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絵島生島事件真相 絵島生島事件は、多くの小説家がこの事件をテーマに小説を執筆、また他にも長唄に詠まれたり、映画やテレビドラマにも取り上げられているが、現実に江戸時代中期に起きた江戸城「大奥」における未曾有の不祥事で、大スキャンダルになった。徳川家第七代将軍である家継の生母月光院に仕える大奥御年寄・絵島と当時名代の歌舞伎役者生島新五郎との密通が引き金となり、関係者1400名が処罰された綱紀粛正事件をいう。江戸城大奥に天英院派と月光院派の二大勢力があった経緯から、本事件は月光院の失墜を狙った天英院の陰謀であったと言われているが、事件後における月光院の影響力や、大奥勢力の相関関係などが不明であり、また天英院による謀議を裏付ける史料もないため、憶測の域を出ていない。絵島生島事件真相_d0061579_07342266.jpg絵島は、甲府藩士疋田彦四郎の娘で、旗本白井久俊の養女となり、尾張徳川家を経て甲府徳川家に奉公しました。甲府藩主家宣が第6代将軍に就任すると彼女も「大奥」へ入り、家宣の側室であり7代将軍家継の生母となる月光院に仕えて、御年寄トップの「大年寄」にまで出世しました。事件当時、絵島の年齢は34歳でした。将軍の生母付きの奥女中が、よりによって身分の低い役者と男女の関係を結んでは、幕府の沽券(こけん)に関わる。ましてや大奥の内情など、機密事項を漏らしていたら—という疑いだった。絵島は厳しい尋問にも屈せず、断固として男女関係を否定した。一方、絵島を接待した御用商人と新五郎ら芝居関係者には、容赦ない拷問が加えられた。真相は不明のまま男女のスキャンダルだけがひとり歩きし、さらに関係者が重い処分を受けたことによって、密通は「事実」と認定されてしまった。それを、うわさ好きの江戸庶民がはやし立て、錦絵の題材にまでになった。つまり、絵島生島事件は冤罪ではなかったかとの疑惑が浮かびあがってくる。冤罪だとしたら、絵島や新五郎らが罪を着せられたのは、なぜだったのか?それは、幕閣の権力闘争が背景にあったという説がある。7代・家継の生母として権勢を誇っていた月光院と、後継者を産めなかった第6代将軍徳川家宣の正室の天英院。それぞれと関係が深い幕閣同士は、熾烈な権力闘争を繰り広げていた。◆ 絵島生島事件は何が問題となったのでしょうか?7代将軍家継の実母である月光院の代参として、前将軍家宣の墓参を命じられての外出でした。やがて増上寺を後にした絵島一行は、城下の木挽町(現在の東銀座の歌舞伎座付近)にある芝居小屋「山村座」に移動し、人気俳優の「生島新五郎」が出演する初春興行「東海道大石曾我」を鑑賞しました。芝居の内容は今ひとつでしたが、この日のために貸し切った2階桟敷席では、豪華な仕出し弁当と酒が全員に振る舞われたようです。日頃、「大奥」という閉鎖的な空間で窮屈な生活を強いられて鬱屈をためていた彼女らは、ここぞとばかり大いに羽目を外し、途中から一座の俳優も呼び寄せて至福のひとときを過ごしました。しかし、この「楽しい一日」が、ほどなく絵島の運命を大きく変えてしまうことを、本人はおろか誰ひとり知る由もありませんでした。* 一つは役者を交えて派手な宴会を繰り広げたうえ、帰城の門限を破ったことです。勿論、門限破りはご法度です。当日の絵島が帰城した時刻は、暮れ六ツ前の午後5時ごろとされ、本来大奥で働く女性に課せられていた門限の夕七つ(午後4時ごろ)を過ぎていました。ただし、この日の絵島は「将軍の生母」の名代としての外出のため、こうした身分の人々の門限、暮れ六ツ(午後6時ごろ)が適用されていたはずだと思われます。絵島本人の門限破りではなく、随行したほかの女性たちが門限の4時を過ぎており、これが絵島の管理不行き届きだという「難クセ」のようなものでした。* もう一つは、このとき訪れた「山村座」の役者、生島新五郎と密通していたと暴露されるなど、「大奥」全体の風紀に関する問題にまで発展しました。本来であれば、目的である代参が終わればすぐに帰城すべきであり、厳密には帰途の寄り道は認められません。しかし、閉鎖的な空間で1年中ほぼ休みなく働く「大奥」の女性たちにとって、代参やその随行は貴重な外出の機会であり、芝居見物のほかグルメやショッピングなど「ハメ外し」を兼ねた無二の楽しみとして、当時は内外から暗黙の了解を得ていた行為でした。しかし、「不義密通」は問題外で言い訳の余地はありません! 絵島と生島新五郎ら関係者の取り調べが行われると、その追及は非常に厳しく、拷問に屈した新五郎は絵島との密通をついに「自白」します。一方、絵島は、3日3晩にわたる不眠での追及にも屈せず「否認」を貫き、ついに彼女の罪状には「不義密通」は含まれませんでした。つまり、こちらも「根拠の明らかでない後付けされたデマ」なのです。絵島生島事件真相_d0061579_07334395.jpg● 絵島は何者かに、はめられたのです。一般的には、前将軍家宣の正妻である天英院が、家宣の側室だが現将軍の生母である月光院から、大奥の主導権を奪還するために画策したともいわれます。ただ、両者の確執は否定しませんが、全大奥女性の楽しみである代参を、天英院が利用して事件化することは、その後に代参が規制対象となるリスクもあり、現実的ではないでしょう。ちょうど同時期に流布されていた「もうひとつのスキャンダル」から、その真の狙いが見えてきます。将軍家継の側近である間部詮房(まなべあきふさ)が、絵島の仕える月光院と密通していたといううわさです。詮房は前将軍の家宣の腹心として幕府を主導し、月光院が産んだ家継が将軍に就任しても、引き続き側近として仕えました。このとき、家継はまだ幼少のため大奥で生活していたことから、例外的に詮房の大奥への出入りが認められていました。これが曲解され、月光院との密通のうわさへと発展したのでしょう。絵島や間部が狙われる動機は、「前将軍・家宣の出自」と深く関係しています。6代将軍家宣は、もともと甲府藩主で綱豊(つなとよ)といい、5代将軍綱吉の兄である甲府藩主綱重(つなしげ)の子でした。綱吉の後継者に決まると家宣と改名し、将軍就任後も側近や大奥には甲府藩時代からのメンバーを抜擢して用いていました。そして家宣の死後も、月光院が産んだ家継が7代将軍に就任し、大奥では天英院をはじめ月光院や絵島が、幕政は間部詮房や新井白石が握るなど、甲府閥による主導が続き、幕府内の旧勢力からの反発が強まっていました。絵島生島事件真相_d0061579_07352623.jpg* 幕府内の旧勢力とは : 大老の井伊直興(なおおき)、老中は土屋政直、秋元喬知(たかとも)、井上正岑(まさみね)、阿部正喬(まさたか)、久世(くぜ)重之大老の井伊直興はその時期に辞職して隠居していることからまったくの部外者で、秋元喬知は間部詮房と親しい立場の人物で体調を崩し、その年の8月に急死します。阿部正喬、久世重之も間部詮房の政策に賛同する側にいました。もちろん断定はできないものの、土屋政直は4代将軍家綱の時代から老中を務める重鎮で、間部詮房のような側近による政治主導に懐疑的な立場でした。また、井上正岑は、間部詮房、新井両者とも日頃から関係が険悪だったらしく、その様子は新井の残した記録からもうかがえます。 5 by kfujiken2 | 2023-01-14 08:39 歴史 Comments(1) Commented bykyotoshiryo at 2023-05-11 22:24x 0 名前 URL 非公開コメント 公開コメント 削除用パスワード << 日本一かわいい女子高生 毛利輝元の家督相続と二頭体制 >> フォロー中のブログ コバチャンのBLOG つれづれなるままに 四季折々 時の流れのままに 風に吹かれて~🎵 In one¥’s tr... 坂の上のサインボード 月の沙漠を toriko 雲母(KIRA)の舟に乗って 風の便り ハンドメイドの時間 S... Sauntering photo & 575 ?わっきゃーわからん sweet+ 静かな時間 やいやい畑 俺の心旅 元気ばばの青春日記 気持... Photo Terrace 今が一番 鏡花水月 Weblog : ちー3歩 Ⅱ 獺祭亭日乗 心はいつもそばにいてね なんでもブログ2 今日より明日良い事に出会... 薫の時の記憶 画像一覧 エキサイト XML |ATOM Powered by Excite Blog 会社概要 プライバシーポリシー 利用規約 個人情報保護 情報取得について 免責事項 ヘルプ

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