黒柴りゅうの散歩道 (original) (raw)

北陸新幹線の延長で話題に上がることの多い小浜市ですが、距離的には関西から近いので(と言うか隣接の町)、グルメや史跡を求めて訪ねる機会が多く、行く度に町並が美しくなっている事に驚きます。新しい施設だと思っていた**道の駅若狭おばま(左)が、早くもリニューアルされてさらに魅力的な施設になり、鯖街道ミュージアム(右)**など新しい施設もオープンしていて町の元気を感じます。

小浜は古代から「御食国(みつけくに)」として朝廷に食料を献上して来た地なので、何を食べても美味しく、特に冬場のカニや鯖寿司など海産物が代表で、都の食を支えた「鯖街道」の起点としても有名です。
しかし食だけでなく歴史も魅力的です。古くからこの地の中心として栄えてきたので、若狭国分寺跡や若狭国一宮など古代の文化遺産も多く、その後の時代も多彩です。戦国期は、若狭の守護武田氏の居城「後瀬山城(山城)」が町の背後に残っています。

近世になると、この地を領国とした京極氏が、居城を海辺に移し城下町を整備しました**小浜城(上)。町の中心に位置する常高寺(下)**は、藩主京極高次の妻(お初の方)の発願による寺院ですが、彼女は信長の妹お市の方の次女(つまり淀君の妹・徳川家光の母お江の方の姉)になります。

江戸時代以降、小浜は北前船の寄港地として大いに賑わい、 かつて三丁町には最盛期48軒もの茶屋があったと言われています。そんな小浜城下で、茶屋街として発達したのが小浜西組で、古い趣のある町並みが今に残り、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。2007年のNHKの朝ドラ『ちりとてちん』のヒロイン(貫地谷しほり)が育った街で、登校風景が古い町並みによく合っていました。

今回は友人と二人での訪問だったため、観光協会にボランティアガイドを依頼していました。伝建地区の街並みや茶屋街の建物の特徴だけでなく、蓬嶋楼(明治期の料亭)や古刹高成寺なども個別の建物も細かく案内してもらい、自分だけの街並み探訪では迫りきれない町の魅力に気付かされました。

帰路、県立若狭歴史博物館に寄ると、特別展小浜藩杉田玄白の挑戦 -『解体新書』出版250年-」の開催中で、見応えがありました。杉田玄白は小浜の出身だったんですねえ。なお常設展も見応えがあり、特に「世界及日本図屏風」(重文)には圧倒されました。

昨年末、「いよいよ伝建地区完全制覇まであと一つ」に迫ったはずだったのですが、文化庁のホームページを訪ねると、伝建地区の番号が一つ増えています。「どこ?」と不安に思いながら調べると、愛媛県宇和島の南でした。愛媛県は7年前訪問済なので少し気落ちしましたが、気を取り直して再トライすることにしました。
127番目の重伝建指定(文化庁)**宇和島市津島町岩松**、ここは南予の海に面した河口域で、物資集散地として商業で発展した町でした。まだ保存整備はこれからのようでしたので、いくつかのポイントとなる建物を見て回りました。

その後、南楽園に入園した後大洲の町に向かい、朝ドラおはなはん」通りや**臥龍山大洲城**(日本100名城)などを訪れました。

現存櫓「三の丸南隅櫓」(国重文)を見に行くと「三の丸松並木跡」があり、城下町らしい通りから天守の素晴らしい姿が遠望できました。近くにノーベル物理学賞中村修二博士の記念碑があり、隣接する大洲高校の出身でした。

翌日は四国を代表する伝建地区内子を訪ねて、一人旅の時にはあり得ない「伝建地区でのお茶」(なるカフェ)をゆっくり満喫できました。

**内子座**では中に入って説明を聞き、かつての町の賑わいがよく感じ取れました。「確か家族に乾杯で鶴甁さん来ましたよね!」と案内の女性に聞くと、「私が案内役をしました」と言うことで、テレビに映っていた女性でした(笑)

1 期待の函館訪問
青森県まで来たので北海道は目と鼻の先、伝建地区の全国制覇で残る「函館元町末広町」がすぐそこです。時間的に難しいかと思っていましたが、北海道新幹線を使うと「新青森新函館北斗」の所要時間は1時間、東北ツアーに1泊追加すれば十分旅できます。幸い朝食が美味しいと先輩に奨められていたホテルが予約でき、足を伸ばすことにしました。
家内もずっと以前より、北海道新幹線に乗りたい(青函トンネルを通ってみたい)と言っていたので、二人それぞれに期待の函館訪問でした。

2 洋館と坂と赤レンガ倉庫
元町というと関西人には神戸ですが、函館の元町も素敵な場所でした。同じ様に洋館の並ぶ伝建地区「神戸市北野」が重なりますが、こちらは坂下すぐに津軽海峡に繋がる海が広がっていますので景観はそれ以上、そして何より函館山(夜景)です。

日本100名城五稜郭
函館国際ホテルに一泊、評判の朝食をじっくり味わって、函館市電五稜郭に向かいました。こちらもインバウンドの方が多く、車内は様々な言語が飛び交っていました。
会津若松鶴ヶ城)でもそうでしたが、戊辰戦争終焉の地五稜郭でも、先人達の辿った数奇な歴史の流れを思い感無量でした。

シダレザクラソメイヨシノ
角館、名前からとても由緒を感じる町です。全国に数ある伝統的建造物群保存地区の中でも、最も絵になる町です。そのメインストリート武家屋敷通りでは、歴史ある石黒家住宅に入り石黒家のご末裔に案内して戴きました。その後、桧木内川堤(国指定名勝)をゆっくり歩いて桜を満喫、武家屋敷通りのシダレザクラも見事ですが、こちらのソメイヨシノも圧巻です。

2 人で溢れる弘前
仙北市(角館)から弘前へ向かうには、高速道路がないので結構な山越えルートです。地図では遠回りの様に見えますが、盛岡経由の東北道利用が楽かも知れません。ともかく昼過ぎには弘前のホテルに着きました。早い目に来たつもりでしたが、ドーミーイン弘前の駐車場はほとんど空きがなく、滑り込めてラッキーでした。弘前さくらまつりの賑わいを感じます。

3 観光ガイドと共に
弘前城内は、観光ボランティアの方に案内して戴きました。自分も地元亀山城や八木城の観光ガイドをしていますので、勉強の意味合いもあります。あまり歴史に踏み込まない様にし(どうしても難しくなる!)、桜を中心に説明されるので聞きやすく親しみを感じました。

1 山寺(立石寺)を歩く

会津若松を出て米沢を経、山形に向かいます。2時間程で山寺(立石寺)、駐車場から見上げると、山寺のアイコンとも言うべき五大堂が望めます。周囲からは「あそこまで登るの?」「絶対無理!」など声が聞こえてきますが、普段登る山城に比べれば手軽な高さですし、登山道(しかも石積み) があるので安心です。
「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」、芭蕉の句が実感できる岩の間を抜け開山堂にお参りして五大堂にたどり着きました。多くの旅番組やブラタモリで見て楽しみにしていた絶景ポイントでした。ただ外国人が多いのに驚きです。 インバウンドの波は東北地方の山中まで押し寄せていました(笑)

2 山形盆地から荘内平野
午後、月山の麓を抜け庄内平野へと移動、酒田は翌日に回して、鶴岡の致道博物館・藤沢周平記念館を訪れました。彼の作中で描かれる海坂藩の城下町や領国の情景は、庄内藩と城下町鶴岡がモチーフになっていますので、町の雰囲気に歴史を感じます。

そしてあつみ温泉へ、関西人には耳にしたことがない温泉でしたが、大型の立派な宿が並ぶ温泉街でした。

3 酒田から秋田へ
翌朝、日本海沿いに北上すると道端に綺麗な建物、加茂水族館です。世界一のクラゲ水族館として有名で、クラネタリウムに圧倒されました。

酒田では、ブラタモリの放送で惹かれた本間美術館・山居倉庫などを訪ねた後、ご当地ラーメンで昼食、お店の方に鶴甁の家族に乾杯が来たばかりだと聞かされ驚きでした(ゲスト八島智人が酒田ラーメンを食べたかったそう!)。

1 東北の山々「飯豊山磐梯山
遠くに新湊大橋を見ながら高岡を後にして一路北上、新潟で大きく東に進路を変え磐越道会津若松に向かいます。やがて左手彼方に雄大な飯豊連峰が、更に進むと磐梯山が出迎えてくれます。関西在住者には、東北の山々は何れもスケールが大きくて、つい見とれてしまいます。

野口英世の足跡
会津若松に着いて最初にホテルに荷物を預け、近くの野口英世資料館を訪ねました。手の手術を受け、書生として3年間を過ごした「會陽医院」の建物です。記憶では、子ども時代最初に読んだ偉人の伝記は野口英世だったので、どの資料にも心を動かされました。野口英世青春通りと名付けられたこの界隈は、旅人が溢れる素敵な場所でした。

3 白壁に映える桜
鶴ヶ城会津若松城)は美しい城です。桜祭りの開催中だったので(もの凄い人出)、余計に映えていました。城の白い壁と桜のピンクが絶妙ですね。歴史ファンはそこに幕末の悲劇も見えて来ますので、余計に屹然とした姿を感じました。幕府が無血開城しているだけに、東北人の侍魂を感じます。

ヨークベニマル
Googleのマップで見つけておいた郷土料理店がどちらも休みで、富山からの遠距離移動で疲れていたこともあって、「地元のスーパーでお弁当を買おう!」となりました。道路脇に見つけたのはヨークベニマルと言うお店、「聞いたことないね。でもイトーヨーカドーのロゴが付いてるなぁ・・・」と二人でブツブツ言いながら入って夕食をゲット。後で調べると、福島県を中心に店舗数246従業員2万名の巨大スーパーでした!

半年ぶりにブログを更新したら、友人達の反響が意外に良かったので、投稿を再開することにしました。

1 みちのく三大桜
4月中旬、家内が退職したらと約束していた「みちのく三大桜」の旅に、CX-5で出かけました。桜前線を追いかけて北陸自動車道を北上し、一週間かけて福嶋・山形・秋田・青森・岩手を巡ります。三大名所の角館武家屋敷弘前城公園・北上展勝地はもちろんですが、ゆっくり東北の春を満喫する予定でした。

北陸道を一路北へ
自宅から弘前城まではおよそ1,000km、一気に向かうのは大変なので、途中高岡・会津若松・鶴岡・秋田で宿泊します。それぞれの土地の名所を訪ねながらのシニア旅、「平日観光できるって素晴らしい!」と家内が感動していました。
スタートは砺波平野、散居村ミュージアム・散居村展望台を訪れた後、散村景観の真っ只中、屋敷林をそなえた大規模民家「入道家住宅」です。

3 チューリップの町
この時期に北陸路を走るならチューリップの群生が見たいなと思い、砺波チューリップ広場に寄ることにしました。あいにくチューリップフェア開幕の前々日だったのですが、色とりどりの花とチューリップアイスに満足の訪問でした(笑)

4 見所多い高岡の町
1月の能登半島地震の復興を支援するため、北陸の宿泊施設では旅行割が使えたので、ホテルニューオータニ高岡での宿泊です。町を満喫するため、高岡大仏を見て路面電車に乗りドラえもんの散歩道へ(中国人家族が撮影中でびっくり!)、その後、北前そば高田屋さんで食事をして富山の夜は暮れて行きました。

5 北陸の寺院神社
北陸は昔から豊かで、放映中の大河でも紫式部親子が越前の国司として赴任しますが、現地に中国の商人達がいて驚きです。その後も、加賀百万石で北前船の主要ルートですから、凄い(経済力の高い)地域だったでしょう。そんな訳で、寺院も大きく、越中国の一宮など4つもあるのかも知れません(写真は高瀬神社と国重文の気多神社)。前田家が建立した瑞龍寺も北陸を代表する巨刹で、写真の山門・仏殿は江戸期を代表する禅宗建築として、国宝に指定されています。

1 友人夫妻の訪問
全国の100名城・続100名城めぐりを続けている友人夫婦が、北九州の旅から帰ってきてお土産を届けてくれました。ちょうど1年前に私も訪れた名護屋城の話で盛り上がったので、懐かしく思い出し自分のブログを読み返してみたのですが・・・・。
あれっ?、記事がありません。確か松浦埋文センターの蒙古軍の遺物とかアップしたはずなのに・・・と思って調べてみると、Facebookに投稿していました。一時期、BlogとInstagramFacebook、三つを併用していたので、頭の中が混乱していたようです。
と言う事で、伝建地区的山大島の神浦地区から戻って(Blog 127 長崎平戸沖の離島へ)、それ以降の足跡を1年ぶりに投稿することにしました(笑)

唐津城と本丸から望む虹ノ松原・宿泊したホテル佐賀唐津リゾート、鷹島肥前大橋

丹波の国衆小林氏と文禄の役
文禄・慶長の役で、諸大名が集結した名護屋城跡ですが、ここは何気ない場所に有力大名の表示(陣跡)が現れ驚きます。実際、加藤清正の名前を見つけた時はびっくりしました。そして実は、自分の先祖もここに来ていた可能性があるのです。
私の実家は、八木城内藤氏の与力であった国衆小林氏の城館跡(南丹市日吉町田原)の真下にあり、しかも跡地の竹やぶは我が家の土地なので、家臣であった可能性が高いようです。実際、寛政期の丹波誌には「譜代ノ家来多ク残リ住ス」とありました。その小林家文書にある石田三成発給の文書で、小林氏が文禄の役に参陣していた事が分かるので、おそらく羽柴秀勝丹波亀山)の軍勢として参加していたと思われます。
もし我が先祖がここに来ていたら、どんな気持ちで20万人と言われる城下の様子や玄界灘を見ていたのか、哀愁の念がこみ上げてきました。そんな事を思いながら、昨夜の豪雨が嘘の様な青空の下、本丸をゆっくり歩いて来ました。

加藤清正の陣跡と本丸石垣、青空に聳える天守台址碑、遠くに望む徳川家康の陣跡

3 海中に眠る元寇の記録
そしてこの地まで来ると、ブラタモリの訪問地の中で、酒田・一乗谷の回と並んで強く印象に残る元寇の遺物を見ない訳には行きません。名護屋城跡から30km足らず、松浦市埋蔵文化財センターを訪れました。ちょうど地元鷹島中学の生徒が見学に来ていて、どの子も京都ナンバーに驚いたのか、しっかり挨拶してくれました。
センター内に展示されている「海中から引き揚げられた蒙古軍の遺物」を見学した後、元(げん)の船が今も沈む(一度引き揚げ腐食を防ぐため戻している)、我が国唯一の水中史跡「神崎遺跡」を見に海岸に下り、戦国時代だけではないこの地に残る大陸との歴史に、思いを馳せていました。

松浦市立埋蔵文化センターと保存作業中の蒙古軍の遺物、左手山裏側が神崎遺跡

1 新春「ご利益」ハイキング
新年の恒例行事として、ふるさと亀岡ガイドの会主催の「第14回七福神めぐり」が三連休の最終日、約50名の参加で出雲地域をにぎやかに案内して来ました。昨年、親しくしていた先輩に誘われ加入したガイドの会ですが、これまで見えていなかった地元の魅力が分かる様になり、参加しているだけで勉強になります。加えて学生時代のサークルの様に仲間も増えますので、月に一度の「城下町歴史案内所(本町カフェ)」の当番も含めて良い感じです。

2 元愛宕神社のこと
まだよく分からない中身も多いので、列の後ろで見守っている役割が多かったのですが、今日は全員どこかで一つ説明をする事になっていたので、愛宕神社(千歳町国分)を担当させてもらいました。ここは現在の山頂にある愛宕神社より歴史が古いので「元愛宕」と呼ばれていて、全国に約千ある愛宕神社の本宮だそうです。
延喜式によると亀岡市丹波国桑田郡)には、愛宕神社を含め式内社(国家の保護を受けている神社)が19座あった事になっていますが、愛宕神社継体天皇の頃が起源で圧倒的に古く、本殿は国の重要文化財ですから非常に格式が高い社です。

桑田郡式内社
こんな経緯で出会うことになった丹波国式内社、全国の一宮も回っているだけに強く興味を惹かれ、新年になりすべてお参りして来ました(これ迄に参拝している神社を除く)。あまり知られていない地味な神社は、街道から外れていたり山中にあったりして、逆にパワースポット感を強く感じました。新年より多くの神社をお参りした2024年はどんな年になるのか楽しみです。

※上の画像は丹波国桑田郡式内社のうち、現在は京都市京北町になっている山國神社(遠くからでもパワースポット感!)。下は丹波国一宮の出雲大神宮、正月も一週間明けたのに凄い参拝者でした!

1 年の瀬に石垣へ
全国の重要伝統的建造物群保存地区127地区の内、124番目の訪問地竹富島を目指して、3泊4日で八重山諸島石垣島西表島竹富島小浜島 etc.)を旅して来ました。
関西空港からピーチでの旅、LCCは第2ターミナルで少し離れた場所(バス移動)というのは想定内でしたが、建物が倉庫か体育館のような簡素な建物で機内へはタラップを使っての搭乗、少し驚きました。関空から石垣空港へは約2時間半の旅、久しぶりにじっくり読書が出来、快適な空の旅です。
到着後、家内と二人ゴロゴロとスーツケースを引いて予約したトヨタレンタカーへ、着いてから迎えのバスがあった事をお店のスタッフに聞き残念でした(笑)

2 124番目の伝建地区竹富島
宿泊先は海の向こうに竹富島が見えるグランヴィリオリゾート石垣島、着後ツアーデスクで西表・竹富へのツアーを申し込み、翌日船で向かいました。
西表島は大きな島なのでバスで島内観光、由布島への水牛渡し・国内最大のマングローブ仲間川どちらも魅力的なツアーです。午後竹富島へ、下船後レンタサイクルを借り、古い町並み地区をグルグル廻りました(山がないので方向が分かりにくい!)。高台から町を見下ろしたりブラタモリが訪れた場所を見つけたり、印象に残る124番目の伝建地区訪問になりました。

3 海だけでない石垣島の魅力
3日目・4日目はレンタカーで島内巡り、意外にも高い山があるのに驚きながら(沖縄県最高峰)、本州とは色が違うエメラドブルーの海を求めて平久保崎や玉取崎、そして山城(丘城でしたが)のフルストバル城(グスク)など訪ねました。道中、上皇后美智子様が訪問された石垣焼の窯元や、出川哲朗の番組で紹介された八重山そばの店「ヤスとカマーの店」などにも立ち寄り、思っていたよりもはるかに魅力の多い石垣島の旅、そして思い出に残るクリスマスになりました。

1 在来道も使って九州へ
今年の夏は、離島の伝建地区を終わらせるということで、永年の懸案だった佐渡の宿根木を訪れましたが、実は7月の上旬に長崎県の平戸の沖に浮かぶ伝建地区・的山大島(「あづちおおしま」と読みます)神浦地区にも訪れていました。なぜ今までブログにしていなかったかと言うと、酷い目に遭ったからでした。

長崎県平戸を代表する景色「平戸大橋」と日本100名城の「平戸城」(曇天が残念)

7月9日関西を出発し平戸を目指したのですが、途中現存12天守最後の訪問地「備中松山城」に寄っておこうと考えたのが、失敗の始まりです。九州北部の豪雨の影響で、午後には山陽道が一部通行止め。国道2号に迂回となったのですが案の定大渋滞、延々とノロノロ運転となりました。2時間ほどで漸くクリアでき、九州道に上がれた時は既に辺りは真っ暗、車中泊を予定していた松浦市の道の駅に着いた時はほぼ深夜、本当に大変な状況でした。

現存12天守の最後の訪問地備中松山城、全制覇を伝えると係の方に拍手を頂きました!

2 豪雨の道の駅
ところがこれで終わりではありません。そこから明け方未明に掛けて、九州北部で線状降水帯が発生、半端じゃない雨が空から落ちて来て、駐車場で遭難するのかと覚悟したほどでした。もちろん車の天井を豪雨が激しく叩くので、うるさくて眠れません。が結局、長距離運転の疲れもあり(700km)、漸く3時頃には眠れました。

車は平戸港に置いていくことに。的山大島出身の女性のアドバイスに感謝でした!

翌朝、何とか雨は上がっていました。暴風でない限りフェリーは出ると聞いていたので、平戸港に向かうと、待合室にはたくさんの乗客が見えたので一安心でした。的山大島は大島という名前だけあって結構大きな島で、港から伝建地区の神浦地区までは少し距離があり、移動が悩みでした。車と一緒に渡るべきか随分迷ったのですが(往復運賃:人1320円・車7430円)、港で出会った大島出身者の方に、「車はもったいない、乗り合いの島内タクシー(公共)があって100円ですよ!」と言われ、車は置いていくことが出来ました(笑)

長崎県平戸市大島村神浦
乗船時間40分で島に着き、建物を出た所でワゴン車が待っていました。「観光客も乗れますか?」と尋ねると、運転手さんが「どうぞどうぞ」とのことだったので、安心して乗り込みました(多分同年配のシニア)。乗客はもう一人の方と私の二人、その方は小学校前で降りられたので(先生かな?)、結局神浦の伝建地区に着いた時は私一人でした。運転手さんは「ここで待ってくれてたら、帰りのフェリーに間に合うように港まで運ぶよ!」と待合所を教えてくださり、安心して約一時間の町並み探訪に出かけました。

町並みの奥に見える浄土宗西福寺、伽藍の大きさに往時のこの島の繁栄が偲ばれる。

神浦は、江戸時代の捕鯨をきっかけに、水産加工業や船問屋などの商工業で発展した「離島の港町」です。湾沿いの通りに古くからの町家が連続し、高台の寺や神社・山や海と一帯をなし、歴史的な町並みを形成していました。

伝建地区126ヶ所中123番目の訪問地「宿根木地区」。佐渡は意外と本州から遠く(直江津港小木港:74km)、佐渡汽船のフェリーで2時間半掛かりました。ただ船内は人も車も満載で、想像以上に人気の島です。

宿根木を代表する三角家周辺は特に人が多く、金山跡も若い人で賑わっていました。怖いアトラクション?!が苦手な私は、多分乗らないだろうと思っていた「たらい舟」ですが、家内の強引な誘いで結局乗らされました(笑)

佐渡は海岸線が単調なイメージでしたが、訪れてみると意外と変化に富んでいました。少し調べるとジオパークだったので、当然と言えば当然で自分の認識不足。金山の「北沢浮遊選鉱場跡」「道遊の割戸」など見所の多い島でした。面積も沖縄本島の約3/4、随分大きい島だったんですね!

帰路は、上信越道から長野道経由で安曇野に立ち寄り、以前から楽しみにしていた「大王わさび農場」を訪れて来ました。ここも若い人で溢れ、わさびアイスがよく売れていたのが印象に残ります。

その後訪れたのは、日本のチロルと呼ばれる遠山郷「下栗の里」(飯田市)です。何かの番組で見た森の合間から見えるその絶景に圧倒され、ずっと訪ねてみたいと場所でした。食堂に入って地元産手打ちそば・こんにゃく田楽をいただきながら、山の暮らしの話を聞かせてもらいましたが、丹波山地の奥深い村で生まれ育った私には、とても印象に残る旅の一コマとなりました。

インバウンドで人気の中山道妻籠宿」の画像も付け足しで!

明智光秀と京都丹波の山城」の講演を依頼され、京都市桂坂の裏山「峰ヶ堂城」を調べている内に、本能寺攻めの「唐櫃越(からとごえ)」が横を通っている事を発見。これは一度歩いておく必要があるな!と考え、2年前山陰道ルートを一緒に歩いた友人と酷暑の中を計画。出発を早朝の5時にすれば、山上は気温も低いので大丈夫だろう!と60代半ばの二人の挑戦でした。
踏破しての感想は、やはり磯田先生(日文研のランチでお出会い!)の言われた「唐櫃越は厳しい山岳ルートでしかもあの道幅、本能寺攻めには使ってないだろう」が納得でしたが、当時の道の整備状況や軍勢はいくつかに分けたであろう事を考えると、やはり唐櫃越を使った可能性は捨て難いですね。結論はまだ先送りです。

(左)JR馬堀駅前から見る唐櫃越 (右)登山口の如意寺(宇野豊後守の居城跡)

(左)寺の裏山に見つけた山城の石垣跡 (右)尾根に出るまでは厳しい山道が続く

最初の目的地みすぎ山から見た亀岡市。手前が篠町、遠くにつつじヶ丘団地が見える!

(左)保津峡駅を出て亀岡に向かう電車 (右)霊峰愛宕山愛宕神社の総本社

出発から約5時間、右手に見える道路は京都縦貫自動車道京都市大原野

遠くに京都タワー西本願寺が見える。本能寺が炎上すれば確実に見えただろう!

出発から7時間、峰ヶ堂城にたどり着く。やはり光秀軍はここを押さえていたはず!

最近立て続けに亀岡市南部の山城に登りました。一つは曽我部町の「法貴山城」(比高240m・国衆酒井氏の城)、もう一つは東別院の「東掛城」(比高175m・国衆赤澤氏の城)、どちらも大変立派な遺構が残っていて驚きました。

【画像】法貴山城(遠景・縄張図・外の堀切・内の堀切・主郭)

特に法貴山城は縄張図からも分かる様に、規模が大きいだけでなく堀切を何重にも回した技巧的な城で、単に国衆の城と言うより守護(丹波細川氏)が関わっていたのではないかと思われる程にインパクトがありました。よく考えると摂津との国境も間近です。一緒に登った曽我部町自治会長も、地元に残る中世の遺構にびっくり!という感じでした。

【画像】東掛城(遠景・主郭・堀切・土橋)と登り口の素戔嗚神

東掛城は地元で町おこしに頑張っている元同僚に案内して貰いました。こちらもなかなか立派な城でした。現在の感覚で言うと山奥なのですが、さすがはかつての交通の要衝でした。下山後にランチした自治会横のお洒落なカフェ「YAMA NO TERRACE」や、小野小町が湯治で訪れたとの伝承が残る湯谷地区の「湯壺」に案内してくれて、強く印象に残りました。亀岡もまだまだ広い!

【画像】カフェYAMA NO TERRACEと湯谷の湯壺

5月から突如仕事が忙しくなり、ブログもFacebookInstagramも、パタッと投稿が出来なくなりました。表現すると言うことは、改めてエネルギーのいることだったのを痛感します。と言うことで久しぶりの更新です。
少し時間が経ちましたがGWに石見銀山出雲大社を夫婦で旅行してきました。世界遺産石見銀山は、最盛期には世界の銀の約3分の1を産出したと言われ、繁栄を支えた麓の町「大森」や積み出し港の「温泉津」は歴史の痕跡がよく見える地域です(どちらも重要伝統的建造物群保存地区)。特に温泉津は本州で唯一未訪問の伝建地区で、大森は写真が残せていなかったので、良い旅行になりました。

往時の繁栄が偲ばれる大森の町並・銀山への坂道を電動自転車(レンタル)で移動

熊谷家住宅(重文)・石見銀山(龍源寺間歩)・直木賞「しろがねの葉」佐毘賣山神社

石見銀山の外港として栄えた港町・温泉津の町並と元湯薬師湯旧館・内藤家庄屋屋敷

ところで今回も高速の深夜料金を利用し、行楽地に一番に着けるメリットを生かすため、広島福山SA(山陽道)で車中泊しました。ところがいつもなら深夜になると空いてくる広大な駐車エリアですが、コロナ解禁後初のGWと言うことで凄い混み具合い! 朝5時に目が覚めた時点でも、周りは車が一杯で「みんな旅の機会を待ってたんだ!」と痛感しました。

出発前の出雲のホテルも予約が大変でしたが、翌朝出雲大社は8時の時点で駐車場が長蛇の列、うーん日本に活気が戻って来ました!

追伸、周辺観光も少し。120年の時を経て佇む石造日本一の高さ「日御碕灯台」(国重文)、中国地方最高峰「大山」の勇姿。