傘 (original) (raw)

f:id:kzombie:20240717202825j:image大雨で靴がぐっしょり濡れて最悪だ

そんななか今月末で辞めるバイト先に出勤

帰りたいと心で唱えながら適当に業務をこなす

書店って雨の日は結構混む

そしてふだんは来ないような客が宿りに来るので

ちょっとだけ客層が悪くなるんだよな

大学で喋る友達はみんな客層が悪いという理由で

バイトをやめているらしいし、バイトをやる上で

覚悟しなければならない部分ではある

でも僕は絶対に客層を言い訳にしない方法を思い

ついたから1年半はバイトを続けることができた

それは、むこうの出方次第で接客の態度を微妙に

変えるという返報性の原理を応用したスタイル

そもそも自分が客を評価する姿勢をとっていけば

客の態度に悩まされる必要なんてないのだ

やり方はこう

最初は必ず自分が出来る限り最大の愛想をふりま

くことは徹底する(ここの平等がなければ相手を正

確に評価できないから)

客が僕の最大限の愛想を下回ったと判断したら声

のトーンを意図的に下げ、並んだ・上回ったのだ

としたら声のトーンを意図的に上げる

その後の態度もしっかりと見極めて、総合的な評

価を最後の「ありがとうございました」の言い方

に反映させる

個人的な評価ポイントは3つある(6点満点)

1.態度(2点)

しっかり店員とコミュニケーションできているか

どうかで評価する(両耳イヤホンは即失格)

2.本の内容(2点)

文庫や新書、歴史書の場合は加点

スポーツ誌や漫画も内容次第で加点

ビジネス書・ゴシップ誌の場合は減点

(こぞってこういう本を買ってく人は態度が悪い)

料理とかグルメは加点も減点もしない

その年齢でそれ読むか!みたいな客や、僕が展開

しているシュナの旅を買った客は、態度を加点

3.身なり(2点)

ある程度不快にさせない身なりであるかどうか

(ブランドを身につけている場合は態度次第で減

点、作業服の場合は態度次第で加点)

心の中で態度-1グランプリを開催するのは結構楽

しいし、実際これのおかげで相対的にどういう人

間を目指すべきかが明瞭になった気がする

そして常連のおばさんなんかは態度がいいから、

こちらも愛想度が最大限になっていて、相互作用

的に幸せな空間を作ることもできる

至って合理的だ

この面白さがあってバイトを続けてこられた

でも就活にさしかかってモチベーション皆無

ましてや靴が濡れた状態ではもうやってらんない

閉店間際、カギかなにかをシャリシャリ鳴らした

強面の男の人がやってきた

井上尚弥の父ちゃんみたいな風貌だ

「いらっしゃいませ☺️レジ袋はご利用ですか?」

「・・・」

チッ、論外だな

「レジ袋は...?」

「・・・」

なんだこいつ

「あの〜...?」

すると男の人はスマートフォンをポケットから取

り出し、この画像を見せてきた

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反射的に吸い込んだ空気が痛かった

78%の罪悪感と21%の悔しさ 微量のムカつき

補聴器をしていないから全く気づかなかった

というか完全に色眼鏡で見てしまっていた

不快に感じたシャリシャリ音は

おそらく本人には聞こえていないのだろう

急速なフラッシュバックが終わり

現在の時間軸にふっと意識が戻る

「す、すみませんッ!」

とっさに袋を指さして、いるorいらないを聞く

値段も指さした、これでなんとかなりそうだ

男の人を見ると、眉間に皺を寄せていた

僕を不甲斐ないと思ったのか、それとも別の辛さ

なのか分からないけど、ますます苦しくなった

なんとか払拭したい

そういえば去年

大学の手話サークルに2回だけ行ったことがある

グループで映像制作をする授業で、わがままな女

子に悩まされて、優しい女の子に出会いたくなっ

て行った教室には、天パメガネのお兄さんがい

て、その人の耳には補聴器がついていた

教室の全員で『海の声』を歌ったとき

めちゃくちゃ居ずらくなった

優しい女の子を探すなんて生半可な気持ちで入る

ものでは無いなと思ってそれ以降行くのをやめた

でもそのときにいくつか手話を覚えた

口元がマスクで見せられないので

あのとき教わった手話はここで活かせるはず

たしか「ありがとう」は...

お辞儀をしながら

右手の握りこぶしを鼻に当て

手を開いて前に出した

でも男の人は急いでいたらしい

僕が頭を上げるとすでに居なくなっていた

もっと早く気づいていれば...

そもそも自分の手話は合っていただろうか

在庫検索用のPCでGoogleを開き

「ありがとう 手話」と調べる

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全然違った

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僕がやっていたのは

「よろしくお願いします」だった

猛烈に恥ずかしい

「ありがとう」のやり方を覚えて

以降決して間違えないよう心に誓って作業に戻る

数分経った

相方のイナバさんが

「誰かお客さんが傘忘れていったみたいなので

事務所に置いといたよ」

「分かりました」

それがもしあの人の傘だったら

「ありがとう」を伝えることが出来るだろうな

でも僕の場合大体そういうのは妄想で終わる

以前、長澤まさみみたいな女の子が

「アルバイト募集してますか?」と聞いてきたと

きも、舞い上がったけど、結局「もう定員満たしてます」という店長の一言で砕け散った

今回は来て欲しい

もし来てくれたら今までバイトを1年半がんばっ

て来た総決算になるだろうな

そのとき、知ってる音が聞こえてきた

さっきよりも大きくシャリシャリと音を立てて、

あの男の人がやってきたのだった

それは僕史上初、妄想が現実になった瞬間だった

男の人は僕のいるレジにやってきて

息を切らして辛そうな顔をしている

僕が聾者だったら、身近な人を除いて、最低限の

コミュニケーションで済ませたい

なのでもしミスをしてしまったりしたら

調和が崩れる

ストレスが溜まってしまう

まして置いたはずの傘が無くなっていたとしたら

傘を忘れてしまったとどう伝えればいいのか

そんな焦りを受け取った

だから、このときの僕にはすべきことがあった

でも僕は僕で、傘を表す手話など知らない

だからとりあえずちょっと待っててくださいとジ

ェスチャーして、事務所にダッシュした

そして白いビニール傘をとって、再びレジへ

無事渡すことが出来た

強面は変わらないけど、強ばった表情が一気に安

堵へと変わったのを見て、僕も安心した

なにより、これで伝えられるから

「ありがとう」を