カオスの弁当 (original) (raw)

「昼寝をすれば夜中に眠れないのはどういう訳だ」(『東へ西へ』)ーーというのは、つまり、昼間にぼんやり夢うつつに過ごしていれば、いざ寝ようとしたところで、その日一日のことを頭が勝手に思い返す内に、却って昼間よりも頭が冴えてしまう様子を歌っているのである。

最近ではとんと替え歌なんてものも聞かなくなったが、ふた昔近く前は替え歌でも何処でも、散々擦られた『夢の中へ』の歌詞も果たしてそうだったが、井上陽水の歌の特徴は、一言でいうなら「あべこべ」である。

それをもう少しお洒落に言い換えると「さかしま」になる。

成る程、ユイスマンスの小説の邦訳が流行った時代に書かれた曲の多い歌手に掛かった作詞なのだから、それが通奏低音として流れていた所で何の不思議もない。

あの気怠い眠そうな感じの歌や調子は、実際眠いのかも知れないけれども、「さかしま」が基調となっているのであるとしたならば、当然の演出であろう。ーーそんなのは、井上陽水の同時代人にすれば、分かり切った事である筈だが、二十一世紀を既に四半世紀近くも過ぎてしまった後には、その様な自明の事柄も「再発見」の憂き目を見るのは自然の流れであろうか。

眠りに入ろうとする瞬間がその日一番、目の覚める瞬間なのだーーという経験がデカダンスの契機である。ただ、そんなものは、単に「寝不足の生活習慣」と言って終えば、今日日、片付いてしまう昼夜逆転生活が、もとい不健康な生活が「お洒落」な時代があり、又それはミクロでは個人や集団の生涯のフェーズに於いて度々みられるものでもある。

ただ、「あべこべ」という言葉が一般に忘れさられ、「さかしま」という言葉も、邦語に於いて固有名詞として小説の題名を示す語に成り果てた今日、冒頭に掲げた井上の“謎掛け”もそれとして認識されていないのではないかーーという一抹の不安が生じて来る。

文庫版が出たのを機に『百年の孤独』について安部公房が語った記事の中で、1982年当時、かつて日本にも存在した共同体への郷愁(「ノスタルジア」)を象徴するものとして、彼は「演歌」を挙げていたが、今日、井上の楽曲も、広く世間では演歌と同じ様に郷愁を掻き立てるものとして認識されている事だろう。

ただ、その「郷愁」は、正に彼の『少年時代』などを聞いて喚起される様なイメージに対して聴取者が抱く感想であり、それは廃墟を観じて夢想された幻に対する印象とそう変わりはない筈だ。

そして、重要なのは、そうした廃墟から生じた幻想に掻き立てられる情念と懐かしさが結び付く、人間の内面的事象の不思議に気付くことであり、井上の作品はその不思議を歌ったものとして、本稿筆者は耳する者である。

記念品や、それに纏わる思い出を自分が持っているから、それらを自分は懐かしく思うーーというのではなくて、故は知らねど「懐かしい」と思われるから、きっとそれらは自身と何か深い関わりがあるに違いないーーそれこそ、過去に自身と密接な関係があったのだーーと感じられるのだーー……。

この様な、昼間の世界の考え方=常識的な思考を反転させた「さかしま」な考え方に人が落ち込むと、果たして、昼間起きて活動して夜眠る様な生活を過ごすのが馬鹿らしくなって気さえするものである。いっそ、それは突如として大海のど真ん中でプカプカ浮かんでいる事を自覚したかの様な絶望感に瞬間的に見舞われる体験と見做される嫌いもある。

ただ、そんな夜驚的体験や思考も、自分一人だけのものでないと知れば、今度は可笑しい対象となる。例えば、丸谷才一のエッセーに『盲亀浮木』という一文があったりする。

何の事はない。誰しも自分だけの時空間がある。其れだけの話なのだ。

(2024/09/07)

1969年7月20日、神奈川県内は高気圧に覆われてよく晴れた一日であったが、朝夕は蒸し暑く、明くる21日も同様であった。

小田原・板橋の「八旬荘」に隠棲していた長谷川如是閑は、この頃、終の住処となった邸宅で一日の半分はほぼ寝て過ごし、起きている間もうつらうつらする合間に新聞などに目を通すーーといった具合であった。1969年11月、如是閑は同地で没した(享年93)。

そんな如是閑、最後の夏に月面に人類が降り立った。これに彼がどのような感想を抱いたかは、現在知られる所ではまだ明らかになってはいない。

ただ、恐らくは彼はこの「一大イベント」には関心を示さなかった事だろう。というのも、ただ彼にとってそれは別段、特別な話題でなかったからであろう為である。

彼が生きて来た、一世紀に及ぼうとしていた期間の人類の冒険の数々を思えば、遥か高層の虚空に浮かぶ衛星月に人類が到達したとしても、それは無数の一面記事のネタのひとつに過ぎなかった。

縦しんば、その宇宙船が超大国でなしに、日本やそれ以外の国のものであったならば、彼も少しばかり口を開いたかもしれないが、何ぞ筆を執るに至ったかは不明である。

世間の浮かれ具合を洒落のめす明治時代の新聞記者気質の一面であったならば、 例えば彼の弟・大野静方なぞは、月に行った所でーーと「偉業」に沸き立つ世間の頭上にピチョンと一滴、黒い雫を垂らしたかもしれない。或いは、月下に黒黒と伸びる陰の輪郭を縁取ったかもしれない。

日本画家・挿絵画家として兄とも共同で仕事をした静方は、如是閑よりも早く1944年に病没している。兄・山本笑月もこれに前後して没している。アポロ11号を話題にするにしても、先ず話し相手がいないーーそんな状況で如是閑が何かを語らなかったとしても別に何の不思議でもない。

訪ねて来る客の絶える事のなかった八旬荘では、アポロ11号の話題もお天気の挨拶程度には供された事であろう。それからどんな展開がなされた事かについては、今となっては、同時代人の教養の内容が現代人のそれと、それこそ地球と月位に懸隔があるから、容易に想像し難い。

現代人にとって、即ちアポロ計画以後に生きる人間の月に対する認識は、先ず以て単なる星である。綺麗であろうと美しくあろうとも、それがただの巨大な岩石の塊である事を認めて揺るがない。

だが、それ以前の人達にとって、例えば月は太陽と並んで地上を照らす光源であり、また異界に続く光穴であり、或いはそこ自体が別天地であったりもした。全く経験的な事柄とは別に、それには無数の物語が付随していて、これらを根こそぎ過去のものとしたのが、蓋し冷戦下の宇宙開発競争であった。

勿論、19世紀末から20世紀初頭にかけての「文明開化」の時代にあって、日本でも月に纏わる物語をこそぎ落としてしまおうとする向きはあるにはあった。然し、その策も又一つの「物語」として人間に受容れられた。

真に人々の目を「醒ました」のはテレビジョンの登場であった。是なくして人々は、それまでの月に纏わる物語を教えられた通りに処分する事は出来なかったのである。

教育の現場ではテレビの前段階には幻灯機があった。映画もあった。如是閑は映画について、第二次大戦前から戦中にかけてこれについて散々物を著していた。戦後は自身もテレビやラジオに出たりして、これらについて論じて来た。

だもんだから、1969年7月当時、月に人類が着陸する云々ーーという「枝葉」について、彼の中では今更、それを踏まえて改めて何かテレビジョンや世界同時中継について論じようとかする気持ちは、最早なかったのかもしれない。

この10年前ーー即ち、家庭にテレビが一躍普及するのに一役かった出来事(現・上皇上皇后両陛下の御成婚)の後で、ガガーリンの言葉や彼がみた青い星の姿をモノクロで視る人々の姿こそ、もし仮に長谷川如是閑が依然として新聞記者として、ジャーナリストとして矍鑠としていたならば、それらを観察していたに相違ない……。そう夢想する筆者の無精は、関係者の残した資料を漁って、当日の如是閑の言行を探さぬ点に尽きている。

『男子は月給に支配せられ、女子は月経に支配せられる』ーーとは、若き日に如是閑が新聞の文芸欄で披露した「箴言」(『如是閑語』)の一つである。

今日、奇しくも長谷川如是閑の名前と共に、主にSNSを通じ、世間で最も流布している彼の「作品」が、この『月給/月経』である(発表当時から、そのインパクトは大きかったと見え、生前から今日に至るまで多くの書籍に収録されている形跡がある)。

この句で「月」は人間の生活と人間の生き方をいましめる制約の表徴として扱われている。だが、一方で彼の他の作品(箴言に限らず、文芸作品)を丹念に読んでいくと、単に愛憎いずれか一辺倒という訳でもなく、単純に「酸いも甘いも」的な達観を提示して良しとする態度を誇示している訳でもない事が分かる。

人間の営みの中にあって、自ずからそれ自体の「ことわり」を持って推移するものーー。これが如是閑作品に於けるモチーフとしての「月」が示す所の意味や事柄であろう。それは人の世界の範疇を超えているが、然し人の一部でもある。同時にその事は、人が自身を超えた世界の一部である事をも示唆している。

そして、その様な事柄を観察するのに、或いはそれについて多くの人々に示すのに当たって、どの様な方法や手段が講じられるかを考えたものも、彼の仕事の中には多数含まれている。

確かに人類は月に到達した。それを地球上の人々は同時にテレビを通じて目撃した訳だが、その実、多くの人々は自分達が中継番組を視た思い出を閑却して済ませている。

飽くまで推測の上に重ねる推測ではあるが、如是閑であればかくの如く評したであろう。

即ち、「月を認めれば指を見ず。」と。

ただ、それを聞いたところで多くの人は如是閑を、口達者な爺様だーー流石は“叛骨のジャーナリスト”と賞賛するに止まるであろうーーが。

(2024/07/21)

[...]

母が言うには、世の中には文法を毛嫌いする悪人どもが少なくない。彼らは、自分の頭が鈍いために理解できない事を中傷の材料にするし、また法律を人に害悪を与えるものにしてしまう。そのような法律による宣告を受けてヘクラの淵に果てた人も少なくはないということであった。

[…]
ーー(『夢』ヨハネス・ケプラー、1608年/渡辺正雄・榎本恵美子=訳、講談社学術文庫、1985年)

フランス革命期に歴史の表舞台に華々しく登場したとある「機械」は、新しいもの好きでもあった機械好きのディレッタントな元・国王、ルイ16世の目にも止まり、彼直々の発案で、シンプルながらも大変実利的に優れた改良が施されたと伝わっている。

その改良が施された機械によって彼自身もその胴体から速やかに素っ首が叩き落とされた、というーー嘗ては、その機械の採用を議会に提言した医師が歩んだ顛末として語られる事も多かったーー顛末は、今日、本邦でも知らぬ者はいない。

この“改良”が機械に及ぼしたポジティブな影響は、その発案者とその家族、友人や仲間連中に対しては最もネガティブな形で作用した。

古来、拷問器械や処刑道具に留まらず、技術に携わる人間の生命は、その仕事の完成と共に奪われる事は屡々であった。

ファラリスの雄牛の例は、ギロチンの例と共に余りにも有名であるが、古今東西、世に「影響力のある仕事」の発注者は、注文した仕事が終わった後、仕事の対価を支払うといって職人達を呼び付けると、鏖殺するのが常である。というのも、仕事が終わって完成した代物と同じものを、他人が持つ事を発注者が許せないと考える場合、物とそれが齎らす利益とを独占する為に、それを作った者達を抹殺するのが、手取り早い方法だからである。

善良な人物であったらしい、彼のフランス国王がそんなスマートなやり方に明るくなかったのかは不明だが、彼が折角機械に手を加えられる立場にありながら、その刃が自分に向けられた際に作動する安全装置の仕掛けを施さなかったのは、後世「暗愚」とも評せられたこの人物の、この点に限っては、明白な落ち度ではなかったかーーと思われてならない。(或いは、策士策に溺れた末かも知れないが……)

これに対して、仕事を依頼された人間達の側で出来る、唯一にして最大の自己保身策ーー但し、それも完全ではないーーは、その技術や仕組み、理論等を公に開示し、普く世に宣伝してしまう事である。それも仕事の完了前に既に明らかな形にしてしまう事が賢明であるが、事は大抵そう上手くは運ばない。歴史を紐解くと、一矢報いたーーという場合に止まる事が殆どの様である。「星火燎原」の熟語は目にも煌びやかであるが、その実、勢いは忽ち尽き果てるものである。

「機械」といえば、最近、画像生成AIの話になると忽ち絵描きがムキになるのは、先ず、これまで長い人類の歴史の中で延々と維持されて来た「絵描き」に対する侮蔑と屈辱に満ちた仕打ちが、今日も変わらず、人々の中で保たれ、その歴史の延長線上に自らも位置している事を自覚させられ、思わず感傷的になる為である。

画家や歯医者、床屋、大工、職工といった、その他多くの手仕事に従事する者は、歴史的にその仕事に比して世間で軽んじられ、剰え用が済んだら処分される様な憂き目に会うリスクもある様な背景すらあるのは既に述べた。そうした手仕事に携わる者の中でも、取り分け今日もなおその歴史的評価が厳然と維持されて来ている「絵描き」に対して世間は、平然と「機械」を対置して何ら憚る所はない。この事は全く世間の人達に、人間を物と並列に扱って何ら痛む良心がない事を直ちに意味しない。が然し、現に、正に世間の人らは「機械」を手に入れて喜んでいる事実を絵描きは、難くとも悲しくも受け止めなければならない。その様子がもし、絵描き自らがその作品を「一の仕事の所産」として評価されるように期待して、作者である絵描き達自身についても、世間から真っ当な人の数に入れられるよう努めて来たにも拘らず、無碍にされたという風に感じられたとしても、それは世間の人の預かり知らぬ絵描き個人の問題である。

そもそも、其処ーー世間ーーに絵描きの居場所はなく、例え世間で絵描きが声高に我が身の不幸を託った所で、聞く耳を持つ人は其処には居ないのである。

世間には「機械」の登場で、絵画が真に“_民主化された_”と唱える人達が存在する。その主張の意味する所を考えると、果たして、彼らの中では今日に至るまで絵画と絵描きとは一部の特権階級(歴史的には王侯貴族や有力者達)に独占的に「所有」されていたという考え方や、絵描き達がその技術や教養を余人に広めなかったが為に多くの人々が絵を描けなかったのだ、という考え等が共有されている様である。

前者は兎も角、後者については、多くの絵描きには反駁の余地があるだろう。就中、本邦に於いては、二〇世紀後半の学校教育ーー特に義務教育に於ける教育内容ーーの弊害が、美術や芸術活動、それらに関する事柄に対して種々の負の感情と姿勢とを少なからず惹起させる風に社会・世間全般に及んだ結果、ガラスケースの中に収められた種々の文化財以外の文物の粗雑な取り扱い方や、絵描き等に対する風当たりに顕現する様になった。そして、言ってしまえば、図画工作や美術の時間に散々、嫌な思いをさせられ、恥辱を味わわせられた膨大な数の人達の憎悪を、教師や学校、或いはその人は育った家庭の保護者や地域のコミュニティに肩代わりさせられているのが、絵描きが置かれた現状なのである。

また、“_民主化_”を唱える人達の中には、絵が描ける事自体を、余人と分かち難い資本(天稟)として捉えて、絵描きを「天からの贈り物」を独占している“特別な人間”(と、少なくとも絵描き自身も自惚れている者)だと見なして、あたかも王権神授説を信じる共和主義者(?)の様に、絵描きから「権利としての“絵画”(お絵描き)」を奪い取り、その化けの皮を剥いでやったのだーーと考えている人達もいる様である。

流石に、こうした考えの人は極少数であろうが、その極少数の反応も、裏返せば、確かに絵描き自身の「驕り」を反省させる、いい教材であるといえる。自身の栄達や、悲願である社会的地位の向上の為に、世間に蔓延る“天才信仰”に乗じて、絵を描く技術やその為の教養、学習法の重要性を隠匿して来た嫌いが絵描きになかったかといえば、果たして嘘になる。

又、絵描き自身も、世間に身を寄せる一人として、或いはそれ自体が一つの「狭い世間」を構成して、そこで程度の差こそあれ、個人の才能に過度の期待や信頼を措く様な事がなかったか?ーーという反省が、もし絵描きの中で促されないのであれば、絵描きは、世間の、一時の祭典的高揚の中で不当に過大評価されて、担ぎ挙げられた挙句、群衆によってその熱狂と興奮の絶頂を齎らす為の詰まらない犠牲となり果てる末路を免れ得ないだろう。

では、具体的に絵描きが反省した上で、自らの詰まらない運命を回避し得るかを考えてみると、冒頭に掲げた、古の知恵が改めて思い出される次第である。

即ち、絵描きは肩代わりさせられた教師の役割を自ら引き請ける事で、露命を繋ごうとする策である。

絵を描く事、それ自体に対する模糊とした世間の印象が、絵描き自身に対する関心の希薄さを産み、それが絵描きを窮迫に追い込んでいるーーと仮定すれば、絵描きにより、万人が「絵描き」たり得る事を世に知らしめる事が、巡り巡って自身の絵描きとしての生命を保つ事に繋がろうものである。

勿論、絵を描く事と絵の描き方を他人に教える事は全く異なる仕事と技術である。だが、絵描きが後世に遺せる作品は、絵描きの数やその作品の数に比して極僅かであるのに対して、その技術は「人伝て」に連綿と(その間に作品が介在する事も当然あり、それは大変に重要な事であるが)継承されるものである。

そして、その伝播の過程に含まれる人口が多ければ多い程、それによって絵描きにとって好ましい影響が見込まれる。それは絵描きのみならず、何よりか、絵画を含む芸術ーー総じて人間の営為に対し、より熱心な関心と深い造詣とを持ち、尊敬と畏敬の念を忘れない人口の増加という結果を招来するのに有効手なのである。

それこそ、今、「機械」の製作者達が、どれだけ素晴らしい“教育”を機械に施し、その利用者が機械を使って如何に優れた作品を拵えた所で、果たして何か「絵」や「絵の描き方」を学んだ者がいたとすれば、それは「機械」に他ならず、利用者が如何にその機械で優れた絵を出力したとしても、それは飽くまで優れた機械の操縦に熟達した、というに過ぎないのだ。

膨大なパターンを学習した機械の操作を通じて人間が「絵」を学習する事もあり得る話であろうが、それは飽くまでも、矢張り人が機械を介して人伝に学ぶ事に違いはない。絵描きが自身のカンバスに臨む時の心持ちや心構えを、「機械」の操縦者に伝える事が出来るのは、今、自身を自らの「機械」として道具として操縦する席に腰掛けている、絵描きに他ならないのだ。

絵描きは、つい、自身の負って来た苦渋の歴史と、その中で己が尊厳の拠として築き上げ、培って来た教養ーー経験から学び得たものも含むーーと技術に対する思いに沈降しがちである。そして、これ対する世間ーー絵描き以外の多くの人間ーーの無関心に対して怒り、然し、憤懣遣る方なく、一人相撲に陥って、ほとほと弱り果てて仕舞い勝ちである。視線を変えれば、それだけ絵画や絵を描く事に対する世間の関心や需要が高い事にも気付き得ず、又、自身が他人の最も憧れて、求めんと欲するものを持っていながら、それが他人に伝えられる可能性に気付き得ないのは、他人に教示する意思があるか否かは扨措き、惜しむべき話であろう。

又、今次の世間の熱狂は、「“もの”が出来る過程」、或いは「見えて来る過程」を人々に知らせる事が肝要である事を示唆している。現に「機械」の開発者達が、自分達の営為を宣伝するのにそれを行って成功している訳であるから、絵描きもこれに学ばない手はない筈である。

目下、絵描きが問題としている「機械」の開発者達による、機械に学習させる作品の取り扱い方についてもーー後手に回ってしまう形にはなるとはいえーー絵描きが世間の人に「どの様にして絵が描(えが)かれるのか」を示し、問題認識の素地をその裡に涵養・醸成する事が必要である。そうして初めて、絵描きにとっての事の深刻さが世間に認識される、という話である。

そして、これが意外と障害となるやも知れないのだが、「絵描きはただ、素晴らしい作品を世に提供すればいい」ーーという絵描きの中に少なからず形成された或る種のプライドについては、この際、忘却される必要がある。それは果たして、画家を私物化し、独占し、時に殺害した有力者や、人間を「機械」と丸で区別しない一部の人達と同じスタンスであるし、結果的にそれは、人間を「絵が描ける」と「描けない」という、高々それだけの違いで区別する狭隘な視野の内に籠る事になりかねない。

それでも、矢張り、絵描きの絵描きとしての生命は、新しい機械の登場により露と消えるやも知れない。それでも絵描きは、機械によってその生命を絶たれるのではないだろう。

いっそ、絵描き自身が「機械」を操作する人間になるのも一つの選択肢である。ただ、あんまり機械弄りの趣味に没頭する様では、可惜自分の身も守れない。恐るべきは「機械」そのものではなく、一部の「機械」の開発者や自称・信奉者と、熱狂する群衆である。

絵描きがその言動に腑を煮え繰り返しているのは、彼らが絵描きの技術と教養とを支える、更に根底にあるものに対して何らの敬意も抱かず、半ば冒涜的に振舞うからであり、その場の刹那的な享楽の為に、流行り物に飛び付いて、大騒ぎする口実を探しているだけの者と心底で見抜いているからである。絵描きの中にも紛れ込む、この手の舌先三寸の輩の言辞は軽薄であるが故に広まり易く、そうして広まった言説は決して元に戻せない。

八多羅に一事を殊更に取沙汰して賞賛する者、或いは誹謗する者程、実際、それについて本気で重きを置いている訳ではない。所詮、人間だろうと機械だろうと「絵が描ける」だけの話なのである。それだけで渡っていける世間でもなければ世界でもないのだ。だが、そう取り沙汰す者は、兎に角、己が引く線に沿って物事を区別したいだけなのである。

絵が描けるとか、高々そんな事を理由にーー言葉の綾だろうとーー“_民主化_”の敵役と目され、社会的に迫害される口実めいたものが用意される事態と、それを出来させる要因が存在する事が、真に絵描きにとって憂慮すべき現場としての事態である。

「絵が描ける」、「メガネをかけている」、「文字が読める」、ーー……と、理由や切っ掛けなぞは些細な事項で十分なのであり、そうして取り敢えず、無数の人間を追い詰めるには、極簡単な「お遊戯」の支度さえ整っていれば十分な事は周知の通りである。「機械」が、絵と絵描きに対する世間の需要を反映しているーーと先に記したが、ここまで書いて置いて、筆者は最後にそれを翻意したくも思えて来た。だが、その翻意は今暫く保留としたいーー「今暫く」の留保は外せないが。

それに、“本音”を申せば、絵を描く自分にとって、「絵を描く機械」も、それでかかれた絵について、真個の所、平生関心の埒外にある。それは自分がどこまでも単なる愛好家の地位に遛まるが為であり、それ故に自分は愛好家に遛まるのであろう、が……ーー。

(2024/03/27)

(2024/04/09=追記)

小正月に果樹に対して行なわれる豊作祈願の儀式に「成木責め」というものがあるらしい。詳しくは地域や時代によって違いがあるそうだが、概ね、樹木を脅かして、その年の収穫を「約束させる」儀式であるそうだ。

果たして、昔話の『猿かに合戦』冒頭に出てくる、柿に水を遣るかにの台詞も「成木責め」の一種といえるだろう。

早く芽を出せ、柿の種。出ないとお前をほじくるぞ。

早く実を成せ、柿の種。出ないとお前をチョンと切るぞ。

この囃し言葉に含まれるエートスに対して、率直に「野蛮」と評し得るのが現代人の微細な肌感覚と言い得るであろう。

だが、それが年中行事や慣行として行なわれ、尚且つ、地域や家庭、企業という「内輪」で行なわれる様になると、その特殊性を尊重するあまり、自身の平生有する「率直な肌感覚」に衣を被せてしまう傾向が巷ではいまだに散見される。

果たしてこれに対して、否を唱える事による影響の甚大さを知る者は、その蛮習の根深さと悪影響の大きさとを熟知する者でもある。

そもそも、この「責め」の儀式の質の悪さは、果樹が実をつける義務は誓約によって生じるーーという事を、儀式を行う人間側がよく理解している所にある。だからこそ、「なるか、ならないか」と木を鉈で斬り付けて脅すのである。

果たして、こうした人間の悪知恵を物語る儀式は本邦のみならず世界各地に存在する。自身らの気に入る成果を挙げないものに対しては、脅迫し、罵倒し、暴力を振るう事に人間は躊躇ない。その思惑の根底には、単に相手を責めたて、萎縮させ、隷属・使役するだけでは思った成果はあがらないーーという、脈々受け継がれて知恵が垣間見えている。

数え上げたらキリがないが、「成木責め」然り、それらは「自然相手に泣かされて来た人間の歴史の証左」というには、余りにも「不自然」な慣わしであり、“呪法”である。

そこに完全に欠落しているのは、「教育」と「学習」の見地である。だが、この二語の意味する所もまた、今日、コンセンサスが形成された試しがない。

責めたところで何になる、脅して約束させたところでその約束に意味はないーーという「感覚」が漸く形成されて来た所で、二十一世紀初頭の今日に於いて、それが「一般人」の「常識」になる気配は未だ見られない。寧ろ、今日日漸く、あるかなきか薄ら生えて来た、この「生毛」の感覚を大事に育てようとするだけの気概を、同時代人がどれ程持っているのか、甚だ疑わしいと感じずにはいられない。

然し例え、そんな生毛が生え揃った所で、焼け火箸を押し付けられたら即座に爛れてしまうのが人間の弱い皮膚である。だからこそ、我が身可愛さで、思わず心にもない約束をしてしまい、そんな約束でも約束には違いないからーーと墨守せんとして、可惜心身財産を損なう例は古今あり触れた話である。

新年に際して、旧習を顧みてこれを重んじるのは最もな話ではあるが、一方で、新年の節目はそれらの儀式の理を反省する機会でもある。

ここで一度、責め苛む側に目を転じてみると、無情にも、焼け火箸のもう一方を掴む手は、未だ爛れず、完膚を保持している事が間々ある。

その手もまた、我が身可愛さから用心するが故に全きを得ているに過ぎないのである。専ら、「見様見真似」でその術を知ればこそ、火箸を扱う人間の手には怪我もないのである。

ただ、そうしてそれが決して獣の扱い、神霊の扱いに慣れている事を意味しないのにも拘らず、当人がそれに気が付いていない例は多々見られる。

何となれば、自身の人望や才覚こそが、自身に富を齎しているのだと錯覚しさえするのである。

にも拘わらず、その身体財産を損ねたりした場合、当人等は概ね、「道具」の使い方をし損じた、とばかり反省するのである。その矛盾に最後まで気付かず、またその時点から一歩の伸長もしない者だけが、果たして「豊作祈願」で得られた果実を享受し得る者なのであろう。

年次ばかり新たまったとて、その中身が改まらないのであれば、なんぞ新年を賀ぐべき。

(2024/01/04)

映画『オッペンハイマー』に便乗した、バービー人形のプロモーションが炎上しているニュースに接して一夜明け、果たして、その元となった二次創作作品の数々を見るうちに、これが(なんのかんのと言われようと)今日全地球上に覇を唱える国家とその国の人々のプライドのシンボルなのだという気がして来て、素直にそれに圧倒される気持ちになった。

それはそれとして、その(本邦人には如何にも)“下世話”に映る絵面について、何が如何下世話に映るかを試みに記してみようと思う。

まず、色彩であるが、これはピンクが先ずいけない。砂漠の大地と空の色彩に壊滅的な印象を与える。それが、原子爆弾のキノコ雲すら染め上げているのに嫌悪感を抱かない人は少なくないだろう。特に崇高さへの冒涜に映るのである。

だが、この軽薄さこそが覇権国家の深底にあって、彼らが自らの頼みとする根源的暴力のシンボルに他ならないのだと筆者には看取される。

だが、彼らは如何してそこまでの暴挙に出る事が出来るのか? 彼らをして、その畏怖と恐怖の念を乗り越えられる心性の極には何があるのかーー。これを考えるにつけ、今ひとつ示されてあるものが他ならぬバービー人形である。

蓋し、それは自らが「愛されるもの」としての自信に満ち溢れた姿である。自分ならば、この地上で何をしようともそれら全てが、何もかも許される、という自信を体現した姿は、言い換えれば、それら一切に許可を出してくれる強大で(恐らくは唯一無二の)“超越者”の影のシンボルでもある。

その超越者に対する絶対的服従と信頼の証として「無垢」であり続ける人形は、これに呼応するかの様に、破滅的な力の顕現に対して無邪気に笑みを浮かべるのである。それは紛れもなく、愚かで浅はかな笑い顔なのであるが、それが地上にあって降り掛かるありとあらゆる災難から免れる為の、彼ら最大の手段なのである。

他の人々なら恐れ慄き、阿鼻叫喚の坩堝と化すところを、歓喜と興奮の絶頂に変化させられる無垢と、そんな無垢な彼らを保護するべく地上に顕現した強大な力とが邂逅した際、無垢な彼らが自らの無垢を表明するかの様に、恐るべきものにすらピンクのスプレーを塗布したところで、驚くに値しない。それは紛れもなく、その顕現に対して微塵の疑いもない事を表明する行為に他ならないからだ。「伏して惟る」様な、憚る様な邪な振る舞いはそこには認められない。

ただ、その無垢も、可愛らしさも皆、生存に有利な方に「進化」した末に獲得した特徴なのだーーといえない事もない。だが、その様な説が仮に認められたとしても、正しくそれ故に彼らは自らの特徴を、造化の妙として受け止めて、その粋を凝らすべく努力するのは火を見るよりも明らかである。

ここで目を転ずれば、本邦人士の中には大昔に流行った小説のタイトルにもなった、「火宅の人」という言葉が浮かぶ者も少なくないであろう。或いは、今年の全球的な酷暑の陽に炙られて、愈々、「茹でガエル」の気分を味わう中で、対岸の“火事”も今更の様に感じられる人もいないではあるまい。そして、そんな彼らの“愚かさ”を嘲弄するに何の遠慮もないと感じるものであろう。

だが此処で翻って彼らがその様に思考し行動する、彼らの生存環境の有り様に目を向ければ、成程、自然の道理ではないか、とも筆者は思考するものである。

勿論、こんな発想自体、今世紀に至って持ち出す事自体が無茶苦茶なのは百も承知である。が、果たして、その描かれた風景を見るにつけ、わたくしの目には、ものの譬えではなく、灼熱地獄とそこに生きる人々の姿がそこにあるのだと思われてならない。其処は最早到底、人の生きる世界ではない様に思われる、そんな世界で生きているのは鬼か邪だけではないかーーという懐疑がむくらむくらと入道雲の様に沸き上がって来るのを、彼らは忽ちに引っ捕らえて、ピンク色に染め上げてしまう。

人々の記憶の中に鮮明に焼き付けられた白と黒のモノトーンの景色を打ち壊すかの様に、バービー人形のカラフルで、人為的な色彩は哄笑を伴って、遥か太平洋の彼方からこちら側まで渡り来たってなお止む所を知らない。それでも古来、「暑さ寒さも彼岸まで」とは俚諺に記された通りである。

片や彼岸は、……。

(2023/07/31)

久々にーーというか、この間初めて『タイタニック』を観た。タイタニック号の沈没に纏わるエピソードは、驚嘆すべき事には、殆ど乗員一人ひとりに渡り蒐集され、記録・伝承されている。

中でも事ある毎に紹介される話の一に、沈みゆく船の上で死を待つ人々の慰安に勤めた楽士たちの話がある。昔はその様な人たちのエピソードも「美しい話」として辛うじて聞かれたものであったが、改めて、その話と再現映像とを初めて接してから二十数年振りに観た感想は、なかなか昇華出来ないものであった。

仮に彼らが演奏せずに自分の大事な楽器を抱えて救命ボートに乗ろうとしたならば、きっと疎ましく思われた事であろう。何なら、楽器の方は誰かが抱えて代わりに脱出してくれたかも知れないが、楽士は船上に取り残されたかも知れない。

そういう風に色々想像される様になって、初めて、船上の彼らの演奏がデスパレートな旋律であった気がして来た。故人を蔑めるつもりは更にない。だが、それを聴いた人々が本当にそれを気休めとして、全く消化出来たと想像するのはかなり難しくなって来た。

どのみち、それはどんなに美しかろうと、氷の海に投げ出されていく、死んでいく人間達の断末魔の叫びである。それを忘れて、どんな曲が演奏されたとか、それがどんな風に聴こえたとか、想像するのは大分見当違いな気がする。

誰がそれを聞いているか、果たして確かめる術もない中で、誰かがそれを必要としているに違いないとか信じる余裕が果たしてあったか如何かは不明である。

だが、沈みゆく船の上で、そんな期待よりも遥か間近に迫った終わりを前にして、演奏家の音楽は自分自身の気を紛らわせるものであった事は想像に難くない。

彼らは彼らに与えられた「楽士」という立場を引き請けた事で、死後も長きにわたって今日まで、楽士として評価され続けている。然し、その最後の最後まで彼らは、彼らが引き請けた仕事を全うしなければならない。それは恐らく、この先、ずっと変わらない。

それは、彼らが彼ら自身をして、楽士足り得た結果であろう。

所で、後世に生きる我々に想像を許されたものは、彼らの取り得た選択肢ではなく、自らがこれから取り得る選択肢についてであろう。これについては、十中八九の了解が得られるものであろうが、船が沈んで百余年後に生きる人間たちには、楽士が楽士である以前に、一個の人間であった事実が、若しかしたら彼ら自身よりも強く意識されるものである。

縦しんば彼らが楽器を捨て、如何にか斯うにか最後まで生きようとして敢えなく落命したとしても、彼らが最後まで楽士でなかったとは今次我々の中で、一人も認める者はいないだろう。

又、彼らが船上で死にゆく人々の慰安に勤めると同時に、破れかぶれであった事を認めぬ者もないだろう。

芸術家は無力である。それは別に芸術家だから、という訳ではなく、氷の海に沈みゆく船の上に残った者であるが故に、無力であるーーと言えるのである。

それに対して、後世の人間が、「ならば、その船に乗らねば良かったであろう」とか、「乗ったからにはそのチケットの定めに従い粛々と結末を受け入れろ」というのは全くのお門違いである。

それは既に終わった話なのである。楽士の演奏が絶えて、氷山に激突した船の上にあった人々が海中に没して、既に百年を閲したのは周知の事実である。我々の耳にその音楽が届く事ははなから決してあり得ないのである。

彼らが如何に満足して、或いは後悔していたかは、はなから「我々」に係る問題ではない。問題は、現在を如何にして生き延びるか、であり、過去のある時点、ある時間に生き延びていた人々の余命を顧みて評価する事ではない。

仮にその演奏が聞こえたとしても、それに耳を貸す猶予は「我々」にはない。その選択を「美談」として消費し得るのは、そもそも、船上に残った人々だけなのだ。

或る時点から、楽士として、一個の人間として、その生存にピリオドを打つ決意をした人々の奏でる音楽を耳に出来るのは、彼らと同じタイミングでその決心をした者達だけだったーー。

そう考える様になって、一つ、長い間、私自身を悩ませていた問題が消滅したのは何より幸いであった。

船上で演奏していた彼らは、既に生ける楽士としての義務から解放されていたのである。偶々それが生者の耳に届いたとしても、元・楽士たちの演奏は、生前のそれと同じものではないのだった。

彼らは彼らに与えられた「楽士」という立場を引き請けた事で、死後も長きにわたって今日まで、楽士として評価され続けている、と私は書いたが、世間では今でも概ねその様に受け止められているものだろう風にこの筆者は思考している。

だが、個人的には、前述の通り、彼らが留まった船の上で演奏した音楽は、死後の音楽であった。繰り返すが、筆者には故人を冒涜する意図はない。その意思を批判するつもりもない。ただ自分には聞こえない音楽を、素晴らしいとか美しいとか評価し得ない、という事を言わんとするのみである。

タイタニック号の楽士たちの音楽は、水底で、今も奄々ループし続けているかも知れない。だが、それに耳を貸すべきではない。現在の生存を選択し続ける人間には、死者の奏でる音楽は遥かに遠い。

(2023/07/13)

空想科学映画とパニック映画の違いについて考えていると、取り敢えず、「なんかでっかくてこわいやつ」を想定してみたくなる。

この「なんかでっかくてこわいやつ」は、大抵、手に負えない災害級の代物であり、これに対する反応として描かれるのは二通りのエポケーである。

一つは、兵士や消防士が日々の訓練を通じて体得するタイプのエポケーである。で、空想科学映画で描かれる人間の態度は、大体がこのタイプである。

もう一つは、それがジャンルの名前の由来にもなっているパニック状態の人間が陥るタイプのエポケーである。前者が割合にエリートの態度として描かれるのに対して、後者は一般以下のその他大勢、群衆の態度として扱われている。

そして、この「なんかでっかくてこわいやつ」に対する二通りの反応は、現実にあっては概ね観客の中に見出される。観客は鑑賞時にあって、個人であると同時に群衆でもある。それは別に、物語を鑑賞している際には有りふれた現象である。

二つのエポケーに共通しているのは、いずれも人間が“火事場の馬鹿力”を発揮する際に到達する状態だという事であろう。だが、その“馬鹿力”の使い道は、前者と後者とでは丸で異なる。

空想科学映画にあって、その力は「なんかでっかくてこわいやつ」と“闘争”に使用される。他方、パニック映画にあっては“逃走”に使用される。空想科学映画にあっても逃げ惑う群衆や、我が身可愛さに自分だけ助かろうと画策する個人は登場するし、パニック映画の中でも“英雄的人物”は割りかし主人公格に見られたりする。

所で、パニック映画も空想科学映画も、大抵は悲劇である。

共通しているのは、それぞれがそれぞれの“とうそう”の最中に、“忘れもの”をしてしまう事に起因している。そして、“忘れもの”をしたのを後で思い出すのがパニック映画であり、これを悼むのがパニック映画の醍醐味である。

空想科学映画の場合は、必ずしもそれが“忘れもの”とばかり呼べず、寧ろ、捨てる行為に英雄的性格を見出す傾向が稍もすれば強い。そうして自身の性向に抗えない己に陶酔する経験を齎しさえもする。自己陶酔については、パニック映画にも、毛色は異なるものの、多分にその悼む行為に含まれている(ただ、次元の異なる両者の自己陶酔を並置するのは混同の因かもしれない)。

然し空想科学映画であれ、パニック映画であれ、稍もすれば両者共に陥り易い隘路に、「なんかでっかくてこわいやつ」の忘却がある。

なまじ、人間を描くのに気を使う許りに、「なんかでっかくてこわいやつ」が人間の目前に控えている事を描くのを失念するのである。

その余りの巨大さに、梗概を把握する事さえ容易ならざる恐るべき対象に気圧されて、慌てふためく様子を描写するのは、飽く迄も、その「何か」の影を描いているのであって、それ自体を描いているものではない。

極端にいえば、「なにかでっかくてこわいやつ」が出て来る映画・活動写真にあっては、空想科学映画であれ、パニック映画であれ、主人公は「なにかでっかくてこわいやつ」である。

人間はその引き合いに出される、言うなれば“餌食”に過ぎず、その餌食の末路が物語全体を支配する“運命”と誤解される様では、怪獣映画としては微妙である。

もし、映画を始め何か作品にA級とB級の区別が明確にあって、それが物語の有無にあるのだとしたら、その“物語”は「人間の“物語”」と断る必要があるだろう。

或いはそれは、人間の“運命”と呼ぶべきものかも知れない。

そう思うと、「なんかでっかくてこわいやつ」が出て来る怪獣映画の場合、観る側も撮る側も、これを“忘れもの”とするべきではないかーーとさえ思えて来る。

というのも、どの道、空想科学映画でもパニック映画でも、登場人物はその“とうそう”の過程で一旦、普通の人である事を放棄しているからである。彼らの“忘れもの”は、そんな彼らの人としての普段の装いであり、蓋し、それを言い換えて“日常”と称しているのだろうと思われる。

日常を喪失して“人”でなくなった人間達と、“非日常”の性格の「なんかでっかくてこわいやつ」が対峙する時、その舞台上には人間の運命は存在せず、然るに作品は自ずとB級の評が下されるだろう。

だが、そうしてやっと、その作品の中で人間は単なる怪獣の餌食という立場から、今一つの「なんかでっかくてこわいやつ」として銀幕に映える事となるものであろう。そして、主人公たる「なんかでっかくてこわいやつ」も、初めてスクリーンの上に姿を現すものであろう。

ただ、筆者自身は、そんなおっかない映画はとてもじゃないが観られる自信がない。観たいと思わない気持ちがある訳ではないが……。

(2023/07/12)