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長州藩士で大器晩成の楫取素彦(かとり もとひこ) ◆ 楫取素彦の特徴楫取素彦は幕末の逸材を多数輩出した長州藩においては、かなり地味な存在だった。楫取素彦が最も開花したのは地方官時代(足柄県参事・群馬県の初代県令県令)だった。吉田松陰と楫取素彦は「奥手男子」という共通点がある。楫取素彦は吉田松陰の妹を妻にし、松下村塾とも深く関わりました。吉田松陰の次女の寿と結婚し、寿に先立たれた後に久坂玄瑞の未亡人であった四女の文(美和子)と再婚している。つまり、ソロレート婚(日本では順縁婚ともいう)で、日本でも戦後まで広くみられる二次婚です。 楫取素彦という人物自身は、平和を好む誠実な学者肌でした。幕末期には、木戸孝允と坂本龍馬との仲介役となり、それが後の薩長同盟につながるなど、藩主の側近として大きな役割を果たし、明治維新後も活躍、群馬県令時代には、養蚕・製糸業の育成や教育の奨励に力を注ぎ、日本屈指の「養蚕県」「教育県」群馬の基を築きました。【楫取素彦】長州藩士で大器晩成の楫取素彦(かとり もとひこ)_d0061579_09203750.jpg◆ 楫取素彦の経歴文政12年3月15日(1829年)、長門国萩魚棚沖町(現・山口県萩市)に藩医・松島瑞蟠の次男として生まれる。1840年、13歳の時、明倫館儒者・小田村吉兵の養子となって小田村伊之助と名を改める。1844年、15歳で長州藩の藩校である明倫館に入る。1847年、19歳で司典助役兼助講となった。1850年、22歳の時に大番役として江戸藩邸で勤務する。1851年、吉田松陰が江戸に出た際に、小田村伊之助は意気投合。1853年、25歳の時、吉田松陰の妹・杉寿と結婚。その後、2児を設けている。1855年4月、27歳の時、明倫館舎長書記兼講師見習に就任。1856年2月、長州藩は幕府の命を受け、小田村伊之助は相模出衛を命ぜられる。1857年4月、帰国し明倫館都講役兼助講となる。1859年、31歳の時、手廻組に抜擢され、藩主・毛利敬親の侍講(側儒)となった。1860年、山口講習堂及び三田尻越氏塾で教鞭を取る1861年以後は、専ら長州藩主に従って江戸・京都・防長の間を東奔西走した。1863年、側儒役から奏者役をもって御内用掛、そして奥番頭となり、小納戸役、書記役書物掛へと昇進。1864年、長崎聞役となって長崎で情報収集・武器調達などを行うと、小田村素太郎と改名。1866年、四境戦争の時は、広島へ出張の幕軍総督への正使宍戸璣(山縣半蔵)の副使となる。1867年、長州藩兵上京の命を受け、諸隊参謀として出征する。1868年、鳥羽・伏見の戦いにおいて、江戸幕府の死命を制するに至った。維新後、いったん帰国して長州藩に出仕していたが職を辞し、一時期、三隅(現在の長門市西部)に住んでいた。◆ 楫取素彦が最も開花した地方官時代1872年、足柄県(あしがらけん)参事(副知事職)となる。伊豆国を管轄するために設置された県(現在の神奈川県西部と静岡県伊豆半島にあたります)。1874年、熊谷県(現在の埼玉県の大半、群馬県のほぼ全域)権令(のちの県令・知事)となる。1876年、熊谷県改変に伴って新設された群馬県の初代県令県令となった。1884年、元老院議官に転任する。その後、高等法院陪席裁判官・貴族院議員・宮中顧問官などを歴任する。1887年、男爵を授けられる。1890年、錦鶏間祗候となる。(功労のあった 華族 や 官吏 を優遇するため、設けられた資格)1912年、山口県の三田尻(現・防府市)で死去。84歳歿。※ 富岡製糸場の危機を救った楫取素彦の功績群馬県の県令時代(1876-1884)、楫取素彦の最も大きな功績の一つが、閉場が検討されていた国営富岡製糸場の危機を救ったことです。もしも、このとき素彦が閉場反対の意見書を政府に提出していなかったら、富岡製糸場が世界文化遺産に登録されることはなかったかもしれません。富岡製糸場は、群馬県富岡市で官営模範工場で殖産興業の一環として誕生した近代的な西洋式器械製糸場で、期待を担ってスタートした富岡製糸場ですが、外国人指導者らの高額な報酬により経費負担が増大し経営を圧迫。県令に就任した楫取素彦は、生糸の直接輸出先の開拓を支援するなど力を尽くします。教育にも力を入れ、道徳教科書「修身説約」の編纂に従事。また、公娼制度を廃止する「廃娼」も全国で初めて成し遂げた。17年、56歳のときに県令を辞任したが「難治の国」を改革できたとの思いがあったのだろう。【富岡製糸場】長州藩士で大器晩成の楫取素彦(かとり もとひこ)_d0061579_09214240.jpg※ 楫取素彦のエピソード● 吉田松陰との関係吉田松陰は1830年の生まれで、楫取素彦より一歳年下です。二人は、明倫館に勤務する講師陣の一人として、互いに認識していたと思われますが、友人として互いの実力を認め合い、心を開いて交友を始めたのは、楫取素彦が江戸番役として江戸滞在中、吉田松陰が兵学修業のために江戸に滞在していた時のことです。吉田松陰は楫取素彦を評して、「老兄(楫取素彦)の気力、詩力、酒力はわが及ぶ所に非ず」と記しており、吉田松陰から一目も二目も置かれる存在でした。楫取素彦と吉田松陰が知り合ったのは江戸藩邸勤務時代。楫取素彦は帰郷後に藩校である「明倫館」で指導するとともに、吉田松陰の妹・寿子と結婚し義弟となりましたが、年齢は楫取素彦が一歳年上でした。この二人の結婚は吉田松陰が関わったものではなく、江戸で二人の結婚を知った吉田松陰は「寿妹儀、小田村氏へ嫁せられ候由、先々珍喜此の事御同慶仕り候。彼の三兄弟皆読書人、此の一事にても弟が喜ぶ所なり」(妹・寿が小田村伊之助殿に嫁ぐとのことですが、大変素晴らしいことで、我がことのように喜んでおります。伊之助殿を含む三兄弟は学問熱心な人で、このことにも弟の私(松陰)は喜んでいます)と喜び、ふたりの絆はさらに深まりました。● 楫取素彦の再婚群馬県令となった楫取素彦は「至誠」をもって県政を行った。 寿子は内助の功で夫を支えたが、中風症から胸膜炎を併発し明治十四年(1881)一月に亡くなった。すると母・滝子は久坂玄瑞未亡人となっていた文子に楫取との再婚を促した。文子は「貞女二夫にまみえず」と応じなかったが、 滝子は「こうすることが、亡夫・久坂玄瑞や亡姉・寿子、亡兄・吉田松陰の願いであろう」と説いた。 これで文子も再婚を決意。いったん杉家に復籍し、名前も美和子と改め、楫取素彦と再婚した。【吉田松陰の次女の寿】長州藩士で大器晩成の楫取素彦(かとり もとひこ)_d0061579_09212296.jpeg【吉田松陰の四女の文】長州藩士で大器晩成の楫取素彦(かとり もとひこ)_d0061579_09213006.jpg 7 by kfujiken2 | 2021-05-25 10:01 歴史 Comments(1) Commented bykyotoshiryo at 2023-05-11 21:23x 0 名前 URL 非公開コメント 公開コメント 削除用パスワード << ふざけた話だ・・・ 東京五輪 ... ばらの植物図鑑 >> フォロー中のブログ コバチャンのBLOG つれづれなるままに 四季折々 時の流れのままに 風に吹かれて~🎵 In one¥’s tr... 坂の上のサインボード 月の沙漠を toriko 雲母(KIRA)の舟に乗って 風の便り ハンドメイドの時間 S... Sauntering photo & 575 ?わっきゃーわからん sweet+ 静かな時間 やいやい畑 俺の心旅 元気ばばの青春日記 気持... Photo Terrace 今が一番 鏡花水月 Weblog : ちー3歩 Ⅱ 獺祭亭日乗 心はいつもそばにいてね なんでもブログ2 今日より明日良い事に出会... 薫の時の記憶 画像一覧 エキサイト XML |ATOM Powered by Excite Blog 会社概要 プライバシーポリシー 利用規約 個人情報保護 情報取得について 免責事項 ヘルプ

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