「幸福塾」は「怒涛の仕事量」の2回目の「女性編」ーー近代・現代の偉人女性と、令和に亡くなった現在の女性たちの偉業に感銘 (original) (raw)

「幸福塾」は、「怒涛の仕事量」の「女性編」。以下、ズームの要約サービスを一部修正したもので、内容がわかる。

与謝野晶子樋口一葉白洲正子石井桃子向田邦子茨木のり子石牟礼道子緒方貞子という著名な日本の女性文学者や文化人について解説。
与謝野晶子源氏物語の翻訳や多産な創作活動、樋口一葉の短い生涯での文学的成果、白洲正子の日本文化への貢献、そして石井桃子の児童文学への影響が話題となった。これらの女性たちの業績や人生哲学を通じて、現代の人々への示唆や自己発見の重要性を強調。
特に与謝野晶子関東大震災後の復活力や、石牟礼道子水俣病に関する強烈な言葉が印象に残る。石井桃子の児童文学作品「のんちゃん雲に乗る」などが話題になった。

後半は2024年に亡くなった女性たちのリストが紹介され、日本の女性の文化的貢献の広がりが示された。
山口洋子の作詞家と作家としての活躍。市田ひろみは母親の影響で着物の世界に入り、テレビ番組での着物コーナー担当や世界の民族衣装収集を通じて、日本文化の普及に貢献した。また、篠田桃紅という107歳の長寿画家の抽象画や人生哲学を紹介する。自分の道を貫き、独自の方法で芸術や文化に貢献した人物として説明。
高野悦子岩波ホールの運営に携わり、世界の名画の発掘と上映に尽力した。また、世界旅行番組のホストとして30年以上活躍した兼高かおるについても言及し、彼女のユニークな経歴と番組の長期放送についての解説。
米沢富美子森英恵森山眞弓という3人の著名な日本人女性について話し合う。米沢は物理学者で日本物理学会会長を務め、森英恵は世界的に有名なファッションデザイナーとして活躍し、森山は日本初の女性官房長官法務大臣を務めた政治家である。これらの女性たちは、それぞれの分野で先駆者として大きな成功を収め、日本社会に重要な影響を与えた。
日本初の報道カメラマン・笹本恒子、NHK大河ドラマの衣装考証を担当した小泉清子などの例を挙げながら、人生の選択や成功の道のりについて語る。
参加者たちは兼高かおる山口洋子など、印象に残った人物について感想を述べた。

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「名言との対話」10月16日。加藤和彦「同じことは二度とやらない」

加藤 和彦 (かとう かずひこ、1947年3月21日 - 2009年10月16日)は、日本音楽家。享年62。

作曲編曲音楽プロデュース撥弦楽器鍵盤楽器などの演奏・歌唱を通じて、制作者実演家として活動したミュージシャン。

加藤は北山修をはじめとする大学生仲間たちとザ・フォーク・クルセダーズを結成し、アルバム「おらは死んじまっただ」「天国いいとこ一度はおいで""酒はうまいしねえちゃんはきれいだ」という破天荒な詩から始まる「帰って来たヨッパライ」は、280万枚を売りあげ、史上初のミリオンセラーとなった。翌年には日本レコード大賞特別賞を受賞。

1968年末にフォーククルセダーズを解散して、加藤は1972年までアメリカ、イギリスで暮らした。

1970年代初頭から中盤にかけてロックバンドサディスティック・ミカ・バンドを結成し、1970年代の日本のミュージックシーンをリードした。

1977年、38歳のときに8歳年上の作詞家の安井かずみと再婚し、1990年代初頭まで「作詞・安井かずみ/作曲・加藤和彦」のコンビで、通称『ヨーロッパ三部作』などのソロ作品の他、数々の作品を他のミュージシャンに提供した。

1980年代から映画・舞台音楽、1990年代後半からは市川猿之助スーパー歌舞伎の音楽など、ポップミュージックの垣根を越えた様々なジャンルの音楽も幅広く手掛けた。「自分以上でも、自分以下でもない音楽」を作ることが信条だった。

「アーティストというのはそういう人と違ったことをしてるから、何かしら生み出せるんじゃないかな」

「僕もこうなりたくてやってるわけじゃなくて、ちびちびやってたらこうなっちゃったっていう。根本的に20歳ぐらいのときから変わってないからね(笑)。規模がちょっと拡大したぐらいなもんでね」

吉田拓郎は、「加藤の才能は日本では唯一無二なもので、10人の歌手の10通りの歌へのアドバイスが即座にできる」と語っている。それは彼がプロデュースした以下の人々の名前をあげるだけでわかろうというものだ。

トワ・エモア、伊藤ゆかり。ザ・ゴールデン・カップス萩原健一。森山良子。由紀さおり小柳ルミ子かまやつひろし城みちる。鰐淵春子。高田みずえ大原麗子竹内まりやザ・ベンチャーズ岡崎友紀泉谷しげる岩崎良美。多岐川裕美。樋口可南子。増田恵子。梓みちよ柏原芳恵吉田拓郎アグネス・チャン薬師丸ひろ子原田知世田原俊彦沢口靖子神田正輝中井貴一稲垣潤一。少年隊。西村知美加山雄三桐島かれん西田ひかる市川猿之助。、、、、、、

晩年は鬱病となり、自死する。享年62。遺書には「世の中が音楽を必要としなくなり、もう創作の意欲もなくなった。死にたいというより、消えてしまいたい」。「私のやってきた音楽なんてちっぽけなものだった。世の中は音楽なんて必要としていないし」とあった。

作詞家であり、後に精神科医となった北山修は、加藤の自死について「後ろを向いたら負けである、という生き方。自分の物語を語ろうとしない。前に倒れるしかない。決して同じことをやろうとしない」と分析している。

「同じことは二度とやらない」とはアーチストらしい厳しい生き方だ。仲間の北山修が作詞し端田宣彦が歌った名曲『風』(1969年2月)にあるように「ただふり返っても そこにはただ風が吹いているだけ」という心象風景だろうか。加藤和彦という希代のアーチストは変化を追い続けた。そして脱皮ができなくなったとき、この世から消えたのだ。

加藤和彦 あの素晴しい音をもう一度 (文藝別冊)