長州より発信 (original) (raw)

人気ブログランキング |話題のタグを見る

kfujiken2.exblog.jp 長州より発信
ブログトップ 山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします by fujikenプロフィールを見る 画像一覧 更新を通知する < October 2024 > S M T W T F S 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 カテゴリ 風景 歴史 コラム 未分類 リンク にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 周南情報へ [](//localwest.blogmura.com/shunan/ranking.html?p


%5Fcid=00922354)クリックして貰えると幸せます。 ブログランキング・にほんブログ村へ クリックして貰えると幸せます。 以前の記事 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 more... 最新の記事 清流錦川に架かる五連のアーチ.. at 2023-09-14 09:06 下松に存在する天王森古墳と宮.. at 2023-09-06 13:34 山本琴谷と津和野藩の絵師たち at 2023-08-30 09:35 木津川口の戦い at 2023-08-19 12:52 坂本龍馬と函館の関係 at 2023-08-12 17:36 長州藩士出身森 寛斎 at 2023-08-07 08:31 毛利元就の初陣 at 2023-08-01 14:22 清末藩 at 2023-07-25 07:14 銀の歴史 at 2023-07-20 09:33 線状降水帯 at 2023-07-14 10:35 ブログジャンル 歴史 中国
幕末の志士を撮影した日本で初めての写真家・・・上野竜馬 上野竜馬は、日本における幕末期から明治時代にかけて活動した写真家で、日本最初の戦場カメラマン(従軍カメラマン)としても知られる。天保9年(1838年)、長崎銀屋町で蘭学者・上野俊之丞(しゅんのじょう)の次男として生まれる。広瀬淡窓(ひろせたんそう)の私塾、咸宜園(かんぎえん)で2年間学び、咸宜園を離れた後の安政5年(1858年)にはオランダ軍医ポンペ・ファン・メールデルフォールトを教官とする医学伝習所の中に新設された舎密試験所に入り、舎密学(化学)を学んだ。このとき、蘭書から湿板写真術を知り、大いに関心を持つ。同僚の堀江鍬次郎らとともに蘭書を頼りにその技術を習得、感光剤に用いられる化学薬品の自製に成功するなど、化学の視点から写真術の研究を深める。また、ちょうど来日したプロの写真家であるピエール・ロシエにも学んだ。文久2年(1862年)に故郷の長崎に戻り中島河畔で上野撮影局を開業した。ちなみにこれは日本における最初期の写真館であり、彦馬は日本における最初期の職業写真師である。幕末の志士を撮影した日本で初めての写真家・・・上野竜馬_d0061579_972713.jpg 上野竜馬が上野撮影局で撮影したといわれている坂本龍馬幕末の志士を撮影した日本で初めての写真家・・・上野竜馬_d0061579_9353923.jpg ◆ 写真機の発明・伝来※ 写真機の発明ということで、世界的に見てみると、感光材を使った写真機を最初に作ったのは、フランス人のニエプスという人。およそ1800年頃であるといわれ、アスファルトの感光性を利用したものであったといいます。しかし、この時の写真は、撮影(露光)に8時間を要し、また、映りも鮮明ではなく、その後も改良が進められていきます。そして、その後、主流となっていったのが、フランス人のダゲールという人が開発した写真技術。銀メッキをした銅板を感光材として用いたもので、露光時間は、当初のもので20分程度、その後、改良が加えられて、1~2分で撮影できるようになり、いよいよ、写真が実用的なものになっていきます。この写真機は、開発者ダゲールの名前から「ダゲレオタイプ」と呼ばれ、これが、やがて、日本にも伝えられて、日本では「銀板写真」と呼ばれることになります。※ 写真機の日本への伝来は、1848年(嘉永元年)であったといわれ、これを輸入したのが、長崎の貿易商・上野俊之丞という人でした。この人、坂本龍馬の写真を撮ったことでも知られている上野彦馬のお父さんですね。そして、この俊之丞が輸入した写真機(ダゲレオタイプ)は、やがて、薩摩藩の手へとわたっていくことになります。さて、この頃の薩摩藩は、英明の誉れが高い名君・島津斉彬のもとで、積極的に西欧の近代科学の研究に取り組んでいました。斉彬はかねてから、この銀板写真についても興味を持っていたようで、斉彬は、福岡の黒田や水戸徳川など、親しい大名にもこの最先端技術である写真について話をし、やがて、いくつかの藩において、銀板写真の実験・研究が進められていきます。 ◆ 長崎歴史文化博物館の歴史文化展示ゾーンに、“近代化の魁・長崎~長崎発、西洋の知と技”のコーナーがあり、上野彦馬が開設した「上野撮影局」があります。 "上野彦馬使用 写真機 幕末の志士を撮影した日本で初めての写真家・・・上野竜馬_d0061579_1014887.jpg 上野彦馬の写真スタジオ 幕末の志士を撮影した日本で初めての写真家・・・上野竜馬_d0061579_10151280.jpg 3 by kfujiken2 | 2020-03-12 10:18 歴史 Comments(1) Commented bykyotoshiryo at 2023-05-11 20:46x 0 名前 URL 非公開コメント 公開コメント 削除用パスワード << 自粛超えるインパクト「緊急事態宣言」 鎖国状態になったらどうする >> フォロー中のブログ コバチャンのBLOG つれづれなるままに 四季折々 時の流れのままに 風に吹かれて~🎵 In one¥’s tr... 坂の上のサインボード 月の沙漠を toriko 雲母(KIRA)の舟に乗って 風の便り ハンドメイドの時間 S... Sauntering photo & 575 ?わっきゃーわからん sweet+ 静かな時間 やいやい畑 俺の心旅 元気ばばの青春日記 気持... Photo Terrace 今が一番 鏡花水月 Weblog : ちー3歩 Ⅱ 獺祭亭日乗 心はいつもそばにいてね なんでもブログ2 今日より明日良い事に出会... 薫の時の記憶 画像一覧 エキサイト XML |ATOM Powered by Excite Blog 会社概要 プライバシーポリシー 利用規約 個人情報保護 情報取得について 免責事項 ヘルプ

| | | |

ファン申請 ※ メッセージを入力してください