2024年前半に読んだ本の記録 (original) (raw)
10冊しか読んでない。
私は、2024年の前半、10冊しか、本を読んでいないのだ!
しかも、児童書も含んでいる。
そして、後半、もっと少なくなる見込みがある。しかも、映画や海外ドラマだって全然観れてない。1クールに見られるアニメも減っている(かろうじて、漫画だけはまあまあ読んでるかも)。
仕事(のようなもの)が増えているためだ。年齢的なものもあるのかもしれないが、打ち合わせや会議も増えてきた。
こんな人生で良いのだろうか。別に専業の創作者になりたいとは今更思わないが、できるなら(創作意欲に駆り立てられるなら)何か創作はできないだろうか、とはよく思う。私はどうやら創作の歓びに取り憑かれているようだ。何らかの理由でそれが無理なら、純粋に作品を享受する側でも仕方ないか…とも近年思っていたが、その享受すら怪しい。パズドラに勤しむ菅田将暉(『花束みたいな恋をした』より)が脳裏にチラつく。もちろん、私が不安を覚えるだけで、それで良い人はそれで良いのだけど。
中年の危機が始まるのか。準備期間に入ったのか。
2025年の前半までこの状態は続く見込みだ。
がんばれ負けんな力の限り生きてやれ。
5/26〜6/15【10】
『中学受験 子どもの人生を本気で考えた受験校選び戦略』(じゅそうけん)、読了。
私は中学受験をしたことが無く、知識が全く無いので、軽く子どもの受験を想定して読んでみた。
受験が必要な中学(主に都内)の情報や、その受験のための情報が書かれていて、大変興味深かった。とにかくどんどん進む少子化が『男女別学が減らす』し、『大学受験の難易度も下げる』という大局観は得た。
しかし、一番興味を惹かれたのは、発達障害を持った児童、あるいは、発達特性に強い傾向がある児童、の中学受験についてだった。
まず、『彼らは高い内申点を得づらい』という気づきを得た。私は内申点のウェイトが重い高校受験の地域の出身だ。学校に適応できなければ内申点は良くならず、公立進学校に入学できないというのはよくわかる。その救済措置としての中学受験、という視点は新鮮だった。私は、たまたま自分や周りを色々欺いて高い内申点を得たが、自分の息子にその能力があるようには見えない(し、高い内申点が全てだとも思えない)。だからと言って、中学生の彼が全く新しい環境に適応できるのか、と考えるとわからない。
まだまだ悩ましいが、少なくとも、この本のおかげで、中学受験を一つの選択肢に増やせた。
6/8〜6/15【9】
『龍の子太郎』(松谷みよ子)、読了。
小学生の頃にとても好きだった本で、何度か学校の図書室で借りた。表紙の絵を模写したこともある。何でだろう?何が好きだったんだろう?現代でも子どもに薦められる内容なのかな?と思って読み直してみた。
まず、カバーの絵が好きだったことは思い出せた。田代三善氏の躍動感のある大胆な絵が好きだった。龍の子太郎のビジュアルに感じるあのまっすぐさも好きだった。
読み返して真っ先に気づいたのは、言葉のおかしさだった。方言をギリギリ理解できる言葉にしているのだが、楽しいリズム感を含んでいて、口に出すと笑ってしまうようなパンチラインの連続だった。それでいて詩的で、実は無駄な言葉が無い。
一番惹かれたのは、龍の子太郎と母が想い合う気持ちの純粋さだったと思い出した。龍の子太郎がお湯のような熱い涙を流すシーンに泣きそうになる。漫画『うしおととら』は龍の子太郎の影響を受けている部分が大きいのでは無いか?母を探す旅である点、旅で出会ったもの・人々がラストに影響する点、母の櫛を持ち歩く点、お互いに想い合う母と子の描写、主人公のまっすぐに他者のために頑張る性格、などの共通点が多かった。
色々な敵やトラブルに巻き込まれながら話が進むロードムービーだった点は、日本版『最遊記』のようだった。
今回一番驚いたのが、龍の子太郎の成長譚になっていた点だった。彼は最初は自分のことしか考えられず、とても独りよがりな考え方で生きていたのだが、自分の大事な誰かのために動くようになり、最後には見知らぬ誰かのために献身的な人物になる。これは『社会化』というプロセスそのものではないか。
よって、この本が大人になる過程を描いていると言えるかもしれないが、ここにある『龍の子太郎』の純粋さには惹かれ続けるし、大人になってからも立ち返りたい。
6/6
『ショットとは何か』(蓮實重彦)を読み始めた。
6/5
『4』(青松輝)を読み始めた。
3/4〜6/5【8】
『あのひととここだけのおしゃべり』(よしながふみ)、読了。
よしながふみといろんな人との対談集。漫画の作り方・描き方の話や、少女マンガ・やおい・BLの話(から繋がるフェミニズムの話)などが主な話題となっている。
どの対談でも、相手はよしながふみの考え方を聞きたそうだったし、よしながふみの明晰かつクリティカルな返答がめちゃくちゃ面白かった。
特に、『BLが現代社会における男女のジェンダー問題を反映しないための手法である』という話や、『BL読者は、無意識に男女の在り方に居心地の悪さを感じている人なのでは』という話には気づきを得た。何度も読み返したい。
また、昨今色々と問題になっている映像化における原作者の立場について考えさせられる対談もあった。羽海野チカ氏との対談ではその問題のセンシティブさを改めて感じたし、堺雅人氏との対談には原作者とドラマの幸福な関係が垣間見えて希望を感じた。
4/30
『フリアとシナリオライター』(作:マリオ・バルガス・リョサ/訳:野谷文昭)を読み始めた。
4/15〜4/27【7】
『地雷グリコ』(青崎有吾)、読了。
面白過ぎて一気に読んだ!
絵の無いマンガだ。デフォルメされた濃いキャラクター達も、どんでん返しみたいな仕掛けのある勝負の魅せ方も、どれもマンガ的で、コミカライズ・実写化・アニメ化等のメディアミックスは容易に想像できる。著者が書けるのがたまたま小説だっただけだろう。『ジョジョの奇妙な冒険』第三部のダービー兄弟、『遊戯王』の初期、『カイジ』、『嘘喰い』など様々なマンガ作品を連想した。
めちゃくちゃ緻密に勝負の展開が考えてあって、頭脳戦と心理戦も十二分に楽しめるのだけど、やはりその根幹を支えているのはキャラクターの設計の巧みさだろう。性格とビジュアルの描写がしっかりとあって、各キャラクターがどう考えてどう動くのか、ということに違和感が無い。そして、主人公はその「相手がどのように見えるか」「相手からどのように見えるか」を超上手く使って勝負していく。
更に、主人公は深い思考の末に必ずコペルニクス転回的などんでん返しを仕掛けて、毎話盛り上げる。
そして、短編集ではあるが、主人公の行動原理の謎が少しずつ明かされていく、と言う楽しみもある。それら全てを考える作者には敬服する。
4/4〜4/15【6】
『東京都同情塔』(九段理江)、読了。
言葉という存在そのものに疑問を投げかける。言葉を使って言葉を考えることの困難さと滑稽さを露わにする。日本語という言語にも違和感を覚え、主人公はカタカナという存在の厚顔無恥な姿を訴える。
妙に高慢で選民思想が透けて見えるのが鼻につく主人公だけど、執拗に言葉を検閲しながら喋り、言葉への強いこだわりを語る苛烈な姿が圧倒的に面白くて、飽きずに最後まで読める。
『建築』を『言葉』や『身体』という観念と上手く繋いで、新しい考え方を啓蒙するような描写にも驚きがあった。
現実をほんの少しだけ踏み外したような舞台設定から上手くて、『ザハ・ハディドが設計した国立競技場が作られていたら』というパラレルワールドには、常にギリギリあり得たかもしれないリアリティがある。その結果として、建築が社会に与える影響の大きさについての描写もあり、そこにも説得力がある。その現実と地続きになっている舞台設定の上手さがずっとある。
例えば、刑務所がかわいそうな囚人にとって快適であるべき、という価値転換はギリギリ起きなそうだが、作中にある論理としてはわかる。
一方で、その施設が『シンパシータワートーキョー』と名付けられる事態は起きそう。『都電荒川線』を『さくらトラム』に変える感覚や、ネオンを赤くしてコロナへの注意喚起を図った『東京アラート』などのネーミングを想起した。この何かを覆い隠そうとするカタカナには意識が向くようになった。
皆の言葉がすれ違っていくバベルの塔のイメージが、東京都同情塔に重なるのは面白かった。そこに寄与して、主体の無い言葉を生成するAIの不気味さも感じた。
全体的に、頭で考えたことばかりで、身体感覚を伴わない描写が多いように感じたが、これも2020年代の日本のリアルかもしれない。
2/17〜3/26【5】
『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』(岡真理)、読了。
政治的な態度を表明するのは難しい。
「どちらかに立てば、どちらかを傷つけるのでは無いか」「専門的な知識が乏しい私が生半可な知識で言及すれば間違えるのでは」という疑念も不安もあり、何も出来なくなる。しかし、このパレスチナ問題について知れば知るほど、その私の消極的な沈黙が悪であるとわかる。
本書の一つ一つ丁寧な説明が、『行動しないこと』の問題性を露わにする。高校時代に世界史の授業である程度学んでいたはずなのに、私はわかっていなかった、あるいは、忘れていた。全てイスラエルの思うツボだ。
緊急出版らしく、重複する内容もあるけど、イスラエルが犯している罪を切実に訴えていることはよくわかる。とにかくガザで起きている虐殺を、政治的な解決で止めなくてはならない。このままでは、子ども達に胸を張って生きられない。
3/9〜3/17【4】
『穴 HOLES』(作:ルイス・サッカー/訳:幸田敦子)、読了。
不運に苛まれていた少年が勇気を持って立ち上がる物語。と大掴みに書くと、王道のジュブナイル小説のようだが、間に入ってくる挿話が変な話ばかりで、全体的な読み心地はとても奇妙だ。その血縁にまつわる挿話の雰囲気は『ジョジョの奇妙な冒険』への影響を感じさせた。そう思っていたら、スニーカーのエピソードはそのままジョジョ6部に引用されていた話だったし、穴を掘る少年達のやり取りやいざこざは、6部の受刑者達の描写に影響を与えてそうだった。
とにかく個性的な登場人物が生き生きと描かれている。そんな中、主人公は不運なだけだ。別に秀でた能力も無いし、犯罪も犯すような人物でもなく、その不運さに翻弄される人生を諦めて受け入れ続けているだけだ。そんな彼が友人のために、ようやく不運に立ち向かう姿はグッとくる。その展開には、厭な大人達に利用されるな、というメッセージも受け取れる。
子どもの時に読んでおきたかった。
2023/12/15〜2924/3/3【3】
『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(済東鉄腸)、読了。
著者の経歴の面白さに興味が湧いて読み始めたが、「〜だよな」と語りかける口語文のような文体に最初は面食らった。読んでいくうちに、自慢になってしまいそうな内容を書くために、どうしても必要な文体だったのだろう、と考えた。
著者のように語学を学ぶパターンを聞いたことがなかったが、殆ど人に会わずに上達させる姿は鮮烈で、2020年代ならではだった。著者のその行動力は、『引きこもり』という言葉の持つ固定観念を吹き飛ばす勢いがあった。彼の生き方は、皆が同じ山に登って競い合わなくても良いのだ、という示唆も含んでいた。
文学的素養を感じさせる凝った言い回しや、ジョジョっぽい言葉使いやサブカル的固有名詞の使い方にもこだわりを感じた。
ルーマニアにピンポイントで興味を持ったことが無く、読んで初めて知ることは多かった。『ルーマニア作家の多くが兼業作家である』と言う点は、本の部数がもっと下がる日本の未来のモデルケースであり、それが風通しの良さをもたらすなら、受け入れるべきだろうな、とは感じた。
2/6〜3/3【2】
『旅する練習』(乗代雄介)、読了。
読み進むに連れて、その旅のかけがえの無さが増していく。彼らにとっても、読者にとっても、とても大事な体験になっていく。
川と鳥と花と木が、確かにそこにあることを讃え続ける文章に、さざめくように心が震える。植物や鳥の固有名詞を交えて風景を精密に描写する文章からは『この人の閾』を思い出したし、主人公と亜美が二人で散歩するように過ごす姿には『季節の記憶』を感じたし、保坂和志からの影響の色濃い作家なのかもしれない。
しかし、おそらく書き方はかなり違う。この本は先にプロットがあって、回り道や近道を楽しみながら、物語が動くチェックポイントを拾っていくスタイルなのではないか、と推測した。だから、明確に感動できるポイントがあって、まんまと感動したし、しっかり悲しくなった。
それと、突拍子も無い固有名詞に固執する点も保坂和志っぽいのだけど、その固有名詞の使い方がとても上手くて、点在していた要素が星座のように繋がっていく過程にはワクワクした。
それが伏線回収などとは違って、人生経験のように、ちゃんと積み重なって変容していく。そうなっているからこそ受容できる、静かな感動があった。
1/18〜1/23【1】
『殺人犯 対 殺人鬼』(早坂吝)、読了。
タイトルや装丁から想像したレベルより本格的なミステリで満足度が高かった。
登場人物の名付け方が舞城王太郎とか西尾維新っぽかったので、強引な展開や論理が現れてストーリーがツイストしていく予感がしていたけど、そうではなかった。純粋に読者の予想を裏切りたいという意志が、しっかりストーリーをコントロールしていた。小説ならではのミスリーディングを使っているが、そのやり方はフェアで、後から検証してもある程度破綻が起きないようになっていた。
例えば、殺人の動機がよくわからない(あるいは、弱い)と拙く感じた心理描写は、その後に明かされる事実によって、その妥当性がちゃんと現れてきて、唸った。