I-MI-JIというなんか面白い曲の解説 (original) (raw)
こんばんは。
A.B.C-Zのツアーが11月初めに完走しまして、11月16日から30日までU-NEXTさんで同じツアーの配信が始まりました。
個人的に3回も観たのですが、何度も配信を観てしまう中毒性があるこの公演。
4人で再出発したA.B.C-Zの新アルバム「F.O.R~変わりゆく時代の中で、輝く君と踊りたい。」のツアーですが、正直、めっちゃ好きなアルバムのツアーということもあり、期待度が爆上がりだったのですが、期待を大幅に飛び越えてきました。流石です。
アルバムのツアーなので、アルバムの中から大体は選ばれるだろうと予測を立てた時、結構A.B.C-Zのファン(ぼたん)さんから比較的、期待値が高かった曲が、「I-MI-JI」だったと思います。
なんで好きというと、「なんか面白い」曲なんですよね。
今回は、凄く素人の私が、「なんで面白いんやろう」と思いながら、「なんか面白い」を何となく解説してみたいと思ってブログを書いています。
(ぶっちゃけ、聴いてみたら、もっとこういう事も面白いやん!と思われる方も多いと思いますが、それも知りたいので教えてほしいです)
ちなみに、こういった曲です。
A.B.C-Zの公式さん、本当に分かってる。
作詞:多田慎也さん
作曲:A.K.Janewayさん、多田慎也さん
編曲:A.K.Janewayさん
本当に凄いです…マジで凄い。
キーワード:I-MI-JIの面白いところは飽きないところ!
まず、これに尽きるのかなと思います。
この曲は、何度も聴きたくなる中毒性がある曲。そういうイメージを抱きます。
F.O.Rのアルバム自体が結構すべてにおいて素晴らしい楽曲ということは前提として、この曲は、その中でも
「もう一回聴きたい!」
…と思うような楽曲だと思います。
では、何がこんなに「もう一度聴きたい」と思うのか。
私は、
- 合いの手の拍子の規則性が無いこと
- 歌詞が一瞬で理解しづらいこと
- 展開が予想外であること
この3点を挙げます。
順に解説していきます。
合いの手の拍子の規則性がないこと
楽曲(特にこういった、アイドルの曲等)において、合いの手とは基本的には規則性があるものだと思います。
例えば、日本でポピュラーな音楽は、4拍子の音楽が多いです。
そうなったときに、基本的には、2拍目と4拍目に「はい!」と合いの手を入れることが多いと思います。そうでなくても、同じ拍子に合いの手を入れることが多いという印象です。
しかし、この曲の冒頭の合いの手、最初に裏切ってきます。
冒頭、ベートーベンの運命が聴こえてきて、それに合いの手をするということだけで少しびっくりするのに、それに慣れてきたタイミングで規則性を変えてきます。
最初は、「ダダダダーン」が聴こえて「はい!」なのですが、4回目だけ、最後の「ダーン」と一緒に「はーい!」と合いの手が入ります。
(厳密に言うと、原曲の運命の冒頭はもっと遅いし、こんなに明るい曲でもないのですが、それよりも(多分)拍子が違うのです…私の耳はあまりリズム感が正確ではないので、何拍子かわからなかったのだけ悔しい)
このようにこの曲は基本的に、合いの手のタイミングに翻弄されます。
例えば、その後の前奏も、合いの手のタイミングがかなり違います。
(多分)前奏からは、ポピュラーに4拍子なのかなぁと思うのですが、「遊ぼうよ(橋本良亮ソロ)」後
1小節目1拍目に合いの手
2小節4拍目に合いの手
4小節目4拍目に合いの手があった後
6小節目1拍目に合いの手があります。
1小節目の1拍目は「始まるよー」って感じの合いの手で、2小節目と4小節目には規則性があるとして、6小節目1拍目の合いの手は何度聴いても、「まさかこのタイミングで合いの手とは…」と驚きます。
また、個人的に、人間って、3回くらい同じことすると4回目も一緒でしょ?ってなると考えているのですが、この曲はそれに対して、最初から裏切ってくるのです。
こんな感じで、Aメロからサビまで、合いの手の規則性がほぼほぼないというのが、なんか慣れない…面白い…となる印象があります。
歌詞が一瞬で理解しづらいこと
一旦曲調から離れて、歌詞の方ですが、
「桃源郷目と鼻の先に」とか「能ある鷹こそ爪を見せます」とか、意味があるような意味がわからないような一瞬、なんて言っているのかな?と思うような文章が並びます。
I-MI-JIとは「いみじ」という事らしいのですが、古語辞典に載っているような単語です。
ただ、何故か英語表記だし、何故か最初はファイブ、フォー…とカウントしているし、めっちゃ英語使っているし、ぶっちゃけよくわかりません。
ただ、一つだけ、この曲で一番伝えたいのはここなのかなぁと思っているところがあるのですが、それは後述します。
展開が予想外であること
イントロの合いの手の解説を前述しましたが、規則性が無いと言ってもそのうち人間は賢いもので順応します。
しかし、この曲において、それはありません。
キーワードは、
「遊ぼうよ(橋本良亮ソロ)」
です。
この「遊ぼうよ(橋本良亮ソロ)」は合計3箇所あります。
そのうち、1回目は前述した、イントロの「遊ぼうよ」。2回目は、ラスサビ前の「遊ぼうよ」ですが、3回目の「遊ぼうよ」は最後の最後です。
「遊ぼうよ」って、未来的な言葉じゃないですか。それを言うタイミングとして、1回目と2回目は理にかなっている訳です。
しかし、3回目の「遊ぼうよ」はラストなので、こちらが「OK」と言う前に爆発して終わります。
そう、この曲、
何故か、爆発音で終わります。
(多分、怪奇な美少女は爆発被害を受けています)
人間って結局、最後の最後に何か訳のわからないことをされると、記憶に残ります。
そうやって、もう一回聴きたくなる呪いにかかるのだと思います。
総括:I-MI-JIの意味とは
じゃあ、「I-MI-JI」とは、どういった曲なのかということを考えた時、歌詞のあるフレーズが目に留まりました。
世は定めなきこそ いみじけれ
これは、徒然草の7段に記載があります。
意味的には、「この世は無常であるからこそ、すばらしい」という事らしいのです。
無常とは、「移り変わりが激しいもの」ということで、前述した解説の通り、「展開が突拍子もない」、正に、「I-MI-JI」の曲のようだと思いました。
つまり、「I-MI-JI」という楽曲は、紛れもなく「いみじ」そのものということだということです。
俗にトンチキソングと呼ぶ人もいる、「I-MI-JI」ですが、素人目線で考えても色々考えることが多くて楽しい曲で、解体して聴くと、そりゃ面白いという曲でした。
もう一回載せておきますね!!!!!
アルバムはこちら(これはソロ曲が収録されている方)
U-NEXTさんの配信は、まだ観れます。
おまけ
実は、古典の知識がほぼ0の私、「I-MI-JI」ってなんのこっちゃと思っていたのですが、すゑひろがりずの三島殿が「いみじ」を流行らせようとしているらしく、ファンの方がたまたま街中でいみじーと聴こえてきて凄くびっくりしたと言っていたのを知って、それで知りました。
歌詞の解釈が広がって嬉しかったです。
おまけ2
本当にどうでもいいのですが、
世は定めなきこそ いみじけれ
という歌詞を見る前、マジで、
「余は定め無き暴走 いみじけれ」
だと思っていました。
塚ちゃん、ごめんね!!