僧侶になれても住職になれない (original) (raw)
私のように会社を定年退職後に僧侶になって、第二の人生を仏道探究と社会貢献に費やしたいと考える人は少なくないかもしれません。
私としては、ぜひお勧めしたいという気持ちと、簡単にはお勧めできない、という気持ちが半々というのが正直なところです。
60歳を過ぎて僧侶になることは可能ですが(ただし、後述するようにそれなりにお金と時間がかかり、厳しい修行に耐える必要があります)、お寺の住職になることは過疎地以外では容易ではありません。
住職になるのが難しいのは、日本のお寺が世襲制で、お寺の跡取り娘と結婚して婿入りする場合を除き、在家出身者に門戸をほとんど開いていないからです。
近年、地方から都市部への人口流出、家族構造の変化に伴う檀家の減少や、コロナ禍が拍車を掛けた葬儀・埋葬の簡素化により、寺院の経営難、住職のなり手不足が叫ばれています。
民間の有識者でつくる日本創世会議が2014年、全国の869市町村(2024年の発表では744市町村に修正)が消滅可能性にあると発表して大きな反響を呼びましたが、当然ながら寺院もその影響を免れません。
「寺院消滅 失われる『地方』と『宗教』」(鵜飼秀徳著、日経BP社)によると、全国にある約7万7000の寺院のうち、約2万が住職のいない無住寺院で、今後さらに増え続けるとか。
退職金や年金のあてがある定年退職者が住職になれば、お布施などの収入を心配する必要がなく、この問題を解決できるという見方がありますが、実はそれほど単純ではありません。
無住寺院といっても、本当の意味での空き寺ではなく、その多くは別の寺院の住職が兼務しています。
兼務住職にとっては貴重な収入源の一つであり、縁もゆかりもない在家出身者に、はいどうぞ、と権利を譲り渡すようなことはありません。
お金が絡むケースも少なくなく、高齢の住職の後を継ぐ代わりに、その住職の退職金を要求されるようなこともあるようです。
誰も兼務したがらない、檀家が数軒しかないような山奥のお寺の住職でも構わない、家族もそんな場所で暮らすことを承諾している、というなら、住職になれる可能性はぐっと高まるでしょう。
しかし、もしそうでないなら、僧侶になっても必ずしも住職になれるわけではないことを、あらかじめ覚悟した方がいいでしょう。
それでも、お金と時間と労力をかけて僧侶になることに価値があるかどうかを、よくよく分検討してみる必要があります。
曹洞宗の僧侶になるためには具体的にどうしたらよいのか、時間やお金がどれくらいかかるかについては、次回お伝えしたいと思います。