晴走雨読 横鎌日記 (original) (raw)
谷川俊太郎さんが語り手となっている「詩人なんてよばれて」(聞き手・尾崎真理子)を読んでいたら、デビュー作を急に読みたくなって、急いで購入した。「二十億光年の孤独」は以前読んだことがあったが、どこかで手放していた。しかし、ガブリエル・ガルシア=マルケスが「百年の孤独」を刊行する15年も前に、こんなスケールの大きなタイトルを考えつくとは。二十億光年とは、谷川さんの知識内の宇宙の直径だそうである。
思い立って書店に行ってすぐに購入したわけだが、70年以上も前に刊行されたデビュー作がこんなに簡単に手に入る詩人って、谷川俊太郎さんだけなのではと思った。まだ、現役であることも理由の一つなのだろうが、日本の詩人として常に第一線に居続ける(商業的な意味も含めて)人ということなのだろう。いつからかしれないが、英訳や自筆ノートまでついて、少しとくした気分になった。
再読(再々読かも)して驚いたのは、言葉が新鮮でまったく古くないこと。ほどよく忘れていて新しく感じる部分があるのは否めないが、1952年刊行とはとても思えないくらいに時代のギャップを感じないのだ。仮名づかいが今とは違う部分もあるのだが、言葉がとにかくみずみずしくクリアなのだ。谷川さんの詩の特徴とも言えるけど。
谷川さんの父親は、哲学者の徹三さん。高校を卒業しても大学にも進学せずに、いまでいうフリーターをしている俊太郎さんに「(今後は)どうする気なんだ」と問い詰めたところ、友人の影響で数年前から始めていた詩作のノートを徹三さんに見せた(当時の俊太郎さんの趣味はほかに、模型飛行機づくりとラジオの組み立て)。文芸批評もこなす徹三さんはノートに◎や○と詩にランクを付けるほど感銘し、友人である三好達治さんに送りつけたとのことだ。徹三さんにとっては息子の思わぬ才能に興奮を覚えたのだろう。三好さんは、そこから6篇を選んで「文學界」に推薦。俊太郎さんは、思わぬ形で詩人としてデビューしてしまうのだ。
「文學界」を読んだ雲井書店が出版を申し出るが刊行前に倒産。創元社が引き継いで、この「二十億光年の孤独」が1952年に刊行された。英訳されているとあっては気になっていたのが、本の題となっている詩のこの部分だ。
火星人は小さな球の上で
何をしているか 僕は知らない
(或はネリリし キルルし ハララしているか)
これが以下のように訳されている(訳は、W・I・エリオット、川村和夫)。
I've no notion
what Martians do on their small orb
(_neriri_ing or _kiruru_ing or _harara_ing).
そのままじゃん、と拍子抜けしたが、考えてみれば火星語である。英語になるわけないか。