カメキチの目 (original) (raw)

『華厳という見方』 玄侑宗久・著

著者は禅宗の僧侶。

(玄侑さんの本には人間や人生を考えさせられることが多く、これまでもいくつか読んだけれど

これもよかった)

日本の仏教のほとんどの教派で重んじられている『華厳経』の教えのエキスが

述べられています。

①「みんな「雑」で序列はない」

②「一滴の雫が大宇宙宿している」

③「自他が礙(さまたげ)なく溶け合う「事事無礙法界(じじむげほうかい)」」

④「話し合いの結果、必ずしも結論を出すことを求めない」

⑤「ある種の必然は「偶然の顔」をしてやってくる」

(書かれていた順に、私の心にピンときたもの上の五つだけ紹介します)

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① 「みんな「雑」で序列はない

「そんなことあたり前」と普段(は日常、平常時)はわかっていても、学校とか

集団でいると、「みんないっしょ(平等)ではない」と思ってしまうことがある。

自分はAより下だが、Bより上だとか…。

(「○○ランキング」「○○総選挙」)

本来、が自然でそれで成り立っている世界なのに、比較のために、無理やり

そのものの中の一部を取り出し比べることの滑稽さ!ナンセンス!

星空を見上げ、宇宙の壮大さを感じ、人間のちっぽけさを思う。

みんな「雑」で序列はない」と確信できる。

やっぱり普段の生活で感じることは間違っていなかった。

(「みんな「雑」で序列はない」とわかることが「華厳」という見方。

老いれば星を見上げなくても人間の小ささを感じ、「華厳」を感じ、

生きているというただそのことに感謝したくなる)

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② 「一滴の雫が大宇宙宿している

(「源流を探る」というテレビ番組)

奥山から湧きだす「一滴の雫」の映像が映しだされる。

それが無限に集まって川となり海となる。

その恵みを受けて、すべての生命が生まれ育まれていることを実感する。

一滴の雫」に海、地球、そして宇宙を感じ、海に「一滴の雫」を見る感性が

ほしい。

(「一即多」「多即一」)

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③ 「自他が礙なく溶け合う「事事無礙法界」」

②の表現にならうと「一」が「自」、「多」は「他」。

(つまり「自即他」「他即自」

「事事無礙法界」は『華厳経』に出てくる言葉。すべての事物事象はそれ自体として独立して在り

ながらも、自分とそれ以外《他》といって対立することなく存在している、ということ。

興味ある方はネット検索してみてください。AIによる概要などいろいろ出ます)

こういう見方はいかにも仏教哲学的で、煙に巻かれた感じがする。

空即是色」「**色即是空**」も、私は般若心経だけは暗唱できるので心の安寧のため

(口ごもりながらも)唱え(ながらも「これは暗示」と思っている)るけれど、

論理的な言葉ではない気がしている。

そうであっても、人はいつも論理、理屈で動いているわけではないので、

論理、理屈など科学技術的な知性を超えた「事事無礙法界」という魂の世界を

信じる。

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話し合いの結果、必ずしも結論を出すことを求めない

(どういうことかというと)

話し合いがもつれ、意見が分かれたら、普通は多数決という民主的な仕方で

より多い意見を採用した結論(結果)を出すけれど、「華厳」という見方をすれば

「話し合い(を、みながほとんど納得するまでするなら)の結果、必ずしも(無理して)

結論を出すことを求めない」ということ。

(もちろん、話し合いの中身が急を要し、一つの結論を出さなければならない場合は別。

「話し合いの結果、必ずしも結論を出すことを求めない」は、

民族学宮本常一の代表作といわれる『忘れられた日本人』の中の対馬にて」という話で

紹介されているもの。

宮本が民俗調査で対馬に訪れたとき、ある村の代表者に古くから伝わる文書《資料》を見せて

ほしいと頼んだが、代表者は村のみなに聞かなければならないと言う。

それで、寄り合い《話し合い》が開かれたが衆議が一致するまでずいぶんの時間と手間がかかった。

結局見せてもらえることになったが、古文書の閲覧の許可という簡単な一つの事案をめぐってだけで

これほどの時間と手間をかけることに驚いた。

村のみなが納得するまで話し合うという姿、過程は民主主義そのものだったのだ。

《詳しくは「宮本常一」「忘れられた日本人」「対馬」でネット検索してみてください》

これもまた、①の「みんな「雑」で序列はない」という「雑」といって切り捨てない、尊重する

華厳」という見方)

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⑤ 「ある種の必然は「偶然の顔」をしてやってくる

長く生きておれば(さまざまな体験、経験を積み重ね)若いときには感じなかったこと

わからなかったことが、感じられたりわかってくる。

(そういう気がするだけのことかもしれないけど、客観的に確かめようのないことなので、

「気」「思い」「感じ」だけで充分)

「偶然の顔」

物事をよく見れば、必ずこうなるわけでも偶にそうなるわけでもない。

(一つのある事物事象を必然、偶然と分けて見ることがそもそも間違っているのだろう)

こうしていま生きているという事実が「偶然の顔」した「必然」なのだろう。

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ちりとてちん

昼顔の あれは途方に 暮るる色 飯島晴子