来た豊城入彦が大神様を祀ったとしても何ら不思議はない、そこへ子孫が開祖として豊城入彦を祀り主祭神になったのではないだろうか
そうだ!! 本殿脇に祀られていた女体宮はよく見れば瑞垣と一体化して扉となっておりその後ろがお社と考えれば本殿のすぐ真横、もしくは一体化していると思われるので単なる境内社とは思えない
日本書紀やホツマツタヱによると、国譲りの後に高皇産霊神から「后を国つ神だけ選んでいるのはよろしくない、我が娘を娶り皇孫に尽くすのだ(意訳)」と言われた大物主は三穂津姫を后にしたという
余り多くは無いですが三穂津姫を祀る主要な神社においては大物主の后とされていたり事代主と共に祀られているようです
ちなみに大物主と三穂津姫の御子は1人だけだったようですがその子が三代目大物主を継ぎ二人の姫との間に18人づつ36人も育てた事から子守神の名を賜り、夏越の大祓を始まりを作ったという、そしてその子孫が大田田根子なのだという(信じるか信じないかは…)
あれ?でも大神神社に三穂津姫って祀られてたっけ?と調べてみるとなんと三輪から北西に大物主の后神として主祭神に祀る大神神社の別宮だと伝わる(公式ではない)神社がありました、、、マジかっΣ(゚д゚;)
ホツマツタヱは偽書で創作かもしれませんが一部では日本書紀の また別の説では とも共通しており、もし真実であれば宇都宮社の流れや御祭神についても綺麗に繋がります
まさかこんな謎のタイミングで宇都宮へ急に呼ばれたのはホツマツタヱを読みこの流れを理解出来る条件が揃ったからなのか?! だから来なさいという事だったのか?!
豊城入彦命が誰の子かも知らず参拝してこれだけ繋がってくるなんて、あぁ、謎の使命感達が次々と意味を持ち繋がっていく
そしてこの日、最後の参拝社に選んでいたのはまさかの...