四国八十八ヶ所原付遍路 徳島編 (original) (raw)

空海は、今の香川県善通寺市に生まれ、唐で密教を学んだ後、和歌山の高野山にて真言宗の寺院を建立し、真言宗の開祖となった。その途中で空海が実践したとされるのが、四国にある八十八ヶ所の寺を巡礼するという、後に「お遍路」と呼ばれ、様々な人がその跡を辿ることになる修行道である。私の中には様々の煩悩があり、それを払うのに必要な修行だと考え、ずっと昔から実行したいと思っていたが、それがこの度ようやく実現したというものである。詳細は後述するが、移動手段としては原付を使うことにして、レンタルの予約をしてあった。

和歌山港から南海フェリーを使って徳島港に辿り着くと、バスに乗ってまずは徳島駅に到着した。徳島駅に着いた頃にはもう時間が遅く陽が傾きかけていたので、一応眉山ロープウェイの方へ向かってみるも、営業を終了していそうな雰囲気で、阿波おどりミュージアムも営業終了していたので、大人しく徳島駅へと引き返すことになった。

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駅まで戻ってきた後、駅近の居酒屋を探して、一つの大衆酒場に辿り着いた。そこは海鮮がメインの老舗で、地元のサラリーマンや常連客で賑わっていた。

徳島の居酒屋だが、鰹や鱓など高知を思わせる料理が人気の、四国の様々な味覚が詰まったようなメニューだった。とりあえず生ビールに山水母、鱓の叩きを注文して、ビールを呷りながら鱓を待つ。しばらくしてやってきた鱓叩きは白くてぷりっとした身に薬味も多く盛られていて、新鮮で美味しく、四国以外でほとんど食べられていないのが不思議なくらいだった。その後も鯨ユッケや海鼠ぽん酢といった珍味を食べながら、徳島の地酒をちびちびと啜って、お遍路を始める前にまずは四国の海鮮を堪能した。

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その翌日から2週間の予定で原付をレンタルしていたので、この日はそのまま宿泊するネカフェに向かって、すぐ側のスーパーで酒とつまみを買ってから入店した。決起会の二次会のようなつもりで、一人旅ながらそれなりに飲んでいたら、いつの間にか夜が更けてきて、深夜に就寝することになり、翌日目覚めた頃には昼であった。

真昼間にネカフェを一度退店して原付を受け取りに行こうと思うが、その後に一ヶ所さえ巡礼できるか怪しいくらいの時間であった。乗り潰しも兼ねて、鳴門線に乗って鳴門駅まで行き、まずはそこからバスで少し行ったところにあるバイク屋を訪れた。

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店員にレンタルしに来た旨と氏名などを伝えると、予約してあった50ccのスーパーカブを出してきてくれた。これがこれから2週間の旅を共にする相棒かと初めはテンションが上がったが、原付に乗ったことはあるか、原付講習は受けたかを聞かれ、正直に乗ったことがないと伝えると、店長の表情が険しくなり、場が一気に不穏な空気に包まれた。

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自動車の普通免許のために教習所に通っていた頃は真冬だったためにタイミングが悪いことに原付講習が休講になっており、そのまま原付講習すら受けられないまま普通免許を取得してペーパードライバーになっていたのであった。

店長が車体の各部位や操作方法などを手早く説明してくれるのを聞いた上でまずは試乗することになったが、なかなかどうして勝手がわからずうまく運転できない。一応原付の各部位と操作方法自体は一通り調べてから来たし、何より公的な免許があるのだからと甘く見ていたことをその時は後悔した。「そんなんやったらあかん、貸されへん、事故んで」などと何度も言われながら店の前の狭いスペースを往復しながらそれなりに長い時間練習をして、ようやくアクセルの捻り具合が少しわかって右左折、転回などが一応できるようになった。それで、いよいよ路上に出て出発することとなったが、最後まで店長には不安そうな顔をされながら送り出されることとなった。

ところが路上に出てみると、これが意外とすぐに慣れて思い通りに動かせるようになった。やはり狭いスペースでの練習というのが運転をしにくくしているのであって、広い路上に出れば意外と怖くないという、教習所で初めて路上に出た時と同じようなことを思った。

そんなこんなで何とか普通に乗れるようにはなったが、その頃にはもう時間が遅く、第一番札所の霊山寺にすら間に合わなそうだったので、そのまま国道を南下して数時間前までいたネカフェに戻ってくることとなった。この日は原付講習だけで一日潰れたといった感じか。一抹の不安を覚えながら、また駅前の繁華街の居酒屋に入って、大して何もしてないのに一人で自らを労って、更にまたネカフェの側にあるスーパーで買ったものを飲み食いしたりして、とてもこれから仏道で修行する身とは思えぬ頽廃的な有様であった。お遍路はその翌日に開始されることとなった。

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そして結局翌日も寝坊し、とっくに正午を回って陽が傾いてきた頃に、原付で霊山寺に乗り付けた。

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霊山寺は鳴門市にある八十八ヶ所の第一番の寺であり、多くの人にとってスタート地点となる。ここから第二十三番までが四国の一国目として、「発心の道場」とされる阿波の巡礼路となる。その中でも八十八ヶ所全体の出発地となるここには、お遍路道具が一式揃う門前一番街なる施設が名前の通り門前にある。

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そこでお遍路道具を買おうと物色を始める。まずは納経帳や納め札、線香、蝋燭などを手に取って、見た目で明らかにお遍路さんであるとわかった方がいいかと白衣や輪袈裟を手に取って、笠は流石に嵩張るし邪魔になりそうだとか思いながら自分のスタイルに合った道具を一通り買い物かごに入れた。レジに持っていくと、1万円余ほどした。念珠は略式のものだが持参してきたもので済ませることにしたとはいえ、やはりそれなりの額ではあった。

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それらを整理して鞄に入れようと外のベンチで整理し始めた。元からそこまで大きな鞄ではなくて、そこに既に着替えなどが詰められていたので空きは多くはなかったが、何とか入りそうで安心した。

それを確認すると、お線香と蝋燭をあげ、納め札と賽銭を入れ、仏前で拝み、納経帳に納経してもらうという一連の流れを念のため確認してから、霊山寺の本堂と大師堂で手を合わせた。お経は長くて読んでいる時間がないと思って省略することになってしまったが、せめて宿泊地で読もうとは思った

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そして納経所で行き、まだ真新しい納経帳を差し出した。筆に染み込ませた墨で鮮やかに梵字などを書いてもらい、いくつかの朱印を押してもらう納経の様子を初めて見ながら、いよいよ遍路修行の旅が始まったのだと気を引き締めた。最後に、弘法大師御誕生1250年記念事業ということで令和6年末まで押される予定の青いスタンプが押され、更に本尊の描かれた御影の他にその事業の期間中だけと思われるカラーイラストで弘法大師の生涯のワンシーンを切り取ったカードまで貰えた。これで一連の流れを経たので、第一番での参拝が終わった。

その頃には既に納経所の受付が終わる17時が近く、第二番にすら間に合わなそうな時間帯だったので、また原付を走らせて徳島市まで戻った。しかしこの日は徳島駅に近いところではなく、そこから数kmほど西側の店舗に原付を停め、翌日の走行距離を少しでも少なくしようとした。

そこは郊外なので近くに飲食店もあまりなく、また前日までの放蕩を反省する気持ちもあって、近くのスーパーで軽い夕食を買うだけに留めた。早めに就寝し、翌日からはペースよく寺々を巡っていこうとコンディションを整えた。

次の日は早朝の6時台に出発した。まだ微妙に慣れぬ原付に跨って、朝焼けを浴びながらまた鳴門市内へ、第二番札所極楽寺へと辿り着いた。

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そこからはとんとん拍子で板野町にある金泉寺大日寺地蔵寺、上板町にある安楽寺阿波市にある十楽寺熊谷寺法輪寺までを一気に回った。ここまでは狭い区間に密集しており、地形的にも平坦だったので、お遍路は思ったより楽なものなのかもしれないと勘違いしそうになった。途中からは白衣と輪袈裟も羽織り、本格的にお遍路さんといった見た目になり、すれ違うお遍路さんに挨拶されることが増えたので、挨拶を返して旅の安全を願った。大抵の人は車で来ていた。

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その次にある第十番の切幡寺は少し険しそうな道であった。第九番法輪寺で休憩した後、切幡寺の駐車場に原付を停めると、厄除けの階段を上っていった。上り切ったところの本堂と大師堂が最奥かと思えば、その奥を更に上ったところに切幡寺大塔があり、上からの眺望も素晴らしいという。体力的に少し迷ったが、この辺りに詳しそうなおじさんが是非上まで行ってみてほしいというので、その人と一緒に階段を上った。

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上に辿り着くと、立派な塔が聳えており、反対側を見ると徳島平野を一望できた。「綺麗でしょう」とおじさんが笑う。そして平野の真ん中を通る吉野川の向こうにある「遍路ころがし」と呼ばれる難所・焼山寺へ至る道について教えてくれた。

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階段を下りて、感謝を述べて切幡寺を去ると、吉野川を渡った先の吉野川市にある第十一番の藤井寺に参拝し、そしていよいよ八十八ヶ所中でも有数の難所とされる第十二番札所焼山寺へと向かうこととなった。

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それは吉野川市より南の神山町の山中にあり、境内までは長い葛折りの山道が続く。寺のある山道に至るまでの間にも1時間ほど山道をずっと南下していき、途中、集落を通過しながらようやく細く急な山道の入口に辿り着いた。そこからもまだ4kmほどの道をくねくねと曲がり続けながら少しずつ上っていく必要がある。駐車場に到着した頃には16時を回っていた。

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駐車場からも10分程度徒歩の山道があり、最後まで険しい道を上り切って、ようやく本堂や大師堂のある境内まで辿り着いた。ここで一連の流れを終えて納経していただいた頃には、次の寺に行くにはあまりに遅い時間であった。遍路ころがしの名に恥じぬ、一ヶ所だけ極端に遠い寺であった。

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そこからまた長い間山道を下って前日と同じネカフェに辿り着くと、近くのスーパーで酒とつまみを買って、まだ慣れない中一日中動き回った自分を労いながら晩酌を傾けた。翌日は徳島県内の最南の寺まで辿り着くことを目標にしながら、早めに就寝した。

翌日は早起きして、納経所が開く7時より前に第十三番の大日寺に到着した。それでも既にお遍路さんが何人かいて、巡礼を開始しているようであった。随分と早い時間から活動している人は他にもたくさんいるものだと思いつつ、私も7時になる前にお参りを済ませて、7時になるとすぐに納経をしてもらった。

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そこから第十七番までは徳島市内にあるので、常楽寺国分寺、観音寺、井戸寺までテンポよく回った。その次は南下して小松島市にある恩山寺立江寺を巡礼。ここまでは平地にあって比較的訪れやすい寺社であるが、その次の二つは山奥にあって、難所と呼んでいいだろう。

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小松島市から西へ、山間部へと入っていく。1時間近くかけて、勝浦町にある鶴林寺へと辿り着いた。ここはまた集落からも離れて山の上へと行かねばならないところであった。駐車場から階段を上った先の本道は、両側に青銅の鶴の像があり、まさに名前の通りである。第二十番なので何となく切りのいい数字に感じられるが、遍路道としては中途半端な位置であった。

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次の太龍寺こそ八十八ヶ所の中でも有数の難所と言われる寺である。難所であるがゆえに、ここにはロープウェイが存在する。四国ケーブルは香川・徳島に3つの路線を持っており、太龍寺ロープウェイはその一つである。

ロープウェイの山麓駅は那賀町の道の駅鷲の里に併設されている。そこを目指して那賀川沿いの眺めのいい県道を南下していく。山麓駅に着いた頃くらいから雨が降り始めたので、足早に道の駅に入ってロープウェイの往復チケットを買い、次の便を待った。

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やがてロープウェイの改札が開始され、ロープウェイに乗り込んだ。ロープウェイが動き出すと、ずっと高いところまで上っていって、2つの山を越えていくという。2つの山頂の間で少し弛んでいるような形になっているロープ区間で反対側の車両とすれ違うと、次の山頂を越えた後、斜め下に進んで太龍寺に着いた。

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太龍寺では雨が降っていたので、ロープウェイ駅で傘の貸出があった。そこで傘を借りて、差しながら階段を上っていった。上りきった所で本堂と大師堂を参拝して納経を済ませると、次の寺へ行こうとすぐにロープウェイで折り返した。

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次に向かうは阿南市平等寺である。太龍寺も寺自体は阿南市にあるが、こちらはもう少し人の住んでいるところまで東に行ったところにある。平等寺の参拝を済ませると、次はいよいよ(雲辺寺を除き)徳島県最後の寺となる第二十三番、美波町薬王寺である。

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何とか間に合いそうだったので薬王寺まで原付で乗り付け、16時半頃に参拝と納経を済ませた。天気は再び雨になったので、薬王寺の側にある薬王寺温泉に入って、室内でゆっくりしながら服が乾くのを待った。

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ところで、この日の宿をまだ決めていなかったのであったが、外は雨が強まっており、これ以上移動する気も起きなかったので、この日和佐地区で宿を探すことにした。かなりぎりぎりの時間であったが、何とか一つ民宿を見つけ、そこまで向かった。

木造建築で畳の情緒溢れる宿に着くと、直前に予約したにもかかわらず好意的に迎えてくれてほっとした。一人で泊まるには広すぎるような和室を一つ与えられ、そこに荷物を置いて、濡れた衣類をハンガーにかけて翌日までに乾くようにすると、一息吐いた。

しばらく休むと、徳島走破記念に居酒屋に行こうと日和佐のより中心に近いところまで少し歩いて、地元の居酒屋に入店した。店内には常連客の他に、白人のお遍路さん二人組がカウンターに座っていた。私はテーブルに通してもらえ、一人ながら広い席でゆったりできた。

美味しそうな地物を食べようと、鶏の生レバ刺や魚介の刺身盛り合わせなどを注文して、それらを摘みながらビールを飲んだ。生ものが好きなので、それらを堪能できて非常に満たされた晩酌であった。

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最後にコンビニで酒などを少し追加で買って、宿で翌日の納め札を書くなどの準備をしながら新ジャンルの発泡酒を飲んで、日付の変わらないうちに布団に入った。次の第二十四番からは高知県に入るが、それがある室戸岬まではかなりの距離がある。7時にそこまで辿り着こうと思うとかなり朝早く、日の出前に出発する必要があった。次の高知県は一番広いのに一番寺の数が少なく、過酷な修行道である。距離にすればまだ1/4すら行けておらず、先は長いということを肝に銘じて就寝した。

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