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日本の二大開祖「空海と最澄」 天台宗の開祖・最澄。真言宗の開祖・空海。平安仏教の2大巨頭であり、その後の日本仏教に決定的な影響を与えたこの二人。同じ時代を生きただけではなく、同じ遣唐使船で中国に渡ったというのですから、この2人の関係はなにやら因縁めいています。最澄の何がすごいのかと言いますと、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、栄西の臨済宗、道元の曹洞宗、日蓮の日蓮宗、など誰でも聞いたことがある名前・宗派だと思いますが、実はこれら現在も脈々と受け継がれている日本仏教の主だったものはすべて、最澄の開いた天台宗・比叡山から枝分かれしていったものなのです。まさに日本仏教の礎といえるでしょう。【最澄と空海】日本の二大開祖「空海と最澄」_d0061579_09061634.jpg 【遣唐使船】日本の二大開祖「空海と最澄」_d0061579_09063140.jpg1 日本仏教の礎を築いたエリート・最澄まずは7つ年上である最澄のご紹介からしましょう。767年、近江国(現在の滋賀県)の豪族に生まれた最澄は、幼名は広野といいました。12歳で近江の国分寺で修行、15歳で得度し、このとき「最澄」の戒名を授かりました。18歳で東大寺にて授戒(仏教の戒律を授かること)します。その後、12年も渡り比叡山にこもり修行に励む時期が訪れますがそこで最澄は『法華経』に出会います。法華経の神髄に基づいて中国で天台宗を開いた智顗(ちぎ:538-597)の教えに傾倒していきますが、そんな最澄の評判を耳にした桓武天皇は最澄を「内供奉(ないぐぶ)」に任じ、また法華教の講義なども行うなど、エリートとして華々しく活躍します。「内供奉」とは、宮中の内道場に奉仕する官職のことで、全国から抜擢された高僧がその職務につきました。いよいよ35歳の頃、日本においての天台宗の開宗を国により認められ、国費留学生として遣唐使に選ばれます。本格的な天台教学を学びに唐に渡りました。翌年帰国。その後、比叡山延暦寺を総本山・拠点とし、法華経を中心とした思想や大乗仏教の思想を広めることに多くの力を注ぎました。なおかつ天台宗は、中国天台宗や法華経だけでなく、密教、禅、念仏など広く大きく仏教の様々な教義が学べるところであり、日本における総合仏教大学の役目を果たしていたというのがミソです。その懐の深さが、のちに鎌倉新仏教と呼ばれる日本仏教の高僧たちを数多く輩出することにつながったのでしょう。最澄は、これまでの戒律(仏道に入門するための規則)と比べて比較的ゆるやかな「大乗戒壇院」の建立を目指します。これは法華経の根本的な思想である「人は誰でも等しく仏になれる」という教えを日本の仏教界の中でも実現するためだったと言われています。しかし、最澄の目指した大乗戒壇院は、それまでの伝統的な戒律に反していたことから、奈良を中心に栄えていた南都六宗と対立を深めます。生きている内に大乗戒壇院を建立することこそが最澄の悲願でしたが、実現したのは最澄の死後7日目のことでした。それでもこのことを契機に、それまでの国家主導のエリート官僚の世界であった仏教界は次第に独立性を高め、その後数々の宗派が花ひらいていくことになります。最澄の大乗戒への想いが、鎌倉時代をはじめとする後世の繁栄に一役買ったわけなのです。最澄の死後、866年に清和天皇より「伝教大師」の諡号を贈られます。これは日本で最初の大師号です。【比叡山延暦寺】日本の二大開祖「空海と最澄」_d0061579_09194491.jpg 【大乗戒壇院:最澄構想による大乗戒壇授戒のために建立された建造物】日本の二大開祖「空海と最澄」_d0061579_09195342.jpg2 無名僧侶からの叩き上げの天才・空海774年、讃岐国(現在の香川県)の郡司(地方の役人)の家に生まれた空海は、幼名を佐伯真魚(さえきまお)と言いました。神童とされるほどに利発だった真魚には一族の期待がかかり、15歳で京に上って儒教を学び、18歳で大学入学という、当時の地方豪族の子としては異例な出世を果たしていきます。しかし、当時の大学には貴族の子たちの出世主義が横行しており、19歳で大学を離れ、仏門に進み、吉野や四国の野山で修業に励みます。しかし、当時の大学には貴族の子たちの出世主義が横行しており、19歳で大学を離れ、仏門に進み、吉野や四国の野山で修業に励みます。「虚空蔵求聞持法 (こくうぞうぐもんじほう)」という修行をしていた時に、口の中に明星が飛び込んでくるという神秘体験をし、真魚は悟りを開きました。その時に目に飛び込んできたのが空と海しかない光景から、自身を「空海」と名乗りだしたのです。空海31歳の時に遣唐使(804)として唐に渡ります。最澄が国に認められた留学僧であったのに対し、空海は在野の僧侶でした。真言密教の神髄を知りたく唐に渡った空海は、密教の正当な後継者である恵果(けいか)を訪ねます。恵果は、一目で見ただけで空海を正当後継者に選びます。真言密教(東密)は、男女の愛や性を肯定する教義・『理趣経』(りしゅきょう)をもっています。本当に愛する男女が、お互いに心から愛しあい、高め合い、肉体的にも、精神的にも結びつく事は、菩薩の境地であり、法悦であると いうものです。これは、人間の生を肯定し、女性への偏見も差別も無く、全ての人間が解脱出来る事を示したもので、大乗仏教としての密教の教えの先進性を示すものといえるでしょう。天皇の側で鎮護国家の法会を任され、高野山や教王護国寺(東寺)などさまざまな真言密教の道場を建立。さらには諸国を巡って橋梁、ため池などの治水工事や貧民救済など、さまざまな社会事業に尽力します。921年には醍醐天皇より「弘法大師」の諡号が贈られています。 【高野山】日本の二大開祖「空海と最澄」_d0061579_10151743.jpg● 理趣経を廻って対立した最澄と空海真言宗を創設した空海と天台宗の創始者である最澄と、初めは、お互いに助けあって、密教の布教に力を尽くそうとしますが、途中で仲違いを起こし決裂します。その仲違いが決定的になるのは、最澄が弟子を通じて空海に、「理趣釈経」の借覧をねんごろに申し入れたのに対して、空海 が厳しい言葉を持って、それを断ったことにあります。この「理趣釈経」は、「理趣経」の注釈書で、「理趣経」には、先にあげたような欲望を肯定 する教えが書かれていて、曲解をすれば、危険な方向に進みかねない教典でした。それを、ただ文を読むだけで解釈してもらっては困るというのが、空海の言い分でした。理趣経(りしゅきょう)とは、真言宗で読経されている常用経典である。愛する男女が心から愛しあい、肉体的にも精神的にも深く結びつくことで菩薩の境地に到達することができるということを説いている。一見すると仏の教えと反するように見えるが、これは人間の生き様を受け入れ、性別による差別や偏見を取り払うことが大事であることを意味している。密教の中でもかなりデリケートな部分を扱うことであるため、真言宗の空海と天台宗の最澄の仲を切り裂く原因にもなった。これは理趣経の教えを積極的に受け入れようとする最澄と、しっかりと解釈ができてから取り込もうとする空海の考えが違うことによって発生した。 17 by kfujiken2 | 2021-01-07 10:31 歴史 Comments(1) Commented bykyotoshiryo at 2023-05-11 21:10x 0 名前 URL 非公開コメント 公開コメント 削除用パスワード << 比叡山延暦寺の謎 私が選んだ山口県のお勧め10スポット >> フォロー中のブログ コバチャンのBLOG つれづれなるままに 四季折々 時の流れのままに 風に吹かれて~🎵 In one¥’s tr... 坂の上のサインボード 月の沙漠を toriko 雲母(KIRA)の舟に乗って 風の便り ハンドメイドの時間 S... Sauntering photo & 575 ?わっきゃーわからん sweet+ 静かな時間 やいやい畑 俺の心旅 元気ばばの青春日記 気持... Photo Terrace 今が一番 鏡花水月 Weblog : ちー3歩 Ⅱ 獺祭亭日乗 心はいつもそばにいてね なんでもブログ2 今日より明日良い事に出会... 薫の時の記憶 画像一覧 エキサイト XML |ATOM Powered by Excite Blog 会社概要 プライバシーポリシー 利用規約 個人情報保護 情報取得について 免責事項 ヘルプ

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