医者の良心 (original) (raw)

歩くことは長生きの秘訣

世界中のどんな医者も歩くことは健康維持のために必須であると主張します。医者の誰一人として「歩かないことで健康を維持する」ことを主張する方がいません。しかしこれから私が言うことを聞けば考え方が必ず変わります。

治療には優先順位が存在する

痛みがあると人は手足を動かせなくなります。その結果筋肉が衰えます。当たり前ですね。筋肉の衰えが痛みの原因ではありませんから、筋肉を鍛えても痛みはおさまりませんし、痛みは筋肉を動かすことでほとんどの場合増します。
治療には優先順位があり、痛みがある場合は優先順位が1)安静、2)炎症を鎮める、3)リハビリをする、となります。この順番を逆にして、リハビリを優先させるといつまでも痛みは治まらず、炎症がひどくなり、やがて痛みで本当に動けなくなります。治療は順番を間違えると悪化します。歩くのは悪いことではありませんが、優先順位が高くないことを広く認識しなければなりません。歩く前に、やっておかなければならない治療が安静なのです。大谷翔平を見ればわかるでしょう。肘にサポーターをつけて、ずっと安静にしているではないですか。あれが真実です。筋トレを先にするという優先順位は存在しません。

カートを押している老人が物語る

街ではカートを押して歩いている老人をよく見かけます。よく見かけるということは、明日は我が身だということ。そしてカートを押し始めた老人が、治った話を一つとして聞かないこと。これが現医学の治療が正しくないことを物語っています。彼らは医者に「もっと歩かないと歩けなくなるよ」と脅されています。が、そのアドバイスが正しいのなら、カートを押している老人たちは、みんな歩けるようになっていなければ嘘です。

カートを押さないと歩けない理由

人は高齢になると背が縮みます。背が縮むと椎間関節が必ず脱臼します。この脱臼が関節を変形させ、神経が脊椎から出てくるための出口トンネルを狭小化させます。これを椎間孔狭窄といい、神経が圧迫され始めるのです。すると神経が摩擦と圧迫で炎症して腫れます。神経が晴れると神経の栄養血管がおしつぶされて血が流れなくなり、神経に電気が通らなくなります。歩けなくなるのはこのように神経が断線して脳からの命令が筋肉に届かなくなるからです。
椅子に座って猫背になると関節の脱臼が少し改善します。すると神経に血が流れ始めて再び歩けるようになります。この原理からわかることは、背骨に重力をかけると物理的に神経が圧迫されて神経損傷が進むということ。それを防ぐためにカートで猫背にして重力を前に分散させているわけです。
この状況に陥った場合、治療法は背骨に重力をかけないことが最優先されます。歩けば歩くほど背骨に重力がかかり、現状維持どころか必ず悪化します。悪化とは、神経損傷が起こって筋肉に電気信号が届かなくなりやせ細ることをいいます。つまり歩けば歩くほど筋肉が衰えます。

医学的にはお手上げ

高齢者がカートを押す状況になった場合、医学にはなすすべがありません。脊椎固定の手術の成績はよくありませんし、高齢者に手術をすると手術侵襲で重症化することや手術の失敗率も高いからです。このような状況で打開策はあるのでしょうか? そして誰もが明日は我が身なのですよ。

神経損傷を保存的に治す

現医学には背骨が原因で歩けなくなることを防ぐ治療法がありません。あったらカートを押している老人は皆無です。しかし安心してください。私は寝たきり寸前で老人ホームに入所予定の患者さんたちをことごとく歩けるようにしてきました。その方法は二つ。ルートブロックと安静です。ルートブロックは私が独自に編み出した方法で行うのでその辺の医者にできるというものではありませんが、安静はいつでもだれにでもできることです。

肺炎のおかげで神経痛が治る

下肢の神経痛のため、歩けなくなった高齢患者が、たまたま肺炎で2か月入院したら、退院時には神経痛がなくなっていてカートなしで歩けるようになった。という話はしばしば聞きます。安静にすると神経の炎症と腫れがおさまることで、神経の出口が狭くなっていてもその状態に神経が順応するためです。
もちろんこの高齢患者は退院時、全身の筋肉がやせ細っていましたが、日常生活をすることで筋肉はすぐに元通りになります。何度もいいますが、筋肉がやせるから歩けなくなるのではなく、神経が損傷するから歩けなくなります。筋肉のやせは神経が回復すればいつでも元に戻ります。

よくばりさんはとことん落ちる

大谷翔平が肘を休めることなく、二刀流を継続していたら、選手生命が終わっていました。彼は「投げたい」と「安静にして治す」の二択のうち「安静」を選びました。もちろん筋肉は衰えます。もし、投げたいを選んでいたら筋肉は衰えませんが靱帯付着部炎で肘が壊れていました。彼に「安静」以外の治療法はなかったのです。
ところが、下肢の神経痛の人は歩いて治すというおろかなことを考えます。世界中の医師たちも同様に「歩いて治す」という夢物語を患者に吹き込みます。この欲張りな発想が招く結果は、カートを押し始めた高齢者は二度とカートを手放せなくなることです。事実と現実を直視してください。

痛みは神の忠告

神経が伝える痛み信号は「動かすな」という命令です。それを守れば改善するというありがたい命令です。そもそも動いても治せるものならば、痛みなどというものが存在する意味がないと思いませんか? 神経という文字になぜ「神」がついているのか?
よくばりな人間は動かして改善させようとします。そのために痛み止めを服用し、そして動いて、そして組織を激しく損傷し、後戻りできないところまで引っ張ってしまいます。現代人は少々傲慢すぎるようです。神に逆らうのですから。

神経損傷後は死期が間近

神経損傷が原因で寝たきりになった人は、確かにそれが原因で内蔵が弱って全身が衰弱し、死期がせまります。だから歩け!ではありません。歩いたから神経を損傷したのです。高齢で歩けなくなることは確かに死期を意味します。しかし歩けなくなることが死の原因ではなく、神経の損傷が根本原因であることを認識しなければ寿命が縮みます。歩けるようになるためには、優先順位があり、まずは歩かないことが第一であることを忘れてはいけません。優先順位を間違えてはいけません。

内科と外科は犬猿の仲

どこの大学でも内科と外科は互いに罵り合ってけんかしているのが普通です。理由は簡単です。互いの患者を奪い合う関係にあるからです。内科は手術しないで治す科、外科は手術で治す科。内科で治してしまえば外科の手術件数は減ります。

整形外科は手術する科

整形外科医は基本的には手術専門の医師です。彼らが開業すると自分一人でできる小さな手術は自分でやり、大掛かりな手術は大きな病院を紹介します。それが彼らの仕事です。ただし整形外科には内科がありません。
もしも整形内科があったとすると、彼らはおそらく整形内科を毛嫌いし対立します。これの意味するところは・・・彼らは手術の適応基準を持っていて、その基準を超えている患者は問答無用で手術を勧め、その手術を回避させるような内科的治療を認めない(毛嫌いする)となります。
逆に言うと、手術適応の患者を内科的に治して手術不要にしてしまうことにネガティブな感情を持つということになります。
もしも医者が「整形内科」をかかげて、整形外科の患者を奪う存在となれば、相当な嫌がらせをされるでしょう。そうまでして患者を手術回避させる理由は一つもありません。整形外科医から見れば、手術は正義で回避は悪です。ですから、開業していても整形外科医は手術適応ガイドラインを死守します。

20年間手術を回避させ続けた医者

私は医者8年目で大学病院を退職し、それ以降は非常勤の外来専門で働きました。その目的は腕を磨くためです。整形外科医でありながら、手術を回避するための技術を磨くわけですから、それは反医学ガイドラインです。常勤の病院では迷惑をかけるのでできません。そこで非常勤をしながらこっそり腕を磨いて、新たな注射技術を次々と開発して行ったのです。そして数多くの私独自の注射法を編み出しました。おかげで医者や医学部の教授までもが私の治療を受けに来るようになるまでになりました。
しかし、それらの技術は外科医たちがもっとも嫌悪するものです。手術を回避させ、彼らのプライドを傷つける存在だからです。私はいつのまにか整形外科医たちに最も嫌われる存在になってしまったようです。

手術は回避するに越したことはない

整形外科手術の多くは数年の短期で見れば得策であることが多いですが、長期であれば何らかの弊害が起こります。スポーツ選手は気軽に靱帯再建や半月板切除を行いますが、手術をしたせいで選手生命が短くなった人は大勢います。もしも、手術を回避できる方法があるのなら、まずはそちらから試すべきではないかと思いませんか?

手術回避の外圧

手術を回避させる医者や手技、理論に対する非難や圧力は想像を絶するほど強いものです。その外圧のおかげで私の技術を弟子や後輩に教えることができません。つまり私の技術は私が生きている間の短い期間のみ患者さんに提供できるものです。

手術しない方が勝者になれる

手術をせずに保存的に治すには多少の面倒くささがあります。しかし、その面倒の向こう側には体をいたわる幸せを実感できる世界があります。手術をすすめられたら、まずは保存的にがんばるという道があることを知っておいてください。

幹事MAXの法則

若い頃は合コンによく行ったものです。男女の飲み会です。こうした会合を開くには主催する男性1名と女性1名が必要です。主催者を幹事と言い、幹事がメンバーを集めます。
男性幹事は何も考えずにメンバーを集めますが、女性幹事は自分よりもモテるだろう女性には声をかけない傾向が強く、結局幹事よりもかわいい女性が来ることは、「期待したって無駄」ということになります。これが幹事MAXの法則と言います。

医学部教授MAXの法則

医学部では教授が人事権を握るため、教授より腕のある医師は教授のメンツをつぶしてしまうためほぼ必ず左遷、または研究課題の制限をさせられます。これも全国ほぼ共通のため、医学部教授MAXの法則が成り立ちます。教授以上に優秀な医師は大学病院にはまずいません。いたら過酷ないじめにあいます。

特に優秀な医師は全国に一人もいてはいけない

厚生労働省(政府)は医学の水準は「全国どこでも同レベル」をうたっており医師によって「治療に差がない」ことを目指しています。医学の威信は「差がない」ことで生まれます。
例えば味噌汁と言えばみぞと具材が決まっていて、それ以外の食材を用いることを禁止します。すると全国どこでも同じ味の味噌汁が完成します。これが政府が目指す均一化された医療です。もしも、そこにかつおだし、こぶだし、特殊酵母のみそなどを用いる者がいたら、厳しく取り締まります。そうしなければ味噌汁の味を全国同じにすることはできません。
この原則により、優秀な医者はあの手この手で取り締まられます。それが医学の威信、医学ガイドラインというものです。よって医師は開業して初めてガイドライン以外の治療を模索できます。しかし、開業医にそれをさせないためのあらゆる法律や制度を国は張り巡らせています。
政府はそれらを「無謀で安全性の確立されていない治療をさせないための法制度」とうたっています。それは一理ありますが、その法制度のおかげで真に優秀な医者が宣伝できない、生計が立てられないという事態になります。

技術差の出る治療は外圧がかかる

例えばルートブロック(神経根ブロック)のように、医者の腕によって成績に著しい差が出てしまう治療は意味なく回数制限がかけられています。一般的には3回までです。このブロックを継続して行えば、腰の手術件数は激減すると思われます。なぜそう言い切れるかと言いますと、私はこのブロックで「手術しか手がない」と言われた腰痛患者をことごとく手術不要にした実績をもつからです。しかし、保険医療ではおよそ3回までという制限が加えられています。たったの3回で手術不要にまで治すことは私といえども難しいのです。

保険外診療には罰がある

それほど効果が高いなら保険外で治療すればよいのですが・・・一度でも保険外治療を行うと、そこから1年間は保険治療を認めないというやばいペナルティが用意されています。つまり、一度でも保険外診療をすれば、その日から1年間、国民健康保険制度から除外されます。これほど酷い罰が用意されているのを国民のだれにも知らせていないことが政府の問題だと思います。※ただし違う病気には保険は使えます。
保険外診療は診療費が3倍以上になるという罰以外に、国民健康保険制度から除外されるという重い罰があるわけです。だからそう簡単には手を出せません。国はそうまでして医学ガイドラインを医者に守らせたいようです。つまり、味噌汁を作るなら、既定の味噌、既定の具材以外は認めない方針です。

最高の医療を提供という矛盾

国は全国どこでも最高の医療というスローガンで威信を守っています。しかし、すべての医療をだれがやっても最高にするためには、その方法は一つしかありません。低水準のところで線引きし、そのラインを超える者を刈り取る以外に方法がないのです。すなわち、医学ガイドラインそのものが低水準でなければ、全国どこでも最高の医療というスローガンは達成できないというおそるべき矛盾があります。

国のやることに文句はない

医学ガイドラインは優秀な医者にとっては強い外圧という存在になります。逆にへぼな医者や若い医者から見れば聖域であり輝いて見えます。国民が医学を信用しきって、その結果、重税である保険料を喜んで支払い、暴動や一揆が起こらないわけですから、医学ガイドラインは治安維持に非常に貢献しています。ですから私が文句を言う立場にありません。しかし、患者が本当に治りたいのなら、医学ガイドラインに縛られていない医者を探さないと無理です。

1)とらなくても治るヘルニアがある

腰椎椎間板ヘルニアはヘルニアの塊がぶにゅっと脊柱管内に飛び出して神経を圧迫して痛みが出るというのは違います。直接の圧迫で痛みが出るのは外側型ヘルニアと言って、椎間孔付近に出た場合です。背骨のど真ん中に出たヘルニアは神経を圧迫することはなく、神経の道筋をそらすだけです。痛みは、ヘルニア突出によって神経が一次的にピンと張った状態になり、神経根という部分が傷ついて出るものです。つまり、神経根の炎症がおさまれば、ヘルニアがあっても痛みが改善します。
また、飛び出したヘルニアが白血球に食されて平らになることもあります。
よって手術の対象になるのは外側型ヘルニアです。それ以外は、一旦、ブロック注射などで痛みの経過を観察するべきです。

2)ヘルニアをとると身長が短縮する

ヘルニア切除は椎間板を切除することなので、椎体と椎体の間隔がせまくなり身長低下が起こります。それだけでなく、狭小化が原因で椎間関節の脱臼が必ず起こりますから将来的には椎間関節が変形し椎間孔狭窄タイプの脊柱管狭窄症が必発となります。狭窄しても症状が出るとは限りませんが、狭窄症で将来苦しむ確率がぐんと上がります。

3)手術ミスがある

腰椎には奇形が多く存在し、第五腰椎が仙骨と癒合していて存在しない人、仙骨から第六椎体のような椎体がある人、などが存在し、プロが見ても椎間板のナンバーリングは油断しているとミスります。つまり、間違った箇所の椎間板を手術してしまうことを完全には避けられません。よって、あってはならないことですが、確率で手術箇所ミスが起こります。ミスした場合、そのことを患者にはおそらく担当医はそれを告げません。訴訟問題に発展必至だからです。
付け加えると、外側型ヘルニアの場合、的確にヘルニアを摘出することは技術的に難しく、ミスではありませんが成功しないことがあります。

手術被害者になることを避けるには

痛くて痛くてがまんできないのはわかりますが、手術に早まらず、神経根ブロックを行って改善させることを十分にトライしてから手術を検討されることを強くお勧めします。

詐欺にあわない人はいない

人間社会は詐欺で成り立っています。この意見に賛同できる方はどのくらいいるでしょうか? 例えば宗教。宗教は聖戦をかかげて人々を戦争に駆り立てる歴史が繰り返されています。真実は「神は殺し合いを好まない」のですから、戦争に行った人はみんな詐欺にあっています。例えば科学。科学的と言えば人々は信頼します。しかしそのおかげで科学は常に証拠を捏造、データ改竄を行い、皆がその詐欺データに騙されて行動を起こします。
このように人々は詐欺の世界で暮らしており、詐欺に会わない人は皆無です。

フィッシング詐欺にひっかかた人へ

フィッシング詐欺で貯金のすべてを詐取された方は自身の愚かさに「死にたい」とさえ思うでしょう。そんな時はこう考えてください。どんなに賢い人でさえ、人間は詐欺被害の中で生きている。詐欺に会わないことは無理である。自分を責めたり、犯人を憎むことは無駄にしかならないと。
私は医師ですので医療に詐欺が多いことを知っています。「手術するしかない」と医者は言いますが、しないで治す方法はいくらでもあります。「~~しかない」は詐欺的です。
新型コロナウイルス感染症対策ではワ〇チンを打ったことで命を失った方が大勢おられると思われます。その人たちは打たなければ「生きていたはず」の方々です。この「生きていたはず」の大勢の方々は国家レベルの医学的な詐欺に会ったと言い換えることもできます。この方々の詐欺被害額は命の値段です。フィッシング詐欺で1000万円の被害を受けた方よりも大きな大きな損害です。
国側は「打たなければ国民がもっと死んでいた」と主張していますが、この主張の真偽は皆さんが判断してください。ただ、ここで言いたいことは、すべての国民が詐欺被害者であり、特に医療面ではその被害額が命の値段にまで及んでいることです。
なぐさめにはならないかもしれませんが、詐欺被害がお金で済んで、命まで取られなくてよかったではないですか。

医学が詐欺になってしまう理由

最新科学の世界では物理学の法則が素粒子の世界では通用しないことがわかっています。 科学は物理や化学では表現できない新たな世界があることをすでに証明しています。鳥がGPS装置を身に着けるがごとく何千キロも渡りができることや、誰も教えなくてもクモが巣を作れるなどの様々な不思議な現象は、この「科学で解明できない新たな世界」が影響していると考えられます。それらは量子生物学と呼ばれます。
わかりやすく、さっくりと言うと、「生物はその生体だけでなく霊的なエネルギーや気の流れが存在していて、それらに反応して生きている」ということです。
医学はこの考え方を嫌悪し排除してきたがゆえに、霊的エネルギーや気の流れの不調によって起こる病気を解決することが全くできないと徐々に世間からみなされはじめています。つまり、病気の50%は物理化学の問題で、残りの50%は別次元のエネルギーの問題だということです。よって医学が未来において物理化学を果てしなく発展させたとしても、残りの50%は未解決の領域として永遠に残り続けることになります。医学が別次元の世界のエネルギーで起こっている現症について言及したものはすべてが嘘やこじつけになります。
もしもこれらが真実ならば、医学の半分は詐欺的です。だから医学はそれをかたくなに全否定するわけです。

医学の半分は疑う

私は医学ガイドラインを疑うことで新たな病態をたくさん発見し、医学で治らない疾患の患者たちを大勢救ってまいりました。私から見ると、疑いを持たなかった医者は病気の半分は治せないと思います。しかし、医学を疑うことは国家資格である医師免許を持つ者には許されていません。だから普通は疑いを持ってはいけないことになっています。
医学に疑いを持たないで診療を行う医師は自分をだますことにつながります。ほぼ全員の医師が上からの命令で「医学に疑いを持たない」ことを強いられます。それはやむを得ないことではないので、良心がしっかりしていればそこから抜け出せます。

詐欺の温床となる病気

医師は患者をだましているつもりはありません。ただ医学ガイドラインに従うのみです。従うことは医師の義務です。ただし、その医学の根底の半分が信頼性が置けないものなら、医者にかかった者はほぼ全員が受動的詐欺被害にあいます。医療が原因で病気になり命を落とすことが多くなります。それらは原因不明とされている分野の病気に多いはずです。
癌、神経系、免疫系、精神系、老化系が原因不明に相当します。死因につながる病気の大半です。これらが受動的詐欺被害の温床です。

医学の未来

今後、医学が信頼を取り戻すことはなく、おそらく国民の大半から信頼を失うことが予想されます。その原因は生命が気のエネルギーで動いていることを認めようとしないからです。医学が国民から総スカン食らうのは近い未来の出来事です。私が言及するまでもなく、すでにYoutubeでは医学に警鐘を鳴らす系の動画があふれかえっています。
医学が信頼を取り戻すには、見えない世界の理論を取り入れるしかありません。つまり、現在、医学が「詐欺と認定している世界の話」を受け入れるしかありません。それができないのなら、医学は沈みゆく船になります。医学に沈んでほしくないがゆえに、医学に変化を期待しています。

フィッシング詐欺被害者が救われる道

もう二度と詐欺被害にあわないという意識が芽生えれば、それはプラスの財産です。その意識を健康に向けることができれば、あなたはおつりが返ってくるほど得をしたことになるでしょう。
医学は受動的詐欺被害の温床です。よって、医学に騙されないという毅然とした態度を芽生えさせることができれば被害が帳消しになります。それが救いです。

食の安全よりも味と安さ

行列ができる店は安くてうまくて量が多いです。そして大繁盛。しかしその反面、食の安全は守られません。安い食材を用いなければならないからです。農薬や遺伝子組み換え、防腐剤、発色剤などを用いなければ安く作れませんので、そういうところから仕入れた食材は毒入りです。
一方、食材を安全なものにするには手間暇とお金がかかります。お客様に安全な食を提供するには値段を上げるしかありません。前者と後者では圧倒的に後者のほうが客足が遠のきます。よって倒産。安全を目指せば経営が成り立ちません。
もしも、お客様の嗜好が量や値段よりも食の安全となったなら、ようやく安全を目指す店が存在していられるようになります。

医療の安全は時間

医療の安全性は時間が担保しています。例えば注射の速度を速めると死に至るような薬剤が医療現場にのいたるところにあります。患者で混雑している医院では、どうしても注射の速さを上げてしまいます。もしもゆっくり注射していたら、患者の様態の変化に対応できたものを、早く注入すると薬を入れ終わってから患者の様態が変化するので対処ができなくなり死に至ります。
実は、「ゆっくり入れれば安全なのに、医者が速く入れることで死亡事故が多発して製造中止」になった薬剤はいくらでもあります。蕁麻疹に特効のレスタミンカルシウムの静注用などがそうです。能書きには「5分以上かけてゆっくり注入すること」と書かれていても、医者は注射に5分もかけてられないため30秒くらいで注入し、そして心停止に至った例が多発しました。そして製造中止です。
薬はゆっくり注入して患者の様態を見ながら行えばほとんどの医療事故は防ぐことができます。しかし、それをするためには時間を十分かけて注射しなければならず、実際、ブロック注射などではそれほどの時間をかけられないので事故は必ず起こります。

安全確保には一人30分

患者に薬剤を注射器で注入する作業ではどの医者もスピードを競うものです。硬膜外ブロックなどの危険な注射でさえ、何人も寝かせてベルトコンベア式に注射を次々と打っていきます。それでは確実に事故が起こります。
安全が確保されるためには患者一人当たり30分必要です。しかし、一人に30分かけると、1日でせいぜい16人の患者しか診察できません。これでは経営は成り立ちません。
つまり、現在の医療は経営のために一人当たりにかけるべき時間を削ることで採算をとっています。それは安全を削っていることなのであなたは必ず確率で事故に遭遇します。

安全性を高める技術

医者の中で安全性を高めるために訓練や修行をする者はいません。安全性を高めることはたいていの場合治療時間が延びることになり、一般社会では遅い=無能とみなされるからです。安全性が低くても、処置が速いほうが優秀とされます。
例えば注射の針を細くすれば、出血は少なく、痛みも軽く、他の血管や神経を損傷する機会も減り、安全性が極めて高くなります。が、針が細いと注入にかかる時間が何十倍にものびます。針の抵抗が上がるので液が流れにくくなるからです。よって使用する針を細くするように修行を積むという医者はほとんどいません。

あせりが安全を削り取る

隣の部屋に次の患者がスタンバっている状態で処置をする医師は必ずあせります。待合室が満杯でも同じです。この状態では医師は素早い処置をすることに神経を集中します。この時、安全確認にかける時間は削るので最も危険な状態です。素早さを追求するがゆえに安全性を犠牲にするわけです。

患者を減らすことが安全の第一

予約制にして、患者と患者の診察の間が数珠繋ぎにならないようにすることがもっとも安全性を高める方法です。しかし、これは自分の収入を犠牲にする行為のため勇気をもってこの「ゆとりの世界」に踏み込むことは極めて困難なことです。私はこれができている医者と出会ったことがかつて一度もありません。
収入を削って安全性を高めることは自己犠牲です。医者の場合、患者を思って良心的に行うことはすべて自己犠牲を伴います。利潤追求と患者を救うことはたいてい対立した関係にあるからです。医者の数は制限されており、自由競争のない世界です。自由競争がない世界では医者は患者を治さないで増やした方がもうかります。そうした圧力がかかっているところで、安全性を高めて収益を減少させる方向に努力するのは真にぶれない良心が必要です。大学病院にいる間は、医者はがむしゃらに修行しますが、開業するととたんに収益を求めるようになり良心を捨てていくことが多いです。

患者が意識改革を!

1時間に12人診察する医師が1時間に3人にまで減らさないといろんな意味で安全は確保できません。これは単純計算すると、一人当たりの診療費を4倍にしなければ安全が確保されないという意味になります。現在の日本の医療はそうなっていませんが、これは安かろう悪かろうの医療であり安全が担保されていません。医者が1日に100人近く診療するような病院は拒否するという患者側の意識改革が必要です。そうすればやがて医者は安全性を求めるように動き始めます。

良い医者ははやるが儲けない

安全性を確保するには時間を確保しなければならないことは医者が一番よく知っています。しかしそれをすると収益が減少します。本当に良い医者は患者削減をやります。そういう医者は滅多にいないので見つければ本当にラッキーです。安全性は「治ること」以上に大切なのですよ。

駄馬に鞭って知ってますか?

駄馬に鞭の本当の意味は「無駄」ではありません。本来、鞭を打つと奮起して能力が上がるのですが、体が弱っている状態で鞭を打つと、そのむち打ちが致命傷となって悪化の一途をたどることを駄馬に鞭と言います。無駄ではなく、助長(手助けが裏目に出て尚悪くなる)が正解です。

刺激系と癒し系がある

刺激・遮断など、手を加えることで改善させる医療と、癒す・休むことによって自然治癒を期待する療養の2種類が世の中の治療法として存在しています。医学治療はそのほとんど全てが刺激・遮断系であり、これは大なり小なりほぼ必ず体に鞭を打つ治療法です。

医療の大前提

特に細菌やバクテリア、あるいは癌や免疫異常に対して投薬するときには、大前提があります。それは…

「薬に対する抵抗力が、体の細胞>>標的細胞 となっていること」です。
例えば…抗生物質の殺菌効果は、細菌だけに及ぶのではなくヒトの体細胞にも悪影響があります。しかしヒトの体細胞は抗生物質に対して抵抗力が高く、被害は少ないです。一方、細菌は抗生剤に抵抗力が弱いので多くが死滅し、治療効果を発揮します。
これを戦争に例えると、陸で兵士同士が戦っているところに戦闘機で空中爆撃するようなものであり、爆撃では敵の多くが死にますが、味方も何名か巻き添えで死んでしまいます。うまく敵の密集地帯にのみ爆撃するのが重要であり、まさに抗生剤は敵にのみ効果が出やすいように成分や濃度を絶妙に調整されています。
また、人口の約3割が体験するである抗癌剤は、癌細胞を叩きますが正常な細胞も叩きます。よって、癌で亡くなる前に抗癌剤投与で死亡する人も数えきれないくらい大勢います。
医療はこの「抵抗力の差」を用いてヒトに有利になるように工夫されたものです。だから医療は有益ですが、ヒトに無害では決してありません。この大前提を忘れてIはいけません。

抵抗力の逆転現象

私たちは毎日24時間、細菌やウイルス、狂った自己免疫、癌細胞などと戦争をしています。そこに投薬やワクチンなど様々な方法で空爆(援護射撃)をします。ところが敵は突然変異でその空爆に抵抗力をつけます。一方ヒト細胞は長期戦で疲れて抵抗力が弱ります。そしてついに抵抗力の逆転が起こります。ヒト細胞よりも敵の方が抵抗力が高い状態になるわけです。
この逆転状態で空爆を行うと、敵よりも味方の方がより多く死滅してしまい、戦況は「敵に有利」になります。医療を行えば行うほど病気が進行する状態です。

駄馬に無知

体が弱ってしまい抵抗力がない状態に鞭を打てば、現状よりも悪化します。したがってこの「駄馬状態」になったが最後、医療は中止しなければなりません。ヒト細胞が駄馬になるラインが必ずあります。その駄馬ラインの一線を越えているかいないかを見極めなければ、私たちは医療によって殺されます。この駄馬ラインを医者は知らないので頼れるのは自分だけです。医学ガイドラインに「駄馬ラインを見極める方法」というものが存在しません。まさに駄馬に無知です。

全ての病気に駄馬ラインがある

刺激・遮断では悪化してしまい、癒す・休むでしか助けることのできない状態が駄馬ライン越えです。これは細菌・ウイルスに限った話ではなく、精神病、脳神経、内蔵の不調でもすべてに言えることです。
脳にストレスをかけることで精神病や脳神経疾患が起こりますが、駄馬ラインを超えた状態にあると、精神薬のすべてが脳神経をさらに爆撃してしまい悪化の一途になることがあります。駄馬ライン越えの人間に投薬すると廃人を作ります。

駄馬ラインは自省から

駄馬ラインの設定は医学ガイドラインには存在しません。つまり医者はノータッチで自分だけが頼りです。医学を強く信じきっている人ほど、駄馬ラインを越えていても医療を中止する勇気が出ません。だから、治療しても治らないときは必ずこの駄馬ラインのことを思い出してください。自分の体と真摯に向き合えば駄馬ラインは見えてきます。でもみなさんにとってそれは一番苦手ですよね。