昭和の東西ヨーロッパ行 170 山下りで助っ人機関車あらわる ノルウェー No.661 (original) (raw)
”青春18きっぷ(*JRの普通列車一日乗車券✖5日分)”で旅行けば、名ばかり”〇〇本線”/昭和に特急・急行が停車した12両ホームは現在2ないし4両の普通列車のみ。
かつての栄華も今や不要な線路が寂しさに拍車をかけ・・・。
(右は主役の新幹線)
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今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
9月12日(金)
北欧ノルウェー滞在5日目。
フランス⇒スイス⇒オーストリアから北上、ドイツ⇒デンマーク⇒スウェーデン⇒フィンランド⇒再びスウェーデン⇒ノルウェーへ
(地図や小文字の文はグーグルマップ/Copilotより)
ノルウェー第三の都市トロンヘイム(地図・↓↓)から北方の港町ボーデ(↓↓)まで728㎞。
若者向けユーレイルユースパス(周遊券)を使いスカンジナビア半島の海山を北上、夜行列車のトンボ帰りで首都**オスロ(地図・↓↓)**を目指しました。
昨夜はよく眠れたのか?
朝方うつらうつらしながら、はっとして目が覚めると終点トロンヘイムは間近に迫っていました。
8時10分(*定時は8時7分)、トロンヘイムに到着した列車から8時45分(*定時は8時40分)発の首都**オスロ**行に乗れば、
(30枚目の便せんメモより)「車内で買えと言われた予約券(座席指定券・12クローネ・312円)は結局いらなかった」
全座席指定の急行列車でしたが・・・。
通貨単位はノルウェークローネで1クローネ=約26円(*現在もクローネ)
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
乗り込んだ10両編成の列車(客車)の他国では見ないような、その近代的な造りに思わず”すごい!
・大きく長い窓に低い天井の赤色車体は窓が黒枠で1981・85年製(*当時は1986年)と新しい(*台車は西ドイツ製)
・最高速度は150㎞/h(国内の他は130km/h、古い寝台列車はなんと100km/h)
・禁煙/喫煙の仕切りが各車両にあり、ボックス席を除き全席が進行方向なのは今までの国ではなかった
・リクライニングすると座る部分が前にスライドし、足置きもある!
・座席を仕切る”ひじ掛け”がないのを除けば立派!
・トイレ内は収納家具(ボックス)に石けん・タオル・カミソリまで完備
この列車も開放型(*座席が見渡せる)でしたが、スカンジナビア三国(フィンランド・スウェーデン・ノルウェー)は長距離列車が多いのに、コンパートメント(6・8人用個室)が少ないのが謎でした。
(内陸部)
内陸部を通る車窓は言わば”見慣れた風景”でしたが、意外だったのは”高所ではないのに積雪”があったことでした。
(メモより)「バンバン見える雪山」
また、”♬ソファミレ♪”で始まる車内アナウンスに英語・ドイツ語があったのは、明らかに観光客向けと思われました。
(ノルウェーの牛たち)
驚くことに、車内販売のコーヒーが飛ぶ!(ように売れる)
喫煙席の16人中14人が買い求めるとは・・・。
3本のコーヒーポット危うし・・・。
さらに、”スナック売り場”まで行き来する人の多いこと!(軽く1000円以上は飛ぶ)
(メモより)「古き良き時代の旅か?」
(沿線の駅)
(メモより)「日本のような”缶コーヒー(250ml)”はまったく見られないのが西ヨーロッパ」
と、機関車トラブルか?
急に列車は止まってしまいました。
(メモより)「先ほどパンタグラフ(電気機関車の上部・電気の取り入れ口)が火を噴き煙を吐いていたので「む?」と思ってはいましたが・・(なんとのんきなこと)」
(沿線)
30分ほどして列車は動き出すもいつの間に先頭にディーゼル機関車が!!
無事山を下り終えるとディーゼル機関車は戻っていき・・・。
再び走り出した電気機関車に、さっきの(火花・煙)は故障だったのかなんだったのか?
それにしても”素早い対応”だったのは”山下り(山登り)”につきものの"事(現象)"だったのか・・・・・。
(日本では北海道/石北本線/新旭川~網走間の”玉ねぎ列車”で、前後ディーゼル機関車による峠越えがあります)
(オリンピックが行われたリレハンメル近くのスキー場)
やっと山を下りたところが**リレハンメル(地図・中央・↓↓)**で、8年後の1994年冬季オリンピックが夏季オリンピックと異なる年に初めて開催されました。
ノルウェー国鉄はすごい!と思ったのは、この遅れで”**オスロ発西方第二の都市ベルゲン行”にオスロ**到着が間に合わないので、急きょ「途中駅からバスが出た」ということでした。
バスはオスロ~ベルゲン間のどこかで接続する・・・。
これはもしかして、何度か”前歴”があるのかないのか・・・。
結局、首都オスロに列車が到着したのは出発から8時間後の16時38分、1時間13分遅れ。
これからユースホステルに行くことを考えると、自炊食糧ご用達のスーパー探しは断念(*18時閉店)せざるを得ませんでした。
訪問国ごとに"旅する条件"が違い、不安定な"栄養(摂取)"。
日による"バラツキ"もなんのそのだったのは、ひとえに"若さ'のなせるわざでした。
つづく